お釈迦様と蛇霊(1)

 東洋と西洋の文化の違いとして、へびに対する扱いが違う点を指摘する方がおられます。いわく、東洋では蛇(蛇霊)や龍(竜)が神としてあがめられている。確かに日本では白蛇が神様として祀られています。たとえば鎌倉の銭洗い弁財天神社では、金運をあやかろうと、沢山の卵がおそなえされています。これは御祭神(あるいは眷属)が白蛇さんだから、蛇が好む卵をお供えしているのです。また俗信として、財布に蛇の抜け殻を入れておくと、お金がたまると伝えられます。これも蛇神信仰が金運と係ることの、一つの象徴といえましょう。
 これに対し、西洋では蛇および龍をみ嫌います。それは聖書に由来します。旧約聖書創世記、エデンの園で最初の女イヴを巧みに誘惑し、善悪の木の実を食べるようそそのかしたのは、蛇でした。蛇は知恵の象徴でもあります。
『さて、神であるしゅが造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾こうかつであった。』(創世記3章1-2節)
『わたしが、あなたがたをつかわすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、はとのように素直すなおでありなさい』(マタイ伝10章16節)
『しかし、蛇が悪巧わるだくみによってエバを欺いたように…』(コリント人Ⅱ11章3節)

 そして、蛇は悪魔の象徴であり、終りの日(最後の審判)で万軍n主により滅ぼされる存在と予言(預言)されています。

『また、別のしるしが天に現われた。見よ、大きな赤いりゅうである。(略)さて、天に戦いが起って、ミカエルとその使いたちは、竜と戦った。それで、竜とその使いたちは応戦したが、勝つことができず、天にはもはや彼等かれらのいる場所がなくなった。こうして、この巨大な竜、すなわち、惡魔あくまとか、サタンとか呼ばれて、全世界をまどわす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼と共に投げ落とされた』(ヨハネの黙示録12章3-9節)
『その日、主は、鋭い大きな強いつるぎで、逃げ惑うへびレビヤタン、曲りくねる蛇レビヤタンを罰し、海にいる竜を殺される。』(イザヤ書27章1節)

 悪い蛇(竜)が退治されるのは聖書の中にかぎらず、日本神話や中国伝説にもあります。神素戔嗚之尊による八岐大蛇やまたのおろち退治や、漢王国の高祖劉邦りゅうほうの白蛇退治の逸話が伝えられます。もっとも、劉邦自身も蛟龍こうりゅうであった…とされますが。

上野公園さんは、『神言会-大本教神諭解説』のなかで、知恵を象徴する蛇のりゅうと、創造神の息吹たるりゅうについて、区別して解説されています。 『へびは動物なのに虫(ムシ)がつく。むし無視むしに通じ、魂のかじ(阿弥陀の陀)を無視したじゃの者が、言葉の神の神罰によりじゃに変えられた(見変えるミカエルの経綸)』

人に内在する良心神(神言会)より
言葉の妙Ⅳ、蛇霊その1 蛇霊総論
蛇霊総論とその実例 総論の部
蛇霊の実例その1 蛇霊化してまで祟った事件
蛇霊の実例その2 蛇を殺してその子孫が祟られていた事件
蛇霊の実例その3 供養を求めて蛇が仏壇でとぐろを巻いた事例
蛇霊の実例その4 自分を龍神として祭れと言った蛇霊
蛇霊の実例その5 宇宙神と見誤って蛇霊とチャネリング 

 出口王仁三郎聖師は「へびの霊と云うのは良い霊じゃない。人が死んで大蛇だいじゃになったと云ふ古事はいくらでもあるが、人の想念がり固まって、つまり霊魂が凝結したら蛇になる」と述べられています(出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会2より)。
 東洋では、蛇について金運以外に何と語っているのでしょうか?
 それを仏典から探ってみます。



○『日本霊異記』より「慳貪けんどんりて、大蛇をろちと成る縁」
(原文)
 聖武天皇の御世に、諸樂ならの京の馬庭まにはの山寺に、ひとりの僧常住す。その僧命終はる時にのぞみて、弟子に告げて言はく「我死にし後、三年に至るまで、むろの戸を開くことかれ」といふ。しかして死にし後、七七日をて、大きなる毒のくちなわりて、その室の戸に伏せり。弟子ゆゑを知りて、教化けうけして室の戸を開きて見れば、銭三十貫を隠しをさめたり。その銭を取りて誦経ずきょうを為し、善を修し、福を贈りき。誠に知る、銭にふけり隠すに因りて、大蛇をろちの身を得て、返りて、その銭を護りしことを。須彌すみいただきを見るといえども、欲の山の頂を見ること得といふは、それれを言ふなり。

(現代訳)
 聖武天皇が治めておられた時代、奈良ならの都の馬庭(東大寺の東北隅あたり)の山寺に、一人の僧侶が住んでいました。その僧侶が死ぬとき、弟子に「わしが死んでも、三年の間は、わしの部屋を開いてはならぬ」と言い残しました。四十九日(七七日)をすぎると、なぜか、巨大な毒のくちなわが、死んだ僧侶の部屋の前に蜷局とぐろを巻いているではありませんか。弟子は蛇を見るなり「ああ、この蛇は私の師匠が邪見じゃけんによりじゃの道にとらわれ、じゃとして生まれ変わったのだ(輪廻転生)」と悟り、ただちに教化(説得)します。蛇が退いたあと、部屋の戸をあけて見ると、師匠が隠していた銭三十貫を見つけました。弟子は、その銭をもって供養にもちい、布施ふせなどの善行をおこない、死者に福を贈りました。
 我々は、誠に思い知るべきです。金銭をむさぼり、執着しゅうちゃくし、その因果によって大蛇おろちとなって現世に戻ってまで、自ら遺した銭を護っていた、その執念深さを。この世界の中央にそびえる須弥山しゅみせんざんの頂上を見ることが出来ても、欲望の山の頂点を見ることは出来ません。かつて、お釈迦様も悪魔に誘惑されたことがあります。
 ある日、お釈迦様は、「ああ、殺すことなく、殺さしめることなく、勝つことなく、勝たしめることなく、悲しむことなく、悲しませることなく、法によって統治をなすことができるだろうか?」と考えていました。そこに悪魔がやってきて、「あなたならば、世界を統治することができます。おやりなさい」と誘惑します。「尊いお方! 尊師は、四つの不思議な霊力(神通力)をおさめ、完全な方になられた。もしも尊師が山の王(ヒマラヤ)を黄金にしようと望み、そのように決意なさるならば、山は黄金になるでしょう」と語りかけます。そんな悪魔にお釈迦様は
「黄金や銀の山があったとしても、またそれを二倍にしても、それだけでは、一人の人を満足させることはできない。このことを知って、平らな心でおこなうべし。苦しみと苦しみの元の起るもとを見た人は、どうして欲情に傾くであろうか。世間における制約は束縛であると知って、人はそれを制し導くために学びおわむべし」
 このように惡魔に言いきられました。チベット仏教の曼荼羅マンダラで、三毒(貪欲とんよく瞋恚しんい癡痴ぐち)は蛇・猪・鶏にたとえられます。むさぼりは三毒に通ず。『須彌のいただきを見ると雖も、欲の山の頂を見ることは出来ず』というは、まさにこの事を言うのです。



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プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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