お釈迦様と王様(5)

○ジャータカ第520話 『ガンダ・ティンドゥカ前生物語

 これは、師(釈迦牟尼仏)が祇園精舎に滞在しておられたとき、国王にたいする訓誡について語られたものである。国王にたいする訓誡は、先にくわしく説かれている。
 むかし、カンピッラ国のウッタラ・パンチャーラという都に、パンチャーラという王が、非道に入り、不正義をもって勝手気ままに国を治めていた。それで、その王の大臣などすべてのものまでが、不正義のものになってしまった。税に苦しむ国民は妻子をつれて、森を獣のように歩きまわり、村のあったところには、村というべきものがなくなってしまった。人々は、王の家来が恐ろしいので、日中は家にいることができなかった。家家をとげの生えた枝で囲んで、朝日が昇ると森にのがれた。
 日中は王の家来たちが略奪し、夜には盗賊たちが略奪した。
 そのころ、菩薩(お釈迦様の前世)は、都のそとにあったガンダ・ティンドゥカ樹の樹神として生まれていた。毎年、王のもとから千金に相当する供え物を受けていた。樹神(菩薩)は、「バンチャーラ王は勝手気ままに国を治めておる。王国はすべてほろぶであろう。私以外にはほかに王を正せることができるものはない。王は私にとっては援助者でもあり、毎年、千金の供え物をして私に敬意をはらっておる。私は王をさとしてやるとしよう」と考え、夜半に王の寝室に入って、枕もとに立って、光を放って空中にとどまった。
 バンチャーラ王は、樹神が朝日のように輝いているのを見て、驚いた。
「大王よ、わしは、ガンダ・ティンドゥカ樹の樹神である。そなたに訓誡をしにやってきたのである」
「どのような訓誡をしていただくのですか」
 王に、こう言われて、樹神(偉大な人、前世におけるお釈迦様)は、
「大王よ、そなたは放恣ほうし(勝手きままな行動、だらしなく節度のない身勝手な生活)なことをして国を治めておる。そのために、そなたの国中が、まるで破壊され略奪されたように荒廃しておる。放恣に政治をしておるような国王は、国中の支配者ではない。この世で破滅し、あの世でも大地獄に生まれる。そして、国王が放恣にしておるときには、国の内外の人民が放恣となる。だから、王はとくに放恣であってはならないのである」と、教えを説いて聞かせながら次の詩を語った。
なまけることのないことは不死のよりどころであり、放恣ほうしは死のよりどころである。なまけることのないものは、死ぬことなく、なまけものは、死者のようである。慢心から放恣が生じ、放恣から破滅が生じる。破滅から過失が生ずる。王よ、慢心をもってはならない。おおくの放恣な王たちは、利得と国とを失った。そのうえ、村人たちは村を失い、家のあるものは、家のないものになった。国を繁栄させる者すなわち大王よ、放恣な王の国にはあらゆる財は消え失せるであろう。
 これが、王の罪と言われる。
 大王よ、これは正義ではない。そなたは、放恣が長すぎる。富み栄えていた国土を、盗賊たちが、これを荒廃させておる。そなたは、子を授からぬであろう。金も財産もなくなるであろう。国が略奪されているあいだに、すべての財産を失うのである。王よ、すべての財産を失った王を、親族や友人たち、親友たちは、尊敬すべきものとは見なさない。騎象兵や衛兵戦車兵や歩兵達、王がたよるべき者共も、放恣な王を尊敬すべきものとは見なさない。することが、きちんとしておらず愚かで、浅はかに思慮するもの、智恵のないものを、幸運は見はなす。蛇が古い皮を捨てて見むきもしないように。
 することが、きちんとしており、適時に努力し、活動的なものにあらゆる財産が、増える。牡牛のいる牝牛の群れのように。大王よ、耳を傾け、国内を、地方を歩きまわりなさい。そこで、見聞してそして、そなたは、かの正義を遂行するのである。」
 このように、(偉大な人)は、十一の詩をもって王をさとし、「さあ、ためらわずに国を護れ。滅ぼしてはならん」と言って、自分のすみかへ去った。
 王は、樹神(菩薩)の言葉を聞いて、恐れをなし、あくる日、王国を大臣たちにまかせて、司祭官をともなって、早朝に東の門から都を出て、1ヨージャナほど行った。
 そこで、ある年老いた村人が、森からとげだらけの枝をもってきて、家の入口を囲って閉じ、妻子をつれて森へ入り、夕方、王の家来たちが去ると自分の家へもどってきた。その老人は家の入口で、足に棘をさし、しゃがみこんですわり、棘を抜きながら、『パンチャーラ王も、戦場で矢を受けて、同じように、痛みを思い知れ、わしが、今日、棘でさされて、苦しんでいるように。』という詩で、王をののしった。ところで、老人の罵りは、樹神(菩薩)の威力によるものであった。老人は、樹神(菩薩)にとりつかれて、罵ったのである。
 さて、王と司祭官は、そのとき、本来の身分を隠すために、いつもとは違う恰好をして扮装ふんそうしていた。王と司祭官は老人のすぐそばにいたので老人の罵りを聞くことができた。司祭官は次の詩をとなえた。「おまえは、年老いて視力も弱い。ものもよく見えないではないか。おまえが、棘にさされたことが、その場合、バンチャーラ王に何の関係があるのだ。」
 老人は、これを聞いて、つぎの三つの詩をとなえた。
「バンチャーラ王のせいでおこったのだ。バラモンさん、わしが棘の道にいるのは。守りのない田舎のものは、非法な強権者に殺されているのじゃ。夜には、盗賊が食い物にし、昼には、税吏たちが食い物にする。国によこしまな王がおるので、非法な人間が多いのじゃ。あんたさん、このように怖いので、人々は恐れており、森で棘だらけの枝をとってきて、隠れ場所を作るのじゃ。」
 王は、それを聞いて司祭官に、「先生、老人は正当なことを言っておる。われわれにこそあやまちがあるのだ。さあ、ひき返そう。正しく国を治めよう」と言った。樹神(菩薩)は、司祭官の体に入りこんで、まえに立って、「大王さま、もう少し調べましょう」と言った。
 二人がその村からつぎの村へ行く途中、ある老婆の話しているのが聞こえた。その老婆は貧しい女で、二人の年ごろの娘を守って森へ行かせず、自分で森からたきぎや山菜をとってきて、娘たちの世話をしていた。老婆は、その日、ある茂みに登って山菜をとっていたところ、地面にころがり落ちたため、王が死ぬように罵って、
「いつの日にあの王は、バンチャーラ王は、死ぬのだろうか。
 あの王の国に暮らしていれば、娘たちは婿がない。」
 という詩をとなえた。すると、司祭官はそれをさえぎって、
いやしい女め、おまえは言葉がすぎるぞ、値打ちのない言葉しか知らんやつめ。どこの王が、娘たちのために、夫を探し求めるというのか。」という詩をとなえた。老婆はそれを聞いて、
「バラモンさんや、わしは言葉がすぎるのではない。わしは、値打ちのあることばを知っている。守りのない田舎のものは、非法な強権者に殺されていますのじゃ。夜には、盗賊が食い物にし、昼には、税吏が食い物にする。国に邪な王がおるので、非法な人間が多いのじゃ。生活が困難で妻をやしないがたいのに、どこから娘に夫があるものか。」と語った。
 王たちは老婆の言葉を聞いて、「正当なことばを話しておる」と言って、さらに行くと、ある農夫の話し声が聞こえた。その農夫のサーリヤという牡牛が、すきに当たって倒れてしまったというのである。農夫は、王を罵って、「同じように王様も倒れてしまえ、戦場で刃に打たれて。この憐れな牛のサーリヤが、すきに打たれて倒れているように。」という詩をとなえた。そこで、司祭官は、それを遮って、
いやしい奴め、おまえは不当にバンチャーラ王に怒っておる。おまえは王様を呪っておる、自分で罪を犯しながら。」という詩をとなえた。それを聞いて、農夫はつぎの三つの詩を語った。
「正当なことでバンチャーラ王を、わしは呪っているのだ、バラモンさんよ。守りのない田舎のものは、非法な強権者に殺されているのだ。夜には、盗賊が食い物にし、昼には、税吏が食い物にする。国には邪な王がおるので、非法な人間が多いのだ。けしからんことに、召使いが二度目に、時間に遅れて食事をもってきた。(召使いは早朝に食事を作って農夫にもって行こうとしたが、非法な税史たちに止められて食事を供出させられた。それで再び食事をつくり、時間に遅れて食事をもっていった。農夫は腹をすかせて食事を待ち望みながら牛にむちをくれた。牛は足をあげて鋤にぶつけてしまった)。わしは、食事が運ばれてくるのを待ち望み、すきでサーリヤを打ってしまったのだ。」
 王たちは、さらに行き、ある村に泊まった。翌日、早朝に、ある凶暴な牝牛が、乳しぼりの男を脚でけとばして、牛乳もいっしょにひっくり返した。その男は、バンチャーラ王をののしって、
「王様も、戦場で刀に打たれて、ひっくり返ってしまえ。わしが、今日、られて、そのわしが牛乳をひっくり返してしまったように。』という詩をとなえた。それを聞いて、バラモンが、
「牛が乳を流し去り、牛飼いをけ倒したのが、その場合バンチャーラ王に、何の責任があるというのだ。」
 という詩をとなえると、男は、さらに三つの詩を語った。
「バラモンさん、王様は非難されるべきなのだ。バンチャーラ王による、守りのない田舎のものは、非法な強権者に殺されているのだ。夜には、盗賊が食い物にし、昼には、税吏たちが食い物にする。国に邪な王がおるので、非法な人間がおおいのだ。凶暴な野生の牝牛で以前に乳をしぼったことがないのを、そいつを今日、ただいまわしは搾ったのだ。王の家来の牛乳の要求に責められて。」
 王たちは、「正当なことを言っておる」と言って、その村を出て、都に向かって行った。途中ある村で、泣きながらさまよう牝牛に出会った。王の税吏たちは刀のさやをつくるために、その牝牛の子供を殺して革をはぎ取った。そのため、子牛の母は、子を失った悲しみのために草も食べず水も飲まず、泣きながらさまよっていた。それを見て、村の子供たちは、王を罵って、
「王様も、同じように、泣くがいい。子を失くし干からびてしまえ。このあわれな牝牛が、子を失くして泣きながら走りまわっているように。」
 という詩をとなえた。それで、司祭官はつぎの詩をとなえた。
「牛飼いの牛がうろつき、あるいは鳴いたとしても、ここでバンチャーラ王に、何の責任があるのだ。」
 そこで、村の子供たちはつぎの二つの詩を語った。
「大バラモンさま、責任は、王様にあるんだ。守りのない田舎のものは、非法な強権者に殺されるんだ。夜には、盗賊が食い物にし、昼には、税吏たちが食い物にする。国に邪な王様がいるから、非法な人間がおおいんだ。どうして刀の鞘のためなんかに、乳を吸ってた生き物の子牛が殺されるんだ。」
 王たちは、「正しく理由が説かれている」と言って、出発した。道の途中の、ある干あがった池で、からすたちが、かえるたちをくちばしでつついて食べていた。樹神(菩薩)は、王様と司祭官がその場所へやってきたとき、自分の威力でカエルに、「同じように王様も食われてしまえ、子供たちといっしょに戦争で。森で生まれたわしが、今日、村のカラスに食われるように。」と、王をののしらせた。司祭官は、それを聞いて、カエルと言葉を交わして、
「カエルよ、王たちは人間界で、あらゆる生き物に保護を与えるのではないぞ。そのかぎりでは、王は非法を行なうものではない。カラスは、おまえのような生き物を食うもんだ。」
 という詩をとなえた。カエルは、それを聞いて、つぎの二つの詩をとなえた。
「何と、聖なる行ないをするあんたは、不当にも、王に、へつらいを語っている。人民が略奪にあっているのに、あんたは、理屈だけの王を尊敬しているよ。バラモンさん、もしこれが、うまく治められた国であり、栄えた国で楽しく清らかであるのなら、カラスは最高の食事のほどこしを食べ、カラスはわしらのような生き物を食べないよ。」
 王と司祭官は、それを聞いて、森に住む動物やカエルをはじめ、あらゆるものが、本当に自分たちをののしっている、と知り、それから都へ還ってからは、正しく国を治め、樹神(菩薩、偉大な人)の訓誡にもとづいて、布施などの善行を行なった。
師(釈迦牟尼仏)はコーサラ国の王にこの法話をされ、「大王よ、王というものはよこしまな道を捨て、正しく政治を行なわなければいけませぬ」と言われて、[過去の]前生を[現在に]あてはめられた。「そのときのガンダ・ティンドゥカ樹神は実にわたくしであった」と。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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