お釈迦様と王様(3)

○ジャータカ第396話 『クック前生物語

 これは、師(釈迦牟尼仏)が祇園精舎に滞在しておられたとき、王への訓戒について語られたものである。むかし、バーラーナシーでブラフマダッタ王が国を治めていたとき、菩薩(前世におけるお釈迦様)は、王の世俗的な問題や精神的な問題について補佐する大臣であった。王は、不正の道にふみこんでいて、邪法によって国を治め、国民を圧迫して、財宝ばかり集めていた。
 大臣(菩薩)は、王をいさめたいを思い、なにかよいたとえはないものか、考えながら歩いていた。ところで、王の寝室が、まだ完成されないで、屋根がふかれておらず、屋根の装飾板を支える垂木たるきをはめこんだばかりであった。王は、遊びのために庭園へ行き、そこで散歩したあとで、その家に入った。王は上を見て、円形の装飾品を見つけた。王は、自分の上に落ちてくるのを恐れて外へ出て、また見上げ、
「いったい、何のために装飾板があるのだろう。何のために垂木があるのだろう?」と思って、菩薩に質問して、最初の詩をとなえた。『装飾版は その高さ 1クック半なり。その周囲8 ヴィダッティヤで、堅牢な シンサパ、サーラの 樹から成る。どこに支えが あるのやら。上の方から 落ちないが…』
 それを聞いて、大臣(菩薩)は「いまこそ、王様をいさめる時が得られた」と思って
『サーラ樹よりなる三十の 曲がった垂木が とり囲み 等しく支えを なしている。それらによって 保たれて しっかり押され 上からは 落ちないようになっている。このようにして 堅実な 友人および 清らかで 性格かたき 助言者に 保たれている 賢人は こよなき幸から 落ちゆかず。垂木によって 重い荷を 装飾版が 支うごと。』
 王様は、菩薩が語っている間に、自らの行動をかえりみて、
「装飾版がなければ垂木が安定しない。垂木が組み合さらないと、装飾版が支えられない。垂木がこわれてしまうと、装飾版が落ちてしまう。まさにそのように、自分の友人や軍隊やバラモンや家長と協力せず、かれらと断絶して、かれらと不和になれば、主権をうしなってしまうものだ。王というものは、正しくあるものである」と思った。
 ちょうどその時、手紙に沿えた贈り物として、マートゥルンガを持ってきた者があった。王は「友よ、この果実を食べなさい」と菩薩に言った。菩薩は受け取って「大王よ。この食べ方を知らない人は、にがくするか酸っぱくするかしてしまいます。しかし心得ている賢者は、苦味を除き、しかも酸味を除かず、マートゥルンガの味覚をそこなわずに食べます」と言って、王に、このたとえによって、財宝を集める方法を示して、二つの詩をとなえた。
『かたい皮もつ メーッラを ナイフを持って処理せねば、王よ、苦味を 生じます。薄い皮をば とり除き 苦さとらねば まずくなる。同様にして 村・町の 賢者は王の 財宝を 無理じいせずに 集めます。法に順じて 行動し 他人を害なう ことなしに かれは繁栄 もたらさん』
 王は、菩薩と語りあいながら、蓮池の縁に行き、美しく咲きみだれ、朝日のような色をして、水に汚されていない紅蓮花を見て言った。
「友よ、この蓮花は、水のなかにはえていながら、水に汚されずに立っておる」
 そこで菩薩は王に、
「大王よ。王様もまた、まったくこのようであらねばなりませぬ」と諭した。
『白き根をもち 清らなる 真水に生じ 蓮池の なかに生れる 蓮の花、 火のごと燃える 紅蓮花を 泥土も塵も また水も 汚すことなし。そのように、言葉正しく 無理をせず 清らに行ない 悪しきこと 離れた人を 業のは 汚すことなし。そのような 人はあたかも 蓮池に 生まれた蓮花の ごとくなり』
 と、これらの詩を唱えた。王は、菩薩のいさめを聞いて、それからのちは正義によって国を治め、布施などの善行をして、天界へ生まれかわるものとなった。師は、この話を説かれて真理を明らかにされ、過去の前生を現在にあてはめられた。「その時の王はアーナンダであり、賢い大臣は実に私であった」と。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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