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仏の顔も三度まで

20004年(平成16年)3月、押井守監督の作品『イノセンス』 (INNOCENCE)…攻殻機動隊続編が公開され、その中に、主要人物が「孤独に歩め 悪をなさず 求めるところは少なく 林の中の象のように。」とつぶやくシーンがあります。出典については既に指摘されていますが、この前後となると、知っている方は少ないと思います。では、紹介いたします。

○ジャータカ全集 428 コーサンビーの紛争前生物語 
 これは、師(釈迦牟尼仏)がコーサンビーに近いゴーシダ園に滞在してられたとき、コーサンビーで論争する者たちについて語られたものである。
 当時、二人の修行僧が同じ住所に住んでおり、一人は戒律に通じ、一人は御経に通じていたということである。二人のうち、持経者は、ある日のこと、排便をして水屋のなかに手洗いの水の残りをうつわに残したままで出て行った。あとから持律者がそこへ入り、その水を見て出て行き、相手にたずねた。
「あなたが水を置いたのですか?」
「そうです。友よ」
「あなたは、これが罪になることを御存知ないのですか?」
「はい、知りません」
「ああ友よ。これは罪ですぞ」
「それなら、私はそれを懺悔しましょう」
「しかし友よ。もしあなたが、故意ではなく不注意でなさったことなら罪ではありません」
 持律者は、その罪を、無罪とする見解をとった。なのに持律者は、自分の弟子には、
「この持経者は、罪を犯しながらも知らないのだ」と告げた。持律者の弟子集団は、持経者の弟子たちを見て、「あなたがたの親教師は、罪を犯しても知らないんですよ」と言った。弟子たちは行って、自分の親教師(持経者)に告げた。
 親教師(持経者)は、次のように言った。
「この持律者は、前には『無罪です』と言いながら、今度は『罪である』と言う。彼は嘘つきなのだ」
 持経者の弟子たちは行って、「あなたがたの親教師は嘘つきですよ」と言った。このようにして、おたがいにいさかいを高めていったのである。
 それから持律者は、機会をとらえて、彼(持経者)を有罪であると認めない者に、罪を犯した修行僧の停権を決議する作法(捨置羯磨)を行なった。それからというものは、修行僧たちに必要な物を布施ふせする在俗信者たちも、二派となった。教戒を受ける修行尼たちも、守護神たちも、友人も、同僚も、梵天ぼんてんの世界に至るまでの虚空に住む神格も、いまだ仏道に入らぬ人々(凡夫)も、二派に分れ、しかもこの混乱は、色究竟天まで及んだ。
 そこで、一人の修行僧が、如来(お釈迦様)のもとへ行き、仲裁を願い出た。コーサンビーでは、修行僧たちの非難合戦が頂点に達しようとしていた。この有様をお聞きになった世尊(お釈迦様)は、
「修行僧の教団は分裂した。修行僧の教団は分裂した」とおっしゃり、コーサンビーの修行僧たちの元へお出かけになって、停権を決議した人々(持律者陣営)にたいしては、停権決議における誤り(過患)を、またその相手(持経者陣営)にたいしては、罪を認めぬことのあやまちを説かれて、立去られた。
 ところが、お釈迦様が去ったあとのコーサンビーで、彼等が再び口論を起こした。これに対し師(お釈迦様)は、「両派の者は交互の席に坐るべきである」と、食堂内での義務を告知なさった。
「いまだに口論する者たちが住んでいる」とお聞きになると、師(お釈迦様)はそこへ行かれて「もうたくさんだ。修行僧たちよ。口論してはならぬ」などとおっしゃった。そこで、世尊(お釈迦様)を悩ますことを望まぬ、正法を語るある者によって、「尊者よ。正法の主である世尊をお迎えしよう。尊者よ。世尊を、現在の世で身心寂滅の楽に安住(現法楽住)していただき、憂いなくお住みいただこう。私達は、この口論により、いさかいにより、喧嘩により、論争によって知られるであろう」と言われた。
 師(釈迦牟尼仏)は、
「修行僧たちよ。昔、バーラーナシーにブラフマダッタという名のカーン国王がいた」とおっしゃって、ブラフマダッタ王によってコーサラ国王ディーガティが国を奪われ、王様は変装して暮らしていたのに殺されてしまったこと、そしてディーガーヴ王子は父王を殺した仇であるブラフマダッタ王の命を助け、それ以後は、彼等が和睦わぼくしたことを物語られた。そのディーガーブ王子こそ、お釈迦様の前世であった。そして、
「修行僧たちよ。王杖を与えられ、剣を与えられたかれら王たちでさえも、このように忍耐と柔和さを持たねばならないのだ。ここではお前たちは、このようによく説かれた法と律とにおいて出家したのであるから、同じく忍耐あり、柔和であらねばならぬ。そのことを輝かせなさい」と教えさとされ、三度も、「もうたくさんだ。修行僧たちよ。口論してはならぬ」と制止なさった。
 しかし、彼等がめないのを御覧になり、「この愚かな人々は、ものにとりかれたようだ。彼等を正気づかせるのは容易でない」とおっしゃって、出かけられた。翌日、托鉢たくはつからおもどりになると、仏の居室でしばらく休息されてから、お部屋を整理なさり、自らご自分の衣鉢をたずさえられ、教団の中央の空中にお立ちになって、次の詩をとなえられた。

 僧団サンガが分裂 するときは 凡俗の徒は それぞれに 大声をあげ、何者も 自己の愚かさ 考えず。
 さらに他の理由わけ 思わざり。
 心はまどい 賢人の ふりをよそおい 果てしなく ののしり合って 思うまま 大口ひらき、誰により 導かれるかを 知りもせず。
 「俺をののしり 俺を打ち 俺から奪い あいつめが 俺に勝った」と うらむ者 かれらの怨みは やすまらず。
 「俺を罵り 俺を打ち 俺から奪い あいつめが 俺に勝った」と うらまねば かれらの怨みは やすまらん。
 げに諸々もろもろの 怨念おんねんは 怨みによりて やすまらず。いかなるときも 今もまた 怨み捨てれば やすまらん。これ永遠とこしえの 真理ダルマなり。
 賢者を除く 他の者は 「ここで我等われらは 自制す」と 知ることがなし。さりながら 賢者は認む そのことを。それゆえ争論 止滅しめつする。
 骨が穿うがたれ 生き物の 命奪われ 牛・馬も 財も奪われ 王国も 掠奪りゃくだつされる 彼等にも 和睦わぼくがあるのに お前等まえらに 何ゆえ和睦 あらざるぞ。
 もしもお前が 賢明で おこない正しく 明敏な 同伴の友を 得るならば あらゆる危難に 打ち勝って こころ喜び 思慮ぶかく 彼と共々 あゆむべし。
 もしもお前が 賢明で 行ない正しく 明敏な 同伴の友を 得なければ、王が征した 王国を 捨てさるごとく、またぞうが 林のなかをくごとく、ただ一人にて あゆけ。
 ひとりあゆむは すぐれたり。愚者との友情 ありえない。
 しき行為を おこなわず 小慾にして ひとりけ。
 ぞうが林を 行くごとく。

 師(お釈迦様)は、このようにお話になったが、その修行僧たちは和解することが出来なかった。お釈迦様は周囲の村をまわったあと、そこを立ち去って戻らなかった。
 コーサンビーに住む在俗信者たちは、「この修行僧たちは、我々に多くの不利益をなす者たちである。彼等に悩まされた世尊(お釈迦様)は去ってしまわれた。我々は、彼等に挨拶などしないようにしよう。やってきても、食物を与えないようにしよう。このようにすれば、彼等は去ってしまうか、還俗するか、あるいは、世尊を信頼するであろう」と相談して、その通りにした。彼ら修行僧たちは、その罰業によって困惑し、サーヴァッティーへ行って、世尊に許しをこうた。
 師は過去の前生を現在にあてはめられた。「父はスッドーダナ大王であった。母はマハーマーヤーであった。ディーガーヴ王子は実にわたくしであった」と。
 

テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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