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神人の心/永遠の生命

○神人の心

 真心まごころとは天地の先祖の大神の大精神に合致がっちしたる清浄心しょうじょうしんである。至仁しじん至愛しあいにして萬事ばんじに心をくばり意をそそぎ、善事にふも凶事に遭ふも、大山たいざん泰然たいぜんとして動かざるがごとく、微驅びくつかず、焦慮あせらず、物質慾に淡泊あはく、心神しんしんを安静にたもち、何事も天意を以てもととなし、人と争はず、く耐え忍び、宇宙萬有一切をわが身魂しんこんの所有となし、春夏しゅんか秋冬しゅんとう昼夜、風雨雷電霜雪そうせついづれも言霊ことたま御稜威みいづに服従するまでにいたらば、始めて神心を発揚はつやうし得たのである。
 また小三災しょうさんさいの餓病戦、大三災の風水火に攻められ、如何いかなる艱苦かんくの淵に沈む時ありとも介意かいいせず、幸運に向ふも油断せず、生死せいし一如いちにょと心得、生死に対しては昼夜の往来を見るが如く、世事一切を神明しんめいの御心に任せ、このみもなく憎みなく、義を見ては進み、利を見ては心を悩まさず、心魂しんこん常に安静にして人事を見る事流水りゅうすいの如く、天地の自然を楽しみ、小我しょうがを棄て大我たいががっし、才智に頼らず、天の時におうじ、神意にしたがひ、天下公共のために捨身しゃしんの活動をし、万難にたゆまず屈せず、善を思ひ、善を云ひ、善をおこなひ、奇魂くしみたま眞智しんちを照らして大人たいじんの行ひを備へ、物を以て物を見極みきはめ、他人の自己おのれに等しからむことを欲せず、心中常に蒼空そうくうの如く、海洋の如く、二六時中意志内にのみ向ひ、自己のひとり知る所をつつしみ、その力量才覚を人に知られむことを望まず、天地の大道だいどうに従って世にしょし、善言美辭ぜんげんびじもちひ、光風こうふう霽月せいげつ少しの遅滞なく、神明の代表者たる品位をたもち、自然にして世界を輝かし、心神しんしんむなしくして一点の私心ししんなき時は、その胸中に永遠無窮むきゅうの神国あり。
 至善至美至真の行動をはげみ、善者または老者を友とし、之をたふとうやまひ、惡人愚者劣者れつしゃを憐れみ、精神上に将又はたまた物質上に恵み救ひ、富貴ふうきうらやまず貧賤ひんせんいとはずあなどらず、天分に安んじ、社会のために焦慮しょうろして最善をつくし、富貴にしょしては神国のために心魂を傾け、貧に處しては簡易なる生活に感謝し、我慾がよく貪慾どんよく心をいましめ、他を害せず傷つけず、失敗きたるも自暴自棄せず、天命を楽しみ、人たるの天職を盡し生業せいぎょうはげみ、天下修齋しゅうさいの大神業に参加する時といえども、頭脳を冷静に治めて周章あわてず騒がず、心魂洋々として大海の如く、天のむなしうして百鳥の飛翔ひぶちするに任せ、海の広大にして魚族の遊踊いうようするに任するが如く、不動にして寛仁かんじん大度たいどの精神を養ひ、神政成就の神業を補佐し、假令たとへ善事と見るも神界の律法に照合てらして、しければ断じてこれをさず、天意に従って一々最善の行動をり、昆虫といへどみだりに傷害せず、至仁至愛の真情まごころを以て萬有を守る。また乱世に乗じて野望を起さず、至公しこう至平しへいの精神をするの人格そなはりたる時は、すなは神人しんじんにして、その心魂は即ち真心であり神心である。


○永遠の生命

 生命は永遠に存続するもので、過去、現在、未来の三世さんぜわたって生きてゐる。吾々われわれ生物の生命は、絶対普遍、無始無終にして、神の分霊ぶんれい分身ぶんしんである。ゆえに永遠にわたって不老不死である。
 吾人ごじんは地上の誰人たれとも約束なく、唯々惟神かむながらの摂理によって、うまるべき所に生るき時を得て生れたまでだ。それ故に、愛着だとか悲惨だとか苦痛だとか云ふものは、その本来には無いのだ。ただ喜怒哀楽きどあいらく愛惡あいあく慾の情の如きは、肉感的一つの衝動に過ぎぬ。現在はこれこれだと握って居ることは出来るが、さうしてつかんでゐる間にそれ自体は既に過去に属してしまふ。未来と聞けば遠い様に考へられるが、その間もそれは現在として展開して来るではないか。さう考へて見ると吾々の生命は絶対無限であらねばならぬ。春夏秋冬と宇宙の大自然は、規則正しく展開して永遠に変りが無い。吾々の生命も愛着、悲惨、苦痛、快感と転回てんかいして、永遠に変りはないのだ。
 世の中に現実観ほど悲哀の多いものはない。あの仕事をやって見たい、この望みを達したい、明日が来たら、明後日あさってが来たら恋人にへる、来春は久し振りに帰郷して懐かしい慈母じぼに逢へると指折り数へてゐる、子にもへると云って自分が指を折って待って居る。引きつけるやうに色々な要求を追ってく。その心の底に一脈の喜びが潜んでゐる。しかしそれを待つ一刻一刻にの人の生命は幻滅に近づいて行く。可愛かわいらしかった子は筋肉たくましき壮漢そうかんとなり、愛らしかった恋人は皺苦茶しわくちゃの姿となり、曲線美は梅干のごとからびて行く。小さい現実の欲求をげむとする為に、死に行く大なる犠牲を払ひつつ迷路に進んで行くのだ。刻々に其の人の生命は死の關門かんもんして一歩一歩近づきつつあるのである。しそれ吾人ごじんの生命が有限のものであったら、さうした欲求の行程は死の行程であって、これほどだいなる不幸と不安は無いのである。
 無限の生命、そこに吾人ごじんが絶対不断の生命を見出みいだして、永久に生きる事をさとった時、吾々の眼前に展開されるものは、すべてが試煉しれんであり、すべてが教訓であることがさとり得られる。吾々が人間として世にしょするその間の出来事を見ても、幾多いくた曲折きょくせつがあるので面白い。その當事とうじの欲求に満たない、云はば一種の苦痛として痛ましいことであったその試練されたことを、時すぎてからおもひ出した時に、皆それは追憶ついおくとなってうつくしき過去を見ることが出来る楽しさがある。過去の悲惨なりし歴史も、甘かりし恋も、得意も失敗も、まぼろしの如く現実に浮んで来るごとに一種の愉快さをゆる。そして過去から現在、未来へと、永遠無窮むきゅうに生命が継続けいぞくされつつ天国のてなき國へと進んで行く。これが人生永遠の生命だ。
 自分は今までの体験から考へると、吾々の過去はまことに美しかった。貧乏で食ふや食はずの危機に立ったことも、冤罪えんざいこうむって獄舎に自由を束縛されてゐたことも、世間のあらゆる嘲笑ちょうしょう懺侮ざんぶまとになったことも、過去の歴史の一頁いちぺーじとして語るとき、それは皆美しい、そして楽しい。仮令たとえ貧乏生活でも、悲惨の境遇でも、それを永続した時は勝利となって来る。勝利は常に正義である。社会から何程嘲罵ちょうばされ、侮辱ぶじょくされ、非難されても、それ自体が永続したら、必ずすゑには正道せいどうとして認めらるる事になる。
 現代人の大本おほもとに対するすべての観念も、今や勝利者としてぐうするに至ったのは、吾人が永遠の生命を確信して不断ふだんの活動を続けて来た活歴史の賜物たまものであるとも云へる。



テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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