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愛善の道/青年の意氣を持て

○愛善の道

 今日こんにちの天下の形成は、じつに五十年前に私が神界から聞かされて其時そのとき筆記して置いたことと寸分の相違もない状態であります。今迄に言ってあることが間違ひないとすれば、これから先きも間違ひはないのであります。それはあたかも刀剣の鑑定人が鯉口こひぐち一寸程あけて見て切先きっさきまでを判定するのと同じ様なものであるが、今迄に既に五六すんもあけて見たのだから三じゃく先までも鑑定がつき、前途はあきらかに計算が出来るのであります。
 神示に依れば、世界は一旦いったんはもうかなはぬと言ふところまで行くとありますから、此上は神助しんじょを以て切り抜けて行くよりほかに方法はないと信じます。今迄に随分智者ちしゃ、学者が色々説を立てて見ても世界の此行詰ゆきづまりを前知ぜんちすることが出来なかったことを思へば、今日の智者、学者は一人も頼むに足らぬといふことを證明しょうめいしてゐるのであります。人間は同じまちに生れても一生言葉をかはさぬ人もあります。其様ななかに山河幾千里を越えても同じ愛善会員となり、また紙上に共鳴者となって共に国事をおもひ人類の生活を思ふのは決して偶然ではなく、非常に深い因縁があるのであります。
 昔からつまづく石もえんはしということばがありますが、一生に自分の躓く石といふものは幾らもありませぬ。同じ〔愛善人に内在する良心神〕の道でもわからぬ人には何程いても耳に入らず、また解るだけの能力もまこともない。親兄弟でも解らぬ者には解らず、前に述べた様に、現に今日の形勢すら察知さっちすることの出来なかった学問などを今に信じてゐる人が多いのであります。
 人類愛善の道は既成宗教や学説から真実に卓越たくえつした神様から直接示された天地の大道だいどうでありますから、この道を幾分でも耳に入れることの出来る人は現代にける聡明そうめいの人と云ふべきであると信じます。これは学問で仕上げたのではなく生まれながってゐる大智だいちの人と云ふべきであると思ひます。
 いてはこの満州のことでありますが、これは日本にとって離すことの出来ない所謂いはゆる生命線でありますから、私は先年入蒙以来夢寐むびにも忘れず万全の策をこうじて時期を待って居るのであります。若い時なら急ぎますが、これは急いだり騒いだりしても天の時におうじて人の和を講ずる必要があるのでありますから、人類愛善会の満蒙まんもうにおける仕事は手ぬるい様でありますが、實はこれの方が真実の近道なることを私は信じて居ります。
 私は先年蒙古もうこのバインタラで既に死線に立って辞世までんで置きましたから、所謂背水はいすいの陣は其時からいてあるのであります。おほいに世界人群萬類のためにつくす考へでありますから、会員をはじめ読者の方も大日本神国のために御盡力ごじんりょくこひねがふ次第であります。




○青年の意氣を持て

 人間と云ふものはすべ天津神あまつかみの精霊を受けて此の世に生まれでたのでありまして、神は幾萬ごうの昔から幾萬年ののちの世へかけて不老不死にましますごとく、人間の精霊も不滅であります。
 私は本年(昭和七年)六十二歳でありますが、六十二年前に私の精霊が天地の間に出来あがったのではない、その時には肉体が誕生したばかりです。従って私の肉体に老いのきざしは見えめても、精霊は老いを知らない。世間には肉体と一緒に早く老いてしまふ人間があるが、はなはだ残念なことであってさう云ふ考へ方では人間としてだけの役目をもこの世に於てはたしきれない、まして神の思召おぼしめしによってこの世界に生れ出でた意義にふことは困難であります。
 大体だいたい日本人のくせとして、もう六十になった、七十になったと自分の年齢を勘定してみづから心を弱くするやうであるが、これは非常によくないと思ひます。私が蒙古におもむいた時、あちらの人に年齢をたづねたところ、蒙古人には過ぎ去った自分のとしを数へるやうな馬鹿はありませぬと答へられ、これでなくては本当の仕事はやって行けないと感心しました。人間にとって明日は必要であるが、昨日は過ぎ去ったものでしかない。明日には希望と光明があるけれども、昨日はすでに清算済みのものばかりである。神様にこの世に生んでいただいて、それにこたへるだけの仕事をして行くには、明日を生きた、有意義な明日にしてゆくだけでよい。さう考えて、私自身、六十二歳にしてなほ青年の感情と青年の意義を失ってないのであります。
 そこで青年であるが、云って見れば若いうちは肉体が全盛期にある。この事は、家なら建てて間のないうちで、柱も傾かねば壁も落ちてはゐない。さう云う時に、出来るだけの仕事をして置くといふのは当然の任務であります。が、肉体が老いたからと云って、精霊までがおとろへたを思ふのは間違ひで大隈おほくま侯などは百二十五歳説をし、四十五十は少年であるとなしたが、私も人間七十八十を働き盛りだと考え、愈々いよいよの仕事はこれからだと思ってゐます。
 精霊は滅びないものである。人間は不老不死のものであると云ふことを證據しょうこ立てる例としれ、臨終の際までたましいがしっかりして居ることを云はねばならない。手も足も動かぬやうにあり、耳も聞えなくなっても、気力は確かで、頭脳はえて来る。これは人の精霊が何處どこまでも生き通して居る証拠で現代の唯物ゆいぶつ論者が云ふ様な健全な肉体に健全な精神が宿るのではなくて、健全な精神の所有者こそは健全な肉体を所有し得るものであります。
 これで、肉体といふものが魂を入れるうつはであり、神の生宮いきみやであると云ふことがハッキリして来るのであります。で、總ての人は、自分は断じて死にはしない、老いゆきもしないと云ふ信念を持ち、世界のために、いつもまをす人群萬類のために、常に青年の意気を持って働き、私の提唱する御神業ごしんぎょうに参加して欲しいと思ふのであります。特に今や東西の形成はすこぶる急なるものがあります時にあたって、日本人は格別な使命をもってゐるのであります。其文字もんじに注意して貰へばわかりますが、せうの字は"日"に"召さる"と書いてあります。すなわちの大神のおしに応じてやはす所の大任たいにんってゐるのでありますから、此点このてんをよくさとって、昭和の天命てんめいこたふるだけの信念がなければならぬと信ずるのであります。


テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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