出口直日『母を想う』


王仁夫妻02



 母(出口澄)は、家のいちばん苦しい時期に生まれました。大工をしていた私の祖父(出口政五郎)が、腕は達者でも、金銭上では損ばかりして、どん底に落ちていた貧乏のさ中で育ちました。少女の頃に、祖母(出口直)の激しい帰神(かみがかり)に会い、末っ子の母はどんなにとまどったことでしょう。以来、帰神の祖母によく仕え、十八歳のときに変わり者といわれた父(上田喜三郎/出口王仁三郎)と結婚しています。
 そして祖母と父がきずいていく新しい教団の創世記を蔭からささえてきた人です。それには女性の身にあまる艱苦があり、あまつさえ二度にわたる法難を受け、そのなかを健気に生き抜いてきた母は、まことは強靭そのものの信仰を持っていました。その内に、ゆたかな詩情を宿している人で、少しも苦労ずれの蔭のない明るい人でした。
 父は、どちらかというと、大きすぎて、ことに私たち姉妹には理解できなかったうらみがありますが、母に対しては、女性として通じる気持ちがありました。父の愛はあまり大きすぎて女の子にはわかりにくくとも、母の愛は、こまかく気づかってくれることもあり、胸にひびいて感じることができました。
 ものごとにとらわれない父の蔭で、母は妻として、人に知られない苦労があったことでしょう。父の周囲にはいろいろの人がいて、敵意をさえ感じるような存在もいましたが、母はそれらの人に、いつも、おだやかにやさしく接していました。
 母は、どんな人をも広くみて、その人と接していました。
 母が無学とて、露骨に軽蔑され、私や妹がどんなにかくやしく地団駄をふんでも、母は平気なもので、むしろ、もうひとつ高いところに立って同情ぶかく見ている人でした。
 父のそばに出入りする婦人のことで、とやかくうわさが立ち、母の耳もとへ来て囁く人があっても、母は聞いているだけでとりあげず、平然としていました。母が父を信じていたにしても、母の気持ちの大きさは普通ではないと思いました。
 母はけっして、人をわるく批判するということはなく、娘の私たちのいうことでも、人を中傷する言葉には、全然とりあってくれませんでした。中傷といっても、私たちが他の人から批判された言葉の不当さを訴えたものであったのです。
 そのため、私たちと母との間には、なんのこともないというのに、「あの人かい、直日がいうほどのこともないで」と娘の抗議に対する母の他人をかばうそのことにこだわり、私たちは関係もない母におもしろくない思いを感じたものです。
 こういうあさはかさも、私の家のように、家のものだけでなく大勢の人の気持ちがつねに入りくんでいるのでは、ありがちなことですが、いまは亡き母へすまない思いにしずみます。

 母は自分が苦労してきたので、気の毒な人には、かくれてでもやさしくしました。食べものは、徹底した粗食で通しましたし、着物などは、普通のものはもったいないとてよう買わず、古着を求めて着ていました。それでも人は――贅沢な、いつもベラベラしたものばかり着て――と風評(うわさ)していました。ベラベラで光るものがよく見えるという眼の低い人に、可哀そうに母は中傷されつづけでした。そこへゆくと、私は結城紬などを好み、それも同じ系統のものばかり着たので、――質素な、気の毒に、あれ一枚きりで――などといわれたものでした。
 そんなきりつめた暮しの母が、どんなことをしているかというと、小遣いを貯めては、気の毒な人にとどけていました。気の毒な人といっても、母はただのナマケモノは嫌いでした。
 母の生まれた本宮村に、呑んだくれの大工の夫に死別し、子どもを大勢かかえてこまっていた女房がいて、その人に毎月お米と小遣いをわたしていました。しかし、その女房は母が未決で刑務所に入っても、ハガキ一枚よこすでなし、私が道で会っても母のことを聞くでもなし、母が保釈で出手きてもそれなりでした。けれども母は、ただ可哀想なという一片の気持ちで、ひそかに行なっていたことで、そういう点は、徹底していました。ほかにも母の許された財力のぎりぎりで、不幸な人へかくれた思いをかけていました。
 経済的苦境にもめげず、暴力をもおそれず、誠と信じる道に一筋であった母は、また度量のある人でした。

 その母が、妻として父と夫婦らしい幸福を味わったのは、若いころ父といっしょに荷車をひいて、村の山へ柴刈りにいっていた頃と、晩年に未決から帰ってからしばらくの、夫婦きりで暮らしたときでしょう。
 好きなことといえば、奉公先でおぼえた機(はた)を織ることで、ひまさえあれば、昔のままに糸をひき、草木で染め、手機で美しい縞に織りあげることでした。母の織った布のザングリとした着よい味わいは、いまも母をしのばせ、今頃の若い人にも向く斬新なデザインに、子どもとしてはたまらなくなります。

 母の書には、父も「書だけは”おすみ”にかなわん」とつねにいって、母の書をほめていました。
 母の書は、母がどのような人であったかを、偽りなく物語ってくれるもとを信じています。
 母は、こんなことをいっていました。
「わたしは、子どもに孝行などしてもらおうとおもうとりません。子どもの小さいときに、子どもを育てることで、充分楽しませてもらいましたので」と。
 乳児が、知恵づき成長してゆく課程の愛らしさ、そして大人になってゆく美しさ、おもしろさを、母は大きな愛情をもってよく見、よく味わいつつ、苦しみもまた楽しみとして、育ててきたことだけで充ち足りていたのでしょう。母のこの言葉のもつ深い含蓄に、頭のさがるおもいがいたします。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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