第十四章「岩戸隠れの一條」 強いて一夜の参籠/狒々と間違はる

△強いて一夜の参籠

 教祖〔出口直子刀自〕弥仙山みせんざん参籠の第四日目、すなわち九月十一日であった。四方〔平蔵〕は教祖が参籠されたと云う報告を、中村・後野の両人から聞き及んで、老体の教祖一人を山奥にすていては、何時なんどきどんな難渋なんじゅうが起こらぬとも限らぬ、誰がんと云って止めようとも、仮令たとえ教祖から叱言こごとを受けようとも、このままに打ち捨てて置いては大本の一大事であると云うので、旅の仕度したくもそこそこに、綾部から弥仙山までの五里のみちを一走りに辿り着いたのである。
 聞きしにまさる弥仙山、老檜ろうかい古杉天にちゅうして鬱蒼うっそうとしている。連理れんりの枝は日をさえぎっって昼なお暗き樹下このしたみちを辿りながら、先に両人から知らしてれた、一つの神祠ほこらあたりの岩石を探し出した。岩石の一部がどうくつして、森閑しんかんとして人の影もありそうにない。やがての洞窟の中にただ一人端然と趺坐ふざする人影を見出した。其処そこには古ぼけた板の台の上に神燈しんとうともし、それに反映された洞壁は物凄き程うすくらやみをていしている。四辺あたりの枯葉の下からは名の知れぬ虫のこえさえぼそぼそと聞こえる。神燈の明滅する所、かすかに教祖は何をか祈念して居る。まったの姿の神々しさはの世ながら生神の様に眺められた。四方は余りの喜ばしさに、聲も得たてずおそる畏る教祖のそばへ近づいて行った。
『私で御座ございます、平蔵で御座います』
 と申し上げると、教祖はっと形を改められ、四方の方を見詰めていられたが、ややあって
『お前は何用あって来なされた。私は誰も訪ねて来ない様にと、昨日も中村後野の両人ふたりしかかと云い附けて下山をさしたのに、人の言葉を守らぬにも程があるではありませんか』
 とけんもほろろの挨拶に、四方もすこしく困ったが、じっと無言でいると教祖は益々ますます荒々しくなって、無造作にたばねた頭髪もふわふわと解けかかる様に、眼は血走って、手はがたがたふるって居た。
『早く立ち去りなされ』 
 其の恐ろしい見幕けんまくに、四方は縮み上がって仕舞った。仮令たとえ教祖から叩かれようが、蹴られようが、覚悟を決めて来た四方は
『どうぞ、四方しかた一生の御願いで御座います、せめて今宵一夜なりとも参籠を許して下さる様』
 と只管ひたすら哀願した面影に、の真心の程も見えて、到頭とうとう一夜限り参籠を差許さしゆるすこととなった。
 其の夜六時頃教祖はうやうやしく神前に祝詞のりとを上げ、拍手かしわでの鳴り音は弥仙山の一角いっかくに響き渡り、夜の寂寞せきばくは破れた。やがて祝詞が終わって、再び洞窟の中に戻られたかと思う間もなく、教祖はにわかかんがかりの状態となった。其の夜の神懸りは七時前に始まって、八時も過ぎ十時も終、深山の夜半にことごと萬象ばんしょう眠る頃になっても、依然として神懸りは持続されて行った。
 夜もわたって、午前二時三時ごろであった。教祖の口のあたりが微にぴりぴりと、二三度動かされたかと思う間なく、はたと顔色がんとなく落ちついて、神懸りから離れられた。そして元の温和な一老媼にえられた。

 夜はほのぼのと明け渡り、樹立こだち彼方かなたで鳥の羽叩きがバタバタとしている。あさひの光りが樹間から照り返された時、教祖は
『平蔵さん、夜もけかけた様だ。これから少し休まして貰いましょうか』
 と云われて、其処に敷かれてある新菰あらごもの上へごろりと横になり、山風はいたづらにこの岩間の洞窟ほらあなを襲うて、寒さがいとど肌に浸入しみいるのみであった。しばし夢まどろむ間もなく、起き上られて
『さあさあ平蔵さん、余り寝るのも勿体もったいないから、これから不動の瀧へ行って御水を戴いて参りしょう』
 と木の根 岩の根を危く踏み辿りながら、谷間の方へ向かって下られた。眼の悪い四方は教祖から手をかれて谷間へ下って見ると、其処には珠簾しゅれんのような瀧のながれが岩と岩の間から淙々そうそうと音を立てて落ちている。清水で口をそそぎ手足をきよめてから、再び元の洞窟に帰って来た。

 教祖の此の山に於ける一日の食事は、僅かに清水で混合した麥粉はったいこ一椀と限られて居た。もとより此の深山しんざん幽谷ゆんこくに、塩気のある何物もなかったのである。
 教祖は山風がこずえを渡る音と、峰を渡るかりの鳴く音に、それを明け暮れの友としていた。時にあるいは全山鳴動めいどうして、身も粉にならんかと思う地響きもあったが、教祖はかえって大自然の妙機みょうき恍惚こうこつとして、れを眺めたのである。
『御守護の神が大勢おおぜいだから、にぎやかで結構な事だ』
 とのみしか感じなかった。くまでに大勇猛心を起して神業三昧ざんまいに身をゆだねていた(※1)。四方は参籠の一日を見聞して、これでは教祖一人を置き去りにしても安心し、翌朝怱々ゆうゆう下山の途に着いたのである。


△狒々と間違はる

 四方平蔵が下山してから丁度ちょうど八日目の出来事であったが、弥仙山のふもとの村からは、毎年秋になると、村の男達が弥仙山神社の掃除に登る例となっている。みな思い思いの草刈鎌や竹箒を持って、わいわいにぎやかに話をしながら、山の裾の方から段々山の中腹の所までやって来ると、神祠ほこらそばの社殿の前に、異様な人間がしゃがんでいるのを一人の男が見つけた。
 一同はわいわい騒ぎ出して来た。誰一人として勇気のあるものがないと見えて、そばへ行かぬ。其の内に気の早い連中があったものと見えいち早く下山して村の人々へ急報したのである。さあこうなると色々な噂で、弥仙山に天狗がいるとか、狒々ひひが現はれたとか、そううしている内に、竹槍や、火縄鉄砲等を担いで、巡査や神官までが身装みなりを固めて、山の上へ集まって来た。
 丁度の時、役員後野あとの市太郎が登山して居たので、それで怪物でないことが判明した。化物の正体は教祖の人であった事が解ったので、村の人達の中には
『なんだ、綾部の婆様ばあさまか。こんな所まで来て人騒がせはして貰いましょう』
 などと不満を云っている人もあったが、教祖は平然として
『世の中がくらみであるから、一時ここへ隠れたまでのことです』
 と虚心きょしん坦々たんたんたるものであった。其処そこへ来合わせて居る後野も、『の大騒ぎのうわさが綾部でも知れたら、さだめし役員衆も気を揉むだろう。ここの処置はったらいだろう』と途方とほうに暮れた。村のものはの人騒ぎの業腹ごうはらに、教祖の腕を取って取立てようとまでした。の時教祖は
『この山へおこもりしてから、丁度今日が満願まんがんの日じゃ。皆さんが帰るなとおっしゃっても、今日はうあっても下山するさかい』
 と、何處どこまでも落ちつきはらって、くや其の上 顔には微笑さえ浮いて居た。やをら教祖は座を立たれた。其の後から村の人々や巡査神官までがいて、大変な足並で下山された。教祖第二の天の岩戸隠れと岩戸開きは、斯くの如きにぎわいをもっをはりを告げた。


(※1)
出口澄「弥仙山参拝の折のお話(要旨)」
一、開祖様がお籠り当時の御山は全山うっそうと木が茂っていて、男でも一人ではなかなか淋しくて登れぬような所であった。ある夜のこと(直開祖が)このお宮に寝んでおられると、ズシンズシンと大地を響かして歩く音が聞こえて、腕の直径が一尺ほどもある巨神が入ってきて、その太い腕で胸から腹を撫でるので開祖は「こんな人のおらぬ所で、そんな悪戯いたづらをされては困ります」と言うと「どえらい度胸どきょうじゃのう」と言われて立ち去ったとのことである。

一、その当時はここは女人禁制の御山だったので、開祖は神主のはからいで登山し、この下にある滝で水行をしてはこのお宮でお筆先を書いておられたのである。ある日村人が白髪の開祖をかいま見て、お宮の中に猩々しょうじょうがいるといって大騒ぎしたことがあった。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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