第九章「内部の暗闘」 野心家の陰謀/出修前の紛憂

△野心家の陰謀

 教祖〔出口直子〕の神業のめに、陰になり陽になって、しかも貧困と戦いながら活動された教主〔出口王仁三郎〕は、大本にとってもっとも大切な人であった。如何いかに大本攻撃の矢を放つものがあるとも、軽蔑のこえげるものがあるとも、教主は一歩一歩神徳の輝きの日の来るのを待ち望んでいた。たせるから、不純分子を除いた本当の信者は、爾来じらい日増しにえて来たので、教祖もの上は、事務万端を教主に一任することと決めて、教祖は最も自由に神命を奉ずる身となって、ただ御筆先をしたためる事に没頭される事となった。
 しかるにここに又も例の足立某は、大本教攻撃に飽きたらずして、身は京都にありながら、何んとかしての教えに迫害を加えて見たいものと、教主排斥の急先鋒たるなにがしを自分の味方にして、教主追放の時機の到来するのを待ち構えていた。

 教祖もこの事ばかりは、ただ傍観している譯にも行かず、心中少なからず悩んで居られた。丁度の時教主は再び義弟の病気を見舞うために、郷里穴太に帰へられていた時であった。野心家の一人は一策を案じて、教主に相談があるからぐ綾部へ立ち戻る様にと、使者を差立てて穴太に向はしめた。

 教主は其の当時おおくは不満と不平で日を送っていた。んのめに、役員達が自分を阻害そがいしようとしているのか、此の邪念をはらはねばならぬと、道々考えながら綾部へ帰って来られた。ただうえ広前ひろまえぬかづいて参拝してから、教祖と膝を交えて、国元の様子や、義弟の病気の模様などを話し合っている所へ、奥の一室から役員の一人が神諭を奉じて出て来た。そしておごそかに教主の方へ向かって
『今回教祖はの寒空に何處いずこへか神命をほうじて御修行に御出向になる。御老体の御身をも御厭おいといなく、御苦労遊ばす状態さま、我々役員まことに何んとも申し上げ様もない。これりもなおさず、教主の御改心の出来ぬからの事である。つつんで御筆先を頂かれよ。神様はお国の為につくすと云はれている。教主が義弟の病気位で郷里へ帰るなどとは、実に神様をかろんずる証拠だ。人一人ぐらい死んだ所で、大切な大切な御用には代えられますまい。この御筆先は今度教祖が御修行に御出になる場所のお筆先でありますぞ。改心の出来ぬものは、どんな事があっても御供おともかないませぬ。御筆先には教主を連れて行くと出て居るが、教主の行かれる所ではない。如何いかに御神勅だといわれても、私は御道のめには、生命をして犠牲になっても御供は許さぬ。の代り私が及ばずながら御供仕る。教主異存あるまいな』
 と教祖の目前で、これに対して速答をしろとの事である。お筆先の中には出修しゅっしゅうの御供は明白に許すと出てあるのに、彼が勝手に御供を許さぬとは、教主もこれは何かわけのある事と、っと耐えてしのんしている。となおも言葉をつづけて
『どうしても、御供が致したいのなら、契約書を一つ書いてもらいましょう』
 と胸に何事かたくらんでいる役員の口から、再び毒かれた。教主はくまで虚心きょしん平気な顔をして、暫時しばし返答を与えなかったが、教祖はの時初めて役員の方へ向き直り言葉も改めて
『おふでさきは教主〔王仁三郎聖師〕の事のみじゃと思ふてると間違ひますぜ。よく胸に手をあてて、此のあいだからの皆さん方の行為しうちを考へて見て、取り違ひなさらんやうに』
 と言はれて見ると、彼は首尾しゅび悪るそうな顔をして、再びいいす言葉もなかった。役員等はお筆先を種にして、教主をんとかして、教祖のもとから遠ざけ様としているのであった。流石厚顔こうがんの役員も、此時ばかりは少し顔を赤らめて、足音あらく立てて次のに引き下がった。


△出修前の紛憂

 の場から引き下がる役員の後姿うしろすがたを見送った教祖は、やおら立ち上がられて、神前にささげてある三宝さんぽうの上から、みずからお筆先をうやうやしく奉持ほうじきたられて、づから教主に渡された。
 教主はそれを幾度いくたびおしいただいて、ただちに其場そのばで拝読して見ると、神文の中には

『今度は普通の人間の行かれぬ所じゃ。実地の神の住居すまゐしていられる結構なところで、恐ろしい所である。皆の改心のめに、教主、純子すみこ四方しかたはるぞうの三人を御供おともとして連れ参るぞよ』

 としるされてある。このお筆先を読んだ教主は、多少くらい影を顔面に浮かべて
のお筆先の中には四方春蔵まで御供する事が許されてあるが、ついせんだって穴太へ義弟おとうと病気の為に帰郷しているの留守中に、教祖の御許しも出ないのに、私の荷物を送り返へそうとした。それのみならず機会さえあらば教祖のおしえを切崩そうとしている。それが……』
 と稍々やや気色けしきばってといつめめれば、教祖は言葉も静かに
『それもこれも、今にみなが改心する方便じゃ。決して心配するには及ばぬ』
 と言われてみても、教主には納得の出来ぬ点もすこしはあった。しかしそれは人間心であった。の時教祖はやおら立ち上られて、庭の隅に置いてある蓑笠みのかさ、杖、草鞋わらじ等の旅の準備を指さして
『あれあの通り旅の準備がちゃんとしてある。何事も私にまかせておくがよい』
 教主は教祖のの言葉のうちに、如何なる力が密封されてあるかは、わかって居ても、知らぬと言はねばならなかった。教祖の頼母たのもしいこえに動かされて、ようや得心とくしんして旅の供を受けることとなった。これぞ明治三十三年八月七日、鞍馬くらまやま出修前夜の出来事である。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
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プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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