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第七章「二代世嗣の逆境」 純子刀自の孝養/化物屋敷の噂

△純子刀自の孝養

 教祖の日常の生活は、すべて神に対して全部ささげられていると云ってもい。常につつしみ深く、終日ひざを崩した事はなく、物を言うにも謙譲けんじょうくちりで話すのが常であった。時には斯那こんなことを話された場合もあった。
『私を見るとまる阿呆あほに見えませう。私は人間の話を聞くのは大嫌ひ。それよりも神様から直接じかに色々なお話を伺った方が余程面白い』
 信念三昧ざんまいの教祖は、他人の眼からは阿呆に見えても、神からはさかしい寵児ちょうじであった。
 生計もとより貧しい、の日暮しの一家の人達が、満足に腹をたした日とては全く無いと云ってもい。其の日の糊口をすごすのに搔き集めたわずかの金で、米三合を買うべく純子すみこ刀自は米屋に走らねばならなかった。こんな気苦労は既に幼い頭にまでみ込んでいるのであった。る年の夏季の如きは、米を買う事が出来なかったので、かしの実を山から拾って来て、それにきびよもぎを混入して食事代りとされた。
 純子刀自が我が家のこうした窮乏きゅうぼう日にさし迫る有様を悲しんで、
何時いつまでこんな不味い物ばかり食べて行かねばならぬかしらと思うと一層いっそうのこと死んだ方が増しだな』
 と心には思って居ても、また気を取り直して
『そうだ、神様はつちを食べ、水を飲んで生きて行かれる。今は苦労でもきっと、幸福が先で待っている様な気もする』
 と、自らをはげましていられた。米が満足に買う事が出来ない位だから、その他の事はなおの事で、もとより寒中かんちゅうに炭火で手を暖めることは出来ない。木片とう木片はな火鉢に入れて暖を取り、蛍火ぐらいでは到底炬燵こたつの中が温らぬので、最後には炬燵の中に木屑を入れて、煙のために室内は暗黒となって、人の顔さえ碌に見えなかった。
 こんな貧困の生活の中にあって、教祖と教主との間には、例の神様同志の喧嘩が始まる。気が気でないから純子刀自は、役員を呼んで来て仲裁を頼む。慌てて役員が来た時分には何時いつの間にか二人の争いが、たいふういた海の様に静まり返っている。役員も所在しょざいなさに顔見合せて苦笑するより他はなかった。


△化物屋敷の噂

 うした神様と神様との爭い、即ちしんおんつたえるための教祖〔出口直子〕と教主〔出口王仁三郎〕との間に、激しい大戦がその後七年間も続けられた。
 近所ではこうなると普通の家庭とは見做みなしていない。ついに誰云うとなく怪物屋敷とさえうわさする様になった。純子刀自はの間に在って、さらに又苦しい一家の切りまわしをして行かねばならなかった。
『神様から自分に与えられた一つのぎょうと思えば何んでもない』
 とあきらめて、わずかな畑仕事にも努めて精を出していた。る時の事、教主が教祖としんせんして、はいをとった残念さにか、純子刀自が折角せっかく丹精たんせいして栽培していたきびとか南瓜かぼちゃなどの作物をば、かたなで滅茶苦茶に切り捨てて仕舞しまった。それならまだしも、家の柱やはりまでもところきらいなく傷つけられた(※1)。その乱暴な無法の仕業にあきれ返って、開いた口もふさがらぬ程落胆らくたんもしたけれども、教祖は常に教主を大切にせねばならぬと言はれたので、これればかりは如何どうともする事が出来なかったと云う事であった。

 ころであった。教祖を絶対信用して居った役員の中で、ただあきたらぬのは教主が外国がいこくだましいだと云うものがあった。これについて色々の話ももつれかかった。役員達の凡眼ぼんがんでは教祖がたてで教主がよこで、それがあやを作って組織されている事を知らない。気早な役員は
『教主は確かに世界の大化物に相違そういない。私は心配だから易者えきしゃに判断して貰いましょう』
 と易者のしたへ行ったものさえあった。其の判断は見事役員の予想に反した。
『今はなあ、お前達は丁度ちょうど水のない所へ船を渡そうとしている様なものだ。教主はたまで玉の中に金剛石ダイヤモンドがあって、外は黒いもので包まれている。の黒いものが破れて、金剛石が輝いた時は、始めて世界中が立派になる時だ』
 とのうらないであった。果たしてよく当たったのである。

 純子刀自は其の頃も、矢張やはり役員達の矛盾した事柄に対して苦労された。役員達は教主へはお筆先をしたためる紙さえも買って与えぬ。そしてしかも教主を一室に閉じ込めて置いて、うえ番人までも附けて置くので、本を讀むことすら出来なかった。見るに見兼みかねねて純子刀自は、縄までって其の売上代で紙を買って進められた。こうした生活の貧しい中から、教主の神業の手伝をされた事は、決して普通の人にはおこなはれない事であった。


(※1)
出口澄「花明山夜話(十四)」
澄子「聖師さんが来られてからは物質的には前ほど苦労はされなかったが、ますます大本が大きくなるにつれて精神的にはえらい御苦労がとものうたものや。直日が腹にできたのは初めての出雲参りのころやった。そのころは汽車はないので歩いたのや、往復二十日ほどの長旅でした。この帰りから御開祖と聖師さんが喧嘩され出したのや、これが初めてでした。皆は御開祖は艮の金神 国常立尊様のご帰神だけのように思うとってるが、てんしょうこうだいじんぐう様(天照皇大御神)や稚桜姫尊様のご帰神なさった時もあるのやで。――御開祖の岩戸隠れなさるについてはいろいろ御因縁があるが……――この時分、御開祖はてんしょうこうだいじんぐう様のご帰神のころでした。御開祖は二階に、聖師さんは裏の家におられた時分でして、それはそれはお二人の仲は良かったのや。それでいてお二人はよく喧嘩なさった。聖師さんはうまいお茶でも入ると『教祖はん美味しいお茶が入りました』と呼びに見え、すると御開祖はいそいそと裏へ行かれて仲良くお茶を飲みなさる。そうして『先生、喧嘩せんならんて困りますなァ』と御開祖が言われると聖師さんも『ほんまに困ります』という具合で至極仲は良いのや。御開祖が神様に喧嘩は困るからやめさせてくださいと頼まれますと『因縁やからもうしばらく我慢せい』と言われますそうや。そういうことで常は誠に仲良くすごしてござるが。そのうちまた御開祖が帰神されて喧嘩されだす、それにつれて聖師さんもどえらい荒れなさるという調子でした。
 ほんまにこんなことばかり繰り返してなさった。神界での御因縁でそれはえらいことお二人とも荒れなさったものや。神さんが御開祖に、このお方は三千世界でかけがえのないお方やから、大事にしてくれいとのことでしたが、出雲帰りからこんなことになり出したのや。――聖師さんは皆も知ってとってやが瑞霊、素戔嗚尊様の帰神や。そのころうちはえらい貧乏やった。聖師さんは荒れては刀で庭のキビをなで切りに切り倒したり、下駄履きで畳の上にあがって障子といわず襖といわず、なんでもかでも切りまくり荒れに荒れ回って無茶苦茶なさってなァ。」

(中略)

澄子「わしはそやけど言うに言われん苦労したで。御開祖と聖師さんの仲に入って人は知らんがえらい苦労やった。わしがおらんかったら聖師さんも大本にはおられんかったやろうしな。そのころ聖師さんは夜中でもいつでもいつ寝るとなく筆をせっせと運ばせての書き物をされとりました……ほんにいつ寝られるのか知りませんでしたでよ……そのころの大本は二派に別れ大半は御開祖の方で、聖師さんは外国の悪魔やと言われて、書かれたものはみんな神の字だけ切り取って焼き捨ててしまわれた。大将株は中村竹蔵さんでな、しまいに私まで『そうかいな』と思うてしまって。(笑い声) 何かないかと思うて、ボテの底から聖師さんの牛の証文まで引っ張り出して焼いてしもうたのや。この時ばかりは聖師さんもあんまりあほにもほどがあると言うて、顔色変えて怒んなはって私をなぐられたがなァ。牛(聖師は園部で牛乳を売ってられた)の証文で期限がきたら金がもらえるのやが、なんでも焼いてしまわないかんと思うてな、燃やしてしもうたんや。(笑い声)」
木田「聖師さまがお書きになったものをもったいないですね。」
澄子「どえらいことたくさん書かれたのを皆焼かれてしまいなさったのや。裏の神諭をやで。」
四方「聖師さんのお書きになったものを焼いてしもうて『立替ができました』と言うていた時代ですからね。」(笑い声)


○出口王仁三郎「厳と瑞」 水鏡(大15/10)
 大本の経綸は、経と緯、厳と瑞とによって御神業が進展しつつあるが、兎角瑞の霊の御神業が役員や信者に分らない為め、御神業進展のため、どの位支障を来たして居るか分らぬ。今でも同じ事であるが、昔に比べると余程仕事がしよくなって来た。それは役員さんも信者さんも、だんだん向上進歩して、私の仕事について理解をもってくれるやうになったからである。昔は、漢字で書いた本を読めばすぐ、「外国の悪霊が憑いて居るのである」と私を責めた位であるから、周囲に居る人に漢字の読めた人は一人も無い。神様はお急ぎなさるし、私は本当に困った。家の者に手伝をして呉れるものは皆無だし、せめて角な字の読める人が欲しいと思ひ、苦しい手許の中から、月々二十円余りも出して或人を学校にやって卒業させた。「やれこれで些し読み書きの方の助手が出来たから仕事を初めやう」と思ふと、また皆で矢釜敷う云ふて傍に寄せつけないやうにして仕舞った。其頃の私は目もよかったし、活字なんかも一人で拾うたが、せめて誰か一人助手が欲しいと痛切に思った。けれど漢字を読むものが私の傍によると、すぐ悪魔扱ひをして退けて仕舞ふのだから仕方が無い。

 その頃の事を思へば今は何と云ふても結構なものだ。綾部の御神苑を建設するについても妨害ばかり受けたものである。私は教祖様(出口なお開祖)のお頼みで池を掘らうと思ひ、地所を買うておいた。そしてそれを清める為めに二、三年草を生やして放っておいた。さうすると二代(出口澄)が怒って「勿体ない、こんな荒地にしておいては神様の御気勘に叶はない」と云ふて大根や葱を植え人糞肥料をかけて汚して仕舞ふ。私が抜いておくと又植える、こんな事ばかりして些っとも思ふやうに行かなかつた。
「よく訳を仰有って、理解してお貰ひになりましたら、二代様も決してそんな事遊ばさなかったでは御座いますまいか」と云ふのか……。それを云へば神様の御経綸に邪魔が入るでは無いか。悪魔のさやる世の中、饒舌家(おしゃべり)の多い世の中だ、其地が神苑になるのだと分かれば忽ち地所の価格も騰貴するでは無いか。まだまだ次へ次へと買収して行かなければならないのだから、不如意の大本の経済としては此点を十分考慮せねばならぬ。それだから、妻にも子にも誰にも云へないのである。
 又今の綾部小学校の前の敷地には小松の苗を植えておいて、神苑の出来上った頃移植する計画を立てておいたのだが、其頃は苗一本が三厘か、四厘しかせなかった。いよいよ神苑が出来上って、植木が必要となった頃には可なり大きくなって居て、一本も買はずに済んだのだが、私のこの胸中を知らぬ二代は又「猫の額ほどの所へも食物を植えよと御神諭にあるのに、こんな松苗なんか植えといてはどもならぬ」と云うて抜いて捨てて仕舞ふ。私は又植えてやる、また抜く。かうして二代と始終暗闘を続けたものだ。

「さういふ御戦ひを、教祖様(出口直開祖)はどうお扱ひになりましたか」と聞くのか。教祖様はいつも「先生のなさるままにしておけ」と仰有るのだけれど、二代が「それでも御神諭にはかういふ風に出て居ます」と申上ると「成程さうだな」と云はれて、私に向って怒られ、松苗を皆抜いて仕舞ふやうにと云はれる。私は答へて「私は神様の仰せの通りにして居るのです。貴女は知られないでも貴女の神様はよく知って居られます。聞いて来なはれ」と云ふと教祖様は御神前に額づいて伺ひを立てられ「神様は先生の思ふ通りにさしておけと仰有る」と云はれ、それでおしまひになる。こんな事は度々あった。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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