スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第七章「二代世嗣の逆境」 因縁ある身魂

○第七章 二代世嗣の逆境

△因縁ある身魂

 二代世嗣せしすみ刀自は教祖の神懸り以前より、長い間貧困の内に育って来られた。少し物心がついた時分には、既に八木やぎ福島の姉ひさの家へ預けられて、の家の子守りをせねばならなかった。子供心にも母が相変らずかみ気狂きちがいになっているとう事を聞いては胸を痛めたが、それが何の因縁であるかは知らなかった。無邪気な子守り唄を歌いながら日を送っていた。自分が子守りをしているの家の子供が、不図ふとした病気が原因で死んで仕舞ったので、半年程は用のないからだとなって過ごした。今度は王子おうじの姉(こと)の方へ送られたのであった(※1)また間もなく八木の姉の家へ二度の奉公勤めの身となった。其間にはなりの厄介者として取扱われた。八木の姉は其頃そのころ金光教の信者であっため、教祖の神懸りの状態を疑っていた。いろいろの関係もあったのであろうが、る時教祖が此の姉を訪れた時に、教祖と姉との間には妙な押問答が交わされた。
すみは因縁あって、其の方のもとに世話さしてあるに、厄介者扱いをするとは何事じゃ』
 と教祖が気色ばって言はれると、久子女は
しかし何と言っても厄介者としか思えませんな』
 そう返答すると、なおも教祖は色々と怒鳴どなられるので、久子女はそれが何の事が薩張さっぱり了解が出来ないのであった。其の頃教祖は一分間もっと気を落ち着けていることが出来なかったと見え、始終しじゅう世界の事や人民の事のみ怒鳴り散らして居られた。そして又時には
此方このほう身状しんじょうけて下され』
 と言っていられたかと思うと、また或る時は八木の姉婿(福島とらすけ)に向って
『此方の身状が分るか、因縁あって其の方にすみを世話さしてあるが、私が本当の神であるかどうか分るか』
 そう言われると婿むこ
『本当のしんの神様に相違ありません』
 と答えが真面目であると、教祖は大変な喜び方で婿の膝に飛びついて手を取るばかりにして
わかった、神は御礼を申すぞ』
 と大きな声で嘆賞たんしょうを放つが例であった。く教祖が幼い純子すみこを訪うて、の澄子には一言も語らないで、ただ姉や姉婿にのみ、いろいろと得体の判らぬことばかりを喋り散らされたのは、ここに大きな謎がかけられて居た事は、ようや今日こんにちに至って判明した。

 姉の家に厄介になった純子刀自が、しばらくりで姉の家から我が家へ帰って見ると、まさか自分の住家が留守中に売却されているとは知らないから、我が家の門口に立って
『おかあさん』
 とこえをかけて、家の中の覗いて見ると、母親の姿は見えず、唯見知らぬ人がすわっているので、まるで狐にでもかれたかの様に、恥ずかしいやら悲しいやらで、裏口からコソコソと逃げ出し、そしての情なさ哀れさで小さい胸が一杯になって、其の足で西町の姉の家(大槻鹿造・よね)へ訪ねて行くよりほかはなかった。其の当時西町の姉も精神に異状を来たして半気狂になっていたので、どうすることも出来なかった。教祖は其の自分は神懸りも静かになって、う生計のめ紙屑買いに出歩かれていた。それでも一家の糊口ここうしのぐのに足りなかったので、亀岡へ糸引きに行かれたのはの時のことである。
 当時世間では教祖を気狂きちがい見做みなしていたのであるから、てんで相手にはしてれなかった。しかし教祖の言う事が皆不思議にも適中するので、中には教祖にあつい信用をはらう人もあった。

の神様は病気をなおす神ではないが、今は仕方がないから癒して居るのである』
 また単に病気癒しの婆さんと認められて居た事も、の教祖の言葉を詮議せんぎして見れば解る。時に又
『我はそんな事のみをする神ではない。早く世の中へ出して下され、神は世が切迫せっぱくして居るのに、こんな呑気のんきな事はしては居られんぞよ』

 と言はれるけれども、これも時には人間心で疑って見なければならぬこともあった。しかう云う教祖のさまを見るにつけても、また世間の人が教祖をかろしめた言葉を聞くにつけても、純子刀自は幼い心を傷めるばかりであった。

(※1)
出口澄「花明山夜話(八)」
澄子「わしはこれまでに実地の苦労を神さんからさしてもらったでなぁ。子供の時の苦労は忘れられんものや。中でも王子の苦労はわしはもう死のうと思うたくらいやでなぁ。なんであんなにいじめられたのか訳が分からん。王子は酒呑童子(しゅてんどうじ)のいた大江山のあるところやからその悪霊がわざわいしたのですな。とにかくお琴姉さんは今の言葉でいう虚栄心のたかい人でした。商売の髪結いで十円儲けると派手に使うて人目には二十円くらい使うたようにみせる。つまりえらそばりたい性分でした。それで、綾部の自分の親元のことも自慢しぬいていたので、その親元から厄介者がきたと思うて世間体のみから辛くあたったのでしょう。お龍さん〔注:なお開祖四女〕も七つくらいの時、お琴さんのところに子守りに来てえらい眼にあわされたということです。半期ぐらいいたそうですが、お米姉さんがが、王子にみにきた時やせてやせてひょろひょろになっていたのでお米姉さんがひどう泣いて『食わさんとこんなにしてしもた』というてお菓子やらいろいろ買うてお龍さんに食べ食べ言うて、お龍さんは空き腹に食い過ぎてヘド吐いたそうです。お米姉さんは『これではあんまり可愛想や』というてお龍さんを綾部に連れて帰ったそうです。そのあとでまた私が行ったので親元から代わりの妹が厄介もんに来ているとでも近所から言われるのを恐れてですやろ。私をいじめぬいたのです。
 晩げになると毎晩、肩打ちをさせられました。それも『わしらは寝るさかい、お前もねむとうなったらそこそこ肩打ちしたらねるがよい』というてくれるのならまだよいのですが、自分ら夫婦はぐうぐう高鼾で寝ていても私が昼間の疲れでうっかり姉さんのそばに倒れようものなら『コラやっかいもん、誰のおかげでメシを食うとるのじゃ』と言われてなかなか肩打ちはやめさしてくれません。それから夜中の十二時過ぎに神社の下の泉へ真っ暗な道を姉さんの飲み水を汲みにやらされたことがあんまりこわかったので覚えています。長煙管(ながきせる)で叩かれたことや、庭にけり落とされたことは何べんあったか分かりません。夜、平太という姉の子をおんぶして疲れ、家にはいりかけてはへっこみ、平太が泣くとそれを拍子に家にはいりましたが、一度はもう死のうと思うて平太を連れて行って死んだら姉さんに叱られるし、家におきに行って姉さんに逢うのがこあいし、幾度も迷いました。」

(中略)

「また隣の彦兵衛さんとこの八木の姉さん(福島久子)はおのちゃんという子の守りもしました。後では神様の御都合でああいう役に回らされたが親切な姉さんであった。私の髪をキリッとした気のきいた男結げに結うてくれ、そのころ、指輪でもサンゴ、サンゴ珠のかんざしをくれた。珠がはやって、それを夜半に便所に行って落とし、便所から取り出しで前の小川で洗うたことがあった。八木の兄さん〔注:久子の夫、福島寅之介〕は私の顔を見ると『この子はようなればとことんようなる、悪うなれば手に負えん者になるやろう』といいながらまた『この子の顔、この子の眼をみてみい。ただの子ではないわい、ご飯だけはよう食べさしてやれい』というて大切にしてくれましたが、私は遠慮な気持ちがありまして、家にいるよりはどんな寒い小雪がちらつく日でもコクバかきに山で働くのを楽しみました。姉は働き者で私にセリやタンポポを摘まし時分は冬でも川へ雑魚取りに行って、きりつめたくらしをしていました。ある時、そのころ亡くなっていた福島の大祖母さんのことで義兄と姉がいさかいをし、そのことがあって私は綿入れの着物二枚と、紅もじのいまきを作ってもらって王子へ行きました。王子ではそれもとられてしもうたがよ。」

テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。