第六章「偉人か奇人か」 神界の芝居

△神界の芝居

 女性の神にして最も円満で平和を好むあまてらすおおかみと、又それと正反対に最も男性的な荒々あらあらしい闘争的なすさのおほのみこととが、創世記にいつも衝突を続けられて、大神がはたっている所へ、みことが馬の皮を投げつけて、それがもとで大神はあまいわへお隠れになり、一時世の中が暗黒となったとう事が古事記にある。それとよくた精神的暗闘が、教祖と教主との間に行はれたのであった。たがいに信念の確実性を証據しょうこてるめに戦われた。
 現在の皇道おおもとの大基礎を樹立する前には、それはそれは大きな経緯いきさつが織り進められた。明治三十二年から約十ヶ年の間において、教祖と教主との間には最も崇嚴そうごんなる悩みもだえのくさぐさが打続いた。教祖〔出口直〕はたてであれば教主〔出口王仁三郎〕はよこと云ってもよいような、一種の神秘な芝居が演ぜられた。しか其処そこに融合統一された或る偉大なものはあった。それはすなわち精神的事業の擁立ようりつのみである。また教主がの世の乱れゆく様を見せる役であれば教祖は観客であるかのごとく、くして初めて、求めて得る事の出来なかった或物を追い求める事が出来るのであった。

 教祖と教主との間にける精神的暗闘の一例を挙げれば、教祖が教主に『あんたはの世の乱れて行く様の役をしてれ』と役割をくだされると『私はそんなくずやくの、はした役目やくめやである』と言はれる。すると教祖は『それでも神様がそう役割を書かせなさるから仕方がない』と教祖と教主とのさるる事、わるる事が、丸っきり正反対に出る場合などもあった。そうなると役員達が一番困らせられた(※1)假令たとえば教祖に従えば役員達はいきおい教主に反対になる場合もあり、軍配をかた如何いかにせばやと惑う事さえあった。んなわけで、教祖と教主との間には絶えず戦いが行われていた。互に内心の世界に深く秘められたる一種の実在物は、ふとした所からはげしい騒乱と変わる場合があった。
 神界の芝居が始まると、つもの間に割り込む役は、例の役員の四方しかたであった。教祖は二階に現教主は階下で、両者とも神懸りの深い状態におちいって、上と下で心霊しんれいの討論が開かれる。そんな時はつも
『我々役員共が、罪が深いから、うことになるのだ。何卒なにとぞ御許しを願います』
 と平身へいしん低頭ていとうしておびをするのが常例となって居た。所謂いわゆるかんがかりの発動から元の静かな現身に立帰ると、教祖は打って変ったように
『御苦労であったの』
 と言はれる。教主の同様な言葉が出ると云った風に、教祖も教主と共に腹の中からホホホホとえみを顔面にあふれさして、たちまち元の平和な状態が現出するのをさかいとして幕がざされる(※2)うした間に微妙、繊細な神律しんりつ機縁きえんが刻々と熟して行くのであった。そしてず役員達の身魂みたま調しらべや身魂みたまみがきが完成されたのであった。

(※1)
出口澄「花明山夜話(十四)」
木田「二代様はいつごろからそういう髪の結い方をされたのですか。」
澄子「これは随分昔のことやが……松井さんという人がおっていろいろ策動しては、この大本を出雲につけようとしたことがあった。聖師さんを管長にして自分が副管長になろうとたくらんでな。聖師さんはああいうお人やから『ああそうかうんうん』という具合でして、傍で見ている私は一人気をもんどりましたのや。四、五人集まって策謀しているのを、ようふすまの内側から見たことがあった。」

出口澄「聖師さんとわたし」
「この者は化物じゃ」
 先生のすることは、なんというのか、人間界にうける方のやり方でな、開祖さんはその反対で、中に立つ私がずいぶん苦しみました。何もかもがむずかしかった。つまり、先生は外国や、と開祖さんが言われるので、外国はいかんもんやと思っていると、先生が「外国がいかんと言うてたら、神さんの大きな経綸が、小さい小さいものになってしまって、神さんに申し訳のないことになる」と言われるし、そんなことで、大本の中はいつもゴタゴタしていました。しかし、開祖さんと先生との仲は非常によくて、開祖さんは先生やないと夜も日もあけんのや、大事で大事でたまらんのやけれど、どこがどう違うのか知らんが、とにかくおかしなものやった。
 神さんが「この者じゃぞ、この者でないと大本の経綸はできんのじゃ」と言われるのやが、先生がおかしなことばかりするので、いつも私はハラハラしていました。御神前で開祖さんを真ン中に、両側に先生と私が座ってお礼をするのやが、神言の「かくのらば……」というところで頭を下げると、きまって大きないびきをかいて寝てしまうのです。なんぼしても頭を上げん、祝詞が済んでしもうたころに、ぽかんと眼を開けて「もう済みましたのか……」といった調子でな。そして、立ちしな、御神前のお供え物を、なすびやろが、きゅうりやろが、何でも供えてある物を、ちょいとつまんで、お詣りに来ている信者の前をむしゃむしゃ食べながら、おりて来る。お広間に行っとって、御神前からお供えの芋をとって来ては、火鉢の上にのせて、焼いては食い、食いもっては唱を歌うとるという具合で、初めてお詣りに来た人は、びっくりしたやろと思う。あれでは、どもならんなぁ、ということになったのですが、しかし、“おかげ”はいくらでも立つのや。
 開祖さんはどんなことでも、何一つとして神さんに伺わずにするということはなかった。先生の本当のことが分からないので、神さんに伺うと、「ほほほ」と笑われて「化かしてあるぞ。この者は化け物じゃ、この者でなけらいかんのじゃ」と言われる。神さんが、ああいう風にさしとったのです。

(※2)
○「開祖様をおんぶする」 玉鏡(昭7/7)
 開祖様は誰をでもよく可愛がられたが、特に王仁を一番可愛がられた。勿論王仁も開祖様を尊び大切にしたが、開祖様は自分の子よりも王仁を可愛がられたものである。謹厳で謙譲な開祖様は、他人におんぶされるなどといふ事は、決してなさらなかったが、年をとられてからは、王仁にだけは月夜の晩などよくおんぶされた。
 右に関して、編者申す。大正七年聖師様の次男相生様が亡くなられた時、その葬儀を見送る為め、聖師様が開祖様をおんぶして、今の西門から弥勒殿に行く坂道のあたりを行かれるお姿を宇知麿様──当時の佐賀伊佐男さんも見られたことがあるさうです。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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