第六章「偉人か奇人か」 日に出る御筆先

△日に出る御筆先

 何時の世でも、一つの宗教が隆盛りゅうせいたすと、屹度きっと他の宗教がれに対して邪魔するものである。うした革命的な一種の新宗教に対して最初羨望せんぼうして来たのは、当時わずかに布教しているこんこうきょうであった。別に宣伝の方法を取らぬのに、今まで関係していた金光教の信者達は、同教にきたらず、教祖の神徳を敬慕して、きびすめぐらして相続いで来た。一方金光教教会側は少々狼狽ろうばいし出して、今の内、んとか方法を考えなければ、残らず自分達の信者が、教祖の掌中しょうちゅうに握られて仕舞しまうのではないかと、不安はさらに反抗と変じて来た。しかし教祖並に教主はあくまで挑戦的態度に出ることを厳しく戒められて居た。
 愈々いよいよ教祖のふでさきを世の中へ公表せねばならぬ時が到来した。教主は教祖の御筆先を公表することを、る意味において色々と心配をしてみた。或は直接神へうかがいを立てて見ようかとも考えたが、一応は御筆先を調べた上の事にせんと、爾来じらい教主は一心に御筆先をうつして、それを役員や信者達の前でのみ読み聴かす事にした。教祖は其の間に在って、教祖はただただ神前にぬかづいて祈禱きとうに余念もなかった。神霊ほれいかはるまま御筆先の発表は一日に二十枚乃至ないし三十枚、多い時は五十枚以上にも達して行った。それにはほとんど創世記時代と云ってもよい位にさかのぼって、崇嚴すうごんきわまりない神秘のことばがあるかと思えば、一面また今後幾百万年の未来きざる世界の暗示が包含ほうがんされてあった。

 くのごとく神に対しての絶対的奉仕生活であれば、精神的には生きて行かれても、矢張りの日の生計ははなはだ貧しいものがあった。不相変あいかわらずの貧乏暮らしの内に在って、御筆先のしたためる紙さえ思うように買うわけにも行かなかった。
 うなっても教祖の紙だけは、どうにかり繰りして買う事が出来ても、教主の分までは仲々手に這入はいらなかった。そこで毎夜役員がなわって、の代金で教祖教主の紙代に換えたと云う程不自由な思いで、の将来の一大聖典とあおがるる御筆先が生み出されたのであった。教祖は何日いつもこうした時に
『めいめいで苦労をしなくては、神徳は頂けぬ。今はどさくさまぎれで、生粋きっすい大和やまとだましいになって居らぬから、綾部は苦労のかたまりだが、神は世界中に蜘蛛くもを張った様な仕組がしてあるから、心配せんでよい。今にまことの人が出て来るが、の時に達して居らぬ。今にく様に世界中の人が喜んでへるわいや』
 何んと云う大膽だいたんいいりであろう。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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