第五章「神格者の結合」 出口現教主の生ひ立

△出口現教主の生ひ立

 現教主たる出口でぐちさぶろう氏は明治四年七月十二日、丹波国みなみ桑田くわだ曽我そが村 大字(おほあざ)あなの農夫、上田よしまつの長男として生まれ、当時上田家は家産おおに傾いて、家計も不如意ちであった為め、教育とても小学科程の全部すらもおさめ得られなかった。
 早くも十三歳にしておぼろげながらも、国家万民を精神的に救済せんとする大志を抱き、常に思索のみふけり勝ちであったが、或る時、突然しんの術を自得し、爾来じらい鎮魂帰神の神法に熟達しようとこころざされた。かしそうした神法研究に対して、両親のびしい言ひ附けがあることとて、それすら修める事を許されなかった。百姓のせがれ矢張やはり百姓の忰として充分働く事さえ出来ず、十五歳の時に近村の豪農某家に丁稚でっち奉公ほうこうに預けられて仕舞った。
 居を換えても爾来神法をきわめる心は少しも怯まなかった。多くの奉公人の仲に立ち交って、人知れず朋輩達の寝鎮まるのを待ちかねては、夜な夜な氏神である小幡神社や神明社にさんろうして、一意に神啓しんけいを乞うこと一百日に及んだ事もあった。
 又実家に帰っては、の不如意勝ちの生活を緩和するために、荷車曳きとなり、僅かの賃金を得て家政のおぎないをつけ、一家五人の糊口はからくも其の日のけむりを立て、こぶしだいの田畑を耕すにも、寸陰すんかを惜んで父母に手を借したと云う事は、昔のそんとくにも似ていた。

 教主二十三歳の時代は最も知識慾の旺盛した時であった。最初獣医学を研究せんとこころざして、丹波国園部そのべの獣医井上某の書生として入門した。書生とは名ばかり、毎日同家の所有であった牧場に行って、牛乳の搾取をやらせられたり、それを各所に配達させられたりした。また牧場に於ける仕事はなり沢山あって、一日中手足を休める暇さえ与えなかった。一日の労役を終わって、広い牧場の原に夕陽が赤々と射す頃、教主は疲れた足取りで、主人の家路へ辿りつくのであった。此処ここにも勉学の時間は矢張やはり夜の間のみで、かたわら又国学の研究にもこころざし、夜の寸暇を更に割いて当時の国学者であった岡田翁にも学んだ。一方和歌の道にも心を寄せ、自らもあんかんぼうらくの雅號を以て呼び、冠句狂歌にも優れた天才があったことは、今なお郷党の人の記憶にもあらたなるところである。
 いで約二ヶ年の修学を積み、明治二十八年二月二十五歳の時、一先ひとまず郷里穴太に立ち帰って、些少の資金が調達されたを力に、せいにゅうかんと呼ぶ牛乳搾取場を独営するまでにさまざまな数奇な運命に弄ばれた。かかる労働に身を任せながら、の間にも寸暇さえあれば、あまねく宗教、哲学等に関する方面の書類を読み耽った。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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