第四章「教祖と金光教」 綾部の金光教会/七たび居を移す

△綾部の金光教会

 其処そこ四方しかた平蔵は一策を案じて、従来教祖から病気をなおして貰ったものが、綾部を中心としての近在を調べて見ると約十一人ばかりあった。
 或る晩是等これらの家々の主人達を、綾部こんこう教会所へ招待して、今後の教会の世話方を懇々こんこんと依頼して見たところ、いづれもこころよく承諾して、明日をも待たず教会のめに活動を開始することになった。うした熱烈な世話方はすべてを犠牲にして活躍したので、半月をたぬ内に追々と信者がえ、参詣者も日増しに多くなって、六畳の広前では収容し切れぬ程の発展を遂げた。教会の前途に一道の光明を認めたのであった。
 愈々いよいよ正式に神をまつり、神殿をしつらえて奉斎ほうさいする段取にまで進んだ。金光教とは云うものの、信者の多くは金光教の信者ではなく、むしろ、其の実際的信仰はうしとらこんじんたる教祖を信奉する人々であった。
 其後そのご四方げんすけの持家で養蠶ようさんしつててある二十畳敷きの空室あきまを、模様替として早速借り受けることとなった。時は明治二十七年 春の気は地の底から伝り、蒲公英たんぽぽもちらほらと咲く期節であった。
 金光教会に活動されてた教祖は、日常えず神霊融合境に入りては、御筆先を書いて常に其の神託しんたくを信者達に示して居られた。しかるにの御筆先と云うものが、教会主任の教師や役員には、其の如何いかなる意味の表示であるかをさとわけには至らなかった。これがそもそ一方いっぽう金光教会教師側から邪宗門じゃしゅうもん扱いにされる遠因えんいんとなった。元来教師達は教祖が眞個ほんとうの信仰生活に這入はいって、強い力でおさとおす日々のかみわざひそかおそれ、心の底でんとなく引きつけられる状態で居たのであったが、唯物主義な教師達は、とき既に教祖をる利用の道具にせんと云う浅間あさましい下心があった。
 同じ教会に在って、広前ひろまえぬかづいて朝夕祈りを捧げるものの中にも、信仰は二派に分れて居たのである。其の間にあって、教祖は他の教師達から、そろそろ抑壓よくあつする様な態度で迎えらるる様になった。たがいに信奉する信仰のために、内部はあらわに二派に分かれ闇闘あんとうばかり打續けられる状態にあった。教祖もついに教師達のそうした背反的信仰に愛想をかして、いさぎよく此際このさい彼等の仲間から去って、自己の信仰の為めにいきることとなった。其時そのとき教祖と共に皇道を同じくしたのは四方平蔵の人であった。
 うした変動に依って、さしも今迄隆盛りゅうせいを極めて来た教会所も、火の消えたようにびれて行った。既に一人の参詣する信者の姿さえ見出すことが出来ないほど衰微すいびして、今更森閑しんかんとした布教場に取り残された教師達も、ついたまりかねて、夜逃げ同様に教会所から姿を隠して仕舞しまった。


△七たび居を移す

 其の後の教祖は矢張やはり日常生活に追われて、いとひきに行くべく余儀なくされた。五十八日間と云うものは工女の群に交じって、さなぎの悪臭に蒸され、いとくるまに両手をけて、終日働かねばならなかった。
 る日のこと教祖は丹波たんば福知山にある金光教会へ行って、同じ金神の教えの道なれば、自分にいてる神を、教会の主任教師青木あおき某に見分けて貰う心算つもりで、同所に六ばかり滞在していた。其のあいだ常に御筆先をしたため、時にあるいは口から神の道を説いたりして居られた。後に教祖は教師に我れにかかれる神を審判してれと迫られた時、教師はたぬききと速断して、教祖の左のほほで三度程叩き附けた。教祖は此の時、教師のこうした不徹底な態度を見て、今はかえって長居は無用とあきらめて早速綾部に帰られて仕舞った。
 教祖が綾部を去れば金光教が衰え、綾部へ帰ればの教は栄え、信者の信用はまったく教祖の一身に集まって、求めずして蝟集いしゅうる誠の信者は、随所ずいしょに多くなって行った。
 其後そのご福知山にける金光教会は、全く一人の参詣者もなく、神徳の相違そうい目のあたり、青木教師も人をかいして教祖にびを入れて、綾部に来てうしとらの金神の道に仕えつつかたわら金光教の教理を宣伝することになった。一時離散していた信者も教祖の姿が同地の教会に見えてから、信仰に餓えたる人々は教祖を追慕ついぼして、あたらしい信者は日に日にえるばかりであった。
 しかるに京都なる金光教会支所長杉田は再び野心を起し、上級教会の権威をかさに着て、青木を福知山へ追返し、部下の助教師足立あだち某を其の後任者として差向けて、綾部金光教会を占領せんと計畫たくらんだのである。足立との共同宣伝時代は、教祖にとって比較的長い間であったが、矢張りれも艮の金神の真髄をることが出来なかったので、遂に別れることになった。

 やがて教祖は綾部裏町のうめはらすけ土蔵どぞうを借り受けて、愈々いよいよ単独で神の道をば宣伝すべくの居所を移された。過ぎ去った日のそれよりも、燃ゆるがごとき信仰は、益々ますます白熱化して来た。牢乎ろうこたる信念をもって、霊性は益々内容を充実せしめて行った。教祖は七たびも居を移して神の道に流転した。あるいは迫害、侮蔑、非難、脅迫を加えられもした。教祖の神霊のまなこ愈々いよいよ輝いて今や神縁しんえん圓熟えんじゅくしてた。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
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プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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