第三章「獄舎生活の七十五日」 嫌疑晴れて座敷牢

△嫌疑晴れて座敷牢

 たまたま宿直しゅくちょくの巡査が、夕飯頃に貧しい弁当を開いて、心持こころもちの足りなさに署内の規則を破って、ひそかに一本を傾けようとしている所を、牢内のいづれかより
『番人が酒を飲むでは、番がつとまらぬ。世の中は不心得なものばかり居る。惡魔のために曇り切って居るから、神が出て水晶の世にするぞよ』
 と不意にこえが巡査の耳に響いた。自分が食事している所からあたりには誰も見ている気勢もないのに、今の聲は何處どこから伝わり来たのであろうと、恐ろしくなって、ぐ飲みかけの酒を床の上へ流して仕舞った。それが教祖の聲であった事が後から判ったとやらで、うしての変り物の囚人には困らせられたと云うことであった。気狂きちがい婆さんとしては、余りに常識が瞭然りょうぜんとしている、そうかと思うとうしとらこんじんを引き出して巡査の頭にはさっぱり不可解な事のみしゃべるので、果たしてこの囚人には手のけようもなく日が過ぎて行った。
 うちに真の放火犯人が、他から立派に挙がったので、教祖の嫌疑はただちにあかるみへ出された。それは四日目であった。其の時娘婿むすめむこの大槻鹿造を呼び出して
『仲々の婆さんは、気狂きちがいに似合わぬ立派な事を言う所を見ると、あるいかみ気狂きちがいであるかも知れぬから、また今後とも如何な事を近所隣りの人々へ喋らぬとも限らぬ。そして衆人に迷惑をかける様では、はなはだ困るから当分座敷ざしきろうへでも入れて監視するがよかかろう』
 ともうしけた。何の罪罰もない教祖をば、非度ひどく危険人物視して引渡された。

 大槻鹿造しかぞう初め親戚一同のものの協議が始まった。今の石の宮が建って居る元屋敷の東北の隅に、一坪ばかりの座敷牢を造る事に話を一決いっけつして、教祖をばんの事はない、無理無体に押しめて仕舞った。あくまで教祖をば気狂いと見做みなしていた人々であるから、もあるべき事であった。教祖は一時は柳眉りゅうびを逆だてて
『何んとうお前達は不心得な事をする、神を牢屋へ入れるとは何事じゃ、今に神の恐ろしさが判る時が来るから』
 といきどおって見たものの、教祖のそうした言葉は全く馬の耳に念佛ねんぶつであった。教祖が神へ奉仕してゐる事等は、勿論もちろんかかる人々がはずもなかったに相違ない。
 教祖が放火犯人として、牢屋へ封じめられた時と同様、爾来じらい十三日間と云うなり長い間、一粒の飯もらなかったと云う事は、全く嘘のような事実として今に伝えられて来た。
 一室に閉じ込められた教祖の生活は、むしろ平和な神との対話で日をごされた。恐ろしくみだれた教祖の髪は、耳朶みみたぶの上まで覆ふて居るが、顔色は疲れの色もびず、薄紅い唇は時々ぴりぴりと動いている。両膝はいつもきちんと合はして崩さぬ。少しれ気味な下瞼いたまぶたの上にゆたかに光る瞳が覗いている。静かに坐っている時は何時も何かを追い求めているかの様に、其のんだ心は到底門外もんがいかんの知る由もない。
 る日の事であった。隣家の四方しかた源之助と云う男が、ときたまに牢内をのぞいて見ると、時をすかさず教祖は
『その方の家屋敷を売って貰うぞよ』
 これを聴いた源之助は、まったくの気狂い婆さんだなあと思はざるを得なかった。それにしても源之助の単調な頭にも、教祖が十籔日間も一粒の飯も一滴の水もらずに居るとは、少しく変に思い出した。の変人の婆さんも少しは神様扱いにでもすれば、飯を食べるかも知れないと云うので、恭々うやうやしく御膳ごぜんを立てて、一椀を進めた時に、わずかに後ろ向きに手を出して始めて一杯だけきっした。爾来じらい引続き七十五日間は一日ただの一椀を以て定食じょうしょくとせられた。



テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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