第三章「獄舎生活の七十五日」 第一聲に放った神示/一度に開く梅の花

○第三章 獄舎生活の七十五日

△第一聲に放った神示

 教祖がかみがかりになられてから、はじめのほどは、かかられた神に対しては絶えず激しい心の闘争で、明けてもれても悩んでゐたのである。一室に閉じこもって、ひしめきあった現身げんしんの動かし得ない或る力の懸隔けんかくおこるとともに、自分とふ位置から種々さまざまな感情もおこった。自分程度の人間ではんだか、虚心きょしんのままに置かれてない様なつかまどころのない藻搔もがきを始めてみた。暫時しばし静平せいへいに帰ってゐた自分の心がにわか昂奮こうふんして、何處どこまでもそうしたこころちで居られない様になったりしたのも、これは畢竟ひっきょう正しく神の本然ほんぜん眞體しんたい何處どこまでも審判しんぱんせんとした上求じょうぐ神體しんた下化かくわ融心ゆうしんではあるまいか。
 教祖が神人しんじん融合ゆうごうの境地に這入はいってからと云うものは、の言う事も動作も、神懸り当初の時のような軽いうすい闘争ではなかった。平素まことに優しかった刀自の態度がまるっきり変化して仕舞しまった。れが見ても同一人間とは思はれないほど狂気じみて来たのであった。不意に大きいこえを出して何物かに向って怒鳴どなるやらめくやら、ほとんど手のけやうもなかった。また云うことが、聞き様によってすこぶる見当違いのことばかりであった。

『本当の神か、せ神か』
『本当の神だ、こわいぞよ』
『少しもこわいことはない』
の苦労した神が、新宮しんぐう本宮ほんぐうつぼうちしづまりましたから、三千世界の立替たてかえ立直たてなほしが出来るぞよ。新宮しんぐう坪の内は神の屋敷、それは神に因縁いんねんのある屋敷であるぞよ』
『その神様はどんな神様か、おもてあらはれて見せて下され』
『いやいやの本體を現はしたら、それこそ大変、目眩めまいがして死んで仕舞うぞよ(※1)
うも毎日毎日神懸りせられては、の体が疲れて仕舞うから、早く神の本體を見せて安心さしてくだされ』
『神のふことは少しの嘘はないぞよ』

 だ見知らぬ神を相手にして、自問じもん自答じとうに自分の心に色々とたずねて、ほとんど十日間ぼかりと云うものは、ひるとなく夜となくあるいは突発的に或は侮蔑ぶべつの色を浮かべてののしって見たり、或は数時間にわたって怯えながらも怒鳴り散らして見た。喧騒さわがしさに近所の人々は、
またお隣りの気狂きちがばあさんが始めた。毎日毎日、あんなこえを出して怒鳴り散らしてゐる様だが、一体如何どうしたんだろう』
 などいづれも非常に迷惑を感じてゐたが、別に他人に対して危害を加える様な事もしないし、それに日頃の優しいお婆さんが、一室に閉じ籠るとそうした躁狂きょうそうに立ちかわるので、皆軽いあきらめさえしてゐるのであった。如何に教祖が神をきわめんとして心を悶搔もがえたか。


△一度に開く梅の花

 しんの神こそ教祖の身にちかづききたった。求めて結んだ真の神霊しんれいはいよいよ教祖の心に瞭然りょうぜんとして体得たいとくすべき時期は熟してゐた。の限りない悪気あくきに満ちた現身げんしんに、教祖が神人合一の妙境みょうきょうに達せられて以来は、ること言うことすべてが更に一進転して仕舞った。当時凡人には、如何いかに教祖の神霊生活が躍動やくどうしてゐるかが判らないのは無理もない話である。

三千さんぜん世界せかい一度に開くうめの花、うしとらこんじんの世になったぞよ』
須彌山しゅみせんに腰をけ、鬼門きもんの金神が守るぞよ』
『昔からの世のるは知れてる、絶対絶命の世に成ったぞよ』

 神人融合境の教祖が、はなたれた第一聲は、實に教祖がの底力のある唇からすべり出た、胸のわだかまりがけてあらたに生返った教祖の威厳いげんは何物にも例え様もない。それより神懸り状態はいよいよ進み、神言しんげんは更に深刻になった。

『新宮つぼうち、大地の高天原たかあまはらの神屋敷、の屋敷から、うしとらへ落ちてた神が、元の位置へ立ち帰り、世界中の人の身魂みたまあらためをして、人民を助けたいのが望みじゃ。世界のみやを建てるから、大島の家って下されよ、角蔵かくぞう殿退いて下されよ、金助殿家持っていて下されよ、村中の人も家持って退いて下されよ、退いてれぬば焼いてしまうぞよ』(※2)

 と近所の人々の名前まで呼び立てて、天地にもひびけとばかりの大きい聲で、夜となくひるとなく、うした薄気味悪い、途方とほうもない事を述べ立てるので、近所の人達がソロソロおそれと不安とにられて行った。うわさに花が咲いて或はついにはあざけりの種にもしなかった人もあったが、一部の人達は、直子なほこ婆さんが、あんなに神様の祝福を受けいてゐるのに、お託宣たくせんにも似合はぬ今のあの怖ろしい言葉、どうした事だろうなどと気苦労をしてゐる連中もあった。ほとんど開闢かいびゃく以来のかわりものが出たこととて、種々いろいろな苦情やら嘲笑やら、侮蔑やらで大変な騒ぎを惹起した。


(※1)
○「元の生神」 玉鏡(昭7/5)
 大本神諭に「いよいよとなると肉体そのままの元の生神が現はれてお手伝をなさる」といふ意味のことが示されてある。龍体その他種々の姿をもって、元の昔から生き通しの神様が厳存され活動されるのである。即ち神諭に示されてあるごとく、この度の大神業は霊の神だけでは成就できない大望なのである。開祖様が嘗て神様に「元の昔から生き通しの神様のお姿を見せて頂き度い」と願はれたら、神様は「一目見ても吃驚する」と申されたことがある。〔現代注:大国常立尊様の御姿については「大正4年旧6月11日」を参照されたい。〕

(※2)
大本神諭「明治27年旧正月3日」
 艮の金神の筆先であるぞよ。出口直に書した筆先であるぞよ。
 何鹿いかるが綾部あやべ本宮坪の内の出口直の屋敷は、神に因縁のある屋敷であるから、この屋敷に大地の金神様の御宮おみやを建てるぞよ。大島の家売って下されよ。角蔵殿退いて下されよ。金助殿家持って退いて下されよ。治良右衛門殿家持って退いて下されよ。気の毒ながら村中家持って退いて下されよ。この村は因縁のある村であるから、人民の住居すまひの出来ん村であるぞよ。燈台とうだいもと真暗黒まっくらがり遠国えんごくから判りて来てアフンと致す事が出来るぞよ。綾部は世の本の太古おほむかしから、神の経綸しくみの致してある結構な処であるから、綾部は流行病はやりやまひは封じてあるぞよ。この事知りた人民は今に一人も無いぞよ。
 綾部の本宮村は人にあわれみの無い村であるぞよ。人が死なうがけやうが、自己さへけりゃ構はん人民ばかりであるから、改心を致さんと、世が治まりたら、この村は悪道あくどう鬼村おにむらと名を附けて、万古末代悪のかがみと致すぞよ。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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