第二章「教祖神懸りの発端」 本田親徳翁の眼識

○第二章「教祖神懸りの発端」

△本田親徳翁の眼識

 今の綾部あやべ町皇道大本の境内の一部に、石の御宮おみやと称する一區劃いちくかくがある。これぞ綾部町あざ本宮ほんぐうつぼの内の元屋敷もとやしきで、刀自とじは其の昔其処そこにささやかなる茅屋くづやを建てて、貧苦と戦って生活してゐた。明治二十一年三月すなわ刀自とじ神懸かみがかり以前の事であったが、或る日所用のため隣郡船井ふない鳥羽とば村はづれの八木島やぎじまの手前まで差掛った時、途上に異様な風をした一人の老翁ろうおうと遭遇した事があった。の翁は不意に刀自に向かっていと荘厳そうごんな口調にて、づ敬神の必要から説話し始め、刀自が変性男子の霊性を具備ぐびしてゐることや、なお八人の子女の母であることまで看破して、後年必ず重大なる天職の任命が下る時期の来る事など淳々じゅんじゅん述立のべたてられたので、最初刀自とじは奇意の思に駆られて、其の意の何たるかを半信半疑で其の返答にさえわづらった。挨拶もそこそこ其のまま立ち別れて仕舞った、此の異様の人物こそ後年に至ってじつに本田親徳翁であった事が判った。

 そもそも本田親徳翁は鹿児島の人で、幼い時から常に敬神のこころざしあつく国学に通じ、神道に関しては其の造詣ぞうけい極めて深く、明治二十一年から地上に於ける高天原たかあまはら発見の目的を立てて諸国遊歴の旅に立ち、丹波元伊勢もといせ参拝のみぎり、はからずも其の途上に刀自と邂逅かいこうしたのであった。此の遍路人へんろじんの眼にえいじた総てのものはんであったのか。凡眼ならざる翁の瞳にはひかりと喜びとを以て充ちてゐた。刀自の人とりを其の第一印象として全人格を認めたのは翁の非凡なる眼識であった。其の当時の多くの人は一様に、刀自をば一文いちもん不知ふちの貧苦に疲れた紙屑買いとして、毎日粗野そやな瞳を輝かして、軒毎のきごとに屑物をあさる哀れな人としか感じなかったであろう。刀自の心理に既に萌芽しかけてゐたものがんであったのか。英雄は英雄を知るたとへのように、一目刀自とじ風彩ふうさいを見るから、電光のごとく翁の心にひらいた予感は、はたせるかな今の皇道大本の大教祖として実現さるる事をぼくされたのであった。


出口すみ『おさながたり』/不思議な道づれ
 八木やぎも間近くなり、八木の島の手前にこられると、男の声がして、
「あんた、えろう急いで、どこへ行きなさる」と声をかける人があるので、後をふりむかれると、四十七、八と思われる、どことなく品のある男の方が追いついてこられるので、
「私は八木にいる娘が病気じゃという手紙がきましたので急いどりますじゃ」と教祖さまが答えられますと、
「それはお気の毒な! ワシも急ぎますので、道伴れになりましょうかい」と言いながら、その品のよい男の方がズット教祖様のそばにより、教祖さまの顔をジイッと見ていましたが、驚いたように、
「何とソナタは不思議な女人かたでござるのう……目は男性おとこのしょうの目なり、今は婦人おんなであるがソナタは本来男でござるがのう。めずらしき女人ざ。そなたは七人の女でござるのう」と言うので教祖さまは、これはまた、妙なお方と道伴れになったものだと思いながら、
「あなたはえきでもみられる方ですか」と聞かれると、
「ワシは易は見ぬ」とぽっつりと言うので、それにしても不思議な方と、
「あなたにちょっとうかがいますが、私には八人の子供がありますが、そのうち長男が家出をして、いまだに行方が判らず、心配しております。その子もいつかは戻ってきましょうか。私はそのことが心配で、その子は大変酒の好きな子供ですので、戻ってきたらタントタント酒をましてやりたいと思っています。それで私のおりょうという女の子に今から酒屋をさして長男が戻ってきたら、好きな酒を飲ましてやりたいと思っています」
と言われると、その男の方は無雑作むぞうさに、
「その男の子は、そんなことは嫌いじゃわい。それから言うておくが、ソナタは嫁の世話にはならぬ女じゃわい、茶一ぱい嫁からは汲んでもらえん女子おなごじゃ」
とこんなふうに言われ、教祖さまは、その頃まだ自分の因縁性来については何もご存知ぞんじないころで、「自分はなぜにそのようなごうの深い女なのだろう」とつくづく自分が恥ずかしく、肩身のせまい思いをしたということを、私に話されたことがあります。

 それから、しばらく行かれると、その男は
「今日はこれで失礼するが、ソナタにはまだゆっくりと話したいことが、山ほどある」
と別の広い道に一人でスタスタと進んで別れたかと思うと見えなくなったと言うことです。
 後年、教祖さまが、その男の方の進んでゆかれた道はどこであったかと探されましたが、そのような道はその辺りにはどこにもなく、全く不思議な道伴れであったと申されていました。
(中略)
 この不思議な道伴れは教祖さまのこころによほど深いものをのこしましたようです。
 その後、西町のおよね姉さんが神憑りになったというので、教祖さまが見舞いにゆかれた時、教祖さまご自身の腹の中から、
「オーこの女、この女、八木の島であったのはソナタであったわい」
 …という声がでてきて、教祖さまは何じゃ判らず心配されて、
「アナタは一体どなたですか」
と尋ねられると、
「この方は三千年世に落ちていたうしとらの金神じゃワイ」と、また腹の中から声が出て来たので、教祖さまは、これはいよいよ自分も大変なことになった、困ったことになったものじゃ、艮の金神さんと言えば悪神わるがみたたり神と言われているどえらい神さんじゃが、どうしてこう言うことになったのだろうか、どうしたらよいのであろうか、と途方にくれたと言うことであります。そうしてこの時も、八木の島で会われた上品な男の言葉がハッキリと頭に浮かんできたと言われました。


<<参照>>
大本神諭「明治33年閏8月2日」
 出口の因縁は中々六ヶ敷なれど、元からの因縁は昔からなり、斯現世(このよ)の因縁も、元は八人の血筋で手分け致して間配りて、仕組がして有るぞよ。明治23年の7月の19日に、八木の福島の久が大病で、晩立(あけだち)で直(なお)が参りて、八木の島の手前に出口に追付いて、「御前は珍しき婦人(おんな)じや」と申したのは、人民では無かりたぞよ。「お前は夫人に生りて来ては居れども、婦人では無い男子(おのこ)じや」と申して有らうがな。「七人の女じや」と申して有らうがな。其因縁も判りて来るぞよ。

「大本教の活歴史(5)」
 明治二十一年春は弥生の中旬頃、開祖は所用のため八木の親族福島家に出で行かれしに、船井郡鳥羽の村外れ八木島の手前にて、一人の偉丈夫に逢う。渠(かれ)は開祖の容姿風采を熟視して、「御身は実に偉人なり。肉体こそ婦人に坐せど其の霊性(みたま)は全く男子なり。世に所謂変性男子とは御身の事なり。御身はこれ七人の女なり、吁珍しき婦人なるかな。数年の後不思議の神縁にて、必ず天下に大名を揚ぐる事あるべし。又御身には八人の児女あるべし。而して長男は云々、長女は云々、次男・次女は云々」と八人の児の身の上まで途々語り玉いしに、一々適中して毫も誤たず。
 開祖は其の神異に感じて、「貴下は人間にては有らざるべし、如何なる神に坐しますや」と問い玉えば、「我が名は後に判明すべし。神命を蒙りて丹波の元伊勢に参詣し、且つまた比沼真奈井(ひぬのまない)神社に神跡調査の為出張したりし者なり。随分自重自愛せられよ。併し十年の後に御身を助くる異人尋ね行く事あらむ」と言葉も早々に、其の姿は何時が見えずになりにけり。
 扨(さて)偉丈夫は開祖の住所姓名を記して別れたりしが、是ぞ王仁三郎が王子の梨木坂にて出会したる霊学の研究者本田九郎親徳先生なりしなり。本田氏の慧眼なる、途上一見して開祖の偉大なる人格を看取せしなり。英雄を知る者は亦英雄ならざる可からず。本田先生の此の行、鳥羽にて開祖を知り、梨木坂にて王仁の性格を看取されたるなり。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる