第一章「神格者の現はれ」 出口家の系統/名工政五郎の人と為り

○第一章 神格者の現はれ

△出口家の系統

 昔からの傳説でんせつで、今も人の口端くちはに上る大江山の酒呑しゅてん童子どうじと、つぶの大きい中身の充実したくりはと云えば、丹波栗たんばぐりを連想するが様に、是等これらのものは、山嶽さんがく四周地ひくき所すなわち丹波の国にける二つの名物として数えられて来た。しかるに明治年代に至って、ここもっとも意義ある名物の一つが加えられた、それは、同じ丹波の国は綾部あやべ町なる皇道こうどう大本おほもとの教祖たる出口でぐち直子なほこ刀自とじの出現である。
 人か、神か、また化物か、いでやれより筆を大本教祖の行蹟こうせきに染め、あわせの不可思議物の正體しょうたいうかがひ見よう。

 刀自は天保てんぽう七年十二月十六日、丹波国福知山ふくちやま町士族 桐村きりむら五郎三郎ごろうさぶろうの長女として生れ、家兄かけい清兵衛せいべゑと呼び桐村家を相続した。後刀自がはな恥かしい妙齢みょうれいの時に、の祖母にあたる綾部町あざ本宮出口家に幼女としておもむかれた。元来、出口家はれきとした系統の家柄で(※1)、今の伊勢大神宮が、丹波の元伊勢もといせから山田へうつされた時、常にの神宮奉侍ほうじの任に當ったのはすなわち出口家の分家であった。現に本家出口家の子孫のわかれは、元伊勢及び綾部附近に分布されて、いずれもさかえに栄えて同姓を名乗るものが少なくないのを見ても解る。一節には伊勢山田のイツキ出口イツクチの省略であるとさえとなえられて居る位で、ぼ出口家の由緒ある所をることができる。


△名工政五郎の人と為り

 安政二年三月十五日刀自とじが二十歳の春に、同家に養子として大工政五郎まさごろうを迎えて華燭かしょくてんげた。忌憚きたんなく云えば、良人おっと政五郎は性きわめて恬淡てんたんで、家事に頓着とんちゃくなく常に酒をたしなんだ。しか大工だいくとしての技能に至っては、ほとんどの類例を見ざる程のえた腕を持って居たのであるが、の種の人々の常習として、気に向けば一心不乱に仕事に熱注し、気乗りがせねば何時いつまでも経っても手を着けぬと云ふ程の変物かわりもので、それに酒の気がなければ半時も過ごされぬと云うのが性質であったから、金が有れば飲み、無くなれば先祖伝来の田地家屋に至るまで酒に代えて飲んだのであった。心性しんせい脱落だつらくたる人だけあって、る時のごときは破れ屋を改築した紅殻べにがらぞめ瓦屋かわらやに建替え、其処そこみ込んだ時、

  稲荷のやうな家建てて
     鈴はなけれど内はがらがら

 と狂歌をんで超然とすまして見たり、それも束の間れも徳利とっくりの中味と換え酒代のつぐないとして人手に渡して仕舞しまい、なほも恬淡振りを発揮した。初日の出若水わかみづみ雑煮餅を祝う元日のあかつきも、まさに二三日にせまらんとする時

  隣には餅く音の聞ゆれど
      我は青息吐くばかりなり

 うした生来の無頓着は、西鶴さいかくの中に出て来る人物にも似てゐる。家計の窮迫きゅうはくは言はずも知れて日につゐるのみ、住家すみかと云えば名ばかりの破れ屋 政五郎はそんな事に気を置くほど人間苦を知らぬ。住居を三遍さんべんまで売飛ばして、時折には瓢箪酒ひょうたんざけに弁当持ちで、今日は村芝居、明日は花相撲と近郷をあるき、連れがければ家を外に数日も帰らぬことも度々たびたびあった。遂には売食うりぐひするにも布切ぬのきれ一つもない破目に陥ちて行った。


(※1)
○出口王仁三郎「歴史談片」 月鏡(昭4/2)

 百人一首の最初の歌、かの有名なる

 秋の田の刈穂かりほいほのとまをあら
  わが衣手ころもでは露にぬれつつ

…と云ふのがある。天智天皇のお歌と云ふ事は三才の童児も知って居るが当時天皇は政変のため難を逃れて那須野なすのをさまよはれた。いとかしこき事ながら、行き暮れて宿りたまふよすがも無く御痛ましき事ながら野宿のやむを得ざるに立ち到られたその時のお歌である。刈穂の稲のかけわたしたる下にて露にぬれつつ一夜を過させたまふた。稲のとまは荒くて露を防ぎまゐらすに足らなかったのである。後醍醐ごだいごみかどが、笠置かさぎの山の松の下露、花山院かざんいんの石の枕にたぐひて、いとかしこき御製ぎょくせいである。
 西行さいぎょう法師と云ふ人は、大層歌の上手のやうに人は思って居るが、大変下手な歌の詠み手であった。詠んで出しても選に入らぬので、月を眺めつつ痛く歎息たんそくした歌が、かの有名な、

 歎けとて月やは物を思はする
  かこち顔なる我涙かな

…の歌である。それが思ひもかけず百人一首の選に入ったのである。それからだんだん上手になった。百人一首の歌でも最も重きを置かれて居るものは

 此度このたびぬさも取りあへず手向たむけやま
  もみぢのにしき かみのまにまに

…と云ふ管家かんけの歌だ。
 山陰やまかげ中納言は丹波たんばの国、きりしょうに住んで居られたので後裔こうえい遂に桐村きりむらを名乗らるるやうになったのである。すなわち開祖様(出口なお)の御実家の祖である。本宮ほんぐうやまはもと『本居山』と書き、ホンゴ山とたたへられて居た。そして豊受とようけ大神おほかみ様を御祭り申上てあったのであるが、それが後世、比沼ひぬ真奈井まないにお移りになつたのである。
 開祖様の母上は足利あしかが尊氏たかうじの系統をひいて居られる。尊氏と云ふ人は舞鶴線の梅迫うめざこ駅の附近、七百石と云ふ所に生れたので、初産湯うぶゆの井と云ふのが残って居る。亀岡在に篠村しのむら八幡宮と云ふのがある、足利尊氏ががんをかけて武運の長久ちょうきゅうを祈った神様で、この神様が尊氏を勝たしたといふかどで、ほかの神様はどんどん昇格しても、この八幡様だけはいつまでたっても一向いっこう昇格せぬ。
七福神しちふくじんのお一柱、昆沙門びしゃもんてんと云ふ方は武甕槌たけぬかづちの神様の事である。

テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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