開祖との出会い

☆『開祖との出会い』
<大本幹部・湯浅仁斎が著した王仁三郎の伝記…という形式で、「神霊界」大正六年十月号から四回にわたって連載した。のち「霊界物語」第三十七巻第四編“山青水清”第二十一章~二十五章、第三十八巻第一編“千万無量”第一章~七章、第二編“光風雲月”第八・九章に加筆収録された。>

 皇道大本の教主出口王仁三郎氏は、鎮魂帰神の神法に熟達し、御年十三にして突然帰神の術を自得されしも、父母の厳止する所と成って、止むを得ず俗業に就事されつつ在りしが、明治三十年七月厳父の帰幽と共に、弥々決心の臍を固め、天下救済の旗を翻さんと為し給いしも、師の境遇は俄に神界に仕え玉うを許さざりしに、翌三十一年の如月九日の夜半、突然神使に会し、ただちに高倉山の巌窟に到りて一週間の荒行を遂げられ、帰宅の後は総ての業務を放棄して、弥々年来の心願たる天下修斎の首途(かどで)に上られた。遠近より師の神徳を慕うて、日々門前市を為す斗りの求道者が続出した。
 時に十数名の帰神修行者が出来て、各自に「師の使命は重大で在るから、郷里に留まりて布教する如な場合では無い。一日も早く西北の方を差して出修せられるべし。由良川の上流に数年前より一人の予言者現われて、清水を以て潔身を施せる神女あり。汝は霊を以て万民に潔身を施すべき天職あり。西地の神女は汝の到るを鶴首して待てり」との神勅に促されて、家人及び門人に暇を告げ、布教伝導の途に上り玉いしは、実に同三十一年の初秋の頃なりし。
 行程二里船井郡八木村の村外れ、寅天水道の傍なる一茶店に休息された時、茶亭の主婦は教主の風采を熟視しつつ在りしが俄に態度を改め、言葉も温順丁重に、「師は神道家に非ずや、御見受け申す処凡俗の方に在らず。必ず深き御望み在りて、天下救済の為に出で賜うならん」と問い掛けたり。教主静かに「小子は別に貴女の見らるる如き立派なものに非ず。されど国家を思う赤心と、埋もれ坐したる神々を地上に表わり奉る事のみは、人後に落ちざる覚悟と決心を有する者なり」と答え玉う。主婦福島久子 大いに喜び、是非々々至急に綾部の開祖を訪問されん事を懇請した。

 教主は《旧》八月二十三日、幾つも在る峠を越え、開祖に会見された。其の時の相互の親情は百年の知古の如くで在ったが、教主は或事情の為二、三日滞在の上、一先ず帰郷さるる事と成ったのは、止むを得ざる事とは申し乍ら、神界の為には実に惜しむべき事で在った。其の後教主は園部・本梅等に布教所を仮設して、附近の伝導を為し、時機の到るを待ち居られたが、斯道は此の地にも大いに発展し、数多の会員が日に月に蝟の如く集まり来たり、道を求むる者踵を接するに至った。
 園部上本町に奥村徳次郎と云う篤信者が在って、是非教主を依頼して同地に布教所を設置せんと、数多の有力者を語らい、既に開設の準備に着手せんとする折しも、綾部より開祖の使者として四方平蔵なる人、教主の宅を尋ねて来た。その時教主は園部川大橋の下流に、漁り遊びの最中で在った。早速相談纏まり、教主は綾部に参らるる事と成り、四方氏と共に七月一日の夕頃、裏町の開祖宅に到着されたので在りまる。

 開祖と教主と四方氏の三人は、弥々神勅を仰ぎし結果、茲に目出度く大本教開教の運びにまで進まれた。遠近の信者之を伝え聞きて、日に日に本宮の布教所へ詰め掛けたと同時に、金光教所は再び火の消えたる如くに成ったのである。そこで又々足立氏と中村氏は非常の嫉妬心を起こし、復々妨害運動盛んに行ったが、一つも功を奏さなんだ。開祖は気の毒に思し召し、金・米などを送りて、大本に随従すべく改心を促された。両人は頑固にして容易に帰順せず、極力陰に陽に教主を批難し、大本の破壊に熱中したが、旬日ならずして信者の信用を失墜し、首も手も廻らぬ破目に陥った。そこで弥々我を折って、大本へ採用して下さいと嘆願に出掛けた。大本の役員は速やかに協議会を開いて、足立氏は絶対に謝絶する事と成った。そこで第一に教主に事情を申し上げた。「足立氏は、到底心の中から信従して居るのでは無い。老母や子供の忽ち糊口に窮する所より、表面信徒と見せかけ、機を見て転覆を計る奸人で在る事は、従来の氏の行動に徴して明白なれば、今度こそ良き機会なり、一切の関係を絶つに如かず」と、元同氏の教養を受けたる者さえ極力主張するので在った。
 教主は涕泣して足立氏の境遇を憐れみ、且つ金光教に従い居りし役員の、人情浮薄なるを歎じ玉いて、「然らば自分が当地へ来たりし為に、足立母子の困難を来たす可き結果を生じたるは、救世の目的を有する自分の心好しとせざる所なれば、折角ながら一時帰郷を赦されたし」と切言せられたり。茲に数多の役員大いに狼狽し、足立氏の所置は教主に一任し、大本の名の下に集まりて、神務に奉仕する事と成った。
 開祖の心中足立氏の身上に付き、非常なる心痛を為し居られしに、教主の大慈悲心に感涙を催し、大いに感謝せられた。足立氏を始め老母小供も、非常に教主の徳に感謝せられた。役員信者も教主の赤誠に感じ、忽ち今迄の態度を改め、教主を真の神の如くに尊敬した。一時は大争乱が起こるべき模様の在りし金光教会対大本も、茲に円満なる解決が出来て、双方ともに、心好く勇んで、和合の内に神務に尽くす事を得たのは、全く教主の大慈悲心の徳の致す所で在ります。
 金光教会八木支所長 土田雄弘氏は、遙かに当地の状況を聞知し、島原の杉田氏と協議の上、八木の福島氏を従え、綾部へ駆け付け直ちに足立氏に面会し、「金光教本部より特に応援を乞い、自分も極力応援の労を取る考えなれば、大本を脱会し少時の間孤軍奮闘せよ。敵に後ろを見するは金光教師の本領にあらず」と、涙と共に激励したので在った。併し足立氏は既に金光教会の部下に対する酷薄無情に飽き、大本教主の温情に感激せる際なれば、友人の忠告を一言の許に跳ね付け、且つ大本の教理の深遠霊妙なるを極説し、遂に土田氏も大本の布教師と成るに至ったので在ります。神徳と人徳位、人を感動させるものは無いと思います。

 教主は足立・土田・福島三氏と、神前の次の間にて神話に耽り居らるる際、十数年間胃腸病に悩める人、大原村から籠に乗り、二、三人の親族に送られて、教主に病気平癒の祈願を懇請した。教主は坐りながら「許す」と只一言を発せられたる而已(のみ)なるに、不思議にも多年の病其の場に快癒し、帰途は自ら歩行して鼻歌なぞを謳うように成った。其の外七年間脚の立たぬ病人も、教主の一言にて平癒した。是を現場で目撃した三人は、非常に教主の非凡なる神徳に驚嘆した。其の結果は忽ち福島寅之助氏に霊の発動が在り、次で土田氏も霊感に入り、忽ち天眼通の一端を得るに至った。
 足立氏は今迄幽冥界の実状を知らざる金光教会の布教師なりしを以て、帰神を見るは生まれてから初めてで在るので非常に奇異の思いに沈み、是は妖神の所業か又は教主は魔法使いに非ずやと、稍々疑念を生じかけたが、友人の土田が茲に霊感の神助を得て、今迄の金光教会などは取るに足らぬ、人間の集まってたかって拵えた編輯教であって、真正の神の教えでないという事を自覚し、今度は反対に足立氏を説いて、大本の教理の全く真神の意に出でたるものなる事を説明した。然れど足立氏は依然として正邪真偽の判別に困しんで居る様子が見えたのである。
 開祖及び役員等の懇望に因りて、教主は茲に幽斎修行者を養成さるる事となり、裏町の宅は狭小なれば、本町の中村竹造氏の宅に移転して、数日間布教の傍ら幽斎修行を執行せられ、求道者も追い追い増加し、本町の宅も忽ち狭隘を感ずるに及んで、更に本宮村の東四辻、元金光教会所の広前に移られた。
 福島氏の帰神は随分乱暴なもので、邪神界の先導者とも云う可き霊で在って大変に審神者を手古摺らした。東隣には綾部警察署が近接して居て、日々撃剣の音で幽斎の邪魔に成り、且つ又数多の参拝者の為に思う如に修行が出来ぬ。そこで教主は神界へ御伺いになると、猿田彦神が御懸りになって、左の神歌を賜った。

  大稜威たか千穂山の鷹の栖へ導く神は猿田彦命

 即ち山家村の鷹の栖へ修行場を移転すべき神勅なれば、直ちに同字の四方平造氏方へ移し、一両日の後再び四方祐助氏方へ移転せられた。修行者は何れも大本の役員の子弟のみで、福島寅之助・四方平造・四方祐助・四方熊蔵・四方春蔵・四方甚之丞・四方すみ子・大槻とう子・塩見せい子・中村菊子・田中つや子・四方久子・野崎篤三郎・西村まきこ・西村小松・村上房之助・黒田きよ子・上仲儀太郎・四方安蔵・四方藤太郎・中村竹造等二十有余人の修行者が集まってどんどん騒ぐので、四方佑助氏の息勇一氏が非常に困り、陰かに綾部警察署へ願い出た。戸主の権理で謝絶すれば良きものを、自分の卑怯より斯かる手段を取ったのである。
 教主は神示によりて之を前知せられ、即夜上谷の四方伊左衛門氏方へ移転し、前方の渓間に不動尊を祭れる可なり太き瀑布があるを幸い、上谷を修行場と定めて、幽斎の修行に熱中して居られると、警官は追い払いに来た。去れど斯道の為に、赤誠を凝らして修行に掛かれる熱心者のみなれば、少しも怯まず、種々の妨害にも屈せず、どしどし修行を続行しられたのであります。

  神懸 雲の上谷に輝きて 動かぬ君が御代を照さむ

 猿田彦神、教主に懸りて読ませ玉える神歌であります。未だ未だ其の時の神歌は、事毎に現われて数百首に上りて在りますなれど、茲は掲載を見合わせ、後日に御披露致します。
 扨、幽斎修行の結果は良好にして、数多の修行者の中には二、三人の不成効者を出したのみで、他は残らず神人感合の妙境に到達し、中には筆紙を用いて世界動乱の予言を為すあり、北清事変の神論を伝うあり、日露戦争の予言者あり、幸徳事件を予言するあり、世界戦争を前知して宣り伝うる神あり。其の他大小となく世界一切の出来事を予知して、神界の経綸を物語る者あり。天眼通・天耳通・宿命通・感通等の神術に上達するものも在りて、大いに神道の尊厳無比なるを自覚したる者も尠なからず。開祖の御威徳と教主の熱誠は、如何なる頑迷なる里人も感賞せざるものは無かったので在ります。
 中にも最も不可思議なりしは、十八歳の女 西村まき子は、俗に所謂白痴なりしに、帰神と成るや、平素の言動は全く一変し、彼の神代に於ける大宣津姫神の御神業の如く、耳より栗粒を幾十と無く生み出し、鼻よりは小豆を出し、秀処(ほと)よりは麦種を生み成したる奇蹟に、我が国神典の非凡の真理ある事を覚るに到りたり。
(教主の熱誠、『神霊界』 大正六年十月号)


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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