実説 本心-高熊山(弐)

△家族・知友の心配
 亀岡五軒町神籬教院(かむろぎきょういん)稲荷大明神の託宣、「水辺を注意せよ。暇取ると生命が危い、発狂の気味あり」。
 宮川妙霊教会の神占、「恋うる婦人と東の方へ向けて駆け落ちしたのだ。近日に消息あり」とは滑稽。
 篠村新田の弘法大師の占、「神隠しだ。天狗に魅せられたのだ。大変な大馬鹿者か狂人に成って一週間の後には帰宅する」。
 周易の判断、「金を壱百円持って出て居る、外国へ行く心算だ。大志を抱いて韓国から満州へ渡り、馬賊の群に加わる」とは途方も無い判断。
 王仁の帰宅は其の翌日であった。
  しるべすと しこのものしりなかなかに よこさのみちにひとまよはすも(宣長)
 節季前だから夜抜けをした。思う女が在って逃た。天狗につつまれた。発狂した、狐狸に誑されて深山へ行った。河内屋や若錦に恐れて逐電した。大不孝者だ。大馬鹿だ。分らぬ奴だ。腰ぬけ野郎だ。言いたい次第に人の口々。

 我は空行く鳥なれや。
 ○○○○○○○○○○(ママ)
 遙かに高き雲に乗り
 下界の人が種々の
 喜怒哀楽に捕はれて
 身振り足振りする様を
 我を忘れて眺むなり
 実に面白の人の世や
 されどもあまり興に乗り
 地上に落つる事もかな
 み神よ我と倶にあれ
 
 まかつびい よひとのみみかふたぐらむ まことかたればきくひとはなし(宣長)

 王仁は其の月の十五日、しかも正午前宮垣内の伏屋へ帰った。家族の驚喜、あたかも死者の冥府から帰った様に、殊に母の顔には何とも形容の出来ぬ輝(ひかり)が見えた。帰ったと聞いて近所や株内の人々が追い追い詰めかける。そして「何処へ行ってきた、何して居った、留守中の心配は大抵の事では無かった」と五月蠅ほどの質問。一々応答する日には際限が無いから、
「大望があって家出をしました、それも神命のまにまに」。あとは無言。
 株内の松さん口を尖らして、「曳かれものの小歌とはこの事だ、へん、人を馬鹿にしてる。皆さん眉毛につばでも附けてかからぬとお紋狐につつまれますよ。田芋か山の芋か、蒟蒻か瓢箪か知らんが余程の安本丹(あんぽんたん)だ。そんな事云ったとて此の黒い目でちゃんと睨んだら外れぬぞ。あはははは、怠惰息子の狂言も古い古い。こんな奴に相手になって居ると終(しまひ)には尻の毛まで抜かれる、危険々々」と、面ふくらし畳を蹴って帰って行く。次には四、五人の注告。王仁は無言で聞くばかり、弁解したって無駄だから。
 非常に腹の虫が空虚を訴える。王仁は自ら膳を出して麦飯二椀矢庭に掻き込んだ、山海の珍味に勝る幾倍。精神恍惚として頻りに眠たい。傍人には一切無頓着、部屋の真中にごろりと横たわった儘白川夜船で華胥の国へ。
 翌日の午後三時頃漸く目が醒めた。きまりの悪そうな顔つきで、産神(うぶかみ)の神社へ無我夢中に参詣、其の足で父の墳墓へ小松を曳いて樹てに往った。此の行動第一不審の種。日没と倶に王仁の帰宅、顔色は何処となく不安蒼白。

 十七日の早朝から王仁の身体は益々変に成って来た。催眠術に感じた様に、四肢より強直を発し次いで口も下も強硬不動、一言も口が利かない、一寸の身動きも出来ぬ死者同様。「今日で三日ぶり鱶の様によく草臥れたものだ。自然と目が醒める迄寝かすがよかろう」と家族の一致。王仁は益々神経鋭敏に成って来る。身体こそ動かざれ、目や口こそあかざれ、時計の針の音まで聞いて居る。
 四日経っても微動もせぬ、醒めもせぬ。家族は忽ち不審の雲に包まれ俄に周章(あわて)だした。近所から株内から、瞬く間に人の山。誰が頼んだものか竹庵先生の声、脈を診る熱を度る、打診・聴診・望診・問診・触診と非常の丹精。「エライしびれです。強直状態が今晩の十二時まで持続すれば最早だめだ、体温は存して居るから死んだのでは無かろう。兎に角不思議だ」と首を振って居る。王仁は「何とも無いよ」と言って飛起きて驚かしてやろうと思ったが、矢張りびくとも出来ない、口も利かない。
 竹庵先生の沓の音耳に響く。
 羽織袴で入り来る天理教の先生、妙な手附きで、「ちょいとはなし かみのいふこと きいてくれ、あしきことは ゆわんでな。このよのちいとてんとを かたどりて ふうふを こしらえ きたるでな。これがこのよのはじめだし、あしきをはらうて たすけたまへ てんりんわうのみこと」。
 大の男が二、三人、日の丸の扇を開いて笛や太鼓や三味線で囃し立てる。祈るのか踊るのか、随分喋がしい宗教だ。先生色々と十柱の神の神徳を説いた末、「この病人は全く天の理が吹いたのだ、一心に天理王命を依頼なさい」と繰り返し繰り返しての御説教。
 妙見信者のお睦(むつ)婆さんが親切に尋ねて来た。御題目だとか云うて八釜敷く「南無妙法蓮華教」を唱える。頭も顔も腹も手も足も数珠で打つやら撫でるやら、しまいには「是お狐さん、お前一体何が不足で憑きなさった、遠慮なしにとっとと仰しゃれ。小豆飯か揚豆腐か、鼠の油煎か、何なりと注文次第調えて進(あ)げよう。それを食うて一時も早く帰って下さい」。王仁心中にて人を馬鹿にしやがると思った。
 二十三日早朝、誓願寺の祈禱僧が来た。法華経に心経、評木・太鼓・鉦たたき、汗水に成って勤行する。喧しい、耳が聾になりそうだ。王仁心中に余程耳の遠い神さんだと思えば可笑しくて堪らぬ。

  拍子木打ち太鼓たゝき経を誦む 法華僧侶の芸の多さよ

 この坊主ますます八人芸で、幣束を手に持ち高天原に六根清浄の祓を奏げる。神仏混交の妖僧め、俄然彼の身体震動して、巧者にも狐下げを演じ出した。部屋中を転げ廻って、「うんうん、我こそは妙見山に守護致す正一位天狐常富稲荷大明神なり、伺いの筋あらば、近く寄って願え」との御託宣。一座低頭平身息を殺して畏まる。常富稲荷の託宣に由ると、「今より三十余年前株内に与三と云う男の狸憑があった。其の与三の狸を退散の為に松葉でくすべて殺した。其の恨みを報ゆる為に与三の亡霊が狸をお先に使って悩めて居るのだ。此の常富の神力に依って怨敵退散さするぞ、有り難く思え。一時間の間に死霊も狸も降伏する」との神示。
 聞き居る王仁の可笑しさ。一座は有り難涙に掻き呉れて、鼻をすする声。一時間経っても半日経っても死霊は退かぬ。狸も去なぬ。
 夕方に松さんが来た。「坊主の祈禱も常富の託宣も当てには成らぬ、嘘ばっかりだ。それよりも手料理に限る。第一病人が墓へ参るというのが可笑しいじゃないか。土狸に極まった。青松葉位でくすべたって功を経た奴だから往生せまい、七味・さんしょでも混ぜてくすべたら往生する。本人も二、三日前に参って居る。狸の勢(せい)で身体が温いのだ。おい狸さん、もうだめだ、覚悟はよいか」と、失敬な、頭を蹴ったり鼻をねじたり。母は泣き声で準備の整った事を松さんに告げて居る。松さん得意になって、「おい狸、これからとうがらしと松葉の御馳走だ」と、迷信家が寄って来て殺人を始めようとするのである。
 こうなると王仁も何どころじゃない。全身の力を固めて起き上がろうとしたが微躯ともせぬ、勿論口も利けぬ。今や暴挙に着手せんとする一刹那、「一寸待って、云い度い事がある」と母の涙声。「これ倅、生きて居るか死んで居るか知らぬが、例え死んでも性念があろう、好く聞いてお呉れ。明日にも知れぬ老人や子供を連れて後家の身でどうなろうぞ。力に思った倅はこの有様、私の心配、ちとしっかりして今一度物を云うてお呉れ」と、王仁の頬に、はたとしがみ付かれる。
 母の眼から王仁の顔へ涙の雨。其の時一筋の綱が何処からともなく手に触れる心地、その綱に手早く取り付いたと思う途端、不思議にも王仁の身は活動自在。
 一座の驚喜。王仁万歳に復活の心地。

 王仁の天眼通と鎮魂の妙術は忽ち遠近に噂が拡まった。神占が百発百中する、盲目や聾が全癒する。如何なる病人も全治すると云うので朝から晩まで人の山、飯食う暇さえ無い位、「天狗さんじゃ、金神さんじゃ、稲荷さんじゃ」と、人の評判。石田小末と云う盲目が全治して千里眼に成って、伺い事が好くあたると、噂はそれからそれへと高まる一方。
 例の松さんが出て来た。神床の前に尻をまくってどっかと坐り、恐い顔して王仁を睨み、「こりゃ極道奴、貴様はそろそろ山子営業をやる積りだろう。よし今に化けの皮を引きめくって赤恥かかして見せてやろう。株内近所へよい程心配かけさらして、まだ其の上にそんな真似は何んだ。なぜ有望な牧畜や乳屋を勉強せぬ。神占の何のかのと吐して、人を胡麻かそうと思ったてだめだ。尾の無い土狐とは貴様の事だ。貴様が本当に伺うのなら、今此方が一つ検査をしてやろう。万が一にあたったら己の財産残らず貴様に与ろう。四百円の地価だぞ」と口きたなく罵りながら、湯呑の中へ何か物品を入れて其の口を厚紙で張り、音せぬ様にそっと前におき、「さあいらうことはならぬぞ。此の儘この中に何が何程入れてあるか、天眼通先生、さああてて見よ。滅多にあたる気遣いがない、太陽が西から出ても。あははは」と飽く迄軽侮。
 王仁は「手品師でないから知らない」と答えた。松さんが仕たり顔で「ざま見い土山子奴、とうとう尻尾を出しゃがった。おけおけ、此の時節に馬鹿な真似さらすとふんのばすぞ」と、松さんが王仁の顔をいやらしい程覗き込んで「残念なか口惜しいか、早く改心せい狸野郎」と、益々傍若無人の彼の口、王仁も余り五月蠅いから彼の疑心を晴らすために、「一銭銅貨が十五枚だ」。
 感激する数多の参詣者。
 松さん妙な顔付きで、「ははあ、案の定狐使いだ、飯綱だ。一体そんな者を何処で買って来たのか、何匹居るのじゃ。一匹が一円もするか、一寸でよい、長う見せとは言わぬ」と理の解らぬ質問。迷信家位困ったものはない。王仁は言葉を尽くして透視作用だと説明する。元来の無学者だけに馬耳東風。「トウシだか水能だか知らぬが、そこらに小狐を出さぬ様にして呉れ、ひょいと取り付かれでもしたら大変だ。皆さん用心なさい、こいつは飯綱使いだから」と、信者の中で大温情。松さんは翌日朝早うから村内隈なく、「王仁は飯綱使いじゃ、相手になるな」と、賃金取らずの好い広告。

  これはしも 人にやあるとよくみれば あらぬけものが人の皮きる(篤胤)

 侠客の小丑が「怪我を仕た」と謂って足に繃帯したなり、突然神前へ這い上がり、「一度拝んで呉れ」と、横柄に腕手して掛け合いに来た。元より怪我したと云うのは嘘の皮、万一王仁が「そうか」と云って正直に祈願でもしたら、「天眼通がこれが判らないか、実は嘘だ」と笑ったりねだったり困らせてやらんとの奸計。また、王仁が嘘偽を看破した時は、指間に秘め隠した小刀で繃帯を解き宛切って、出血せしめて困らせ、謝罪に酒代でも取ってやらんとの算段と見て取った王仁は相手にせず、放棄して素知らぬ風で他の信者に鎮魂を施して居た。小丑もちと勘に触ったと見て男牛のように荒れ出した。障子を折る、戸を破る大乱暴。「安閑坊の喜楽、これでも罰を得中ぬか、腰抜け、鼻垂れ、馬鹿野郎。今此の小丑は神床へ小便してやるから、性念の有る真正の神なら立ちどころに己に罰をあてて身よ。それが出来ぬ様な神なら、全く土溝狸(どぶたぬき)だ。」早くも前をまくり神前に向って放尿、丸切り犬の所作だ。
 王仁は人間だとは思わないから放棄して居ると、益々図に乗るは小人の癖。ついには尻を捲くりて王仁の鼻先でプンと一発、笑い罵り帰って行く。其のあとへ弟の芳松が野良から忙ただしく馳せ帰り、小丑の乱暴を聞いて口惜しがり「この神さんは神力がない、何故罰でも宛てふん延ばして下さらぬのか」と小言八百、王仁は聞きかねて、「猫や鼠は神殿の中でも糞尿を垂れる、烏や雀は神社の棟に上がって屎汁をかける、それでも神罰はあたらない。元来が畜生だから、人間も人格を失ったら人面獣心、畜生同然、畜生に神罰はあたらない」。
 言わせても果てず芳松は、「何馬鹿たれる」と、突然に神壇の下へ頭を突き込んだ。其の儘直立。神座も神具も忽ち転落、拾っては戸外へ投げ付ける。信者は驚いてちりちりばらばら、弟は尚も猛り狂うて、「兄貴、こんな神を祭ったて、拝んだて屁の役にも立たぬぞ、もう今日限りこんな事は止めて呉れ。この神の為に家内中が心配したり、人に笑われたり、障子を折られたり、家の仇敵だ」と愚痴をこぼして怒って居る。其の日の夜中頃、芳松の枕頭には男女五柱の神が立たせ玉うて、頻りに御立腹の様子が歴然と見えて、恐ろしいとて一睡も得せず、夢中に成って謝罪する可笑しさ、これで少しは改心が出来るだろうと思って居ると、果たして翌早朝から神殿を清め、供物を献じ、祝詞を挙げるやら打って変った敬神の行為。
  からさまの さかしら心うつりてぞ よひとの心あしくなりぬる

(『このみち』第三号 大正五年六月十日刊)



テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる