僕の人生

☆『僕の人生』

鄙に生まれた小作のせがれ
朝から晩までこつこつと
山に鎌もち野に鍬いぢる
わしの人生はこんなものか

夏は野に出て田の草むしり
秋は黄金の稲を刈る
木の葉散りしく冬さり来れば
鎌と鋸手にたづさへて
野山にしばかる百姓の忰

桃や桜にこがるる春を
わしは水呑百姓の忰
山に木をこり野に畠かじき
長い春日はくれてゆく

父は醤油売り母上一人
麦の畑をたがやし給ふ
自分は野山に春草刈りて
稲田のこやしといそしめり
桜は薫る桃匂ふ
花の楽しさ吾れ知らず

霜の朝も雪降る宵も
まづしき生活(くらし)の苦しさ故に
父は荷車京都通ひ
自分は人の家に雇われて
冬の田の面に肥をやる

年に一度は妙見愛宕
三里の山坂かり歩き
汗して帰るたそがれの
家路の楽しさなつかしさ
からい鰯に麦の飯

麦と米とのたきまぜ飯も
ろくに食べない百姓の忰
足袋は目をむき衣は破れ
寒さ身にしむ片田舎
わしの人生はこんなものか

愛宕の尾嶺に白雲かかり
次第々々にひろがりて
み空は暗く雨は降る
農家のせわしき田植時
夜から夜へと働いて
聞くも楽しい時鳥(ほととぎす)

冬の夜霜ふるへてなくか
声も悲しい寒狐
こんこんこんとせきが出る
人の情けの薄衣
如何にしのがんこのうきよ

花は匂へど秋月照れど
遊ぶに由なき小作の忰
若い時から面やつれ
栄養不良の悲しさに
からだいためし秋の空
冷たいうきよの風が吹く
これでも私の人生か

僕の人生は何処にある
小作の家の忰ぞと
地主富者にさげしまれ
父の名までも呼び捨てに
されてもかへす言葉なし
待て待てしばし待てしばし
僕にも一つの魂(たま)がある

父よ恋しと墓山見れば
山は狭霧に包まれて
墓標の松も雲がくれ
晴るるひまなき袖の雨

西は半国東は愛宕
南妙見北帝釈の
山の屏風を曳き廻し
中の穴太野で牛を飼ふ

《回顧歌集二十、昭和六年二月十日於明光殿》


☆『堪忍の中毒』(「神の国」大正14年正月/「月鏡」昭和4年4月)

「堪忍のなる堪忍は誰もする、成らぬ堪忍するが堪忍」と忍の徳を賞讃したものであった。
 自分も幼時はよく、両親達から言ひ聞かされたものである。併し堪忍と云ふのは、仏教でいふ持戒忍辱(じかいにんにく)の意味をはき違へたものであらう。厭でも我慢すると云ふのでは、本当の戒を保ったものでは無い。その内心に苦と云ふものがあっては、得度は出来ぬと同時に、心的衛生には叶はない。お腹が空いても飢(ひも)じゅう無いと我慢する、妻君が姦通しても我慢する、飢死にしても我慢する、堪忍するが堪忍だといって、年中苦しい腹を抱へて、蒼い顔をして居ると、腹の中に不平の塊が出来る訳だ。陶宮(とうきゅう)の道歌に「堪忍の和合はほんの上直し、真の和合は打ち明かす腹」と云ふのがある。
 昔から堪忍といふ事を道徳修養の一つと、世間では思って居るが、是は余り感心した修養法ではない。特に古来用ゐられた堪忍なる語は、強者の弱者に対する教であって、弱者の不満不平に対し常に此筆法を以て、事勿(ことなか)れ主義をとらしめて来たものだ。強者は一向に堪忍する所無く、弱者のみ堪忍しろと教へて来たのであった。人間を卑屈に陥らしめ、無気力ならしめたのもこの堪忍の二字の中毒であった。従来のいわゆる道徳なるものには、此種のものが甚だ多いのである。
 金光教祖が、頭上から小便をひりかけられて、温かいお湿りさまが降ったと云ったと称して、その教師等は非常に教祖の堪忍力を崇敬してゐるが、是は大変な誤りで、忍耐と卑屈とを混同した、弱者の道徳である。バイブルに「人若し汝の左の頬を打たば右の頬も亦突き出して之を打たしめよ」と示して居るのも今日より見れば、否自分の目から見れば、大変なる間違ひで、無気力を凡ての人間に教へたものと思ふのである。自分は飽くまでも斯の如き、堪忍説を採らず、力のあらん限り、抵抗を続けて来た。そして祖神の任(よ)さし玉へる神業にはつはつながら奉仕しつつ来たのである。


☆『三猿主義は人道に反する』(「神の国」大正14年11月)

 見ざる、聞かざる、言はざる、と云ふモットーがある。面倒臭い浮世に処しては、この三猿主義に隠くれるのが、一番上分別のやうにも思はれるが、これは徳川氏が、人民を制御した消極政策である。有為なる人間に対する去勢政策である。この去勢政策によって三百年の平和を維持しやうと努めた陋劣な手段である。神様のお道はこれに反して、積極主義、進展主義である。人民を盲人(めくら)や、唖者(おし)や聾者(つんぼ)にしておいて、わがまま勝手の事をしようとは、随分虫のよい話ではないか。



テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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