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大本教開祖御傳記(2)

 明治二十四年の春、福島家に嫁した久子ひさこは精神病を発し、つい全狂乱まるきちがいとなったのみならず、大槻おおつき家へ行った米子よねこも又発狂はっきょうして乱暴をすると、大槻鹿造しかぞうは「気狂きちがいはらぬ、受け取ってくれよ」とせまり来る。開祖の身は千百の禍津見まがつみに包囲攻撃さるる事となった。大抵たいていの婦人ならばあるいは天をうらみ地に怒り、「嗚呼ああ天道てんどうか、神や仏は無きもの」と、失望落胆ついに自暴自棄するにいたるのであるが、変性男子の霊能を有する開祖は、泰然たいぜん自若じじゃく屈するの色無く、「き事の此上このうえつもれかし かぎりある身の力試ちからだめしに」の態度をもって貧困をも苦にせず、天神てんじん地祇ちぎに祈願をめられたが、其の熱心と其の至誠の天地に通じけん、たちまち久子は全癒する事と成った。
 開祖はここに益々神祇しんぎの大恩洪徳こうおんを感じ、自分一家の為のみならず、かる尊き神の洪恩をあまねく社会の病苦に悩める人にも告げさとし、もって寄る無き人々を救うく決心された。破家あばらやかむどこ形計かたちばかりの祭壇を設けて、一心不乱に信仰をはげまれた。毎朝未明に起き出でて、大江山ろしの寒風を犯して水行をし、正午に一回夕刻に一回と毎日三回づつの水行は、寒暑にかかわらず、満二十年の間一回も欠かされた事は無かったが、昨明治四十五年の(旧)三月八日伊勢国加良洲からす神社〔注、香良洲神社。祀神、わかぎみのみこと〕へ参詣を期とし、神意のまにまにに水行を廃されるに至ったのである。

 開祖神人感合の妙境に入る

 明治二十五年の(旧)正月元日の夜、開祖は夢に神境しんきょうに入りしに、宮殿廊廓ろうかく重々として幾層いくそうとも知れず、大小の間取り連々れんれん相連あいつらなもっ縦横じゅうおう陣布じんぷの形あり。其の荘厳そうごん美麗びれいなることたとうるに物なきをる。開祖はずその表門より入りてうかがわれしに、の中央に神あり、御容貌うるはしく、御身おんみは大きく肥満し給い、御髭は多く長く八束やつかにましませり。開祖は恐る恐るも、宮殿の余りに荘厳そうごんにして美麗なるに心魂を奪われ、らずらずを進めたりしを、其の大神御座おざを立ちたまひ開祖をかへりみて其の手を取り、他の奥の御殿に進みて開祖を階下に待たせ、大神は昇段ありて何事か奏上そうじょうし玉うごとく、しばらくありて御退出御帰座ごきざの際、開祖は急ぎ御門外に出て東北方うしとらおぼしきかたまわれば、又一つの大門おほもんあり。
 其の門を入りて拝観すれば、其の美麗なる事これ最前さいぜん拝観せしところに比較すれば、幾倍か雄大ゆうだい荘厳なるを知らざるの観あり。其の中もっとも壮麗なる御殿にいては金銀珠玉しゅぎょくを以て造り成し、光々こうこう相映じ明々めいめい相照らし目も当てられぬ程なるに、其の中に大神あり、御衣すべて宝玉を以て飾り成し、玉輝ぎょくさ金色◎々◎々れいれいろうろうとして御面相ごめんそうの高貴優美ゆうびまししますこと、只かしこばかりなりしが、時に大神は優然ゆうぜん玉座を離れさせ玉い、開祖の間近まぢかく進み玉いて開祖を熟視し御顔容微笑びしょうを含み玉い御言葉は発し給わず、其のまま御復席ありしは、今尚いまなお開祖の眼前に髣髴ほうふつとして身の毛も慄然たるばかりなしりと聞く。
 ここに開祖はかるかしこき御場所おんばしょに進入せし事のあるい御譴責ごけんせきあらん事を恐れ、急ぎ御門を出でんと欲すれば、御門はすでに閉鎖されあり。ここに恐怖の心弥々いよいよ切迫し最早もはや前後をかえりみるにいとまあらず、急突門関もんかんを解き、門外に出でて遁走とんそうする事およそ四、五丁もあらんと思しき所に足を止め、息を継ぎ居たりしに、不図ふと見れば其所そこにもまた麗しき殿舎でんしゃあり。おそる恐る其の内をうかがえば豈計あにはからん、先年帰幽きゆせられし夫の政五郎欣然きんぜんとして其の中に在るを見る。すなわ相逢あいあひ相喜び、手の舞い足の踏む所を知らざるの思いあり。互いに既住きをうを語り将来を談じ時の移るを知らず。猶又なおまた神国の神民たるものの死後の安住所あんじゅうしょは、まさしく斯かる尊き楽しき聖所に定まりあることを愛児等にも告げ知らさん者と思いて、其の場を去ると見しはまったく一夜の霊夢にてありける。

 爾来じらい数回の霊夢を得、一回は一回より敬神の心を増し、ついには仮令たとえ老女の身たりとも精神一到いちどう何事か成らざらんむなしく家政かせいの一小事に拘泥こうでんせんよりは、むしろ信教自由の教権に依り皇道しんとうの正面に向い進取しんしゅせんものと、雄々しくも決意したるは、婦人の身として天下無比なるし。必竟ひっきょう諸々もろもろの災禍不運に逢遇ほうぐうして人世じんせいた望みも頼みも無きより、一心不乱にたゆまず屈せず敬神のまことを発したるものなれば、政五郎氏の死も貧困家庭の災厄も偶然にあらず、慈愛甚深じしんなる大神の大御心に出でし事判然はんぜんとして実に有難ありがたきことなりけり。
 しかるに一日あるひ俄然がぜん惣身そうしん震動して神気しんき来格らいかくの徴あり。の時開祖みずかいけらく、「れ神の御心ならんか、あるいは人の霊ならんか、そもそも又ものならんか、明らかに其の名を語りたまえ」と云えば、「ただ此の者はうしとらこんじん、元の国常立くにとこたちみことなんじの身体を守るぞよ」と宣玉のりたまえり。なほ再三 再四その御名を問えば、「名は申すに及ばず」とり給えり。って想うにかしこけれども、これあるいあまてらすおほかみの御心ならんかと思推しゐし、其の次回霊神れいじん来格に際しこころみにうかがまつれば、果たして尊き大御神にて座ゝましましとは、畏しとも有り難しとも言語の名状すき無く、ただ感泣のほかなし。
 れ開祖帰神かんがかりの最初にして年齢まさに五十七歳なり。

 爾来それより毎度の神懸りありて、ようやく種々の御訓示づるにいたれり。しかして其の御示おんしめしに依れば曩日さきのひ夢裡むり幽境ゆうきょうちゅう拝観し奉りし大神は、かしこくも天照大御神、若日婁女神わかひるめのかみ大国主大神おほくにぬしのおほかみ玉依姫之神たまよりひめのかみ須勢理姫すせりひめ神等かみたちましまし、其の場所は地質学上世界の大中心地なる綾部あやべ本宮ほんぐうの神境にてありしと云う。王仁三郎わにさぶろうは先年来その霊異れいゐを聞き、事実如何いかなるものなるかを霊学上より深査たんさを試みんと欲しみづか審神者さにわ平素ひごろかたわら近くしたりしに、奇異百端おどろおそる可くうたがはべく信ずべく容易にその真相を断定しあたはず。半信半疑の間に彷徨ほうこうせし事前後十五年なりき。
 しかるに開祖の為人ひととなりたるや生得しょうとく正直謹厳きんごんにして、みづ虚偽きょぎし得る人にあらず。つ其の必要を視ざれば、虚偽にあらざるは信じて疑うべき無く、又仮令たとえ虚偽ひとあざむかんと欲する共元来がんらい無学無識の人にして、吟詠ぎんえいなり教訓なり社会の予言なり、物にしたがい時に応じ自由自在なる事かれが如きものは、自ら企及ききゅうするもあたわざるやべんまたたずして明らかなり。いわんやその意味趣向しゅこうの深遠微妙なるに至りては、人間のおよぶ所にあらず。
 於是ここにおいて王仁わにごとき頑固者も、おのづから信従せざらんと欲するもあたわざるのみならず、真偽はかれに在り研究は我に在りしかして我が心は狐狸こりにあらず、ただ神明しんめいの御名と其の真理とに在るものなれば、「はたたしていつわりならば偽り出ずべし、果たしてまことなれば真あらわるべし。いたづらに擯斥ひんせきしてかえりみざるは、幽理を知得ちとくせんと欲する者の本意にあらざるなり」、と断然決意し、翻然ほんぜんとしてあらため、ここに開祖の真教理しんきょうりに心服し、国家社会の為に宣教の労を取る事と成りぬ。嗚呼ああ世の神道の深奥しんおう玄機げんきを知らんと欲する者は、今においいて之を研究すべし。時や得難えかたし人や求めがたし。つつしんで開祖霊威の荘厳なる由来を略記し、もっ斯道しどう研究の小補しょうほたらしめんとす。

<< 参照 >>
○出口すみ『おさながたり』「ご開祖の帰神」「霊夢」


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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