御筆先 明治33年12月11日/聖教本義5

明治三十三年十二月十一日、新暦1901年(明治34年)1月30日

 うしとらこんじんくにたけひこみことあらわれて、ぐちくぞよ。
 明治三十三年十二月十一日

 いまの世は、こんりんざいの、あくにん、世をたてかへて、ぜんの世にするぞよ。ほかの教会、きょうは、それぞれに、苦労くろうしてひらいたのであるぞよ。これは、世の立替があるゆえに、さきに、神から、おしになされたのであるぞよ。どのとりつぎも、神と教祖の苦労をみずあわといたして、まんしん〔 慢神 〕いたし、ばしは半分の信心じゃぞよ。その信心〔 しんじん 〕の仕方しかたでは、まことでないぞよ。みな、取次から改心〔 かいしん 〕いたさぬと、今度の世の立替は、だいきびしき審判ことがあるぞよ。このたいもうな神の仕組しぐみをしらずに、陽気やうき信心しておると、ちと、ちがふことが、でけてくるぞよ。野崎殿〔 註:野崎宗長 〕、もうそもそもと、こんこう殿のほうへも言うてやらんと、可哀かあいそうなぞよ。もう、ちいたてわ、はらへ入る。こころでは、だいぶ心配をいたしておるぞよ。神ははげしくなるぞよ。「けのからす」へちかりて、あやばけものあらわすぞよ。これが現われたら、そんな陽気な信心〔 しんじん 〕をしておると、ちと、どくなことがでけるぞよ。もとかみめておいて、きたるいともうしたが、きたの世のはじまりじゃぞよ。世を立替へて、北を一番いたすぞよ。ながらくざんねんにありたなれど、時節じせつまゐりて今度はほんもうげるぞよ。なにごとも、だれによらず、時節てよ。時節まゐりて、ちてりたかみ、みないさんでおいでなさるぞよ。神が勇めば、いさになりて、じんみんもよくなるぞよ。くなる人民と、わるくなる人民との、しがわかる、世の立替へじゃぞよ。

 よひみょうじん(※1)、ぐるぐるとまわして、不思議をらせども、じんみんないぞよ。世界の人民、ながき世に、みじかいのちを、もっていて、よくいたして、名をけがすぞよ。

 このやみに、世界をらす人〔 〕なるぞ。かみちからに、するぐち

 外国人〔 がいこくじん 〕、改心〔 かいしん 〕いたせよ。日本にほんくにに、をかけて、そうどうおこして、かねついゑは、そこれず。日本の国は、今度かみあらわれて、あちらこちらに、おうするぞよ。てんじくの国、今のびんさ、さっしやれど、神の規則きそくは、きびしいぞ。これは、いましめじゃぞよ。
 あや、よく「ふでさき」「うた」でくぞよ。神の規則を、もちいん人はきびしきいましめあるぞよ。今までの世とは薩張さっぱかはわりて、綾部のから、なにあらたいたすから、心にくもりある人は、つらさらしにてくれなよ。今にわからねど、現われたら、一寸ちっとでもくもりありたら、おいつらをさらされるぞよ。先に気をつけておくぞよ。
 こんこう殿どのほうも、これまでは、結構けっこうでありたが、世のたてかへとなるから、これからは、きびしくなるぞよ。もとは、こちらも、ひとつのかみじゃぞ。いままでは、かげから守護して、金光のとりつぎ所作しょさをみておれば、まるで、香具師やしたいせう仕業しわざ。これからうしとらこんじんあらはれるから、〔 検め/審判 〕にかかるぞよ。〔 淘汰 〕て、よき者ばかりにいたして、しんかい御目おめにかけるおほもとへ、ほかの教会のように思うて来ると、薩張さっぱりょうけんの違う人が出来るぞよ。この大本は、ちょうづらおほぜいいなくても、まことの人でないと、つらさらして、おかげもらいどころでない、お蔭おととして、住所ところでもわらわれるような事になる、はげしきおほもとであるぞよ。浮気うはきしんじん〔 信神 〕やら、景場けいば信心〔 しんじん 〕は、わんぞよ。この大本は、ながらく世にちておりた、神の仕組しくみであるから、万古まんごまつだいつづかさねばならぬから、このにくたいのあるかみがいたすのであるから、大丈夫であるぞよ(※2)。肉体なくては、三千世界の、これからの守護しゅごは、なんぼ何程結構けっこうな神様でも、御霊みたまばかりでは、出来できんなれど、うしとらこんじんが世を薩張さっぱりあらためてあれど、たてなほしが、なかなかほねれるぞよ。これでも、このほう仕組しぐみであるから、まつに立直すぞよ。この仕組みは、骨が折れたなれど、もうてくるばかりにりたから、これからは、世界の人民を改心さして、たすけたいばかりなれど、世がせまりてきたから、世界には、だい気の毒あれども、しようがないぞよ。神は無〔 〕きものと、世界の人民が思うておるから、うてもかず、いてせても、真実まことにいたさず、しょうまつ見せるよりも、もういたやうが無くなりたが、これも時節じせつじゃ。神やとりつぎうらめてはくださるな。「こんなことがあるなら、なぜらせなんだ」と、まだ不足ふそくもうものがあるぞよ。十年らしたら、はあるまい、不足はなかろう。



(※1)よひみょうじん
よひみょうじょうとは、太陽が沈んだあと(にちぼつ後)、西の空に見えるきんせいの事。金星は、太陽系2番目のわくせいで、大きさは地球より若干小さく、地球の兄弟星といえるでしょう。また金星ヴィーナスの惑星記号は♀。女性のかがみの象徴とされます。大本では、男性(男子)の出口さぶろう聖師がかみ芝居しばい( 霊界物語はかみに印刷されたかみ芝居しばい )をえん( 演戯 )するからへんじょうにょとなりました。

(※2)『肉体がなくては・・・』
くにとこたちのみことという御神名は、くにとこたちの御言みこと漢字かんじ変換できます。またくにと読み、9×9くにと読めば、まこと(言葉が成る経綸)=あやからここのばな(九×九=八十一の将棋しょぎばん、霊界物語は全81巻)がめられています(王仁三郎聖師は、龍宮のおとひめ様に、おとの漢字を割り振っています)。すなわち国常立尊様のしんたい(肉体)は、綾部あやべからここのばなで、日本と云ふ92つねに立つ〔 たつこと=日本語のはたらきを意味しています。




○十三日の御筆先
 うしとらこんじんくにたけひこみことあらわれて、ぐちに、この世一切いっさいの事をかかすぞよ。昔のかみは結構でありたなれど、途中からわるがみの世になりて、世界がわるくなりたのじゃぞよ。うしとらこんじんも、あまつよすぎたので、てんからの御指図おさしずで、わるがみがもくろみて、うしとらみて、もうこの世へは、さぬつもりでありたなれど、上から見ると惡神なれど、心はぜんの神であるから、引きつぶしても、こたゑんこの方、うしとらこんじんの精神、へんじゃう男子なんしが、今度あらわれたら、押し込みなされた神様も改心ができよう。人をわるいと思うておると、我が身のわけでけんぞえ。うしとらの金神、わるく言われて、わるがみになりて、国をつぶさんために、けておりたぞよ。
 綾部の大本は、元の神から、改めて改心させる元であるから、何につけても、出口会長、役員も、これが分かるまで、ご苦労なれど、判りてからなら、だれでも、世話してくださるなれど、判らぬうちに、因縁ある御霊に、心配さずぞよ。よく見ておくがよいぞよ。「よき精神の人には、善き神が、善き事をさす。悪い精神の人には、惡神がついて、わるい行いさす」と申して、「ふでさき」に出してあろうがな。ちっとも違わんぞよ。皆よき精神を持たんと、悪きかがみになりて、国替えしてからでも、悪相を現わすぞよ。こう申すと、気の毒な神もあれども、精神わるき神の世は、その神の心のようであるから、わるかりたのじゃぞよ。善の世を、持ちておりなされた神の事、わるふのは、いかねども、世の洗い替へであるから、さっぱりもとからあらためいたさんと、水晶の世に、いたすであるから、みな神々でも、懺悔ざんげをいたさならん事になりたぞよ。懺悔いたして改心すれば、結構なことばかりになる大本じゃ。を張りておりたら、今度は、帳外れ。改心するのは、今じゃぞよ。
 艮の金神は、あくに見せておれども、善の強い神であるから、何も〔 土穂 〕にはいたさねど、われこころ次第しだひで、是非ぜひなく、になるぞよ。惡は、一旦は、栄えるし、善の判るは中々骨が折れるなれど、「惡では、永うは続かん」とふでさきに出してあろうがな。善が判りてきたなれば、善のかたまりたといふ者は、びくりとも致さんぞよ。さるかわりに、こんな辛抱は、たれもようせん。変性男子、女子を現わして、世を立替へて、まことの人からよくいたすぞよ。恋しくなりたら、綾部の大本へ出てきたなれば、昔からのこと、さきのことを、神が言い聞かすぞよ。世界中を尋ねても、綾部のでないと判らんぞよ。いまこんなこと申すと、「またちがいになりた」と申して、心配する人もあるじゃろう。そんな人は相手にせぬがよいぞよ。
 綾部は大言莫なとこであるぞよ。むかしのもとからしらべて、神仏事から、よくいたすおほもとであるから、何につけても、大望であるぞよ。神も仏事も、改心ははやいなれど、改心の出来ぬは、世界の人民、一番骨が折れるぞよ。「釈迦しゃかは絶えても、世は絶えぬ」と申すが、釈迦は仏であるから、こたゑねど、神の神力がなくては、このままでおいたなれば、日本の国、たゑるぞよ。この世が来るから、化けてかげからて、おりたのじゃ。それでも、今度出口に、ご苦労になってもらわなんだら、まだ誰一人、世に落ちておりた神には、給仕きゅうじしてくれる人がないぞよ。これから変性男子、女子をあらはして、神 仏事、人民を、喜ばしたさの、この苦労も、ひとつさかひのあるから、世界の人民、改心ひとつで、今度は、よくなるぞよ。こんな善き世が来るのに、改心をいたさん人は、気の毒ながら、「ふでさき」で気をつけておくぞよ。人民は、先の判らん、あさましき。この世は、うきしまの証拠は、今に世界に、始まりよろうがな。
 こう申すと、おどすように思うて、悪くとる人も、あるであろうなれども、出口は、きにあることを、知らす役なり。上田は、それをいてきかかして、世界へ改心さす役じゃぞよ。これは、時節が参りたのであるから、喜ぶ人ばかりもないのは、この方よく見ておれども、世界を水晶にいたさねば、このなりでいたなれば、国が潰れるから、もとの神が、表に現れて、この世の守護致さねば、この結構な日本の国を、寄りかかりて、闇雲にいたしてしもうて、足ふんごむとももなくなりておるぞよ。「闇の世」といふたとえがあるが、ゑらい事になりたものじゃ。この闇雲の世を、水晶に致して、神界へ、御目にかけねばならぬから、この方の心も、ちとわ、すいりょうしてくだされよ。
 この世に、人民ほど結構なものはないぞよ。今の神よりも、人民は結構であるぞよ。これでも、時節が参りたから、神も結構にいたしてもらふが、近寄りたぞよ。皆の神々、お喜びであるぞよ。人民は、みな神の子であるから、親が子を思ふと、同じ事じや。人民が、喜びてくれると、神もいさむぞよ。同じことを、くどう書かせども、これも改心のため。

テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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