出口王仁三郎氏を囲む農村座談会

☆出口王仁三郎氏を囲む農村座談会 「昭和青年」昭和7年9月号
時……昭和七年七月十六日 所……天恩郷 高天閣

出席者…藤原勇造、笹原義登、成瀬言彦、大崎勝夫、比村中、鈴木信太郎
本誌側…神本泰昭、速志英春、芦田満穂、鴛海正治、田盛義光
速記者…小山安暉

借金問題及び解決方法、絹常用の可否、土地及び肥料問題、米専売問題、負担軽減問題、北海漁業問題

速志「本夕は農村問題についていろいろお聞き致したいと存じまして御集り願いました。そして聖師様にいろいろ御尋ね下さいまして最上の解決を得て農村の羅針盤たらしむべく御願い致したいと存じます。では芦田さんあたりから一つ願います。」
聖師「何でも云うてくれ、知っとる事だけは話そう。」

△負債整理について
芦田「現在農村は疲弊しておりますが、その最大原因の一つとして借金があると思います。この借金の事について御意見を承りたいのです。」
聖師「借金か、借金は悪いに決まってる。しかし今では借金せんようにしようとしてもどうにもならん。今の田舎は田舎らしくない。都会の真似をみんなしてるから費用がかかる、或いはまた教育費にほとんどいってしまう。それに小学校で大学以上、中学以上の設備をしては誇っとるが、これは第一に悪い事だと俺は思う。そんな事は要らぬ事だ。第一に百姓と云うものは借金の出来ぬようにすべきだ。それは本当の百姓の心になったら出来る。
 話が今とは同じようには行かぬけれども俺は若い時分は小作ばかりやっておった。当時、一町出来るものなら、今頃では機械でやるから倍とれる勘定になる。それから田の草取りでも一町のところなら二町楽に出来る。その時代は一段に一石五斗の年貢であって、その割から見て上田(じょうでん)で三石から二石五斗くらいで、悪いのになると二石、一石七、八斗である。それに肥と石灰をちょっとやるのと油粕をちょっとやれば充分三石以上取れる。吾々が百姓した時分には草を刈り取ったのやら、藁を腐らして肥に使い、それで金の要らんようにして二石八斗くらい取れた。その当時米一石が四円五十銭であった。
 四人家内が毎日朝から晩まで働いて一日八厘だった。それでは何ぼ米が安うても八厘では食えん。それだから麦を作る。田のふちには畦豆(あぜまめ)を作る。そしてお粥にし、小米(こごめ)はだんごにして食う。それでもまだ食われない。小作には臼秋(うすあき)と云って臼を回しとるその間が小作人の秋で”こきくい”と云うのだ。正月でも米の飯を食べるために商いしてみたり、車引きをしたり、草鞋をつくり縄をつくりして、それでおかゆくらいを食ったものじゃ、着物でも一つの物を三年でも五年でも十年でも着て、ぼろぼろになったらせんぐり布をついで穴をふさいで着る。冬は綿を入れ夏はそれを出して着た。もし布のついでないのを着とると『あれは百姓とは違う』と云ったもんだ。それから地下足袋なんかは絶対に履かぬし、今のようにゴム靴を履いたりしなかった。冬でも田圃へは素足で入ったものだ。朝でも早くから起きて朝飯時までに草一荷刈る。この朝仕事と云うものを夜が明けるまでやる。それから御飯食べて一日百姓して日が暮れてから帰って来ると草鞋など作って夜仕事(よなべ)を必ずやる。それでいて米の飯が食えなかった。魚などでも月に一回、それもからいからい鰯一匹が満足に食えなかった。
 それでも不平を云わなかった。その代りその時分の地主はぼろかった。
 今は一石二斗で二割引いて百姓は非常にようなっとる。本当は倍になっとる、ワシらが百姓しとった事から考えると、今の百姓くらい結構な者はない。電燈もあれば自転車もある。醤油も買えば巻煙草も吸う。それで百姓が食って行ける道理がない。これは根本的に百姓の心を入れ換えねばならぬ。地主も決してぼろくはない。何じゃかんじゃとかかるものが多い、百姓は地主がぼろい事しとるように思ってるが実際やると損ばかりだ。農園でもこの人に(笹原氏を指し)やって貰ったが勘定したら損くらいだ。月給だけくらいしか上がらん。農村の借金と云うものはこれでは出来る。出来たらしょうがないけれども、このままでやったら借金はいつまでも返す事は出来ない。ワシはこのままやったらつぶれるより仕方がないと思う、借金はしばらくモラトリアムでもやって、そして皆が改めて来たらまた行けるようにしたらいい。本当の事を云うと今の地主はちっともぼろい事はない。国税も払えば名誉税も払う。働いている小作もつらかろうが地主もつらい。これは資本家と労働者が一緒になって地主と小作が実地に農作からすべてやってみれば、地主の苦痛がわかり、また労働者の苦痛がわかる、しかし今日の百姓は昔の人の半分しか働かない。それで倍の仕事が出来る様な工合になっている、もし昔のように働いてやったら十倍くらいの仕事が出来るはずだ。とても今の百姓は見とっても、はがゆくてしょうがない、献労者でもワシらが見ると何をしとるやら判らん。」
芦田「たしかにそんな。」
(言葉終らぬ中に)
聖師「百姓はその上に贅沢になっとる。百姓は百姓の天分を守ればよい。地主は地主で考えを持たねばいかん。」
芦田「しかし現在、これだけの機械文明が発達しておりますが、これを大いに使用して行けば昔のような肉体的の苦痛をしなくても、もう少し楽にやって行けるもんじゃないでしょうか。」
出ロ氏「楽に行けん事はない。この百姓というものは極、収入の少ないもんじゃからそれで機械を利用して生産高をウンと上げるように働かねばいかぬ。大体楽をしようという事を考えているのが第一間違っている。どんどん働いてさえおけば夜でもよく寝られるし、また身体も健康になる。今の人は機械を使って楽をして収入を沢山出そうとする。そんな事はとても駄目である。つまり機械を使うて余計に働き、田を作るという事にせねばいかん。労力を少のうする代りに余計つくってそれで人が余れば海外に出ればよい。幸い満洲でも朝鮮でも行けばよい。北海道でもまだ未開墾地が多い。十分の九くらいは葦原の地だ。ワシはいつもそれを考えている。四十年前の百姓もえらかったが、大概今でも、何じゃろ、一日働いて十銭にならんだろ。昔ワシらがやっとった時分は八厘にしかならなかった。それで米や麦は別として薪木(たきぎ)は山でとって来る、醤油は家で作る。今は税金を取られるが税金はとられても家で醤油をつくった方が安くて味がよかった。買うものは塩だけだった。ところが今日の百姓の生活から見ると、とても借金など返せる気づかいはない。今までにあまり使い過ぎとる。兎も角三つの子供に二十貫ほどの荷を持たせるようなもんじゃからどうする事も出来ぬ。」
芦田「これは一体どうすればいいんでしょうか。」
聖師「どうにもならん。それよりも今後借金しないようにするより仕方がない。それでなかったらこの上ますます借金がふえる。それから今の百姓は本当の文明の知識々々と云うけれども、本当にどんな知識を吹き込んでやっとるか知らんが、実際に役立つものは少なかろう。それよりも色々な事は何でも、爺さん、婆さんの云うとる事の方が非常に賢い真理がある。ワシはそればかりを覚えている。今頃ワシが色々と書いとるがみんなそれを思い出して書くのじゃ、今の学者の云う事は、すこたんばかりだ、どうしても実地と理窟は違う。
 こういう話がある。……穴太に阿呆で大飯食いで丹波与作と云って皆は阿呆与作と云っていた。明日の晩どこそこでみな米を四、五合ずつ出し合うて食べると云えば、そいつは今日から飯を食わんで皆が二、三杯食うても、そいつだけは二升でも三升でも喰らう、そして翌日一日寝ていて仕事をせん。それでも勘定すると野良で働くより徳だ、一日くらい百姓だから寝ても別に差しつかえない。……とても大飯食いで少しは阿呆だったけれど……あんまり与作が喰らうもんだから、皆が余作は食えるだけ食わしたら何んぼ食うだろうか。三升は食わんだろと云っていたら五升は食うと云いよる。それだったら五升食うたら金を一円やると云って、それで与作を呼んで来ると、『俺は一円も何もいらん、五升炊いてくれ、五升だから大分副食物がいるから蒟蒻(こんにゃく)と焼豆腐、小芋、それから酒を一升つけてどっさりどっさり炊いてくれ』と云う。何ぼ与作でも五升は食わんだろうと云うていた。すると与作が二三杯食ったらウンウン云っている。そして五杯ほど食ったらウーンウーンとうなり出した。三升や五升食うと云うとったのが五杯だから三合も食うていない、またおかず食って二杯ほど食うてウンウン云うてドタンドタンと腹つくばいになって苦しがっている。
 『何だ、この飯、胸にさわって食えん、これには毒が入っとる、おさいにも毒が入っとる』と云ってウンウンと云う、さア賢い連中がびっくりした。『そんなら与作、毒があったらいかんから捨てるのもいかんし持って帰ってくれ』と云い出した。それで与作は六、七杯食うた残りと酒一升と御馳走をどっさり持って帰って『アアこれで五日寝て御馳走が食えるワイ』と云った。何の事はない、賢い奴の方が阿呆にされたのだ──。マア百姓は与作くらいの考えを持って居らねばいかん。」
芦田「借金を少なくする…」
(云い終わらぬうちに)
聖師「百姓と云うものは実際食えなかったものだ、それで一人でも子供が殖えたら困ったのだ。子供でも七ツ八ツになったら学校に入れて尋常(尋常小学校)だけ終ったら食わすのがかなわんから直ぐに丁稚にやった。何しろ口を殖やすのが、百姓でありながら食わすのがかなわんのだ、それから藁を細工して縄とかいうようなものが小使いになったものだ。茄子や胡瓜を作って売るより金のとりようがない。それから百合根
なんか町へ売りに行く、しかしこの百合は五年せねば実がいらん。山芋でも三年せねば芋にならん。冬は囲うといて作るのだが、その代り三年分以上の金は上がる、高いもんだから。」
速志「愛善新聞行脚隊でも金はないから甘藷(かんしょ/サツマイモ)を持って行ってくれと云うのがあったそうです。」
聖師「百姓には金の儲けようがない。ただ茄子や胡瓜を売るよりしょうがない、それだから甘藷を作ったり田の横に豆を植えたり、すっくり、どこもかも屋敷の中でも猫の居るとこでも、作物を作った。よく百姓は猫の額でも作物を作れと云って地を遊ばさんようにして苦しい金をとる。俺でもそんな苦しさはなめて来とる。今頃は少々庭があいていても他に働かんならんからほっとる。そんな事やら何やかで今の百姓は倍、楽をしている。昔のような働きしとったら──穴太へ行ってみてもワシらの百姓しとった時分に同じように小作で苦しんでおったものが、反対に裕福になっている。田の二つや三つ買うてやっとるが──その代り、地主をやっとった者が、没落してしもうて苦しんでいる。」

△絹常用につき
成瀬「私のお伺ひしたいと思いますのは、すっかり御諒解願うのに五分間ばかし申し上げておかねばなりません、構わないですか。」
速志「かまいません。」
成瀬「私は農村振興につき地租改廃と云う事が一つ。も一つは絹の常用と云う事について大正十四年頃から考えております、それで絹を全国に使用せられる事を主張しております。この木綿は非常に経済のようでありますがこの綿花のために日本は外国に十億円内外の金を払って居ります。最近、昨年及び一昨年二ケ年に亘ってあの支那との関係で品物が売れんために非常な損をしております。木綿は非常に安いようで、綿花を外国に求めるから将来を考えてみても不経済が多いようであります。それから昨年、名古屋の人が桑の皮から製綿を発明したが非常に安く上がる。それは桑から出る綿でありますが、将来立派に消費するだけ出来ると云っております。しかし日本人全体が、贅沢品でなく実用的な絹を家庭工業で農家の副業と致しまして、その生産品を国民全体が使うようになれば農家の収入が増し、また消費者も得でありますから、誠に有利な策と思っております。即ち地租の改廃と絹の国全体の使用はどんな事かと思っておりますが、開祖様は絹を着る事を禁じられておられますが、これが私にとり大きな疑問となっております。」
聖師「それは開祖様のとめられておった時代は絹が高くて、木綿は安かった。教祖様が云われたと云っても決して永遠的のものではない。経済的な問題はその時、その時の事で、その時絹が無茶苦茶に高くて経済上から云われた事である。しかしワシらでも百姓しとった時分には綿を作った。一段に五本くらいより出来ない。一本と云うと十貫目じゃから、それが五本で五十貫。その五十貫の綿と米五石と換えごとしたから米一石と綿一本の勘定だ。それだから一段に米が五石とれたわけになる。他の者は三本くらいしかようとらなんだ。その時分はまだみんな自分のうちで綿を作て着物を拵えていた。それでここの先の八木でも沢山、綿を作っとった。八木の綿と云って日本国中に名高い。あの舟の帆をこしらえるのは、八木綿が一番強くてよかった。それでその時分に綿を作っとったものは儲かった。そのうちに綿がどんと安くなって、蚕が一変に高くなったので皆が蚕をやるようになった。
 教祖さん[注:出口なお開祖]でも、木綿でないといかんと云われておられたけれども、六十越えたら絹でよいと云う事を云われていた……、年をとると身体が重くなるから絹物じゃないといかんと云われておった。しかし若い者は木綿の方がよい。木綿を着とると心配なく働ける、これはまた経済ばかりではない。絹物などを着て若い者はとても労働なんか出来るもんじゃない。絹物を着てべらべらしとるのと、木綿の法被を着ているのと、働きが非常に違う。ちょっと一口には云えんが、木綿を着とれば働きが出来るが絹物を着てると働けない。棒をかたいでも滑ってしょうがない。また労働したら、べりーと破れてしまう。」
笹原「ちょっと生糸の御話が出ましたから申しますが、私はこの蚕糸業が極度に行きづまっておりまするが、これはこの際思い切った生産制限を行って、三分の一くらいに制限する必要はないかと思います。」
聖師「兎も角、外国の個人のふところ勘定はどうか知らんけれども、外国は何んでも絹は余計は取らん。絹を輸出して、綿花を輸入しとるから同じ事である。絹でも日本で必要なだけは作ったらよいだろう。」
笹原「各学校ともに絹が非常によいと云う事を奨励でもして…」
(話中に)
聖師「食糧のウントとれる所はよいとして、傾斜面の多い所で食糧品をとるにどうしても具合の悪い所だけ桑を作るように制限したらいいと思う。しかしこの頃では桑をつくって養蚕しても引き合わんから静岡県でも桑をすっくりおこしてしまって果物に植えかえとる。青物は胡瓜など一抱えくらいで十銭だ。お茶でも一貫目が十銭か十二銭ではとても引き合わん。一貫目のもみ賃が四十銭かかる。それから、つみ賃が十七、八銭いる。これが十二銭なのだからどうにもこうにもならん。」
笹原「今の蚕の問題は生産をウント制限して、そして今度はあべこべに綿の栽培を復活したらよくはないかと思います。綿は採算がとれると思いますが。」
聖師「綿も二、三年はとれるネ。綿の木と云うものは不思議なもので同じ地面に二年三年と続けてはとれん。今年出来たらその翌年は出来ぬ。同じ地を嫌う。茄子でもそうだが、同じ所に毎年やったら出来ん、それだから今年、田をやったらその次に綿をやる、綿をやってはまた田にする。こういう具合に”いや地”を嫌うからなかなか難しい。何故かと云うと、そこの肥料をすっかりみな吸うてしまう。綿に必要な肥料を吸い上げてしまうから、四、五年はそこで何か他のものを植えて肥料をつくるようにする。ワシの綿をやっとった経験からいくと丹波ではそうだ。」
笹原「それは私の方の土地(九州)でも同じ事であります。」
成瀬「私は絹を着る事を少しでも多くすればよいと思いますが。」
藤原「絹は雨に弱いから本当の実用に向かないと思います。」
聖師「身体のためから云っても絹より木綿がよい。どうしても一番下に着る肌着は木綿でないと毒だ。それだから一番下の襦袢(じゅばん)だけは木綿でないといかぬ。夜寝る時でも木綿のものをつけておらんと風を引く、また病気などを起こしやすい。ワシらでも木綿を着ないでおると決まって風邪を引く、不思議なようだよ。」
藤原「『月鏡』にもそんな事が書かれて……」
聖師「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の襦袢から生まれた神様が、わずらいのうしの神(和豆良比能宇斯神)で、病を救う神である。よく信者がワシの着た着物をくれと云うて来るが、着物をやったってしょうがない。襦袢をやらな何にもならん。それで後から後からせんぐり拵えている。これは直接肌につくもんだから一番よい。しかし絹物は駄目だ、身体によい木綿に限っている。」
成瀬「桑の皮からつくった木綿と、普通の綿からつくった木綿と同じ効能がありましょうか。」
聖師「やっぱり綿からつくらな効能はない。綿は日本のものではなかったけれども一番これが身体にもよい。綿は日本にはなかった。これは渡って来たから綿と云う。海の向こうの朝鮮から最初渡って来たものである。それより前は日本には絹よりなかった。日本は蚕よりとった絹、麻、それから紙とがあったきりで、昔の神様は麻と紙とを着ておられた。紙というものは身体を温めて非常によい。麻はじかに着たらいかん。下に紙を着ておらないかぬ。天照大神様のつくられたのは木綿じゃない。みな絹だ、木綿は支那と交通してから、朝鮮を渡って来たのだ。」
神本「満洲なんかでも服の下に紙を入れておくと大変温かくていいそうです。」
聖師「私は未決に入っとる時、雪隠に行く薄い紙を三、四枚しかくれん。それを”しまつ”して一枚でふいて、後の二枚はこういふ所にあててやる。いくら寒うても紙をあてとくと、そら温いの温くないのって、すると監守が来るとしらん顔しておって、あっちへいったらまたあてる、そらしばらくでも当てとくとよい。それを見つけられたらあかんので雪隠へ捨てとく。それをやらな寒うて居れなんだ。囚人はみな貰うたチリ紙三枚をかくしてあてている。」
速志「それでしたら紙で着物の考案したらよろしいでしょうね。」
藤原「もう出来てます、”こより”で……。」
速志「これからは満洲へ行く人はそれを用意しとるといいなー」
聖師「この肩と睾丸へやっとくとよい。紙でやっといたら風邪引く気づかいはないし、寒うてたまらんという事はない。薄着しとってもほこほこしてよい。日本の家は冬でも障子一枚だがなかなか温い。」
石坂「壁に紙をはるのはやっぱりそれもあるのですね。」
聖師「空気の浸透を妨げる、温いのは紙が温いのでなくて、外の冷たい外気があたらない、中の熱だけこもって、部屋の温度をよく保つ、これは紙が外の空気を遮断するからである。西洋のように硝子ばかりでなくとも、日本の紙一枚でそれで温い。」

笹原「土地も色々ありまするが、所有権の問題で今大分騒いでおります、土地そのものの地力が非常に衰えて、やせて来て居ると思いますが、これは肥の使い方が悪いのでしょうか。」
聖師「それは金肥ばかりをなまくらしてほり込んでおくからで、どうしても二十回三十回は草か藁をほり込まんからで、一度つくったら後は出来なくなる、もう土の力でなく肥だけで出来ている。そうすると肥が高くついて百姓は引き合わん。百姓は朝早く田んぼに行って草を切ってはそれをほり込んでやらねばいかん。それから百姓の家は多く藁ぶきにしてあるが、あれは家の中で物をくすべて煤をつける。そしてそれを切って田んぼに蒔いてやるためであるが、田んぼにこれくらいよく利く肥は他にはない。それから百姓は肥料がないものだから肥をよその家から汲むのでも、米五斗、糯米五斗、そしてその上時々の青物を持って行った。ところが今の百姓は金を貰わなとらない。それだけ、なまくらになっているのだ。」
笹原「昔の米は古くなっても耐久力があるそうですが、この頃の米は一年くらい経つと駄目になるそうですネ。」
聖師「それは肥料の関係で、だぶ肥や人糞をやらないからだ、米や作物は何故人糞を好くかといえばそれは親だからだ、人の身体に入って糞になってはまた米になって、そうして土に清めて貰うて循環しておる。」
成瀬「この肥のことで私は聞いたのですが、学校や軍隊のような男ばかり居る所やまた女ばかりのところは肥が利かないそうですがそんな事は本当でしょうか。」
聖師「そんな事はない。美味いものを食っとるのが一番よい。魚なんか食っとるのは特によい。」

藤原「空気中の肥料をうまく農家が直接利用する方法はないでしょうか。」
聖師「智識が要るね、日当りの関係や風の吹き工合を土台にして田をつくらないかん。今の百姓はそういう事を考えずに杓子定木に何でもやるが、それでは駄目だ、風の吹き工合をよく考えて風通しをよくし、それと太陽の照らし具合をよく見てやらねばいかん。そして稲の植え方はこっちの株からこっちの株へ日中、影があたるような事をしたらいかん。今頃の百姓の植え方はそいつを見んから損をしている。なるべく日が当たるように稲の間隔をとっておくのもよい。ずっと広く三度作のようにしてやれば日がこっちからと、こっちから真直ぐにあたる。この二度作をやるのでも、狭いこの稲の間を広くやるからそれでよう出来る。風と日が当たるから田の水が湧く、それでまた肥がよく回る。それから茄子畑でも何でも日焼けするが日焼けせない工夫がある。古草履でも古いむしろのようなもんでもよいが畑にかぶせておくと、藁と土がしめっとるから日焼けせない。それから茄子に肥をやるのは頭からどこもかも一緒にかける。それから茄子でも葱でもだが暑い日中にやらねばいかん。梅雨にやったら腐ってしまう。」
藤原「総て作物は日の当たる所にやったらいいのですか。」
聖師「それは何でもそうやらねばいかん。肥のやり方でもよっぽど注意せないけぬが、俺に時間でもあって直接百姓をやらしたら、この辺の百姓には負けない。永い間経験しているから、やったら出来る。」

笹原「先の土地の問題でありますが、地主も課税が多くて困っておりますが、これは根本的に土地の税と云うものを排して自由にやれる制度に出来んもんでしょうか。」
聖師「それは先の時節を待たねばならぬ。実際地主は負担で困っている。小作は小作でこれだけ働いて食えん、地主はぼろい事をしとると思っているが、これは両方とも認識不足だ。地主も小作も一緒に働いて一緒に計算してみれば一番よくわかる、地主も働けば小作も働くという風にしてそれで計算し後で両方に分配してみたら、小作の方もわかれば、なるほど地主も得はないという事がわかる。そうすると和合も出来て問題はなくなる。」
藤原「現在は両方とも利己主義ですネ。」
聖師「そうだ、今は両方とも利己主義だ。」
成瀬「北海道のある地方では土木工事なんかに村中が出て来てやってるそうですが……。」
聖師「俺たちの時分でもそうだった。橋が落ちたと云えば、あっちの家から、こっちの家から木を一本ずつ持って来て橋を架けたもんだ、そら村中総出でやるのじゃ、それだから橋一本落ちても直ぐ架かった。百姓はそうせないかん。また秋の彼岸には農家はみな道造りに出た、猫もしゃくしも男も女も鍬を持ってやったが日給も何もとらない。めいめいの事にしてやる。それでちょっと長雨でもあって大水が出ると橋が落ちないように村中が総出でかかった。それに今の奴は橋が落ちようが落ちまいが知らん顔をしとる。また落ちたらこっちが工事を請け負うて、ぼろい事をしてやろうと思っている奴ばっかりだ。」
速志「結局土木事業を始めて農村を救済すると云ってますが、その点からいくと損なわけですね、税金になるばっかりで……。」
聖師「みな人からやって貰うとると思うとるが自分から出している。それだから俺たちの時分には堤防が一所切れても村中がどうもならん、それで夜中でも自分とこの古い畳を持って来たり、或いは蓆(むしろ)を持って、土手の泥を水に洗い流されんように守ったものだ。そうしたら経費はいらない、今は河の砂利一つ上げようと思うても京都府へ願わな取らさない。河の砂は自由自在に取らした方が土手が切れんで、とって貰うた方が、かえって喜ばんならんのだ。それを一々願わねばいかんなんて、何か宝物でもあるように大事にしとるから損をするのだ。総て杓子定木なやり方だからしょうがない。」
藤原「土木事業は昔の方が余程上手ですネ、肥後の緑川の堤防は絶対に切れないそうです。それをこの間切開して新しくしてみたがすぐ切れたので、また元の通りしておいたそうです、加藤清正なんかなかなか上手でしたらしいですネ。今日の学問は大分土木の知識が遅れております。」
聖師「ここ(亀岡の天恩郷)の石垣でもこんな穴が明けてあるが、皆こんな石がつっこんである、それが何故かと云えば雨が降ったら流れ出るようにしてある。
 その代わり奥の方へ一間も小石が入れてある。今時のはセメントでキチッとつめてある。体裁はその方がよいが雨でも降って土の中に水がしみ込んでゆくと、土の中で水が一杯になる。すると土がふくれて一遍にバサッといってしまう。昔のは絶対にそんな事はない、雨が降れば水だけみんな洩ってしまうようにしてある。それに今の石垣はぼうずだ、きれいにするばかりだ。昔のは奥へ長くする。地震でもあってゆらゆら揺れれば揺れる程しまって固くなる。この亀岡の城の石垣はみなそうしてある。
 一度石垣を積んでまたその上に三重にも四重に積んである。奥へ一間ほどは石ばっかりだ、それだから絶対に砕けない。穴を掘って入ろうと思っても入られん。その一つを割って入ってもまた石がある。どんな大きな大砲を持って来ても中までは砕けない。そういう石垣の積み方になっとるから、俺が石を掘り出したのは築城法を知っとるのと、も一つは石が地の中にあると雨が降ったりするとだんだんそこらが乾いて来る。乾きかけると石のある所だけ、石の形をして乾く。石は水を吸うから……それでどこを掘れば決まって出て来る。知らない者は『聖師様は神様だからどこでも知っていられる』と云うけれど俺は考えて掘らしているのだ。霊眼でも何でもない、マアこれを智慧証覚と云うのだ。それが霊眼と云うのかも知れぬ。天恩郷のこれだけの石を出したのはみなそうだ。草の生えとる所でも下に石があると草の元気がちがう。これは関係がないようでも始終乾きつける所と、水の保てる所とはどうしてもちがう。雨上がりにでも歩いたら石のある所は、はっきりここからここにあるという事が書いてある。何でも一つ智慧で考えねばいかん。みな一つ考えてみよ。」
藤原「理窟ではわかっても、なかなかそれはわかりません。」

△物価統制策としての米専売
笹原「物価の統制をはかる方法の一っとして米の専売をしてはいかがでしょう。」
聖師「それは都会ではいいが、田舎ではかえって困る。専売にすると田舎では融通が出来なくなってしまう。百姓同志はよく米を借りに行く。ちょっと米借してと云って行くと快く貸すような訳じゃ。農村に行けば二十軒も五十軒もみな株内ばかりだ。今年五斗借っておいては来年返すという風で、都会では知らん事を農家はやっとる。」
芦田「私は二、三年前九州へ煙草の栽培しとるのを見に行きましたが、煙草の農作しとる人の云う事には、煙草の買入れはほとんど三分の一、四分の一に下げたが、とてもやって行けんと云って泣いておりました。そういうような事を思いますと米の専売は決してよくないと思われますが。」
聖師「俺は米の専売は都会の労働者にはよかろうが、百姓にはやったらかえっていかんと思う。」
藤原「百姓は金が相手でなく、現物相手だから米の専売にはとてもよい結果は見られないと思います。」
聖師「マア現状の借金状態と、今日百姓の収入関係から消費関係から考えて、とても収支つぐなわんだろう、モット働いて贅沢をやめて百姓らしい、元の五十年前の百姓にかえらねばいかん。」
速志「土地を一時奉還して再び天皇陛下から拝借したらどんなもんでしょ。う」
聖師「同じ事だ。今でも拝借しとる。大名時代、徳川時代には田地の売買は許されなかったが、売買が盛んになり自由権が出来たのは明治になってからだ。明治以前にはこっちの田が一石五斗とれるものなら、こっちの田も一石五斗とれる。するとお前とこの分、五斗分の金をやるからそれから”きり”をくれ、すると一石五斗の田が一石でいいわけになる。こっちの田に二石かかっている、だから二石の田を持っていても金で買われていると得田というものが出来る。昔云うていた得田持ちと云うのはこれだ、得田を持っとると一石五斗の年貢でも一石払ったらよい。一段で五斗でもよい事がある。全然ただの事もある。こっちで全部買うてしまうてあるから金がやってあるから三石とれても一段の分をやらんならん事もある、それで私有財産を禁じても、うちうらでそういふ事をやるから同じ事だ。そういう事で売買するから地上権の売買みたようなもんだ。」
笹原「それが行われる間は駄目ですな。」
成瀬「それであの満州の野にどんどん内地人を移民して、米をどしどしとらしたらいかがなるもんでしょうか。」
聖師「満洲に米を作るようにしたら米が余計とれる代わりに、こっちの農村が行きつまる。また米をいくら専売にしてみたところで政治家がうまい事をしてしまうばかりで煙草みたようなもんだ。これは今日の経済組織というものを根本から立て替えなければ直らない。そして農村が自給自足し、国家が自給自足しなければいかん、俺の考えでは。」
(以下書くなとの事にて途中約三百字略)

農村負担軽減について
田盛「現政府は公租公課の軽減策として田畑の地租を全廃して、その代わりに相続税とか資本利子税、等の累進課税をずっと上げようとしていますが、それよりも聖師様が前におっしゃられましたオホツク海の漁業を……。」
聖師「カムチャッカをロシヤ人に独立さしたらええと思うがね。それから所得税や相続税をいくら上げたって同じ事だ。毎月々々とられるか、一年してとられるかというのと同じ事で、百姓でも何でもとるもんはとるのだ。地主資本家でも地租税やら所得税、付加税やらと非常に負担が重い。それでみんなだんだんとつぶれて行く。それで中堅階級と云うものがなくなってしまう。」
速志「税金の種類は沢山ありますな、国税、県税、村税、それに何々付加税と。」
聖師「税金は何重にでも払わされてる。酒になるまでにでも、何回と云ってとられてる。菓子一つにしても、先ず第一菓子屋で税をとる。それから砂糖で税をとる、砂糖をつくる田地でとる。砂糖をとって得た収入で一つとる。こんなに数えて行ったら、なんぼとられとるやらわからない。」
速志「しぼれるだけしぼってるのだな。」
笹原「教育は今後どういう風にしたらいいんでしょうか。」
聖師「教育については、特殊なものは専門教育を施す。つまり天才教育にするのだ。商いの好きな者は商いをやらす。航空の好きな者は航空ばかりやらす。今の教育はみんな何でもかでも教えるが、とても浅く広くやるのでは偉いもんは出ぬ。天才教育の方法で行くと自分はこれより他は出来ぬと思うから失敗はせない。ところが今の教え方はみんな色々な事を教えるから、こっちがいかなこっちをやる。ちょこちょこかじりさしばかり覚えとるから何をしても駄目だ。天才教育だったら好きなもんだから教育せんでも、ほっといても自分から進んでどんどんやって行く。それから学校は余計こしらえんでもよい……そうだから必要もない官吏が後から後から出来る。そのため役目が非常に多くなる、大体日本くらい役員官史の多い国はない。」
速志「天才教育は結果に於いてどうなるでしょうか。」
聖師「新聞を統一するのが一番ええと思う。それには立派な学者がおって新聞紙上に色々発表してゆけば、勉強したいものは新聞を買うて読む。そういう風にすれば教育するのに費用もかからねば学校の必要もない。すれば仕事の暇にでも出して勉強が出来る。柿は毎年はならん。なる年とならん年がある。沢山ならん年の柿はこんな大きなのがなる。いつもこのくらいの柿がなるのならこんな大きなのがなる。それで中の種は一つか二つくらいしかない。肉は太っていて味がよい。つまりそれと反対に余計なった年は種がぐじゃぐじゃとあって小さい柿しかならん。むいてみると種ばかりで食える所はない。それで味が悪うてしょうがない。今日の教育が丁度それと同じだ。種を揃わすために、八つの種は出来る、しかし食えるところはない。肉が出来なくても一生懸命鉢巻して気張っとる。大体試験制度はよくない。天才教育だったら試験せんでも勝手に進む。」
笹原「父兄も子供も互いに学校を盲信している。」
聖師「女学校なんかでも嫁入道具のようにして入れている。昨日も署長さんに話をしたが、女学生があんな格好して家へ帰って草取りするが、あんな風しとっては田の草どころか、裁縫せよと云っても出けんだろ。あれなら男か女かわからん。女がみんなあんな男の風をすると日本はつぶれてしまう。テニスやなんやかんやと走らすもんだから”おはり”なんか出来るものではない。」

△神代になった時の農村の組織
速志「もし神代になった場合、農村は一体どんな組織になるんでしょうか」
聖師「それは何でも自由自在になって来るだろ。村に一人の長がおって、その人が村長もやれば、校長もやりと云う具合で村を一人の長で治める。今は一つの村に村長も居り、校長も居る。神主は居る、農会長は居る、産業組合長も居る、これは一人でも充分出来ることで徳さえあれば人は動く。今の有様ではどだい人が多過ぎる。何でも構わぬ長と付けて欲しいもんだから、何じゃかんじゃとこしらえて長が付いたらええように思とる。それだからちょっとしたら長々と長ばっかりだ(笑声) それから町会議員やたら村会議員やたらが、今度は村会だ、町会だと寄って何じゃかんじゃと云うとるが悪い事ばっかりやっている。昔は村の代表が一人で何でもやって、今度これこれにするからと云う時には鐘を叩いて村中が集まる。それでよく治まっていたのだ。これが本当の村の政治だ。この頃の奴は村会議員になったとか、町会議員になったとか云うて威ばり散らしよる。中には町会議員になったからとぶらぶらして金一文にもならんのに俺は議員だから百姓は出来ん。肥持ちも出来んというような奴もある。」
速志「何でも名誉職だったら嬉しいんですな。」
聖師「尻の穴が小さい。無鳥郷(むちょうきょう)の蝙蝠だ。蝙蝠が鳶の真似をしたいのだ。」
鈴木「漁村疲弊の原因として……。」
聖師「あいつもあんまり機械でがアがアと蒸気でやるだろ。それだから泥の中にある魚の卵をつぶしてしまうから、出来るもんも出来んのだ。三年ほどほっといて四年目くらいからとれば、ウント魚は出来るが──それでもトロール船で引き上げるとか云うてやるのは全然駄目だ。魚と云うものはどこにでも居るかと云えばそうではない。沿岸しか居らぬ、また十里二十里底には居らん。虫が居ないから……。太陽の光線の届かんような海底には居らん。魚はどうしても太陽の光線の届く五尋ごひろくらいのところで、それ以上になると居らない。せ引網だいや何じゃと今頃の漁すなどり方は魚をびっくりさして取るという風だから、魂というものは入らない。魚を苦しめて取るとまずい、一匹々々釣ったのが一番うまい。
 信者でもその通り、大勢一遍に賛成したのは雑魚を取ったように味が悪い。一人々々話して解ったのは入信する。百人も二百人も相手にして話して深い話は出来ぬ。なるほど、ええ話しよったとその時は聞いていても、会場を出たり出しなには、がやがやと悪い事ばかり云うとる。演説は大した効能はない。どうしても味のよいジャコを釣ろうと思うたら一匹々々苦労して釣らないかん。投網なんかでバサッとやると魚はびっくりする。すると魂の行き所が違う。釣った奴は静かにやるから魂がおさまっとる、それでうまい。びっくりさすと魂がいんで(死んで)しまう。いんだら味なんかなくなる。何でも一生懸命やらないかん。世の中にぼろい事はない。」

大崎「百姓は五十年前にかえらねばいかぬと云われましたが、世の中が立て替わって、もっと機械文明が進んで来ても、やっぱり百姓は暗いうちから起きて働かねばならんのでしょうか。」
聖師「なんぼ働いても収穫は決まっとる。なんぼ機械が発達しても百姓ばかりはなまくらは出来ん。楽してとろうと思ってもとれない、よく耕して魂を入れないかん。」
笹原「今の為政者は御百姓に対して同情も理解もないようですが、将来、局に当たる人は本当に百姓の事を知っとる者が当たらねばならんと思いますが……。」
聖師「農林大臣は農村の事に関して実地に当たってよく総ての事を経験しとる人がやらないかん。それが今は間違っとる。いもづる学問ばかりでやっとる。それじゃ本当の政治は出来ない。釣り合いという事がない。国家の大本(たいほん)は百姓せねば総ては固まらん。一切のものは工業でも商業でも農から始まるのだ。百姓は造化の神と一緒に働いとる、農業をやってると耳で聞かず口で教えられない教訓を受ける。だから学問に云われん教育を受けとる。農をやれば政治もわかれば何でも凡てがわかる。だから昔は”うからやから”と云うが家族は”やから”だ、”うから”は天族だ。世の中の宝は百姓より他にない。今ここの天恩郷に居る者でも献労だ奉仕だと云うとるが献労どころじゃない、こっちが保護してやっとるくらいだ。
 よそから雇うて来た土方の方が余程よう働く。だから一日八十銭くらいやって雇うた方が得だ。こっちの献労者は病気や何かで来とるから働きも一人前は出来ん。昔の献労は自分が金を持って来てやった。本当の献労しとったが今頃のはそうだないけれども、一つは教育しもって労働して身体を丈夫にする。また天地造化の働きを信心の上からやっとる、それでなければ邪魔になってしょうがない。雇うた方が実際能率が上がって得だ。朝鮮人でも使えばタダみたようなもんだ。そだから時々に人をやとって来る。献労はちょっと雨が降るとすぐ休む。平均すると月のうち十日くらい休むだろ、そんなことでは家内五人は食って行けない、自分だけでも始末が出来ないだろう。」
笹原「農村の使命を農民に教え、その習慣をつけるにはどうしたらいいでしょうか。」
聖師「それには常に働かないかん。」
大崎「機械文明がどんどん発達しますが世の中が変わって来ても。」
聖師「機械文明はあんまり発達するとかえって悪いから、五六七(みろく)の代になったら発達をとめる。需要だけを生産するようにする。機械文明が発達し生産過剰になって来てそのため工場労働者は朝から晩まで働かなくともよくなる。」
大崎「百姓ばかりすると働く事になるんですか。」
聖師「そう世の中が変わって来れば百姓にでも遊び日を決めてやればよい。今でも地主やら長やら、国民全体が皆で働けば、毎日一時間ずつ仕事したら仕事は済んでしまう。夏なんかは暑いから午前中だけ働き、冬は時間を決めて温かい時だけ働けばいい。」
大崎「今の世の中では働いても食えんし、それで遊んどるもんが食ってますね。」
聖師「しかしみな働いとる。実際働かん者は食えんようになっとる。資本家なんかはあるように見えとるが人のもんばかりだ。人の物で飯を食ってるのだ。あれでもちゃんと整理すれば自分の身体の皮を剥いでもまだ足らんだろ。財産より借金の方が余計ある。乞食が茶碗と箸とを持っとるのに比べて、資本家と云う者は人のものばっかりだから乞食の方が物持ちという勘定になる。」

 以下の問答は大体左の如し
一、外国為替の信用の下落如何
 ○金は昔からないので、落ちたわけでもない。
二、農村救済の徹底したる対策は
 ○麻縄で縛られとるのと同じだ。もがけばもがくだけだ。天の時の到るを待て。
三、神に反く者は滅びると「水鏡」にあるが何とか罰を当てる方法は?
 ○それは五六七の代になればすっかり清算される。罰は当たっとっても、わからないものだ。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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