出口澄「開祖ご昇天当時の思い出」

○出口すみ子「開祖ご昇天当時の思い出」(教示集-昭和26年11月)

 早いもので、開祖様が御昇天になられてから今年で三十三年になります。開祖様のお願いは、「一日も早く、長年の間世に落ちておいでます神様が、あっぱれと表に出ていただきまして、世に出てござる神様と手をひき合うて勇んで暮すようにしてくだされ」と、それはそれは一心不乱の御祈念でありました。「すみ子、わしの口の中を見てみよ、熱でこんなものじゃで。あまり世界のことが、どてらいことになりておるのでなぁ」とおっしゃって舌をお見せなさると、いかにも“うこん色”になっておりました。「ご飯も何も喉に通らぬ」というて心配顔をしておられましたが、それは度々のことでした。「あなたが、どれほど心配してみたところで、世界の人が誰一人知る訳でもなし、そんな心配は止めなされ」と申しますと、「神様が御心配なされておれるから、それが、わしの肉体にこたえるのだ」と、いつも仰せになりましたそのお心が、私にも今は分かって参りました。

「このような“たいもう”[注:大望、大事業]なことは口で言うても分かることではないし、言えば取り違いをするし、神様も御心配である」

「ここの仕組は世界から現れて来るのであって、この方が現はすのである」

「このお仕組をいうてやりたら、お前でも狂気になるぞ」ということをよく申されました。

「このことが分かりてきたなら、綾部の町の者が、こんなことなれば、なぜ先に言うてくれなんだ、と大分不足を言いに来る」とも折々話されておりました。

 これは開祖様御昇天二月ほど前のことであります。ちょうど私は胃けいれんを起して休んでおり、私としては、あと先にない長わずらいでした。聖師さまは、この時が七十五日わずらいなさる初めでありました。相生(あいおい 王仁三郎夫妻次男)は国替えをしますなり、私も国替えをするところまでゆきますし、聖師様は鉢巻きをして杖ついてひょろりひょろりとしていられますし、誠にいやなことばかりありました。
 開祖様が摺り鉢に、お土を一杯ねって聖師様の体全体にご自分で塗りつけてあげられました。聖師様がそれをいやがって「開祖さん、そんなことをしてはいやじゃいやじゃ」というて駄々をこねなさるのも構わず開祖さまは、一生懸命お土をぬっておられました。あんまり聖師様が「いやじゃいやじゃ」というて、ころころなさるので、「皆さん、ここへ来て先生を押さえとっておくれなされ」というて頭から顔やお腹一面にぬり付けられました。「皆さんに頼んでおきますが、先生がなんと言われても私が今つけたようにして、べったりお土をつけておくれなされ」と言われましたら、先生が半泣きのような顔をして、「開祖さんは、これ見なはれ、まるきり土だるまや、かなわんわい」というて、三つ子が甘えるようにしておられました。すると開祖様が申されるには「先生、しばらくの間ですので、今度はこうしてお蔭を頂きなされよ。私はいつ国替えしても、もうだんないけれど、あんたや、おすみがどうぞありたら、どうもならぬ。これからが“大もう”ですで、私の寿命ちぢめてでも、というて神様に願うております」と言われましたが、ちょうど御昇天五十日ほどま前のことでありました。

 お国替えの一週間ほど前のことでしたが、大阪から春子太夫という浄瑠璃語りの名人が来まして、是非聞いてもらいたいと申しますので、そのことをおそるおそる開祖様に申しますと、不思議にも「ああそうか、神様がわしに浄瑠璃を聞かしなさるのか」と素直に仰せられるのです。これは不思議なことだ、と私は思いました。「芝居を見いでも、この中に大芝居ができておるではないか。世界の大芝居である、わざわざ芝居を見に行かんでも、どんな結構も聞かしてもらい、見せてやろう、そんな人の作ったものなど見いでもよい」といつも叱られ、私がおぼえてからは芝居見物や浄瑠璃なんぞに行かれたこともなかったのに、今日は不思議なこともあるものだと思い、早く御機嫌の変らぬうちにと急いで準備をしたのでした。
 その晩は大勢の人が聞きに来まして、開祖さまも先生もお出ましでした。あの当時のことが、いまだに懐かしく思い出されてかないませぬ。開祖さまが、「おすみや、この座布団を先生に敷かして上げておくれ」というて自分の敷いておられるのを私に渡されました、先生へ持って行くと「開祖さんにあげてくれい」と言われるし、開祖さまは、「先生に敷かしておくれ、先生の身体が冷えたら、どもなんでなぁ」とおっしゃります。そうして浄瑠璃を聞いているうちに、私は大変咳が出だしましたので、先に居間にさがって、やすみました。あとで開祖様が私のお部屋においでになりまして、「おすみや、えらい咳が出るが、どこぞ悪いかい」とたずねられるので、心配さしてはならぬと思いましたがコンコンと咳が出て隠すこともできませんでした。開祖さまはお松を煎じてくだされ、またおいしそうな葡萄を持って来て、これは明日神様にお供えするのだが、お前に先で済まぬけれどもいただかしてやる」というてくださりました。そして私の枕もとに座られて、「今晩の浄瑠璃は日本一の浄瑠璃なそうやが、わしにはどんなとこが上手なのか、何を語っているのか、さつぱり分からぬ。知らぬ者には、なんぼ上手に語っても分からぬものだ。ちょうど神様が世界の者に、これ以上ないとの結構を、喉が涸れるほど言い聞かしなされても、ねっから聞く者がないが、ちょうどわしが、あの浄瑠璃がちよっとも分からぬと同じことやなぁ」と仰せられましたが、いかにもその通りであると思いました。

 世の諺に「親がある時は孝行できず、石塔に布団は着せられず」ということがあるが、よく言うことであります。「おすみや、わしを肉体の親と思うて、お前は理屈をいうが、結構なことの、どてらいことじゃで、疑わずに聞けよ。どえらいことの、結構なことの、この世初まりてから、あとにも先にもないことができるのだで、えらいことだ。口で言うても書いても見せるようなことではない。ここの事は世界から分けに来る。何事もみな時節じゃ。神界の一厘の仕組を人にいうことでない。仕組が成就してから、ああこれであったかと分かるのだ。直にも言わぬと神様がおっしゃる」とよく話されました。「みな素直にして御用を聞いておったらよいのである。我(が)を出さずにはいはい、と言うておったらよい」「よそからどんなことを言うて来ても聞くことはならぬ。お前は先生の言うことを聞いておれ」と申されたのが、御昇天二、三日前のことであります。これが開祖様の言いおきだと、私は信じております。

 開祖様はいつも朝早くから日暮れまで、御神体とお守りと“おひねり様”とが忙しいと言うて、夜分には行燈をとぼして、お筆をとっておられました。こたつをしてあげて「お免こうむって、早うおやすみなさい」と申しますと、いつもでしたら「そんなどこかいな」と言われるのに、その日は「はいはい」とおっしゃって「さあさあ、これでわしの御用も済んだ済んだ」と申されましたが、この御言葉は後になって思いますと、開祖様の現界の御用が、これで済んだと言われたことでありました。
 いつの年のお祭りも、お守りさまをたくさんお書きになりましたが、不思議にもそのお守りさまが、一体も余計でもなければ、少ないこともなし、参拝者の数がきりちんとできておりましたのです。御昇天の七年の年は不思議なほどたくさんお書きになりましたが、じきじきのお守りは、モウお肉体で書く時はないゆえに、神様がお残しになったのだろうと思っておりました。

 どこがお悪いということもなく、二、三日おやすみでありました。御昇天の前の晩、十時頃お部屋に伺いますと、開祖様は親指を出されて、「おすみや、これの体に気をつけいよ、あぶないぞ」とおっしゃいましたが、何のことかその時は分かりませんでした。これも後になって考えましたら、神様が開祖様の肉体が危ないゆえに、気をつけいとの御注意だったのでした。あくる朝早く参りますと、御機嫌がよく「おすみ、水をくれい」と言われますので、水をさしあげると、「ちょうずに行きたい」と申されますのでちょうど八木の姉(開祖三女:福島久子)もいましたから、二人で便所へおつれすると、どうも様子が普通ではありませんでしたので、早速聖師さまにも来ていただき、お部屋へおつれして寝(やす)んでいただきました。そしてその晩の十時頃ご昇天なさいました。よだれ一しずく、大小便一しずくあやまらない、誠にきれいな立派な御昇天でございました。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
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プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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