出口澄「三位一体の御用」

○出口すみ子「三位一体の御用」(教示集-昭和26年1月19日、聖師三年祭)

 先生が昇天なされてから、まる三年になりますが、三年の間にいろいろと感じさしていただいて有り難いと思っています。(聖師は)病気になってずっとお休みになってからは、霊で始終外国へ行くと見えて、夢うつつのようにいろいろなことを言うておられました。
 先生はまだ二十年くらいは生きられる寿命を持っておられて、お仕事を全部成就なさってから昇天されるものと、先生も私もそう思っていたのですが(※1)、先生は肉体をちょっともかまわぬ方で、無理ばっかりして、とうとう、あんなに早く昇天なすったのだと思います。しかし聖師さまの御用を、私が代わってさしていただくから安心しておくんなさい。
 元来わたしは固くるしい気性でしたが、聖師さまの昇天後は、なぜか気性が変わって、聖師様によく似てきました。聖師様が、つきまとうて守護していることが、私にはよく分かります。先だって十何年かぶりで会った信者さんが、私の顔をじっと見ながら「聖師さまによく似て来られましたな」と驚いていました。とにかく、私は教祖さんと聖師さんと澄子の御用を、三位一体となってやりますから、心配せんと安心していてください。

(中略)

 この間の火事ですが(昭和25年12月31日、亀岡天恩郷事務所焼失)、あれは神様のおいましめであり、お怒りではありますが、結局のところ目出度いことです。あの時、亀岡から電話で「いま燃えています」と知らせてくれたのですが、妙なことに私は、ちょっともびっくりもせなければ困ったなァとも思わなかった。腹の底から、めでたいな、結構やなァ、と思えて来るのです。
 一番最初に火の手が上った焼け跡の灰の中から尉(じょう)と姥(うば 15cmくらいの木像)とが出て来ました(※2)。周囲にあった十六束の薪はすっかり燃えてしまっているのに、尉と姥は焼けないどころか、ちょっとも焦げもせず色も変わらずに、そのまま出て来ました。不思議なことですな。尉と姥とは水におぼれず、火にも焼けず、と言い伝えられているが、その通りでした。
 亀岡の火事と時間もほとんど同じころ、舞鶴の方にも火事があったのですが、尉と姥には鶴亀が付きものです。めでたい夜明けの火の出で鶴亀の仕組です。世界的の御教えの火の手が上ったのです。これからは、しっかり信仰をはげんでもらいたいと思います。とにかく、聖師さまの御昇天から今日まで、非常に結構なことになって来ております。節分祭を間近になっているのに、皆さん遠いところ、ようお参りくださいました。

(※1)
○「百年の生命」 月鏡(昭4/9)
 神様に、いつ迄私(出口王仁三郎)は生きて居るので御座いますかと聞いたら、百までと云はれたので、では今
三十だから後七十年ありますね、と聞いたらホホホホホと笑うて居られた。

(※2)
出口澄「花明山夜話 (十五)」
澄子「乕雄はん、話しするで聞いておくれよ。――昨年の暮れの火事は神界では誠に日出度い(めでたい)火事でした。ツルとカメの両方から火の手が上がったんやでな。あの大きな火事で、木のケのあるものは皆黒こげか灰になったのやが、その次の中から二個の木彫りが出て来て、それを洗ってみるとちょっとも焼けもせずに元の綺麗なお姿のままの尉と姥の御二体が現れなさったんやが、これは教粗はんの筆先に『尉と姥とが現れて松の根元の大掃除をするぞよ』とありますが、尉と姥は伊邪那岐尊、伊邪那美さま御夫婦のことやし、艮の金神(国常立尊様)、坤の金神(豊雲野尊様)のお働きのことや。世間でいう結婚式のときの高砂の尉と姥さんは猛火をくぐって表になられたのや、地の高天原に帰っとってんやで。」

テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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