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出口澄「立直しの初期時代 ―七福神の楽遊びのこと― 」

○出口すみ子「立直しの初期時代――七福神の楽遊びのこと――」(教示集-昭和25年11月11日、大本大祭)

 十五年ぶりで秋の大祭が今日行われたということは、まことにおめでたいことです。あの事件からずっと途絶えていましたが、今年はじめてお祭りさしていただくことができたのは大きな神様のお仕組です。
 皆さんもこの出にくい時に、こうしてお参りに出て来られて本当におめでたい。結構なことなのです。だれかて神界のことはわからんのやけれど、こうして出て来られたのは神様に引きよせられて来たのやで。参ろうと思っていてもなかなか来られるものやない。神界ではちゃんと来れる人はわかっているのや。帳面につけてあるのやで。ほんまにおめでとう。

 明治25年に開祖さまが神がかりになられましたが、その時私は九つで、姉のお龍はんは十一でした。不思議なもので、普通の時は優しい言葉の開祖さまなのですが、神がかりになられると、ちょうど芝居の台詞のような神様の言葉となるのです。
 ある日のこと、神がかりになられた開祖さまが私とお龍はんを呼ばれました。
「末子(ばっし)のおすみどの、ちょっと来てくだされ。お龍はん、ちょっとおざれ」
「ハイ」と答えて二人が行きますと、開祖さまが、「七福神の楽あそび(※1)をするのがよいか、たすきがけで働くのがよいかどちらが良いか」と尋ねられました。そこで私が、「わしは七福神の楽あそびする方がよい」と答えました。お龍はんは、「わしはたすきがけで、どんどん働くのが好きや」と答えたのです。
 私がこんなことを話するのは、宝舟の因縁の話をせんならんからで、これを話さんと皆がわからんやろうと思うてな……。
 お龍はんは大変よい姉で、年も二つしか違わず幼いころから苦労も喜びも共にして来た一番なつかしい姉でしたが、九つか十かで方向に行って苦労して来た人で、しまつのよい冥加のよい、世帯道具も自分で働いて作り、私の家にないものがあってもお龍はんの家に行くと、ないものはないというほど持っていました。後になって金龍餅屋という餅屋をはじめました。最初は三合か五合の餅をついて売っていたそうですが、働いて働いて、冬でも綿入れもよう着ずに一生懸命働いて、しまいには綾部でも大変有名なおいしい餅屋になりました。お龍はんは大正十一年ごろやったと思いますが、四十二で昇天しましたが、一生働くと神様に誓ったのですから、こうして働き通して昇天したのです。
 私は七福神の楽あそびをすると言ったものですから、その通りになってきます。
 こういうことを考えてみると、言霊というものは大事なものやということがわかります。持っていても何もないなどと言って泣き言をこぼしていると、持っていても本当に泣くような生活になってきます。よいことを言えばよいことがやってくるし、悪いことを言えば悪いことが出てきます。

(中略)

 神様のおもわくが成就して (昭和25年)十一月三日に、綾部が市となったお祝いがあるというので、その日私は亀岡にいましたが、昼ごろ綾部に帰って参りました。するとお祝いの仮装行列の今度の出し物に、大本から七福神の宝舟が出ていましたが、それが仮装行列の一番になってしまいました。宝をのせた舟がここのお庭に入って来まして、その宝を二代さまに差し上げると言うのです。私はうれしゅうてな。五十六億七千万両の金銀や宝をみんな私にくれました。そのうちにある人がその宝舟のしたに落ちていたと言って、打ち出の小槌の形によく似た自転車の鍵を持って来ましたので、見ると「なるを」とかいてあります。“なるを”というのは成就するということになるのです。私はどてろううれしゅうてな。これから神さんの経綸が成就してよくなって行くのやなと思い、子供の時から神様にいろいろと聞かしていただいたいろんなことを考え合わせて、この度の大本の御用も非常にめでたく成就することであると思っているのです。
 神様の思っていられることは、開祖さまの口や手を通していろいろと言われてきました。それがだんだんと実現してきて、神様のおもわくが成就し万劫末代続く平和な世界に、みろくの世になるということなのです。

(中略)

 この世界平和運動には神様が御守護してくださっているのです。私は今度ローマに行くことになっているのですが、『霊界物語』に出雲姫が、ローマへ行くところがあり、出雲姫は後に天宇受売命(あめのうずめのみこと)になるのだそうですが(※2)、そうしてことがちゃんと書いてあるとある人が話していました(『霊界物語』第6巻第48章)。ですから私がローマに行かんならんことになっているのやな、と思っているのです[現代注:しかし周囲の妨害により、澄子さんはローマへ行けず、ローマ法王との面会もかなわなかった。澄子さん/出雲姫のローマ行きが行われていたら現在の世界情勢は違ったものになったかもしれないが、ローマ行きが妨害されることも神様の経綸通りだったのかもしれぬ]。丸に十の字の御用は明治25年から言われて来たのですが、その御用に今度私が行くのやと思い、非常に喜んでおるのです。ということを皆さんにうけとっていただきたいと思うのです。


○出口すみ子「今年の希望――『世界の岩戸』を開くために」(昭和26年、新年)

 私のこわがりはみんな知らへんやろが、石垣の上から下をのぞくのも恐いのや。綾部の大橋を車に乗って通る時でも恐うて、真ん中を通ってくれよと言うのです。地方に出て二階で泊めてもらう時がありますが、端の方は恐うて二階の真ん中で寝さしてもらうのです。こんなことを言うても人はほんまにせんやろうが、本音を吐くとそんなこわがりなのです。病気かしらんと思うが、恐いということは、落ちたら危ないというような意味ではないのやが、とにかく恐いので、その方の神経が弱いのかもしれんと思っています。沓島(めしま)冠島(おしま)にお詣りする時でも、外を見たことがありません。海を見るのが恐うてな、じき船の中で寝ることに決めとります。けれども乗り物には弱いのかというと強い方で、まだ船に乗って酔うたことがありません。とにかく外を見るのが恐いのです。
 そんなこわがりが四月に飛行機に乗って、ローマから世界中を回って来ようというのやから、おかしなものやないか。私は船で行くのなら何ともないが、飛行機だけは禁物や、あの音だけでも嫌いやのに。けれども神様の御用やから、行かぬというわけにもゆかん。嫌なものでも乗ろうと思っております。
 昔、外国に行く夢を見ましたが、今度どうしても行かんならんことになって来ましたのや。今さら後にもひかれんし、行くことにしていますが、会議に行って何を話そうかと言うことは考えておりません。“かんながら”にまかしてあります。今から、こう言おうと思っていても、その場合になって言わん方がよい場合もあり、神様の心まかせにするつもりです。けれども、霊だけは入れてくるつもりです。
 三千人もの人が集まるのやそうなが、それは世界の因縁ある神が一つ所によることで、世界の岩戸を開く初発の御用や、幕開きの御用や、と思っております。それで今度神様がその鍵を下さったのです。妙なものですな。
 去年、綾部が市になったお祝いに、七福神が宝舟に乗って、二代様にと言って宝を持って来てくれましたが、これは七つの海を乗り越えて、七福神が高天原に祝いにやって来た型になっているのです。七福神というのは、世界の代表者のことで、神から見いだされた代表者が、宝を持って神の御前にお祝いにくるという、まことにめでたい一つの雛型にもなるのです。世界中が平和なむつまじい結構な世の中になって、世界から豪い人々が神様のところに参って来るということなのです。明治25年から、私は“七福神の楽あそびの御用”ということになっております。また世界から宝を持って来る、という夢も見ています。その通りのことがいよいよ出てきたのです。
 七福神から宝を受取っていると、こんなものが落ちていました、と言うで持って来たのが、打ち出の小槌によう似た自転車の鍵でした。それに字が書いてあるので読んでもらうと、「なるを」と書いてある、というのです。「なるを」ということは、「ものが成就する」ということになるのや。七福神が「お祝いや」と言うで宝をくれたすぐ後で、そうした鍵を持って来てくれたのです。その時がおかしいやないか。ものを開けるには鍵がなければならん。世界平和の岩戸を開けと神様から鍵をくだされたのやなぁと、私は縁起を祝うて喜んでいるのです。その鍵を落とした人が、一向に取りに来んので、これは天からくだされたのやと思っております。

 とにかく、その御用にローマの会議に行かしてもらおうと思っていますが、世界は今日言うて今日からというわけには行かんが、立直しの一つの幕開きになってきて世界人類が喜ぶ世の中にだんだんなってくるのです。神界のことはわからんでしょうが、自然になって行くのやで。とにかく、うれしいことだと思っております。/何言おうか、とか、かに言おうか、とかは考えていませんが、キリストの言うことも、こちらで言うことも、結局は一つやと私は思っています。けれどもキリストは天の父だけしか言わんが、ここで[注:直開祖と王仁三郎聖師]は天地を言います。天だけでは世界は治まりません。天地が揃わな駄目です。
 今のところ、私は行こうと思っていますが、しかし、世界の様子でどっちにどうヘグレルかわかりません。そんなことは惟神ですから、とにかく私は行って、世界平和の岩戸を開いて来ようと思っています。
 向こうへ行って、これという人々と握手をし、心安くなり、今度は日本に出て来なさい、日本に来たら丹波の大本に来なさいよ、と言うて来るのや、天宇豆売命(あめのうずめのみこと)は、岩戸開きのときにみんなを笑わしたのや。私は天の宇受売の御用やから(※2)、小むずかしいことを言うていてもあかへんで、向こうへ行って、一つ、どてろう笑わして、天の岩戸を開いて来ようと思っています。そうして、国魂の神と約束して来るつもりです。神様が、今、向こうで経綸をしていてくださるのです。
 なにやら知らんが、面白いことや。打ち出の小槌があるから、何でも、どんなことでもできます。とにかく、私は向こうへ行って、世界の岩戸を開いてきます。[現代注:澄子二代教主は昭和26年4月の世界連邦ローマ大会へ出席する準備を勧めていたが、周囲は健康を案じたという名目で参加を断念させた。]

大本神諭「明治34年旧8月6日」
 まだ行く所はあるなれど、結構な所ばかりじやぞよ。天下泰平に世を治めて、あとは「七福神の楽遊び」と成りて、良き世に致すに、是だけの苦労を為したり致したり、然る代りに、世界中を良く致すのじや。それに悪るく申すのが、世が曇りて居るのじやぞよ。

大本神諭「大正6年旧11月23日」
 何事も此方から顕はさいでも、我身の方から全然(さっぱり)正体を現はして、何処となく飛び歩行(ある)いて、見るのも厭であるなれど、全部(さっぱり)顕はせに、われが我の姿を、田舎まで見せに歩行くのが顕はれるのであるから、「時節ほど結構な恐いものは無い」と申すのであるぞよ。時節には何ものも敵[叶]はんから、茲へ成る迄に、世に出て居れる方の守護神、皆に筆先で細々とよく解るやうに書いて知らせ、口で言はしてあるぞよ。筆先に出した事は皆世界にあるが、慢心と誤解(とりちがひ)とがありたら、真実(まこと)の御蔭は取れんぞよ。露国へ昔から上りて居りた悪神の頭が、露国の国を無茶苦茶[六茶九茶]に乱らしてしまふて、モ一つ向ふの国へ渡りて、外国の隅々までもワヤに致して、金のいるのは底知れず、人の命を取るのも底知れず、行きも戻りも出来んやうに致して、食物も無い所まで致して、終(しまい)には日本の神国へ攻めてきて、世界を我の儘に致す、ドエライ悪い奸計(たくみ)を致して居るが、モウ九分まで悪の目的は成就いたしたなれど、日本の国の先祖の一厘の経綸で、手の掌を返して、天下泰平に世を治めて、後[跡]は七福神の楽遊びと致して、世界の人民を助ける日本の元からの経綸であれども、今の世界の守護神、人民の心では、三分も助ける身魂が無いぞよ。誠一つの天地の先祖は、違うた事はチツトも申さんぞよ。違うた事を致したら、茲まで忍耐(こばり)て来た事が水の泡に成るから、皆が揃うて今度の二度目の世の立直しの御用を勤めて下されよ。

伊都能売神諭「大正8年3月12日」
 大正八年三月八日、旧二月七日に、遠州から納まりた旭昇石(きょくせうせき)は、昔の神代の折に五六七の大神様が地へ分霊を下だして、この世を陰から御守護遊ばしたのである、結構な天降石(てんこうせき)の神宝であるから、人民の自由に致す事の出来ぬ尊とき御神体であるぞよ。本宮山に御宮が建ちたら、御神体として御鎮まりなさるので在るぞよ。次に同じ日に東京から綾部へ参り、同月の十一日に大本へ納まりた白蛇(はくじゃ)の霊石は、富士山神霊(ひつじさる)の金神の分霊 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の身魂であるから、これは竜神の御宮に鎮まり遊ばす御神体であるぞよ。本宮山の空に三体の大神様の御宮が立ちたら次の中段の所へ国常立之尊の宮を建て、坤の金神の御宮を阿奈太(あなを)に建て、日出の神の宮をも立てて、天下泰平に世を治めたなれば、跡は七福神の楽遊びと成るぞよ

(※2)
大本神諭「明治32年旧2月3日」
 この大本(なか)は化ヶ物じや。心は少(チ)つとも宥されんぞよ。変性男子、変性女子の因縁を、ボツボツ判けて見せたら、神懸も上田の皆子では無いか。親の名が汚れるぞよ。モチト児(こ)に良い児がないと、化ヶ物が現はれたなれば、親に対面出来んやうな事が出来ると、気の毒なから。今の内にモ一つ改心いたし、骨を折らんと、大望始りたら、この広間は病気平癒(やまひなおし)の教会では無いぞよ。この大本(ひろま)から天の○○○に何事も知らせねば、成らん事に成るのじやぞよ。それも知らずに近慾斗り申して、皆のものが御蔭落して居るが、今に大望始まりたら、間に合ふ神懸は一人も無いが、天地の大神様へ何う申訳を致すのじや。この世が始まりてからの、世の立替、二度目の世の立替じや。二度目の天の岩戸開きじやぞよ。天之宇受売命様、猿田彦命様、夫婦御揃ひ成されて、この世の御守護なさるぞよ。この神様は、この世の勇む事の御守護なさる神様。

大本神諭「大正4年旧8月28日」
 昔から無い事が世界には出来て来て、人民からは出来上がりてしまはんと、実地の事は感得(とれ)んから、筆先に書かすのは、天と地との言葉の代りに、先にある事を前日(まへつ)前月(まへつ)に書くのが、変性男子の御役であるぞよ。変性女子の御役も御苦労であるから、何方(どちら)の御用も、ほかの身魂では出来ん大望な事であるぞよ。変性女子には、この世の是までの乱れた方の事がさしてありて、澄子には世に出て居られた天之宇受売命殿と摩[摺]替(すりかへ)てありたから、夫婦共に是迄の世の行り方がさしてありたから、○○○○○○○何彼の事が九分九厘と成りて来て、大神様の直接(じき)の御守護と成りてきたから、大本の内部(なか)の行り方を更(かへ)て、男子は男子の行動、女子は女子の行状をして貰はんと、この先は是迄の如うにはさせんから、気は張弓、抜刀(ぬきみ)の中に居るやうに思ふて心得て居らんと、肝腎の御用は出来んぞよ。善の御道一筋で行りて行かねば、世が立ちて行かんぞよ。

伊都能売神諭「大正8年3月8日」
 ここに猿田彦命は天上に昇りて、自由に神政の経綸を為さんとすれど、元より妻神を見捨られし位の気儘(きまま)な神で在るから、真の日本魂が欠けて居る為に、事志(ことこころざし)と相違し、中界の魔神とまで成り果てたのであるが、高天原の岩戸が開けて後、皇孫(こうそん)二二岐命(ににぎのみこと)が豊葦原ノ水穂国(とよあしはらのみずほくに)に、天照皇大神の神勅を奉じて地上に降臨あらせらるるに際し、猿田彦大将軍と成りて、中界の魔軍を数多召び集へ、天の八街(やちまた)に出でで、皇孫降臨の途(みち)を塞がんと為したるを、神代の女傑神 天宇受売命(あめのうずめのみこと)の為に矛を返して皇孫に帰順し、悪心を翻かへして忽(たちま)ち善良の神となり、皇孫の御先導となりて、筑紫の国の櫛振之峰(くしふりのみね)に送り仕え奉られたのであるぞよ。この天宇受売命は元来は出雲姫命の変化の神でありたが、天の規則が破れた折に、何なりとも善を尽し義を立てて、神国の麻柱の道を立てんと焦心せられたなれど、何分にも肝腎の大本元(だいほんげん)が破壊されて在るのであるから、真実の神業は成功する事に至らずして、大正の御代の今日まで忍耐をいたして居れたが、この神の誠の活動が成就するのは今後であるぞよ。

テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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