出口澄「弥仙山参拝の折のお話(要旨)」

○出口すみ子「弥仙山参拝の折のお話(要旨)」(教示集-昭和25年6月13日、旧4月28日)

一、大正十年のときであるが、本宮山にあった御三体の大神様のお宮が壊されるかどうかお伺いに役員たちが登山したことがあった。このお宮(中の宮)の扉をあけて中に入ると、その時一行十六人だったそうだが、その人数だけの小石がキチンと並べてあったそうである。おずしの前で祈願をこらしていると、おずしの屋根が壊れて落ちたので、御三体の大神様のお宮が取り壊されることを悟った。それで、おずしを新たに大本で造ったのである。

一、明治三十四年ごろ、天照大神様と素戔嗚尊様とのたたかいの型が開祖様と聖師様との間にあってその結果開祖様はこの山へ岩戸がくれされた。そのときちょうど直日が腹に宿っていたのであるが、お山から開祖さまのお筆先が届けられたのには、「今度地の高天原へ子供が生まれるが、それは女の子で木之花咲耶姫の御魂である。大本の世継ぎは代々女である。この子には、やいと一つすえてもならぬ、水晶の御魂がさずけてあるから」、ということが書かれてあった。

一、そういう因縁があったので直日をつれてこの御山に御宮詣りに来たのである。その時神主の言うには、今年は御山開きがあってから四千四百四十年に当るとのことであったが、直日が産まれてその日がちょうど四百四十四日目であったのも不思議なことであった。

一、開祖様がお籠り当時の御山は全山うっそうと木が茂っていて、男でも一人ではなかなか淋しくて登れぬような所であった。ある夜のこと(直開祖が)このお宮に寝んでおられると、ズシンズシンと大地を響かして歩く音が聞こえて、腕の直径が一尺ほどもある巨神が入ってきて、その太い腕で胸から腹を撫でるので開祖は「こんな人のおらぬ所で、そんな悪戯をされては困ります」と言うと「どえらい度胸じゃのう」と言われて立ち去ったとのことである。

一、その当時はここは女人禁制の御山だったので、開祖は神主の計らいで登山し、この下にある滝で水行をしてはこのお宮でお筆先を書いておられたのである。ある日村人が白髪の開祖をかいま見て、お宮の中に猩々(しょうじょう)がいるといって大騒ぎしたことがあった。

一、六合大(くにひろ、王仁三郎夫妻長男)が国替えした折のことであるが[注:大正2年(1913年)8月29日(旧7月28日)生まれ。大正3年(1914年)4月9日(旧3月14日)帰幽]、火の玉が大本からこの弥仙山に飛んで来たのを、梅田信之さん(古い信者)が現に見ている。また周山の吉田おつるさんはこの御山から下りて行く途中、襟に六合大立尊(くにひろたにのみこと)という印をつけた毘沙門天のような格好をした方が右手に杖をつき、左手に金龍餅を持って上って来るのに出会った夢を見た、といってその当時手紙をくれたことがあったが、この両者を考え合わして六合大の守護神が六合大立尊であったと思う。国替えした時、今度は女の子に生まれ替わって来るように言ってやったところ(※1)、ちょうど一年目の同じ日に尚江が生まれた[注:大正4年(1915年)3月5日(旧1月20日)生まれ]。

(※1)
○出口王仁三郎「再生」 玉鏡(昭9/1)
 王仁には男の子が二人あったが、いづれも帰幽して仕舞った。長男は六合大と云うて居たのだが、葬りに当り王仁は遺骸に向ってよく云ひ聞かした。「大本は男の子は育たぬのであるから、今度は女の子に生れてお出で」…と、すると、満一年を経過した其月、其日に今の尚江(ひさえ)が生れたのである。時刻も少しも違はぬ。彼女が三歳の時負って六合大を祭ってあるところにつれて行くと、突如背中から「此所には私を祭ってあるのだ、私は六合大さんの生れ替りぢゃ」と叫び出したので、王仁もゾッとした。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
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真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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