出口澄「世の中に鑑を出そう」

○出口すみ子「世の中に鑑を出そう」(教示集-昭和23年5月)

 世の中はどうなっていくか、これからの日本はいったいどうなるのであろうか。これは世間の人達が一生懸命になって考えているところですが、世の中は勝手に、ひとりでよくなったり、悪くなったりするものではないのであります。皆の心を出して見せあうのが世の中でありまして、日本人の心が正しく、立派になれば、神様の思し召しに叶う世の中が現れるし、日本人の心が曲がり、われよし(利己主義)の争いをすれば、敗戦によって四等国に落ちてしまった現状から浮かびあがることはできません。
 では、現在はどうかと申しますと、これが長い歴史を持った日本の姿なのか、これが文明人だと誇っていた日本人なのかと、悲しくなるようなことばかりであります。たとえて申しますと、駅の歩廊の有り様、あれは一体何ということでしょうか。皆様御覧の如く、汽車なり電車などが目の前にとまるまでは、みんな行儀よく二列に並んで待っていますが、着いたとなると、押しあい、へしあいで、老人を踏み倒し、女をつきのけて乗ろうとします。交通地獄とはよく言ったもので、あれはまったく地獄の姿であります。どこにも公徳心が見られず、紳士淑女の姿がありません。それですから、駅の人が拡声器で幼稚園の子供か小学校の一年生に教えるようなことを言ってくれます。
「皆さん危険ですから白線の内側にさがり、二列に順序よくおならびください、危険ですから列車が到着しても飛び乗りをしないよう、押しあわぬよう、正しくご乗車を願います」……と言うのです。あれを外国の人達はどう思って聞かれるのかと考えると、わたくしは冷や汗が出て参ります。戦争に負けて、四等国に落ちたから急に日本人はだめになり、汽車や電車に乗るのにも世話を焼いてもらわねばならんようになったのでしょうか。まことに心細く悲しいことに思われて本当なら、駅長さんに対し、なぜ我々にあんなつまらないことを言うかとの話しが出るべきかとも思いますが、そうではなくて、だれもが痛いことを言われるという顔をしていられるばかりです。私たちは文化日本の濃く見んとして、あのような注意を受けなくてもいい人間に、一日も早くならねばなりません。それができたときに、世の中はどうなるかという質問に対して、自分で回答をすることができるのだと思います。

(中略)

 そこで、はじめにお話をしたところに戻るのでありますが、ミロクの世が来ることは、開祖様のお言葉により、聖師様のお書きになったものによって、これは明らかにされておりまして、そのことを疑う人はありませんけれども、ミロクさまはいつ世界にお出ましになるのでしょうとか、いついい世の中が来るのでしょうとか言っているのは違うと思うのであります。それに頭を使いすぎている、私はそう思います。ひとの力をあてにしたり、ジッとしていてミロクの世が来ると考えたりする前に、まず自分が一番はじめに愛善の心に立ちかえり、ミロクの心になるのです、自分がそうなって、一家がそうなる、そして次々に大本人全体がその心になった時、みろく様は私たちの前に、この世の中にお出ましになるのであります。これができないうちは、何百年たってもあきません(※1)
 御開祖様は、明治25年から、このことを教え諭してくださるのであってその教えを伝えるために、大勢の人を集められ、修業をさせてくださったのでありますが、どうもそれが出来てこない。できておらんによって昭和十年にまた神様がお潰しになったのであります。大勢集まってきた人の全部が全部、お心に召さなかったのではありませんが、独りでも、愛善の心、ミロクの心になっていないものがあれば、神様のお心にはかなわないのであります。この意味で、(大本においては)大正十年、昭和十年が立替えで、昭和二十年からが立直しであります。ミロクの世というのは枝の神様の世の終わり、元の神様の世の始まりということで、今の言葉でわかりよく言えば、悪い神様が亡びて、正しく美しい、民主主義のごとく人間全体をしあわせにしてくださる神様がお出ましになったことを言うのであります。この点をよく腹に収めて、自分の力、信仰のおかげで神様からいただいた素直な心の力で、取違のないように愛善の世を立てねばならんのであります。
 先生は病気になられてから「わしの次に、若い者がちゃんと出ている、その若い者が立ち上がってやっていく、いつまでもわしを頼ってはならん」と言われましたが、瑞霊真如聖師としてのお光はいただけるがそのお光りを腹に持った若い者の力で、いい世の中を作りあげねばならんのであります。これを忘れては困ります。
 愛善苑(大本)がよくなれば、これが世の中の手本になって、世の中全体がよくなる、お膝元に来ている人がよくなれば、一家一門がよくなる、それで支部、会合所がよくなり、世間一般のかがみとなって全体がよくなります。これからの世の中はどうなるかというような心配は、これでなくなるのであります。
 聖師さまは、世間がよくならんのは愛善苑の責任だと言っておられました[現代注:つまり大本教、大本信徒連合会、愛善苑(現)]。このことも忘れないでほしいと思います。人の心が立派になるということは決して難しいことではありません、足元に気をつけ、どんな小さいことも馬鹿にしないようにして、一つ一つ神様の思し召しにかなうようにしたらよろしい。たとえば、お風呂に入るにしても、自分だけが新しい、きれいな湯に入りたいといって、先を争うようなことでは、いけない。ゆずりあい、遠慮しあって入るようにする。ところが、それがなかなかできませんが、苦労がたらないのだといって見ていてはなりません。よく皆で、そういう小さなことにも気をつけ、他人を敬う心になってもらわないと、教えにもそむきますし、よい世の中を作りあげることの邪魔になるのであります。

(後略)

(※1)
大本神輸「大正4年旧11月26日」
 もう何時までも解らんやうな守護神を助けて置いたら、世界が総損害(そうぞこない)に成りて、ここまで神が苦労いたした骨折が水の泡に成りてしまうぞよ。それでは永らく神が苦労いたした甲斐が無くなりて、天の大神様へ申訳が立たんなり。神は守護神、人民を助けたいのは、胸に一杯であるから、もう一度気を附けて置くから、何事が出て来ても神に不足は申されまいぞよ。是からは悪神の守護神の好きな事も、悪しき事も出来んやうに、天地から埒を附けるから、何処を恨む事も出来ず、自己の心を恨める事も出来んやうになるぞよ。天地の先祖の神は、善の守護神も悪の守護神も、皆を喜ばしたいと思うて、色々と永らく気を附けたなれど、ドウクズの蛆虫同様の、醜しき聞解の無いものは、一処(ひとところ)へ集して、固めて灰にしてしまふから、悪いものに悩められて、生命を取られるやうな肉体は、蛆虫同様、海外の悪い眷属と、も一つ下級な豆狸といふやうに、論にも杭にもかからんものに弄びに遇うているのは、肝腎の神の綱の切られている身魂であるぞよ。こんな守護神の宿りている肉体は取払ひにしてしまうて、此世界の大掃除を始めるぞよ。

テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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