出口澄「花明山夜話(十四)」

○出口すみ子「花明山夜話 (十四)」(教示集 「木の花」昭和26年11月号)

四方実之助「静かですねぇ。」
澄子「もうとっぷり秋も深う入っていもて、こうしてじっと静寂にひったとると私はどんどん昔に入って行って、あんなことこんなこと過ぎ越し方がなつかしい思い出となってやってきてなァ……。」
木田「どうでしょう、今宵は二代様につもる秋の話をさしていただいたら、秋色回想というところを。」
澄子「そうあらたまって聞かれると話にくいがな。」
素山「ぜひともお願いします。」
澄子「私の話はいつもでもやが、あっちへぶらり、こっちへぶらりの散歩みたいやで聞くものはややこしいでしょうが……この夜話が出るのは十一月一日の開祖祭をお迎えするころかいな。」
鈴木「二ヶ月も夜話を休載しておりますので、今晩は社友の皆さんへとっときの話を出していただきとうございます。」
澄子「そんなこと言うたらますます難し考えてしもてかなわんでよ。(笑い声) 私は生まれつきズボラでなァ、この夏はずうーと金時さんの前掛けをさしてもらうとりましたのや、具合ええで、下は白いバゥチをはいて……。」
素山「二代様には金時が来ている甚平もいいですね。」
澄子「そうやあれもええなァ。」
木田「聖師様がしょっちゅう金時の前掛けをして、大事な前を風に吹かせては農園を歩いてられたのがホウフツとします。」
澄子「まるで子供やったな。御昇天なされた時も聖師さんはえろうこれがお好きやったと思うて金時さんをお着せして、その上に着物をお着せ申したのや。これは誰も知らへんでぇ……。」
素山「それは初耳です」
四方「金時さんは一番手軽なお召し物で、大変お喜びなされたことでしょうね」
澄子「これはある信者さんが見た夢やが、えらい嬉しそうな聖師さんが裸に金時で、お月さんの横で石を積んどってなさったそうや……。」
木田「楽しい夢ですね。まるで童話のような。」
澄子「聖師さんらしいええ夢見とってや。聖師さんはご飯食べるときご飯をボロボロこぼしなさる、おかずが胸や腹につく、口の周りにママツブをいっぱいつける、それはえらい食べ方やった。よっぽどご飯がうまかったのやろう。まるで四つか五つのコドモやった。私もこれから好き勝手な子供になるで、腕白盛りのなァ、ほんまに子供になるで見とってよ。」(笑い声)
木田「ほんまに結構なことです。」
澄子「この大本で肝心要をわすれてる人がたくさんあるのやが(間を入れて)妙なことやと思います……と言うて、あれも言いたい、これも言うて聞かせたいと気がせいても言えんことがたくさんあるでなァ。御開祖もよく言うとりなはったが、悪神が仕組を奪りに来るのでなァ。
木田「内緒でちょっと拝聴させてほしいですねぇ。(笑い声)」
澄子「そら私も言いたいでよ、しかしそれがあかんのや。そやけど言うても差しつかえのないことは言うとくので書いてくださいよ。」
鈴木「よろしくお願い致します。」
澄子「私はぼちぼち直日の生い立ちやいろいろ歴史を言うときたいのやが、私も、も七十やでな……[注:澄子二代教主の昇天は翌年昭和27年(1952年)3月31日である。この対談は10月なので、彼女に残された時間は約半年であった。嗚呼] 皆は直日がプツッとしとってやで怒ってるように思うやろが、あれは恥ずかしいのやで、えらい恥ずかしがり屋でなァ。親ばかと言われるかもしれんが直日は変わった子でなー、生まれる前から神様が、変わりものの子ができると申されとりました。直日も窯芸道場ができていそがしがっとってやな。」
木田「その上に木の花短歌の添削でしょう、文字通り舎身活躍していただいてます。」
素山「十月の末には窯芸祭とお茶盌の展覧会を催させていただこうとはりきっております。」
木田「陶陽さんのおおらかで品のある茶盌に、二代様のミロクの絵付をいただいて皆喜んでおります。」
澄子「私はえろう機(はた)は好きやが陶芸はあんまり趣味がなかった。どっちかと言うと嫌いな方で、一時は絵付けも義理でやっとりました。ところがこのごろ妙なことに面白みが湧いてな。しかしあれは直日が一番よい、適役や。ああいうことは直日が自然にやるようになってる、聖師さんのええ後釜や。しかけたら、図抜けるまでせんと気がおけん性に生まれとるでナァ。私はそらあかんで、あほづくりにできとるのやで。昔から家具やいろいろの道具には無頓着でなァ、聖師さんはどえらい趣味をもっとりなはって凝られたもんやが。」
四方「聖師さまはすべてに万能でしたから……。」
澄子「陶陽さんのお茶碗はどこやら気品があって私みたいなわからず屋にもよろしいなァ、それに私が下手な字を書くのやろ、よごすようで嫌やが。」
素山「二代様がなんと言って謙遜されても、あの字がお茶盌にぴったりはまってとても良いのです。」
四方「魯山人さん[注:北大路魯山人]が言うてられましたように、天衣無縫で、その上とってもしゃれた良い字ですからね。」
澄子「そうかいなァ、あんなへたでも誉められると人間て悪い気はせんな。」(笑い声)
木田「あのお茶盌でえらいお蔭頂いている人がようけありまっせ。」
澄子「そうやってな。聖師さんはお茶盌を造って帰られた時はほんまに楽しそうやった。愉快でほがらかでえらい勇みなはったもんや……『おすみ、今に見ておれ、この茶盌はどえらいもんいなってみんなが吃驚しよるのやでぇ』と言うとってでしたが、わしはまた、何言うとりはなるこの爺さん、気でも狂うたんかいな、しょうもないこんなもんを、と思うて見ておりましたがな。(笑い声)」
木田「まことに聖師様の仰せの通り耀盌は全国にひびいています。」

素山「今宵は聖師さまと初めて逢われたころの話を……。」
澄子「あのころうちは金光教会の奥村さんらが御開祖の御神力をうまいことしてるような具合でして、これではいつまでたっても艮の金神様の教えを夜にひろめることができんので、とうとう独立して教えを開くことにしたのや。あれが明治三十年ごろやったと思います。この神を見分けて世に出すお方は東から来る、とのお筆先が出まして、それで福島に縁付かれていた久子姉さんは八木の虎天堰(とらてんいね)で茶店を出して、どうかしてお母さんの身上を見分けるような偉い人に出逢わんもんかと探してられたのや。このごろ、聖師さんは聖師さんで穴太の高熊山で修業されてから、一日も早う西方へ行け、神界の仕組がしてある、早う西の方へ向かっていけ、という神示を受けられて、この八木の茶店で久子姉さんに逢われることになるのや。」
四方「八木で逢われるというのもちゃんと仕組みがしてあったのですねぇ。」
澄子「明治三十一年やったと思う。そろそろ秋風が立つころ、大きな鞄をさげ、陣羽織を着た奇妙な扮装の若い衆が見られました。色白の、口にはお歯黒をして、この方が聖師さんやった。この時は時期がまだ来てなかったんやろ、二晩ほど泊まって帰られました[注:これは澄子教主の記憶違い。この格好が二回目の大本入り]。それから一年して、四方平蔵さんが御開祖の言いつけで聖師さんを迎えに行きなさったのや。聖師さんは妙な人でなァ、いつでも天ばかり見上げてなさるお人でなァ、道歩きながらでも、縁先に腰かけられても天ばっかりひょいひょいと見上げてなさった。私の友達は、聖師さんが道を歩かれるのを見て『おすみさんのお婿はんになる人が通るでぇ』と言うて私をひやかすのや。そしてなァ『おすみさんのお婿はんになる人は変わった人や、空ばっかり見とってる』と変わり者のように皆が言うとりました。私は別にそのころ聖師さんのことは何とも思てへんかったのやで何と言われても気にとまらんかったのやが……。」
木田「お好きで結婚されたというのではないのですか。」
澄子「そらそや、私はまだほんの小娘やったでぇ(笑い声) 聖師さんと夫婦になったのが明治三十三年新のお正月元旦やった。この時の話はまたの折にくわしうするで。」
素山「この次とはまた残念なことですねぇ。」
澄子「そのころ聖師さんは園部におられてな、四方平蔵さんが園部にお迎えに行ったのや、そこで聖師さんは往復八里もある夜道を郷里穴太に帰り、産土さまに祈願して、ご祖母やお母さんにしばしの別れをして、そこれから園部へ引き返し、平蔵さんとまた夜道を綾部へ来られたのや。」
木田「疾風迅来ですね。」
澄子「どこの下にもならないで艮の金神様を表にお出せできるという、聖師さんの断固たる言葉に御開祖は大変喜ばれましてな。ここでやっと御開祖の長年の宿望がかのうたわけや。それから厳瑞二霊の経と緯とのご活動になるのや。」
素山「そこまでになるには開祖様も筆舌に尽くせぬ苦労があったのですね。」
澄子「聖師さんが来られてからは物質的には前ほど苦労はされなかったが、ますます大本が大きくなるにつれて精神的にはえらい御苦労がとものうたものや。直日が腹にできたのは初めての出雲参りのころやった。そのころは汽車はないので歩いたのや、往復二十日ほどの長旅でした。この帰りから御開祖と聖師さんが喧嘩され出したのや、これが初めてでした。皆は御開祖は艮の金神 国常立尊様のご帰神だけのように思うとってるが、てんしょうこうだいじんぐう様(天照皇大御神)や稚桜姫尊様のご帰神なさった時もあるのやで。――御開祖の岩戸隠れなさるについてはいろいろ御因縁があるが……――この時分、御開祖はてんしょうこうだいじんぐう様のご帰神のころでした。御開祖は二階に、聖師さんは裏の家におられた時分でして、それはそれはお二人の仲は良かったのや。それでいてお二人はよく喧嘩なさった。聖師さんはうまいお茶でも入ると『教祖はん美味しいお茶が入りました』と呼びに見え、すると御開祖はいそいそと裏へ行かれて仲良くお茶を飲みなさる。そうして『先生、喧嘩せんならんて困りますなァ』と御開祖が言われると聖師さんも『ほんまに困ります』という具合で至極仲は良いのや。御開祖が神様に喧嘩は困るからやめさせてくださいと頼まれますと『因縁やからもうしばらく我慢せい』と言われますそうや。そういうことで常は誠に仲良くすごしてござるが。そのうちまた御開祖が帰神されて喧嘩されだす、それにつれて聖師さんもどえらい荒れなさるという調子でした。
 ほんまにこんなことばかり繰り返してなさった。神界での御因縁でそれはえらいことお二人とも荒れなさったものや。神さんが御開祖に、このお方は三千世界でかけがえのないお方やから、大事にしてくれいとのことでしたが、出雲帰りからこんなことになり出したのや。――聖師さんは皆も知ってとってやが瑞霊、素戔嗚尊様の帰神や。そのころうちはえらい貧乏やった。聖師さんは荒れては刀で庭のキビをなで切りに切り倒したり、下駄履きで畳の上にあがって障子といわず襖といわず、なんでもかでも切りまくり荒れに荒れ回って無茶苦茶なさってなァ。」
木田「二代様もえらい気苦労なさったでしょう。」
澄子「それから御開祖の弥仙山ごもり(岩戸がくれ)になるのや。直日ができることは御開祖が弥仙山におこもりなさってられる時、位田のおすみさんたちが面会に行きなさって知らされたのや、ちょうどあのころわしは五つ月やった。――今度できる子はみんな男の子や思うとるが女の子やで、それもえらい変わった子が授かるから大事にせなあかん……(原文欠如)――ということでしてなァ、それから直日が生まれましたのや。」
四方「今日はまことに意義深いお話ですね。」
澄子「直日の歴史はこの次の時からつづけるが、ほんまにあの子は変わった子やで。剣術は強いでぇ、若いころ京都へ通うとってやったからな。馬もうまいこと乗るしなァ。」
素山「今でも馬に乗ったら馬がシャンとすると直日さまが言われてました。」
四方「小さい時から鍛えられましたからね。」
澄子「神様が言われるには、聖師さんは皆もご承知やが、わしは世の乱れた時の御用で、三代になったら水晶になるのやで。聖師さんは大本へこられた十年ほどはえらい修業をやらされなさってなァ。それは苦労なさった。」
木田「聖師さんに戦後ご面会した時、『四十五年間えらい苦労したわい』と言うてられました。」
澄子「わしはそやけど言うに言われん苦労したで。御開祖と聖師さんの仲に入って人は知らんがえらい苦労やった。わしがおらんかったら聖師さんも大本にはおられんかったやろうしな。そのころ聖師さんは夜中でもいつでもいつ寝るとなく筆をせっせと運ばせての書き物をされとりました……ほんにいつ寝られるのか知りませんでしたでよ……そのころの大本は二派に別れ大半は御開祖の方で、聖師さんは外国の悪魔やと言われて、書かれたものはみんな神の字だけ切り取って焼き捨ててしまわれた。大将株は中村竹蔵さんでな、しまいに私まで『そうかいな』と思うてしまって。(笑い声) 何かないかと思うて、ボテの底から聖師さんの牛の証文まで引っ張り出して焼いてしもうたのや。この時ばかりは聖師さんもあんまりあほにもほどがあると言うて、顔色変えて怒んなはって私をなぐられたがなァ。牛(聖師は園部で牛乳を売ってられた)の証文で期限がきたら金がもらえるのやが、なんでも焼いてしまわないかんと思うてな、燃やしてしもうたんや。(笑い声)」
木田「聖師さまがお書きになったものをもったいないですね。」
澄子「どえらいことたくさん書かれたのを皆焼かれてしまいなさったのや。裏の神諭をやで。」
四方「聖師さんのお書きになったものを焼いてしもうて『立替ができました』と言うていた時代ですからね。」(笑い声)
澄子「直日が生まれて初めて御開祖、聖師さん、わしが弥仙山へお礼参りに詣ったが、それが弥仙山が開けてから四千四百四十日、直日ができてから四百四十日目やと言うて聖師さんが驚いてなされた祭神は、木花咲耶姫様でな、この神さんは高い所におられる神様やそうです。」
四方「弥仙山は少しでも高くせんといかんと言うて、お参りの時みんな石を持ってあがって置いてきたものです。」
澄子「そうや、あの山からは石一つ持っておりてもいかんのや。」

木田「二代様はいつごろからそういう髪の結い方をされたのですか。」
澄子「これは随分昔のことやが……松井さんという人がおっていろいろ策動しては、この大本を出雲につけようとしたことがあった。聖師さんを管長にして自分が副管長になろうとたくらんでな。聖師さんはああいうお人やから『ああそうかうんうん』という具合でして、傍で見ている私は一人気をもんどりましたのや。四、五人集まって策謀しているのを、よう襖の内側から見たことがあった。――ある時わしは髪結いさんに行きましてなァ。そのころのわしは丸髷にしとりました。そこのお内儀はわしに『奥さんの目はきついが、すずしくて綺麗ですなァ』と賞めながら丸髷に結うてくれました。結い終わって帰りかけたころから、無性に腹が立って来て、体が帰神情態になってきたのや。それから中有界をビュウビュウと宙を飛ぶような勢いで家に帰りました。そしてムシャクシャするのでせっかく結うた髪やがグシャグシャにこわして、くるくるっとこと髪に何の気もなしにしてしもた。それから御開祖の前に出るとえらい驚きなさって、『おすみ、誰に結うてもろた』と聞かれるのや。『わたしです』と言うと、金勝要大神様がこの髪と同じ結い方をしとんなさったと言われてなァ、えらいこと驚きなはったもんや。ほんまに不思議なことでした。それからずっとこの髪にしとります。」
木田「それはいつごろのことですか。」
澄子「たしかなことは覚えんが、尚江が生まれる三年前ぐらいでしょう。」
四方「その年は文献に載っておりますから後から調べて参ります。」
澄子「これもおかしな話やが、わしのことを梅野[注:王仁三郎夫妻次女]が夢で見ましてなァ、わしのことなんか梅野は別に知らんのやが……金ぴかりのカワヤでな、そこにまた金色のなんとも言えん神々しい十曜の紋が現れてきて、そこからお母さんが出て来られました。お母さんは偉いのですねぇ。――と、わしが未決から出る前に夢で見たと言うとりました。『金勝要大神様はカワヤに落とされなさってたえらいあらたかな神さんや』(※1)と言うてられましたがなァ。」
木田「筆先(大本神諭)に書かれてますことと、二代さまのお話を合わせて考えさせていただきますと、誠に厳粛で偉大な神秘ですね。」
澄子「なんでも言うときたいが悪魔が仕組をとりに来るでなァ、肝心の一輪のところは言えんで、きばってみんな勉強してくださいよ。……ぼんやりせんと一生懸命ご用さしていただきましょう」
木田「先だって九谷焼の北出塔次郎さんが第一回研修会に来られて言うとられましたが、――私たちは(北出氏のこと)聖師さんと話をしたことがないので、その作品からのみ御人格をしのばせてもらうより方法がない。大本の人々は後世のために種々の史実を集め、正しい間違いのないことを後の人に、立派な歴史として遺すようにしなければならないし、またそうする義務もある――と言うておられましたが、誠に大切なことです。もう、四、五十年もしたら聖師さんにお逢いできた人間は皆死んでしまいますからね。これから出る二代さまの伝記も、ご口述の箇所はよく後から見ていただいて間違わないよう確実を期していただかないと申し訳ありません。」
澄子「御開祖は『大本で起こったことは箸がこけたことでも書きとめておくように、それが世界に雛型として現れるのや』と申されましたが、つい私はアホでなァ、歴史を残さんならんのやったらもっときばって覚えとくのやったけど、わしはアホにできとるのでそないによう覚えとらんのや。」(笑い声)
四方「それは長い間のことですから大変なことですとも。」
澄子「わしもこれから覚えとることをみんな言うとかんといかんな。――同じ歴史を書き残すというても、昔中村さんは聖師さんとわしの悪口ばかり書いとってやったが、あれも困ったもんやった。」(笑い声)
四方「開教当時は偏見というか、ばかげたことが真剣にやられたのです。われわれもよく反省してやらしていただかないと……。」
澄子「私の日常生活やいうて書かれてもちょっとも面白くも有り難くもないし、どこも良いとこや尊敬するとこもないがなァ。ばあーと尻まくって昼寝なんかしとるでぇ……私はいつも聖師さんの気持ちになってやってるのや、そうすると知らず知らずだんだんと『ああまた聖師さんの格好そのままやなァ』と自分に気付く時がしょっちゅうあります。知らん間に聖師さんみたいな気持ちになっているのやが、妙どすぜ。とにかく私の結構なのは誰にでも親しまれる徳を神様から頂いていることや。この間もちょっと変わった人が私に逢いたいと言うて来たら、役員は逢わんほうが良いと言うちゃったけど、わしは留守でもないのに居留守つこて面会せえへんなんてかなんで、その人にあうたがなァ。わりかた品もある人やが、シャム生まれとかでまあ宗教ゴロツキのような人やろう、部屋に入って来てしばらくの間、わしと(壁をさして)わしのあの写真とを一生懸命見くらべていたが、そのうちボロボロ泣き出して『私は全国を歩いて回ったがあんたのような懐かしい人には初めてお逢いした、ぜひお母さんと呼ばしてください、一度でもよいからあんたに抱かれたい』と言うて泣いとってやった。わしは別にお母さん言われても構わんし皆がそうやが、『お母さんになったげるわな』言うたら喜んで帰っちゃったが。とにかくわしは学もなんにもないが人に親しまれるのや。そういうものを神様からもらってるのや。聖師さんがそうやがその七分がわしにうつったのやなァ。
今晩はこのくらいにして私は寝すませてもらいます。」
一同「どうもありがとうございました。」
澄子「はい、どなたさんもおやすみ。よく寝なはれよ。」

(※1)
大本神諭「大正4年旧6月11日」
 世の元の天の大神様を、こんなことにして置いて、また地の世界の先祖までもこの世に無いやうにして居りたぞよ。稚日女岐美命(わかひめぎみのみこと)は、地の底へ埋け込みて居りたなり。金勝金之大神どのは我の強い御霊であるから、最醜悪界(どえらいところ)へ落してあり、龍宮の乙姫どのは、沓島の海の御住居でありたなり。岩の神どのも、荒れの神どのも、風の神どのも、雨の神どのも、地震の神どのも、艮へ押し籠められて居りたなり。この活神を万古末代出さぬやうに、力のある神は皆こういふことにしてありたのであるぞよ。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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