出口澄「花明山夜話 (十二)」

○出口すみ子「花明山夜話(十二)」(教示集 「木の花」昭和26年7月号)

[前略]

小山「苑主さまはこのごろ喫煙をやめられたと聞きましたが、お寂しいことはありませんか。」
澄子「あれだけ好きであった煙草やでな。初めはつらかったけど。」
乕雄「お母さんのように思い切りの良い方でも、一つの習慣を断たれるには精神的な努力がいるのですね。」
小山「苑主にして、そういう風に精神力を注がれて、一つの習慣の矯正に向かわれるということになると、われわれもノホホンでいては、何一つ得られない理ですね。」
山本「苑主が禁煙された理由を聞いてほしいという社友の声があります。」
小山「創造するに、保険上の意味と大悲願があってのことと思われます。」
澄子「ご明答(笑い声)と言いたいところやが、わしは別に意味があってやめたのやない。しかしやめた結果は種々の意味で大変よかったですな。」
乕雄「お母さんが煙草をやめられた気持ち、理由を言われない気持ちも分かります。」
山本「乕雄先生もやめられましたね。」
乕雄「私のは意地でやめたようなものです。私より先に、光平さんが、煙草が欲しくなるとキャラメルをしゃぶってやめたことがあるのです。そういう実証のあった矢先、日向さんが私の目の前にポンと明治キャラメルの一箱を出すのです、これで煙草をやめられませんかという挑戦状をつきつけられたようで、ヨシッと思ったのです。これが私の禁煙の動機です。私はそのころ『己ニ克テ』と人にも言っていましたので断然これを動機にやめました。」
山本「そう簡単にやめられますか。」
乕雄「禁煙第一日、煙草が喫みたくなるとキャラメルを口に入れ就床までに一箱のキャラメルが空になりました。次に朝画室にしるとまた日向さんがやってきて鞄から明治キャラメルを一箱出して黙って目の前に置いてゆくのです。こうなると何か意思の強弱を計られているようで、意地でも負けられん戦いです。第二日目もキャラメル一箱で暮れ、そんなことをしているうちに今では忘れています。」
澄子「煙草をやめると体の調子や良いやろう。私も長年の咳が治ったでな。慢性の胃病も大てい治るで。」
小山「いっそ、この際みな煙草をやめたらどうでしょう。ことに大祭の間だけでも、会議ごとに室内の空気が曇るのは非芸術的ですから。」
山本「一人が月のうち一週間だけ禁煙し、その煙草代を献金すれば、全国的には大したものになるでしょう。」
澄子「煙草をやめてそれだけ家計を潤すことや、第一嫁さんが喜ぶやろう。」
小山「両聖地[注:綾部と亀岡]に禁煙週間をつくり献金箱を回しては如何でしょう。苑内が清潔になるだけでもいいですよ。」
澄子「本部にいるものはそれくらいのことさしていただかんと申し訳ないで。教祖様は娘のころから煙草の香りが好きで、一ぺん喫うてみたいと思われたが、今からこんなものにとりつかれては身のためによくないと感じられ、自分の意思の力で、とうとう口にされなかった。ただ、他の人にはそれを無理強いされる方ではなかったが。
小山「未決では煙草は無いでしょう。」
乕雄「あそこは煙草が喫えないね。」
澄子「乕雄さんも入ったのか。」
乕雄「大本事件で熊本の留置所にはいりました。おそらく全国で何千という人が拘引されました。北国新聞の嵯峨さんも一ヶ月以上ひっぱられています。」
小山「左翼の受けた弾圧も大本の受けた弾圧に比べるとまだやさしいところがあります。昭和十年の弾圧は組織的な堂々たるテロです。神様の御守護と直日先生の御奮闘がなかったら、どんなことになったか分かりません。」
乕雄「日本人は敗戦という大打撃で大本のことを忘れているのでしょう。忘れやすい気のうつりやすい国民ですからね。もう少し日本の国民性に粘りがあれば、あの当時日本の危機について叫んだことを今ごろ考え直すのですが。」
小山「あのころ直日先生のお歌に、

   かかる世の来るを憂いて叫びたる
    我等が友はとらはれにけり

   …というのがありましたね。」
乕雄「今ごろの人はその場限りのものの考え方が多く、本当によいものの分かる人は少ないと直日姉が嘆いていましたが、再度の弾圧にもめげず、一貫して地味に真面目に社会改造の基本、神と人との関係を説いている大本の教えは開教六十年というのに、数からいえばまことに少ないのです。」
小山「これは理(ことわり)があるのでしょうか。」

澄子「一つには皆の熱心が足りんのやで、それは言わしてもらうで。もう一つは、反対霊の邪魔が多くて、種をまけば堀り、芽が出れば刈りとるで、悪(わる)のひっぽうは今が最後の土壇場やで、力限りの妨害をしているから、今しばらく皆も苦労やがここで突っ切れば楽になるのや、悪の運も終わりに近い。これもお仕組や。

乕雄「ことに終戦後はメカニズムの魅力などとともに科学思想が、宗教の精神を押し流しています。人生をエンジョイするというアメリカの享楽主義も一面否定できない真理を持っていますが、東洋人は、宗教の問題にしている死とか、霊魂の問題を考える余裕のないまでにスピードアップされた、享楽主義の渦に目をまわさぬことです。注意すべきことは近代の享楽主義の明るさは天地の真象に基づいた科学より来ていることですが、その明るさの源である、神を感じていないことです。もう一つはクロロホルムのような力で、特異な享楽情態に導く魅力が横行していることです。これは芸術の世界にも現れてきていますが、最も危険なものです。」
小山「たしかに近代の文化は人間の真の幸福からズレた一面を持っています。過去の時代は民衆が霊界の実在について多少とも体験をもち、見えざる世界のあることを信じていたことが民衆を宗教的にしていた大きな原因でないかと思います。しかしこういう近代の過程を経て、真の宗教の時代が来るのでしょう。」
乕雄「今では坊さんも霊界など知らないと言うていますからね。」
澄子「あほなことぬかせと言うておけ。」
山本「謡曲には霊的なことを美しく取り扱っていますが。『田村』には、生き身の観世音に会うべく願をかけています。」
澄子「観音さんのことで思い出したが不思議なことがあった。昭和の初めごろの夢に、天に観音さんが現れてな、雲の上に一丈余の観音像が立ってられる、よく診ると直日の顔そっくりで、あんまり不思議なので、夢が醒めてから、直日に話すと、直日が『そうですか、お母さんこれ見てください』というて掛け軸を出してきましたが、その観音像がまた私が夢で見た天上の観音像と同じもので二度びっくりしました。この掛け軸の観音像は松江の奥村さんが直日を見て描いたものでした。」
小山「以前は聖地に観音像が祀ってありましたね。」
澄子「いまは別にお祀りしてないが、観音さんはお一方ではない。私が未決の中で拝んだ観音さんはミロク観音で、この方は聖師さまやった。眉毛が六尺ほどもある大きな観音さんでした。」
乕雄「聖師さまは未決からお帰りになった時、穴太寺に行かれ、門前の仁王さんに『仁王さん、やっぱり達者やのう』と言われましたが、西国礼所の穴太寺には聖観音が祀ってあって、この観音さまが聖師さまに似ているという村人の評です。」
澄子「穴太の観音さんは王仁三郎の姿かっこう、顔におんなじやということや、あれは聖師様とは因縁の深いものや。穴太の産土さんの御神体も不思議なことに聖師さんによう似ているのやで、木彫りの御神体でな古いものやが聖師さんによう似てると村の人がいうてる。」
小山「観音さんのあるところにはよく仁王さんがありますが、仁王さんでは月宮殿[注:亀岡城の神殿。第二次大本事件で爆破]にあった仁王さんほど変わったものは少ないですね(※1)。」
山本「作者は不詳とのことですが、彫刻としても秀逸のものでしょうね」
乕雄「あの仁王さんは熊本で有名な祟り仁王で、私の少年時代に印象の深いものですよ。登校する道端にあの風変わりの仁王さんがあり、はじめは誰がもってきたのか知りませんが、あの仁王のあるところには必ず病人ができる。それで石の重い仁王ですが大勢で運んで別のところに移す運びこまれた方では、これはカナワンというわけでまた押し返す、また別の所にやるで、いつもその位置が変わっています。そうですな、七年間ほどあの仁王を見て学校に通ったのです。なんや今日はコンナ所にきていると思って奇異の念にかられてあの仁王を見ていたのですが、しまいに全く方角の違う加藤清正神社の高い石垣のしたに置かれていたのが中学の五年生ぐらいの時で、これが最後となりその後、どこかへ雲がくれしてしまいました。あの仁王どこへいったのかと不思議に思っていましたところ、入信して本部に参拝し、月宮殿の前でバッタリあいびっくりしたのです。」
澄子「あの仁王はハルカ(※2)が九州旅行にいった時、霊で懸かってきたので、本部に連れてかえったのやが、不思議な因縁やな。」
小山「大本事件で一体は顔をつぶされ一体は手がありませんね。」
澄子「あの当時の政府がアンナひどい目にあわしたのでみんなあの通りになってしもうた。あの時お詫びに来ればよかったのやが。」
小山「終戦後総司令部で日本政府の平和主義者弾圧について調べに来ましたが、K氏が大本にやってきて、『こんなひどい弾圧があったとはしらなかった』と言ってびっくりしていました。」
乕雄「この際、民族宗教として、また同時に国際性、世界性のある大本の根底をしっかりと確かめ小さくとも現実的な姿をもった団体に作り上げておかなければ今後の本当の発展はのぞまれないと思います」
(原文欠如)
澄子「世間では、大本事件がこたえているようやな。」
小山「真相を知らせてないからです。こういうところは宗教家の欠点で、十字架を背負っていることに甘んじているところがあります。十字架はあの事件だけで結構ですよ。今の世はなんでも真相ばやりだから、一つあの当時の政府のやり方のスッパ抜きをやってでも、大本事件の真相を社会に明らかにしておくべきでした。今では時間的にズレが来ていますが。」
澄子「まだまだ本当のことはこれからでよい。聖師さんの楽焼で、大本を見直している人が多いが、筆や口で宣伝するのも大事やが、まことのこもったもので、形に実際に示してゆけば本当の仕事はこれからできる。」
山本「『木の花』でいま大本事件を文学的に取り扱ってみたいと材料を集めていますから、来月号にもその一部を発表してみたいと思っています。」
乕雄「そういう埋もれいるものを出すことも良いですね。開教六十周年はもうすぐまじかに来ているのですが、これは大本の目的達成のための、われわれの転換期たらしめたいと思うのです。大本の目的はミロクの世を創るためであるということはハッキリしています。しかしこれは山でいえば頂上のようなもので頂ばかりを仰いで、あこがれていても、頂上には辿りつけない。やはり道を拓き、足を進めるのでなくしてはわれわれの足元はいつまでも同じところにいるだけである。ミロクの世というのは結論ですから。」

(※1)
○「月宮殿の仁王様」 玉鏡(昭6/8)
 櫛岩窓の神、豊岩窓の神の二神即ち月宮殿の仁王様と云ふは、天真坊、天道坊である。熊本に在って、とうから天恩郷に来たいと願つて居たので、偶々熊本に行った寿賀麿にかかったものだから、彼は長い間病気になつて仕舞った。願ひ叶って天恩郷に来る事になってから寿賀麿の病気はケロリと癒って仕舞った。熊本に居た時は六ケ敷い顔の仁王様であったが、月宮殿に納まってから、ニコニコ顔に変じたと皆が云ふ、さうのやうだ。王仁はこの仁王様の事はとうから知って居た。これ迄何度も出て来たのだ。初めてかかって来た時は王仁も病気した。それは王仁が横須賀に行った時の事で、元来天真坊、天道坊の二神は、長く外国に行って居られたもので、軍艦榛名に搭乗して帰って来られたものである。

△軍艦榛名
 金剛型戦艦三番艦「榛名」のこと。艦内神社は榛名神社で、同神社祀神は火産霊神・埴山姫神なれども、神仏分離以前の祀神について正確なところはわからない。延喜式によれば奇稲田姫命なり。中世にては満行権現(本地仏:勝軍地蔵)信仰が盛んであった。徳川末期の記録には、中央に埴山神、次段に国常立尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊、大巳貴神、下段に饒速日神、彦湯支神、美真味神の八神となっている。

△天道坊は霊界物語で「天道別神(あまのみちねのみこと)=モーセ」、天真坊は「天真道彦命=エリヤ」となる。以下は『霊界物語』第六巻第 二三章 諸教同根 〔二七三〕より。

<<ここに月照彦神、足真彦、弘子彦、祝部、岩戸別の諸神人は、野立彦神、野立姫神の御跡を慕ひて神界現界の地上の神業を終へ、大地の中心地点たる火球の世界、即ち根の国底の国に出でまして、幽界の諸霊を安息せしめむため、天教山の噴火口に身を投じ給ひける。神徳高く至仁至愛にして、至誠至直の神人は、神魂清涼の気に充たされ、さしもに激烈なる猛火の中に飛び入りて、少しの火傷も負はせ給はず、無事に幽界に到着し給ひぬ。これらの諸神人は幽界を修理固成し、かつ各自身魂の帰着を定め、再び地上に出生して、月照彦神は印度の国浄飯王の太子と生れ、釈迦となって衆生を済度し、仏教を弘布せしめたまひけり。ゆゑに釈迦の誕生したる印度を月氏国といひ、釈迦を月氏と称するなり。また足真彦は、これまた月照彦神の後を逐ひて月氏国に出生し、達磨となって禅道を弘布したり。時により処によりて、神人の身魂は各自変現されたるなり。何れも豊国姫命の分霊にして、国治立命の分身なりける。少名彦(イエス)は幽界を遍歴し、天地に上下し、天津神の命をうけ猶太に降誕して、天国の福音を地上に宣伝したまふ。天道別命は天教山の噴火口より地中の世界に到達し、これまた数十万年の神業を修し、清められて天上に上り、天地の律法を再び地上に弘布せり。これを後世「モーゼ」の司と云ふ。天真道彦命も同じく天教山の噴火口に飛び入り、火の洗礼を受けて根底の国を探険し、地上に出生して人体と化し、エリヤの司と現はれてその福音を遍く地上に宣伝し、天下救済の神業に従事したり。
 また高皇産霊神の御子たりし大道別は、日の出神となりて神界現界に救ひの道を宣伝し、この度の変によりて天教山に上り、それより天の浮橋を渡りて日の御国に到り、仏者のいはゆる大日如来となりにける。神界にてはやはり日出神と称へらるるなり。また豊国姫命は地中の火球、汐球を守り、数多の罪ある身魂の無差別的救済に、神力を傾注したまへり。仏者のいはゆる地蔵尊は即ちこの神なり。天教山は後にシナイ山とも称せらるるに至りぬ。しかし第一巻に表はれたるシナイ山とは別のものたるを知るべし。弘子彦司は一旦根底の国にいたりしとき、仏者のいはゆる閻羅王なる野立彦命の命により、幽界の探険を中止し、再たび現界に幾度となく出生し、現世の艱苦を積みて遂に現代の支那に出生し、孔子と生れ、治国安民の大道を天下に弘布したりける。しかるに孔子の教理は余り現世的にして、神界幽界の消息に達せざるを憂慮し給ひ、野立彦命は吾が身魂の一部を分けて、同じ支那国に出生せしめ給ひぬ。これ老子なり。>>

(※2)
○「ハルカ」
 浅野遥のこと。浅野正恭海軍中将の養子。王仁三郎夫妻次女・梅野の最初の夫で、出口壽賀麿(すがまる)を名乗った。後に離婚。梅野は乕雄と再婚した。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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