出口澄「花明山夜話(十)」

○出口すみ子「花明山夜話 (十)」(教示集 「木の花」昭和26年3月号)

澄子「綾部の機場で、今度わしの好きなものが織れたで、まあ見てみな。」
乕雄「これは今までにない立派なものですね。」
澄子「ちょっと“生蕃人”(台湾の人)の着るようなものやが、よいやろう。」
山本「この黄色はクチナシ染めでしょうか、地色と調和してなんともいえん透明な、しかも温い調子ですね。こういう経緯が手引きの太いのべ糸で織られた味わいは他の織物には見られない世界ですね。セル代わりに単衣でよそゆきに着れば、どんなに美しいでしょう。」
直日「お仕舞の着物なんかによろしいでしょうね。しっとりとしてしゃんとしているから。」

澄子「今日は一つ面白い話をしてあげよう。教祖さま[注:出口なお開祖]のところへな、法華経を信じて、霊力のあった坊さんが、会う約束をしていた十年目に、木刀になって来られた話や。」
直日「まあ、面白そうな。」
乕雄「寝物語に童話を聞かしていただくようですね。」
澄子「そのな、昔は霊ということは知らなんだし、霊ということを言わなんだころやからみな狂気[注:きちがい]と言うたのですが――お米姉さんが神憑りになったのは明治二十四年で、この明治二十四年には丹波の何鹿郡に二十八人もの狂気ができました。私の家でも八木の久子姉さんが[注:福島久子」その前年の二十三年に、教祖様は二十五年というように、三、四、五と三年つづいて大荒れになりました。教祖様には国祖大神の艮の金神様(国常立尊様)が懸かられ、私の姉妹の方には世を乱した霊統の頭が憑いて、まことの神とその反対の霊との争いが始まりまして、その悪神の眷族が荒れ回って丹波に二十八人ものどえらい狂気ができました。
 その中でも一番ひどい狂気と言われたのが、そのころ、綾部の北西町にいたお米姉さんでした。お米姉さんは二十八ぺんも座敷牢を破ったので、しまいには大きな酒桶(俗に六尺、約180cm)に伏せたのだそうですがそうしておいてもあの重い酒桶を人の寝静まっている間に持ち上げて出てきたということです。えらい力で普通の紐や縄では切ってしまうので、丈夫な太い木綿糸の手織り一反でぐるぐると巻いておかないと追いつかないほどのすさびようでした。
 そんな時にどんな憑き物でも落とすという坊さんが回ってきました。その坊さんは『わしは日本左衛門やでな』と教祖様に言うていたそうで、国には立派な寺があり、七人のお弟子が待っているという坊さんで、ところどころのいたずらをする古い狐や狸の霊を落としたり悪い霊を封じたりしてられたえらい坊さんやったそうです。どんな憑き物でも落とされるというので、その坊さんにお米姉さんの憑き物を落としてもらうよう頼みました。その坊さんを教祖様はオダイサンと呼んでおられました。」
乕雄「弘法大師の開いた真言宗の祈祷僧を、大師さんをなまってオダイサンという地方があります。」
澄子「そのオダイサンはお米姉さんに祈祷して『これはどえらい狐が憑いている。普通には手も足にも合わん狐で、このまま放っておくと、可哀想なけれどしまいには高山に連れてゆかれてこの人の体は引き裂かれてしまいます』と言いまして、紙袋の中にお米姉さんに憑いていた霊を封じ入れました。そうすると紙袋の中がポコポコと動いて、それを見た私は気味が悪いなァと思うたのを覚えています。この紙袋をオダイサンの言いつけで綾部から一里ほど、福知山の方へ行った栗村という所の橋から川に流すことになりましたが、その役目をまだ兵隊に行っていなかった清吉兄さん[注:出口なお開祖次男・出口清吉]がすることになり栗村へ持って行きましたが、――戻りがけに決して後を振り向くな――というオダイサンの注意があったのを、ついうっかりとして後を振り返ってしまいました。そうするとその時、まじないが敗れて封じられていた霊がまたお米姉さんの体に戻ってしまいました。大槻鹿造[注:お米姉の夫]がその話をそばで聞いて『そんなにエライ狐なら、うちに祀りたい』というてその庭に鎮まってくれと頼んだところ――庭のセンザイの守り神にはならんわい――とお米姉さんの口を借りて言いました。この狐というのは○○○にもいた金毛九尾で、その眷族が何万とも知れぬほどいるのです。
 お米姉さんのご飯を食べる時は先に、庭にご飯を投げてやって、それから自分が食べていました。わしが知らんふりをして横目で見ていると眷族の狐がウジャウジャとたくさんきていました。お米姉さんは『オオ、お前きとるのか、こいこい、コラッお前はこられんぞすっこんどれッ』 『ああお前か、そんなに小そうならんともっとこっちへコイ』なんていうていましたが大勢の眷族がムシャムシャと霊でご飯を食べていました。霊で食べるのですからご飯はそのままですがお米姉さんは『鹿造炊いてくれい』という。鹿造はワメかれるとこわいので『よしよし今炊くでな』と言って炊きます。そして炊けると姉さんは庭にポイッとご飯をあけといて『鹿造、飯や飯や』。そうしてなんぼでも『飯や飯や』と催促するので、綾部一やと噂されたこともある今盛屋の大槻の家も、忽ちに貧乏になってしまいました。それがお米姉さんは意地悪で、お櫃の底の音を聞くとすぐに『飯や』とワメき、たくさんあるなと思うと、静かにしておるのです。また『飯や』といわれても持ってゆかなんだら大変なものです。『オーイ、鹿造という者はこれで三日振り飯も食わさんのやで、わしを狂気扱いにして牢に入れ、手ガネ、足ガネをしれて牢に入れた上に二重三重のセイバイをしている、警察来てくれい、警察ウ』と、二丁ぐらい、遠くへ聞こえる声でワメいて鹿造を苛めました。

 お米姉さんは大正四年に死にましたが、憑いていた霊はすぐ八木の姉さんに行き、お久姉さんから退いた時にはその霊はまた方々にうつりました。今は、○○神様ともなっています――これはわしが言うのやからほんまか、うそか知らんで――
 お久姉さんは、『ちょっと行って、ちょっと帰り、ちょっと来ておくれ』と、口ぐせのように言うていましたが、これなど霊が憑いたり、離れたりしているということがよう分かります。金毛九尾の狐というのは神にもなれば、仏にもなるというわけで、あらゆる行をして、大本の仕組にも通じています。それで前にも、大本に使うてくれと言って来たことがあります。また日本国中を調べて回り、これなら自分の仕事に使えるという人に憑くのです。そうして大本の経綸を盗ろうとしているのです。○○○さんになったり、○○教を作ったり○○神様になって世を乱すのですから油断がなりません。」

直日「お母さん、はじめの坊さんの話はどうなったのですか。」
澄子「その時、オダイサンは山家の寺に木刀を忘れてきたと言われたので教祖様は『山家の寺ならしじゅう私が商売で行っておりますのでよう知っておりますから、私が取りにいって参ります』と言われて忘れ物の木剣を山家の寺から受け取ってそのオダイサンに渡されたことがありました。その山家の寺というのは明治二十五年からの教祖様の神憑りの時、大槻鹿造の仲間で“山家の銀十”という人が教えてくれて教祖様がご祈祷してもらいに行ってられます。山家の寺のゾユスサンもその近辺では憑き物をよう封じられるという評判の坊さんでした。そのオジュスサンが教祖様に両手を合わせて祈祷をしましたが、とてもどえらい霊でどうにもならんので、自分が宝にしていた一番大切な数珠を出して、それで幾重にも手首をゆわえて、さらに祈祷しましたが教祖様がウーンと言われるとさしもの数珠がバラバラにきれて、珠がはじけて豆をまいたように座敷に散らばりましたということです。教祖は『この方をサニワする気か、修行の仕直しをしてこい』と叫ばれましたので、これはとてもわしの手でも合わんと引き下がって、それから寝込んだということです。
 それから教祖様が亀岡の西町の金助さんという家に糸繰りに行っておられる時、さきにお米姉さんの祈祷をしたオダイサンが教祖様のところに会いにこられました。何でもこのオダイサンは教祖様と別れてから始終、教祖様の後をつけて、教祖様にはわからなんだが、かげから教祖様を拝んでいたそうです。このオダイサンは教祖様の御神格を感じていたようであります。その日も金助さんの家の前に立っては拝み、また行きかけては戻ってきて、なつかしそうに教祖様を覗いておったそうです。教祖様が気づかれましてそのオダイサンを見ると前にお米姉さんを祈祷してくれたオダイサンやったので『私は覚えております』と言われますとそのオダイサンは――私もながい間一ぺんあなたに会いたいを思うてました。今日も会わずに行こうかと思いましたがどうしても今日は貴女に会いとうて――これから十年しましたらまた戻ってきて会いにきます――というて諸国行脚にどちらへともなく立ち去って行かれました。その坊さんがそれから北桑田の周知に行き宇津に行かれた時に小久さん(故湯浅仁斎翁未亡人)の近所におられ、宇津では観音さん観音さんと呼ばれて、先に話したように憑き物というと、どんなものでも除けてしまうといわれて、人助けをしていたそうです。小久さんの所へもよく遊びにこられて冬は囲炉裏にあたって話され、暖いころはよく縁先に腰かけて話して行かれたそうです。その時もよく紙袋の口のひねったのを持ってきて『今この中に悪い狸の霊を封じてきた』と言われるので小久さんが見ると紙袋がピクピク動いていたそうです。小久さんの話ではある日、四国の讃岐に行ってくるからちょっとこれを預かっておいてくれと言うて本や書き物をしたものなどが入れた箱と、木刀一本を置いてゆかれたそうです。
 その後、讃岐で国替えされたということですがそれから湯浅さんが大本に入信されてから、その時預かった箱の中に、先生(王仁三郎)の喜ばれるような参考になるものがあるかもしれませんというて、その箱と木刀とを持ってこられました。その時、先生もその本や書き物をみて非常に喜ばれましたが、教祖様はその木刀を見るなり『小久さん私はこの木刀に覚えがありますデェ。これは私がいつかオダイサンに頼まれて山家の寺から持ってきた木刀ですが、そのオダイサンは私が亀岡にいる時、十年したらまた会いに行きますと言ってどこかへ行かれましたが』と言われて、教祖様は指を折って数えられましたが『なぁ、小久さん不思議どすなぁ、ちょうど、十年になりますわなァ』と言われました。そうしてなつかしげにその木剣を手にされました。これは霊魂が木剣にうつって会いにきたのです。不思議なことですなぁ。この坊さんは表向きは日蓮宗の坊さんでしたが艮の金神様の眷族であったと私は思っています。」
直日「木剣になって逢いに来られたというところが面白おすな。」
澄子「その坊さんは、魚ケというたらダシ雑魚も食わなんだそうで、好きな酒を飲む時はいつでも野菜で、飲んでられたということです。どうやら面白かったかい。」
乕雄「この世も不思議なところですな。」
澄子「なんにもないのかい。帰んでカキ餅でも焼いて届けてあげよ。」
一同「ありがとうございました。」
(苑主 席を立って帰られる)

[後略]


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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