出口澄「花明山夜話 (六)」

○出口すみ子「花明山夜話 (六)」(教示集 「木の花」昭和25年10月号)

乕雄「お母さま、今晩はまた月例の花明山夜話をいただきにまいりました。」
澄子「ああ、そうかい。ゆっくりしてゆきや、いま梨をむいてやるでな。」
乕雄「ありがとうございます。」
澄子「綾部に行ったらミンナ言うてたで、カメヤマヨバナシて、えらい面白いて。」
乕雄「このたびは米川さんが最高点で当選したそうでおめでとうございます(注:綾部市第一回市会議員に立候補した米川清吉氏は最高点にて当選)」
澄子「神ワザやったのや、こんどはこれが世界に表れるで。」
乕雄「米川さんの演説には、真面目さと熱があったので、それが市民の人気を呼んだと言いますね。」
木田「それに九州団体参拝者の五百六十七名デモンストレーションがきいたのどすな。」
乕雄「米川さんは、綾部の繁栄は綾部に全国の人を集めることが肝要であると演説していたそうですから、アレを見た市民に異常な感動を植え付けたらしいです。」
澄子「まえに、一に大本、二に郡是(グンゼ)という唄がはやったが、こんどはその通りになった。」
乕雄「そういう民謡が以前あったのですか。」
澄子「あれはどういうところからきたのかハッキリしたことは忘れたが、明治の時分から本宮に直平という爺がいてな、その直平がどういうものか大本に敵とうてしようがなかった。それが大正四年ごろやったが、権現さんの祭りの折に、世話役の氏子同士で問答が始まったのや。大本と郡是とどちらが偉いと言い合ってな。一方はお直さん(出口なお開祖)が偉い、一方は、それやっぱり波田野さん[注:グンゼ創業者]がえらいと、どちらもなかなか譲らんので果てしがなかったが、そのうち一人が、『そら、やっぱりお直さんじゃい。波田野さんはなんぼ金があっても世界から手を合わして拝んでもらえんが、お直さんは見てみい、遠いところででも朝夕手を合わして拝んでる人があるやないか』、と言いだしたので、それには直平もウンとつまって、氏子の問答もけりがついたことがある。それから一に大本、二に郡是ということになったということや。」
木田「いつの時代にも大本にはどこかに味方がいますね。昭和十年の弾圧後ですが、今は代議士になっているノンキ節の石田一松が、

  京都で王仁を檻に入れ
    出口わからずもてあます
      ホウ、ノンキダネ、ノンキダネ

   …と大阪の寄席で唄いまして警察からしかられたことがおました。」
乕雄「なるほど面白いものですね。私もこの間、名古屋の帰り車中で同席になった人と四方山話をしていましたが、東京のセメント会社の社用で大阪に行く途中らしく、私が京都市外の亀岡に住んでいる洋画家というので、大本の話が出ましてね、先方は教祖さん[注:出口なお開祖]はエライ方です、予言通りですよ、また学問によって教祖の筆先を説明した王仁さんも偉い方ですと、エライほめだすのですよ。京都近くになって名刺をくれというのでさし上げましたが、出口というのを見て、王仁三郎さんの何かになるのでしょうと言いながら、先方もテレていましたが、こちらも今さら名乗るわけにもゆかず。」
澄子「ホホ……」

木田「むかしから大本と郡是は張り合ったのどすか。」
澄子「そんなことはないが、郡是の波田野さんはキリスト教の信者さんやでな、その当時、綾部の大本のそばの教会の牧師さんが大本のことを一々悪く言ったので、そんなことから、世間にそう見えたのかも知らん。」
乕雄「お父さんは初めは綾部の牧師さんと仲良くされていたように聞いていますが。」
澄子「そうや、梅野[注:王仁三郎夫妻次女]がまだ生まれんころ、朝野[注:出口直日の本名]を守りしながらよく教会に遊びに行かれたものや。そのころは大本も難しい時代で、厳と瑞とのタタカイの激しくでていたころで、そのころ聖師さまは暇さえあると教会の門をくぐられてキリスト教の研究をされたものです。何しろ先生は熱心に勉強されるし、一を聞いて十を知るというずば抜けた人やったので、牧師が感心して自分の後継ぎにしようと思って、大変先生を大切にしたらしいです。」
木田「そら大した弟子が現れたと思って喜んだのでしょう。」
澄子「ちょうど、そのころ教祖さま(直)と先生(王仁三郎)との霊的なタタカイを見て知っていたので、先生に『別にお澄さんがアンタの一生を捨てるよな美人でなし、お直さんに財産があるでなし、ケンカばかりしてないで――人目には親子ゲンカとしか見えないからな――ワシのあとを継いだらどうや、上田さんアンタだけの頭があったら日本でも有名な牧師になれるのに』と言ったそうです。ところが先生はキリスト教の奥をつかんでしまうと、それからは大本も忙しくなって、毎日のようには教会へ遊びに行けなくなったので、お直さんに上田さんを取られたと言うて、それから大本の悪口を言うようになったのや。」
木田「お澄みさんが美人でなしとはどんな眼の玉しとりましたんですやろう。二代さまのお若い時は、ほんまに美人どすがな、ワタイ幻灯に映った二代さまをみながら四方春蔵やとか、みんなが聖師さまとの間を敵にして騒いだのは無理ないと思いました。」
乕雄「お父さんが機嫌のよい時にはよく、おっしゃってましたな。『わしは南桑(なんそう)一の美男子、おすみは何鹿(いかるが)一の美人やってな』と。」(笑い声)

澄子「この大本の厳と瑞との争いというものは、他の教団では合点がゆかんことらしい。」
木田「ワテラでも初めは何やケッタイな、なんで一つの道の神様がそんなに争われるなんてと思っておりましたもんです。」
乕雄「現代の宗教人の理念をもってしては理解できないものでしょう。大本の歴史ほど神秘で深い真実を蔵しているものは他にないと思います。安易な倫理宗教の尺度をもってすれば非道徳的なものに解せられてしまうでしょうが。」
木田「そういう意味で私は今度の『おさながたり』[注:出口すみ教主の自伝]の進展に非常な期待をかけているのですが、二代さまの主観に照らされて、大本史の眼目であるところの厳之御霊、瑞之御霊の二大霊流がどういうふうに語られるかということについて」
澄子「さあ梨がむけた。おたべ、まだあるでな。」
木田「二代さま、おいただきします。――『霊界物語』の初発の文章“発端”に『龍宮館には変性男子の神系と、変性女子の神系との二代系統が、歴然として区別されている』と書き記されてありますが。」
澄子「そうや、わしが時あるごとに、むかしがたりをするのも、この大本ができあがった初発の御苦労をみなによく腹に入れてもらいたいからや、ここが天地の根本やからな。大本にあったことが、新しい神代の始まりやでな。それで綾部の龍宮館を世の大本と言うのやで、これはよう心の目を開いてみてもらわんならん。」
乕雄「教祖さまのご苦労というものは、ただ単に貧苦が激しかったとか、自分の子供たちが不幸な境遇に落ちたとかいうそういうことだけでなく、それらの内側に貫いているもっと大きな問題があったということですね」
木田「そう、そうでしょう。貧苦と戦った人は他にもあり、悲惨な運命にあった人はこの世にも多くありますから。」
乕雄「でありますから、われわれは大本創生記をもう一度見直さねばなりません。なにが本当の教祖さま、聖師さまの御苦労であったかということを、はっきり把握しなければならないと思います。」
木田「そうでないと本当の力が腹からわいてきませんな。」
澄子「その腹が大事なのや、この教えはまず腹から腹へ響かせてゆかんならん。」
乕雄「現代の宗教運動の多くは、頭から頭へものを移そうとすることばかりに専念しているところがありますね。」
木田「頭から頭へ移す運動は結果において非常に弱いように思うのです。」
乕雄「現代的リアリズムの敗北ですね。」
木田「聖師さまが人と面会される場合にも、理論的な話はなさらず、いつも全人間として会ってられた場合が多かったと思うのどすが。」
乕雄「宣伝歌には、歓喜の情を湛えつつ幽玄微妙の道を説け、とありますが、私はこんなことを思うのです。厳系と瑞系の二大霊流は、宇宙の根本霊流であり、あらゆるものに普遍していると思うのです。これは心理学においてもまた色彩の世界においても、いえるのではないかと思います。そういう意味で大本の出現は今後の文化母体になる非常に意味の深いものがあると思います。」
澄子「名前はいま、まだいえんが、このあいだある筋の偉い人が来て、『霊界物語』のことを言ってたが、東西の古典、仏典や聖書まで一切のものがあの中にちゃんと含まれている。あんなものを腹の中から吐き出している大本という所はとてつもない大きい所やというて感心していました。」
木田「お筆先にも、心を大きくもってくれとありますが、われわれは神様の言葉を腹にふくませて大きな気持ちにならしていただかななりません。」
澄子「ほかのところでは霊界のことが分からんやろ。大本ほど“みたま祭り”のことがはっきりしたところはあらへん。大本の“みたま祭り”をみて『これで死んでも安心や』というていた人がある。」
木田「キリスト教には御霊祭りがなく、仏教も日本に入るまでは祖霊を祀るというようなことはなかったのですな。」
乕雄「来月号の原稿に西宮の中島省三さんが霊界通信――死後の生活と芸術について――を書いておられます。天国へ行くにも、中有界で芸術の修行を受けねばならぬそうです。」
澄子「そらそうやがな、世が変わったのやで、大本は三千世界を立替えるのやから霊界もさらつになるのや。聖師さまが昇天されてからは霊界もえらい変わり方や。」
木田「そうですか。やかましい聖師さまのことやから霊界でも歌を作れ、というてはり切ってられますやろうから、霊界も忙しいことでしょう。」
澄子「大本の宣伝使が国替えすると、あっちからもこっちからもお話を聞かしてくれエというて、他の教団の霊界からも頼みに来ていそがしいうしている。」
木田「大阪のエスミさんの霊界通信にも、聖師さまのところは毎日お客さんがいっぱいで、賄い係も道具係も忙しうて、てんてこ舞いやとありました。」
澄子「ミロクさまがお出ましになりお帰りになったので、霊界も変わりよります。霊界が変わるので現界もまだまだ変わります。楽天社が大きくなるのも霊界の写しや、わしももう金はかかるし年も寄ったし、機(はた)どもしやせんと思うていたが、いややのにせんならんようになってくる。それが仕掛けたら好きで好きで、じっとしておれん。」
乕雄「お父さんは茶碗を残されましたが、お母さんはこれから立派な織物をたくさん作っていただきたいと思います。最近、綾部で織られましたのは色合いといい模様といい、立派ですね。淡墨色というか、あのホンノリとした黒は他のものでは見られない静かな立派な色です。」
澄子「大本の中の鶴山の木で染めたのや、地の高天原の草木と龍宮海の底から湧きでる水で染めてあるのや。神様が『澄には珍しい機を織らす』(※1)と言われたから私はどうしても機を織らないかん因縁になっている。教祖さまが経(たて)、聖師さまが緯(よこ)、私がこれから世界の大機を織るのやで、みんな、しっかりやりなよ。」

(※1)
大本神諭「明治31年11月30日」
 昔の世は裃で、何に彼の事が儀式が立ちて、規律が良く付いて居りたなれど、外国の教が善いと申して、現代の大将までも洋服を着て、沓を履く如うな時節に成りてしまふて、裃は全然破れて、間に合はん事に成りて居りたなれど、矢張り日本は上下が揃はんと、口舌が絶えんから、昨年から大本には、破れた裃を解いて、全部緯糸に織りて、世のツクネ直しの証をして見せたぞよ。その機(はた)は澄子が正真の機を織る、芽を出す折の筆先で在るが、綾部の大本に在りた事は皆世界に在るぞよ。何も大本にして見せるぞよ。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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