大祓祝詞解説(1)-霊界物語より

☆大祓祝詞解(1) 出口王仁三郎

《「大祓祝詞解説」は大本機関誌「神霊界」大正七年九月一日号から十月十五日号にかけて、浅野邇三郎(浅野和三郎)の署名で連載された(執筆は王仁三郎)。後に「神の国」大正十二年九月十日号と九月二十五日号に収録された。第一次大本事件後の昭和二年、『祝詞略解』に「天津祝詞解」「大本祝詞」と共に再録された。最終的に『霊界物語』第三十九巻に収録されている。》

大祓祝詞おおはらえのりと中臣なかとみはらへとも称へ、毎年六月と十二月の晦日みそかを以て大祓執行に際し、中臣が奏上する祭文で延喜式えんぎしき載録さいろくされてある。従来この祝詞のりとの解説は無数に出ているが、全部文章辞義の解釈のみに拘泥し、その中にこもれる深奥の真意義にはほとんど一端にさへ触れてゐない。はなはだしきは本文の中から『己が母犯せる罪、己が子犯せる罪、母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪、畜犯せる罪』の件を削除するなどの愚劣を演じてゐる。自己の浅薄卑近なる頭脳を標準としての軽挙妄動であるから、神界でも笑って黙許もっきょに附せられてゐるのであらうが、実は言語道断の所為と云はねばならぬ。大祓祝詞の真意義は古事記と同様に、大本言霊学の鍵で開かねば開き得られない。さもなければ古事記がひとつの幼稚なる神話としか見えぬと同様に、大祓祝詞もくだらぬ罪悪の列挙、形容詞沢山の長文句位にしか見えない。ところが一旦言霊ことだまの活用を以てその秘奥を開いて見ると、偉大というか、深遠というか、ただただ驚嘆のほかはないのである。我国体の精華がこれによりて発揮せらるるは勿論のこと、天地の経綸、宇宙の神秘はくわしきが上にもくわしく説かれ、明かなる上にも明かに教へられてゐる。これを要するに皇道の真髄は大祓祝詞一篇のうちに結晶してゐるので、長短粗密の差異こそあれ、古事記、及び大本神諭とその内容は全然符節を合するものである。

言霊の活用が殆ど無尽蔵である如く、大祓祝詞の解釈法も無尽蔵に近く、主要なる解釈法だけでも十二通りあるが、なるべく平易簡単に、現時に適切と感ぜらるる解釈の一箇をこれから試みようと思ふ。時運は益々進展し、人としての資格の有無を問はるべき大審判の日は目前に迫ってゐるから、心ある読者諸子は、これを読んで、真の理解と覚醒の道に就いて戴きたい。


高天原たかあまはらかみつまります、皇親すめらがむつ神漏岐かむろぎ神漏美かむろみみこともちて、八百万やほよろず神等かみたち神集かむつどへにつどたま神議かむはかりにはかたまひて、あが皇孫命すめみまのみこと豊葦原とよあしはら瑞穂みずほくにを、安国やすくにたいらけく所知食しろしめせ事依ことよさまつりき

△高天原に  『タカアマハラ』と読むべし、従来『タカマガハラ』または『タカマノハラ』と読めるは誤りである。古事記巻頭の註に『訓高下天云阿麻』と明白に指示されておりながら従来いずれの学者もこれを無視してゐたのは、ほとんど不思議なほどである。一音づつの意義を調ぶれば、「タ」は対照力なり、進む左也、火也、東北(艮)より鳴る声也、父也。また「カ」は輝く也、退く右也、水也、西南(坤)より鳴る声也、母也。父を『タタ』といひ、母を『カカ』と唱ふるのもこれから出るのである。また「ア」は現はれ出る言霊、「マ」は球の言霊、「ハ」は開く言霊、「ラ」は螺旋らせんの言霊。即ち『タカアマハラ』の全意義は全大宇宙の事である。もっとも場合によりては全大宇宙の大中心地点をも高天原と云ふ。いはゆる宇宙に向って号令する神界の中府所在地の意義で『地の高天原』と称するなどがそれである。この義を拡張して小高天原は沢山ある訳である。一家の小高天原は神床であり、一身の小高天原は、臍下丹田せいかたんでんであらねばならぬ。ここでは後の意義ではなく、全大宇宙その物の意義である。これを従来は、地名であるかの如く想像して、地理的穿鑿せんさくを試みてゐたのである。

△神つまります  「かみ」は日月、陰陽、水火、霊体等の義也。陰陽、水火の二元相合して神となる。皇典にいはゆる産霊むすびとはこの正反対の二元の結合を指す。日月地星辰、神人その他宇宙万有一切の発生顕現は悉(ことごと)くこの神秘なる産霊の結果でないものはない。また「つまり」とは充実の義で、鎮坐の義ではない。「ます」は「まします」と同じ。
△皇親  すめらは「すます」の義、全世界、全宇宙を清澄することを指す。むつは『ムスビツラナル』の義で、即ち連綿れんめんとして継承さるべき万世一系の御先祖の事である。
△神漏岐、神漏美  神漏岐は霊系の祖神にして天に属し、神漏美は体系の祖神にして地に属す。即ち天地、陰陽二系の神々の義である。
△命もちて  命(ミコト)は神言みこと也、神命みこと也。即ち水火みかの結合よりなる所の五十音を指す。元来声音は「心の柄」の義にて、心の活用の生ずる限り、これを運用する声音が無ければならぬ。心(即ち霊魂)の活用を分類すれば、奇魂くしみたま荒魂あらみたま和魂にぎみたま幸魂さちみたま四魂しこんとこれを統括する所の全霊に分類できる。いはゆる一霊四魂いちれいしこんであるが、この根源の一霊四魂を代表する声音はアオウエイの五大父音である(※1)。宇宙根本の造化作用は要するに至祖神の一霊四魂の運用の結果であるから、至祖神の御活動につれて必然的にアオウエイの五大父音がづ全大宇宙間に発生し、そしてその声音は今日といへども依然として虚空に充満みちみちてゐるのだが、余りに大なる声音なので、余りに微細なる声音と同様に、普通人間の肉耳には感じないまでである(※2)。しかし余り大ならざる中間音は間断なく吾人の耳朶に触れ、天音てんおん地籟一ちらいいつとして五大父音に帰着せぬは無い。鎮魂して吾人の霊耳を開けば、聴こゆる範囲はさらにさらに拡大する。さて前にも述ぶるがごとく、声音は「心の柄」、心の運用機関であるから天神の一霊四魂の活用が複雑におもむけばおもむくだけ、声音の数も複雑におもむき停止する所はない。その中に在りて宇宙間に発生した清音のみを拾ひ集むれば四十五音(父母音を合せて)濁音、半濁音を合すれば七十五音である。これは声音研究者の熟知する所である。拗音えうおん捉音そくおん鼻音びおん等を合併すれば更に多数に上るが、要するに皆七十五音の変形で、あらゆる音声、あらゆる言語は根本の七十五声音の運用と結合との結果にほかならぬ。されば宇宙の森羅万象一切は是等無量無辺の音声すなわち言霊の活用の結果と見てさしつかえない。これは人間の上に照して見てもその通りである事がよく分る。人間の心の活用のある限り、これを表現する言霊がある。『進め』と思ふ瞬間にはその言霊は吾人の身体の中府から湧き、『退け』と思ふ瞬間にも、『寝よう』と思ふ瞬間にも、『やらう』と思ふ瞬間にも、その他いかなる場合にも、常にその言霊は吾人の中心から湧出する。即ち人間の一挙一動悉く言霊の力で左右されるというてもよろしい。従って言霊の活用の清純で、豊富な人ほどその使命天職も高潔偉大でなければならぬ。
△八百万の神等  万百のヤは人、ホは選良の義、万は沢山、多数の義である。
△神集へに集へ賜ひ神議りに議り玉ひて  神の集会で神廷会議をもよおすことである。
△我皇御孫之命  五十音の中で「ア」は天系に属し、「ワ」は地系に属す。故に至上人に冠する時に我は「ワガ」と言はずして「アガ」といふ也。皇(スメ)は澄し治め、一切を見通す事、御(ミ)は充つる、円満具足の義、孫(マ)はマコトの子、直系を受けたる至貴の玉体。命は体異体別の義、即ち独立せる人格の義にして、前に出でたる命(神言)みことから発足せる第二義である。全体は単に『御子みこ』といふ事である。元来、霊も体もその根本にさかのぼれば、皆祖神のたまもの、天地の賜である。故に皇典では常に敬称を附するをもって礼となし、人間に自他の区別は設けられてないのである。
△豊葦原の水穂国  全世界即ち五大洲の事である。これを極東のある国の事とせるが従来の学者の謬見びょうけんであった。日本を指す時には、豊葦原とよあしはら中津国なかつくに、または根別国ねわけのくになどと立派に古事記にも区別して書いてある。
△所知食  は衣食住のわざを安全に示し教ふる事を云ふ。地球は祖神の御体であるから、人間としては土地の領有権は絶対に無い。例へば人体の表面に寄生する極微生物に人体占領の権能がないのと同様である。人間は神様から土地を預り、神様に代りてこれを公平無私に使用するまでである。「うしはぐ(領有)」ものは天地の神で、主治者はあくまで「知ろしめす」であらねばならぬ。国土の占領地所の独占等は、根本から天則違反行為である。神政成就の暁には独占は無くなつてしまふ。

(大意)
全大宇宙間には陰陽二系の御神霊が実相充塞し、それはすなわち一切万有の父でありまた母である。陰陽二神の神秘的産霊むすびの結果はまず一切の原動力とも云ふべき言霊の発生となった。いはゆる八百万の天津神の御出現であり、御完成である。天界主宰の大神は云ふまでもなく天照皇大神あまてらすすめおほみかみ様であらせらるるが、その次ぎに起る問題は地の世界の統治権の確定である。是において神廷会議の開催となりその結果は天照大神様の御霊統を受けさせられた御方が全世界の救治に当らるる事に確定し、治国平天下の大道を執行監督さるべき天の使命を帯びさせらるる事になつたのである。無論人間の肉体は世に生死往来するをまぬがれないが、その霊魂は昔も今も変ることなく千万ちよよろず世に亘りて無限の寿を保ちて活動さるるのである。


かくよさしまつりし国中くぬち荒振あらぶる神等かみたちをば神問かむとはしにはしたまひ、神掃かむはらひにはらたまひて、語問こととひし磐根いわね樹根立きねたちくさ片葉かきはをも語止ことやめて、天之磐座あめのいわくらはなち、天之八重雲あめのやへくも伊頭いず千別ちわき千別ちわきて、天降あまくだしよさしまつりき。

△荒振神  天界の御命令にまつろはぬ神、反抗神の意である。
△神問はしに云々  神の御会議。罪あるものは神に向ひて百万遍祝詞を奏上すればとて、叩頭を続くればとて、それで何の効能があるのではない。いわんや身欲信心に至っては、言語道断である。神様に御厄介をかけるばかり、碌な仕事もせぬ癖に、いざ大審判の開始されむとする今日、綾部を避難地でもあるが如くに考ふるやうな穿違はきちがひの偽信仰は、それ自身において大罪悪である。神は先づ其様な手合から問はせらるるに相違ない。
△神掃ひに云々  掃ひ清むること、神諭のいはゆる大掃除大洗濯である。
△語問し  諸々の罪の糾弾である。
△磐根樹立  草の枕詞、即ち磐の根に立てる樹木の、そのまた根に立てる草の義。
△草の片葉  草は青人草あおひとぐさ、人のこと、また「片葉」は下賤の人草の意である。
△語止めて  議論なしに改悟せしむるの意である。
△天之磐座放ち  磐座は高御座たかみくら也、「いは」も「くら」もともに巌石の義。放ちは離ち也。古事記には、『離天之石位』とあり。
△八重雲  いやが上にも重なりたる雲。
△伊頭の千別に千別けて  伊頭は稜威みいず也。即ち鋭き勢を以て道を別けに別けの義。
△天降しよさし奉りき  『天降し……の件をよさし奉りき』の義にて中間に神秘あり。天降しは天孫をして降臨せしむる事、換言すれば天祖の御分霊を地に降し、八百万の国津神くにつかみ達の主宰として神胤が御発生ある事である。

(大意)
既に地の神界の統治者は確定したが、何しろ宇宙の間はいまだ未製品時代に属するので、自由行動をとり、割拠争奪を事とする兇徒界きょうとうかいが多い。これは最も露骨に大本開祖の御神諭に示されてゐる所で、決して過去の事のみではない。小規模の救世主降臨は過去にあったが、大規模の真の救世主降臨は現在である。『七王も八王も王が世界にあれば、この世に口舌が絶えぬから、神の王で治める経綸が致してあるぞよ』 (※3)とあるなどは即ちこれを喝破かっぱされたものである。その結果是等悪鬼邪神の大審判、大掃除、大洗濯が開始されいはゆる世の大立替の大渦中に突入する。さうなると批評も議論も疑義も反抗も全部中止となり稜威赫々かくかくとして宇内うだいを統治したまふ神の御子の世となるのである。


如此かくよさし奉りし四方よも国中くになか大日本おほやまと日高見之国ひだかみのくにを安国とさだめ奉りて、下津磐根したついわね宮柱みやばしら太敷立ふとしきたて高天原たかあまはら千木ちぎ多加知たかしりて、皇御孫命すめみまのみこと美頭みず御舎みあらかつかへ奉りて、あめ御蔭みかげ の御蔭とかくして、安国とたいらけく所知食しろしめさ国中くぬち成出なりいでむあめ益人等ますひとらがあやまちおかしけむ雑々くさぐさ罪事つみごとは……』

△四方の国中  宇宙の大中心。
△大日本日高見之国  四方真秀よもやま、天津日のくまなく照り亘る国土を称へていふ。ただし宇宙の大修祓だいしゅうばつがすんでから初めて理想的になるのである。
△下津磐根  地質が一大磐石の地で、すなわち神明の降臨ある霊域をさす。『福知山、舞鶴は外囲ひ、十里四方は宮の内』 (※4)とあるもまた下津磐根である。
△宮柱太敷立  宮居の柱を立派に建てる事。
△千木多加知  屋根の千木を虚空(高天原)に高く敷きの義。千木は垂木たるき也。タリを約めてチ。
△美頭  うるはしき瑞々しき意。
△仕へ奉り  御造営の義。
△天の御蔭云々  天津神の御蔭、日の大神様の御蔭と自分の徳を隠したまふ義。神政成就、神人合一の時代においては人はことごとく神の容器いれものである。世界統一を実行すとて、その功績はこれは天地の御恩に帰し奉るが道の真随しんずいで、忠孝仁義の大道は根源をここから発する。坐(ゐ)ながらにしてその御威徳は宇内に光被こうひし、世は自然と平けく安らけく治まるのである。
△天の益人  天は敬称である。益人は世界の全人類を指す。マスラヲといふ時は男子のみを指す。マは完全、スは統治の義。またヒは霊、トは留まる義。
△罪事  ツミは積み也、また包み也。金銭、財宝、糧食等を山積私有するは個人本位、利己本位の行為で、天則に背反してゐる。また物品を包み隠したり、邪心〔蛇心〕じゃしんを包蔵したり、利用厚生の道の開発を怠ったりする事も堕落腐敗の源泉である。かく罪の語源から調べてかかれば罪の一語に含まるる範囲のいかに広いかが分る。法律臭い思想ではとてもその真意義は解し難い。

(大意)
天祖の御依託によりて救世主が御降臨遊ばさるるに就きては、宇宙の中心、世界の中心たる国土を以て宇内経綸、世界統一の中府と定め給ひ、天地創造の際から特別製に造り上げてある神定の霊域に、崇厳無比の神殿を御造営遊ばされ、惟神の大道によりて天下を知ろしめされる事になる。神諭のいはゆる『神国の行ひを世界へ手本に出して万古末代動かぬ神の世で三千世界の陸地の上を守護』 (※5)さるるのである。それに就きては直接天津神の手足となり、股肱ここうとなりて活動せねばならぬ責任が重い。いかなる事をなさねばならぬか、またいかなる事をしてはならぬか、明確なる観念を所有せねばならぬ。次節に列挙せらるる雑々の罪事といふのはことごとく人として日夕ひっせき服膺ふくようせねばならぬ重要事項のみである。

(※1)
○「声の順序」 玉鏡(昭7/1)
声にも順序がある。今日ではアイウエオ、カキクケコと云ふが本来はアオウエイ、カコクケキと云ふべきである。ア列は天位であるから上を向いて声を出す。オ列ウ列エ列イ列の順序で次第に下を向いて声を出す。鶏がコケコウコーと鳴く時に首を上下に振るのもその順序に従って振るのである。アハハハ、オホホホ、ウフフフ等と笑ふ時もアンアンオンオン等と泣く時も、この声を出す態度はきまって居る。アオウエイをアイウエオと云ふやうになったのは安倍晴明の頃からである。

(※2)
○「宇宙の声音」 玉鏡(昭6/4)
この大宇宙には、アオウエイの五大父音が鳴りなりて鳴りやまず不断に轟いてゐる。そして此父音より発する七十五声の音響は種々様々に相交錯して、音楽の如く、鳥の声の如く、秋野にすだく虫の音の如く微妙の音声を絶えず放ってゐる。この微妙の音声は、天地進展の響きであって、これによって森羅万象一切が生育発達を遂げてゐるのである。言霊の幸ふ国、言霊の天照る国、言霊の助くる国等といふ言葉は日本のみの事でなく、天地森羅万象一切の進展的活動に対して称へたる言葉である。大声裡耳に入らずと云って人間の聴覚力には限度があって余り大なる音響も亦微細なる音響も聞きとる事が出来ないのであるが、言霊の大道に通じた人の耳には五大父音を始め森羅万象より発する七十五声の微妙の音声を聞く事が出来得るのである。
大本[出口なお]開祖はいつも宇宙万有の微妙の声を聞いてその天造力の偉大さを讃歎されてゐた。然し老齢の為耳鳴りがしたのとは全然訳が違ふのである。人間の聴覚力は風雨雷霆の音や禽獣虫魚のなく声、人間同士の言語又は器物より発する音楽の外、宇宙の声音は聞きとる事が出来ないので、王仁が宇宙の声を常に聴くといっても容易に信ずる事は出来ないのを遺憾に思ふ次第である。

○「ヨハネ伝」 玉鏡(昭7/1)
今日の牧師に一番惜むべきは、ヨハネ伝福音書の第一章が真解出来ぬ所にある。「太初に道あり、道は神と偕にあり、道は即ち神なり」とあるが、言葉即ち道は充ち満つるの意味で高天原のことである。この天地は言霊の幸はふ国で言葉は即ち神である。祝詞や祈の言霊によって、よい神が現はれるのである。声の澄んだ人ほど魂はよい。

○「宇宙の声」 玉鏡(昭7/4) 
「道」は充ち満つるの意である。この宇宙には言霊が充ち満ちてゐる。即ち一つの機械でも動かせば非常なる音響を発するごとくに、この宇宙も大旋廻してゐるから、非常な大音響を何時も発してゐる。即ちアオウエイの五大父音が鳴り鳴りて鳴り止まずに居るのである。音響もまた言葉の一種である。意識的に発するのが言葉であり、無意識に発するのが音響である。兎に角、言葉は「道」であり「神」である。

(※3)
「明治26年…月…日」
お照しは一体、七王も八王も王が世界に在れば、此世に口舌が絶えんから、日本の神国の一つの王で治める経綸が致してあるぞよ。外国は獣の○であるから○○に致すぞよ。この日本は神国の世であるから、肉食なぞは成らぬ国を、余り汚して、神は此の世に居れんやうに成りたぞよ。世界の人民よ、改心致されよ。ビックリ箱が明くぞよ。神国の世に成りたから、信心強きものは神の御役に立てるぞよ。今迄はカラと日本が立別れて在りたが、神が表に現はれて、カラも天竺も一つに丸めて、万古末代続く神国に致すぞよ。

「明治36年旧7月13日」
露国から始まりて、大戦争が在ると申してあるが、彼方(あちら)には深い大きな計画をいたしておるなれど、上からは一寸(ちょっと)も見えん、艮の金神の日本には経綸がいたして在るぞよ。日本は神国で結構な国じやと云ふ事は、判りて居れど、何を申しても国が小さいので、一呑に為ておるから、日本の人民の今の精神では、戦争が始りたら日本魂(やまとだましい)が些(チッ)とも無いから、狼狽(うろたへ)てしまふぞよ。是から段々と世が迫りて来て、世界中の大戦争となりて、窮極(とことん)まで行くと、向ふの国が一つになりて、皆攻めてきた折には、兎(と)ても敵はんといふ人民が、神から見ると九分まであるが、日本はモウ敵はんと申す処で、日本魂の生神の本の性来を、出して見せて遣ると、日本魂は胸に詰りて呑めぬから、外国の守護神が、「元の霊魂(みたま)の力はエライものじや、誠ほど恐いものは無い」と申して、往生する処まで日本の人民は堪忍(こばら)な、今度外国が強いと見たら、皆外国へ属いてしまふから、ソコデこの綾部の大本に仕組てある事を、日本の人民が能く腹に入れて、御用を致す身魂が二、三分出来たら、其所(そこ)で昔からの経綸の神が現はれて、七王も八王もある国を、誠一つの神智からで往生致さして、世界中の安心が出来るやうに致して、昔の元の神代に復(かへ)すぞよ。

「明治43年旧4月18日」
是だけ世界に沢山王がありては治まらんから、神が表に現はれて、七王、八王を陣引(曳)いたさして、日本の真[誠]の神国の、万古末代動かぬ一つの王で三千世界を治めるぞよ。時節が近よりたらから、一日も早く改心いたして夢を醒して下され。太初(もと)の地を拵えた生神は残念なぞよ。モウこの先は神の守護いたす、真[誠]の神代の経綸どほりに立替てしまふから、今迄の事思ふて、自己本意(われよし)の行り方いたして居りたら、辛う成りて一寸も動きの取れん事になりてしまふから、「改心、改心」と一点ばりに気を附けたが、モウ気の附けやうがないぞよ。モウ神は一ト切りと致して、天の守護にかかるから、モウ神に落度はあるまいぞよ。

「明治43年旧8月7日」
三千世界を一ツに丸めて、世界の大神となりて斯の世を治めんと、人民の王を七王も八王も拵らへて置くと、世界の小言が絶えは致さんぞよ。何時になりても○○の王で治めて置いたならば、天下泰平に治まると云ふ事が無いから、今度の神界(かみ)の御用を奉勤(いたす)のは、元の生粋の日本魂の直系(じき)の御神胤(おんたね)で無い事には、勤め上りは致さんぞよ。「この神が世界を自由に致す」と申すのは、世界中のものは何も彼も埋物(うずめもの)一切を、綾部の陸(あげ)の龍宮館の高天原へ引寄せて、三千世界の宝比べを致すぞよ。出口が元で大島が入口で、昔の世の元の陸の龍宮館は、元の生神が立帰りて住居をいたす宮屋敷であるから、明治25年から出口直に書してある筆先通りに、毛筋も違ひは致さんから、神宮本宮の元の屋敷へ、太古(もと)の生神は皆揃ふて立帰りて居るなれど、この村は……。

「大正6年旧2月9日」
七王も八王も王があると、国土が治まると云ふ事が無いから、七王も八王もあるカラの国の王を[たいら]げて、世界一つに丸めて神国の世に致すには、この世の元を拵へた、日本の天と地との根本の真(まこと)の王で治める時節が参りて来たから、明治25年から今に続いて知らしてあるぞよ。世界の今度の大戦争は、世界中の人民の改心の為であるぞよ。まだまだ是では改心が出来ずに、日本の国を取る考へを外国の悪神が致しているぞよ。日本は神国、神の誠の守護致してある国であるから、何程外国に人民が沢山在りたとて、智慧や学が有りたとて、神国には到底(とて)も敵[叶]はん仕組が世の元から致してあるから、九分九厘で手掌返して、万古末代潰れる日本の神の王で、三千世界を丸めて、人民を安心させ、松の世、仁愛神の世、神世といたして、天地へ御目に掛ける時節が近うなりたぞよ。日本の国に一輪咲いた梅の花、三千世界を一つに丸めて一つの王で治めるぞよ。

(※4)
「明治25年旧正月…日」
福知山、舞鶴は外囲ひ。十里四方は宮の内。綾部はまん中になりて、金輪王で世を治めるぞよ。綾部は結構な処、昔から神が隠して置いた、世の立替の、真[誠]の仕組の地場であるぞよ。

(※45
「明治35年旧3月11日」
この世を此儘にして置いたなれば、日本は外国に略取(とら)れてしまふて、世界は泥海に化るから、末法の世を縮めて松の世を縮めて松の世に致して、日本神国の行状(おこなひ)を世界の手本に出して、外国人を従はして、万古末代動かぬ神の世で、三千世界の陸地(おつち)の上を守護致して、神、仏事、人民を安心させてやるぞよ。そこへ成るまでに、世界には、モ一つ世の立替の大峠があるから、一日も早く改心いたして、神に縋りて誠の行いに替えて居らんと、今迄のやうな、我さえ善けら人は倒(こ)けやうが仆(たお)れやうが、見向もいたさん精神でありたら、神の戒め厳しきから、到底この大峠は越す事は出来んぞよ。

大祓祝詞
大祓祝詞解説(2)-霊界物語より
大祓祝詞解説(3)-霊界物語より




テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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