出口澄「花明山夜話(二)」

○出口すみ子「花明山夜話(二)」(教示集 「木の花」昭和25年5月号)

[前略]

乕雄「先月号の花明山夜話は何べん読んでみても面白く、読みやすくて少しもあきませんでした。お母さん[注:出口乕雄、旧姓・田上虎雄 は王仁三郎夫妻次女・梅野の婿]の話が惜しいところできれていて残念でした」
澄子「おまいらわしのあんなあほなことまで書いてくれて……。しかしわしも先生(王仁三郎聖師)といっしょで、てらいごとのないのが好きやで、読んでもらって面白かった」
乕雄「お母さんのああいう話しぶりが、ここの教えを親しみやすくするのですよ、世間の人があれを読むと、いい意味でちょっと面食らうのではないかと思います。」
山本「そうです、まだまだ社会では愛善苑[旧]を古い世評の枠にいれて見ていますから、あれを読めば自分たちで考えていた宗団とか管長とかいう見方が愛善苑にあてはまらないことを感じて親しみを持つと思います。」
乕雄「あの終わり方のうた “紅いべべ着て紅じょじょはいて”は読んでいるうちに自然に肥えが出てリズムがわき、明治初期の日本の児童、自分達の母の時代を思い出しました。」
澄子「わしはああいうかわいいところもあったし、またわしは子供のころは小さかったが、ごんたでははりきっていたのや。袂に石ころをいれてな、だれでも彼でもコツンコツンとたたいてまわった。」
山本「私はいつも二代さまの幼語り(おさながたり)をきくと絵本の桃太郎を思い出すのですよ。今ごろの子供にはあのような元気な子供はおりませんな。」
澄子「昔でもわしのようなのは類がないが、しかし昔は大体乱暴なことが多く祭りの神輿をかついでも、ふだん憎まれている家は半潰しにあわしたものやで。わしの子供の自分は昼間は教祖さま[注:出口なお開祖]が留守やったので好きなことをして遊んだが、中でも芝居が一番好きやった。近所の子供を集めてきて顔を塗って上手にしました。」
乕雄「聖師さまも回顧歌集で芝居をして遊ばれたことを歌っていられます。
   人間は皆本能的に芝居に興味があるのですね。大人になってもこの芽は強く潜在しています。」
澄子「それはわしばかりじゃない、だれでも芝居は好きや。教祖さまは神懸りになられました後で、神様に『ここは仕舞を舞うようになるのやから』(※1)と教えられて、神様が指導(てびき)で仕舞を舞われたことがあります。これからはここでも芝居は盛んになるし、盛んにせないかんのや。」
乕雄「いつかお母さんから大本では幕なしの芝居がかかるようになることを神様がおっしゃっていると聞きましたが、しかしいくら神様がそういう契機を送られても、芝居は人間がやるもので、我々が手をこまねいていては実現できないものです。これらの神約はやはり人間の努力の上に現れてくると思うのですが、どうも“われ笛吹けども友ら踊らず”で、現在 木の花座(当時の芝居劇団)に対して陰で下馬評はしても、積極的な理解はないのです。」

澄子「そりゃあ、そんなことはどもならん。わしはこのごろ思うとるのやが先生の楽焼[注:耀盌のこと]なぁ、あれが本当の如意宝珠やったのや(※2)。わけのわからんことをどったらこったら聞くのは前から好かんのやが、わしは近ごろ神様の話をしているより機(はた)を織っている方がたのしいのや。」

乕雄「教祖さまも大本の理想のあり方について言ってられますように、大本は奥山のようにひっそりした静かなところにならねばいかんという――私はあの言葉が好きでして、あの言葉から今後の行き方について深い教を受けるのです。同じ筆先の言葉でも『あれでならこそ』という言葉(※3)は私にはどうも意識的なものに響いてくるのです。あの奥山のような静かなところという言葉、そういう姿を早くここに実現したいと思うのですよ。今お母さんのいわれていた静かに機織りをなさっておられたいというお気持ちと同じことで、これが実現するようにさしていただかねばならんと思うのです。」
澄子「そうやで、とにかく、足元が大事やでなぁ。足元から直さないかん。教祖さまの御苦労を思う気持ちが今は少し薄れている。今は今でよいところがあるが昔の静かな親しさがなつかしい。…金沢はどうやったなぁ。」
乕雄「宗教博覧会ですか。嵯峨(保二)さんを中心にして皆さんが実によく結束されて一生懸命でした。嵯峨さんも上着をぬいで会場につめきりで陣頭指揮というところで、他の人はにわか大工もやるし、看板塗りもして大車輪の活躍でした。」
澄子「それでほかの会場と比べてどうやった。」
乕雄「それはこちらが段違いに光っています。あちらの会員の人の今度の博覧会に打ち込んだ誠が会場に満ちみちているのですな。歩いて見て、とにかくうたれますよ。」
澄子「そうでも他の団体は古い歴史を持っているし、こちらは新世帯やで心配しとったのや。それでわしはふと思いついて大本というところは世界の型を実地にさせられるところやで、昭和十年の事件、あれも写真だけ並べたんでは人にわからんでな、それであの月宮殿の仁王さんの首(※4)とか伊都能売観音(いづのめかんのん)さんの首なぁ、あの手足をバラバラにされた首を持っていって実地を見せたら分かるやろうと思ったのや。あれくらいこっちが無茶な弾圧を受けた証拠になるものはないで。しかしこわいもんや。ほとんど日本があの通りになった[現代注:日本を象徴する戦艦「大和」の最後が象徴している]。
乕雄「そりゃ実際あれを見たらだれでもこたえますよ。あれを送っていただいたので、むこうの人は大変喜んでいました。お母さんの今度の博覧会へのそういうお気持ちが非常に力になりました。」

[後略]

(※1)
○「仕舞≠しまひ」
[現代注:大本神諭には「しまひ」と書いて「終末」と読ませる箇所がいくつもあります。「仕舞」と思っている今の大本教は大きなトリ違えをしているのではないでしょうか?]

(※2)
○出口王仁三郎聖師の耀盌制作時の様子・側近の回想については「花明山夜話 (十三)」が詳しい。
日向「何で茶盌をつくったかということをおっしゃってられませんでしたか。」
内海「『五大州を型っどっているのや。それをこの茶盌に示してあるのや』と言われていました。」
素山「『霊がかかって来る』とか言われたと聞きますが……。」

出口すみ子「花明山夜話 (十四)」
木田「あのお茶盌でえらいお蔭頂いている人がようけありまっせ。」
澄子「そうやってな。聖師さんはお茶盌を造って帰られた時はほんまに楽しそうやった。愉快でほがらかでえらい勇みなはったもんや……『おすみ、今に見ておれ、この茶盌はどえらいもんいなってみんなが吃驚しよるのやでぇ』と言うとってでしたが、わしはまた、何言うとりはなるこの爺さん、気でも狂うたんかいな、しょうもないこんなもんを、と思うて見ておりましたがな。(笑い声)」
木田「まことに聖師様の仰せの通り耀盌は全国にひびいています。」

出口すみ子「花明山夜話 (十七)」
四海「(苑主に写真をお渡ししながら)徳島でのお作品展の会場を写した写真です。」
澄子「えらいたくさんな人やなぁ。」
乕雄「それは、お楽焼の前に集まっている人たちです。若い人でしたが会期の三日間、毎日毎日やって来て、魂をすいとられたように長いこと、ジーッと見つめていた人がありました。聞いてみると、茶盌の綺麗な色が、眼にちらついて夜になっても眠れないのだと言っていました。」
澄子「光平さんのお母さんの妹さんの家は、道具なんか立派なものがたくさんあってな。そのご主人が大へん焼き物が好きで、自分で焼き物の窯まで築いているほどの人や、そのこと聞いてるもんやで、亀岡へ来なさった時、聖師さんのお茶盌二つほど持たしてやって、どっちかあんたの好きな方をお土産にあげますと言うたら、その人ビックリして、お茶盌持ったきり離さへんのや、二つとも好きや言うてな、とうとうその人一晩中寝れなんだそうな。それで二ツともあげてしもうたがな。」
乕雄「だんだんそうなふうになって来るので、お父さんも歓んでおられるでしょう。」
澄子「先生が茶盌作ってること、私は『あんたエライふうふういうてぶるぶる汗かいて、そんな事せんでもちょっとでも寝たら良いのに』というていましたが、『あほなこと言うてるが、先みてけっかれ、先になるとどんなものや、みんながビックリするで』と独りで力んで言うていられました。それでも時々おかかにでも、ほめてもらおうと思うて、『お澄や、これみてみい』と言うておられましたが、わたしはちょっとも知らん顔していたが、つまらん顔しとってやった。」
四海「聖師様の御在世中はそんな具合で、ほんとうに皮肉なものどすな。」

『大本神諭』 大正5年旧5月14日
 この世へ出て折れる神の精神が悪いから、世界中の何も知らん人民が、知らず知らずに悪魔に成りて、此状態(このなり)で世の立[建]替を致さずにおいたら、日に増しにこの世の人民が、鬼と、悪蛇と、悪魔斗りに皆成りてしまうて、身魂がジリジリ減りに人が無くなるぞよ。残りて居る人民も、ドう仕やうにも仕様の無い如うになりて、人民を共[供]喰に致すやうに成りて、それはイヤラしい世になりて、この世が一旦絶滅(たえ)てしまふぞよ。是までとはモ一つ敵[叶]はん世に成りて、一日増に霊魂が無い如うに成りてしまふ処までの事が判りて居るから、日本の根本の天の御先祖様が、搗(つき)の大神様であるのに、粗末な事にしておいて、枝の神やら、日本の国へ渡りては来られん外国へ上げてある国悪の向ふの先祖が、日本の御系統(おちすじ)を巧い事に抱き込みて、学で日本魂を引[曳]抜きてしまふて、日本の神徳の無いやうに、元からの国悪の仕組通りに、トントン拍子にここまでは面白いほど昇れて来たのが、九分九厘で悪の輪止と成りて、悪の霊が一寸も利かんやうに、善一筋のミロク様の根本(もと)の良い世に戻るのであるから、この先は元の"いろは"四十八文字の身魂で、世界中を通用いたさすぞよ。

出口王仁三郎氏を囲む座談会(第三夜 第2回)
速志「この間も新聞に御神宝だという如意宝珠とかが盗まれたと出ていました」
聖師「如意宝珠ならもっとよいのが俺の所に幾らでもある。世界の十二の国魂がワシの所にみな集まっているのや
富田「イスラエル十二民族を代表する十二の玉石があるという事ですか」
聖師「霊界物語に玉取りをやってるやろうが。あれは玉を御神体としたからその時代はその国の玉を取ったら国を取ったことになる、だから四角の中に玉と書いて国と読むやろ」
速志「なるほど、うまい具合になっていますな」
聖師「ワシの手許に十二の玉はもう集まっている。如意宝珠も麻邇(まに)の玉もみな来ている
速志「ホウ、もう完全に集まっているのですか」
聖師「龍の顎の玉も集まっている。それは角でも石でも金でもない。歯でもない、云うに云われん類のないものや。その光沢というものは五色に輝いている。ここに(口中の筆者から向かって右側の下歯の辺りをさし示されつつ)出来たのをグット取ったから片一方は、とれてしもうているから反面だけがかけている。これは織田信長がもっておったものや」

○現代注:公式には、世に送り出された耀盌の数は3000個という。
 国魂=玉=如意宝珠=耀盌。いろは四十八……48×3000=144000(十四万四千)
 イスラエル12部族×2000人=144000ばかりが十四万四千ではありません。

『伊都能売神諭』 大正8年7月12日
 いよいよ神界の経綸の九分九厘になりて来たから、伊都能売御魂の御用に成りて来たぞよ。皆勇んで御用が出来るやうに成りて来たぞよ。四十八文字の生魂が揃ふたなれど、今の今迄名は現はさぬから、帳に折角付いた身魂は一人も帳外れに成らぬ如うに心得て下され。守護神にまで気をつけて置くぞよ。言霊の幸ひ助く黄金閣が出来上りたら、弥々神界の経綸の完成であるから、現界の大本の御用も思ふたよりは速く成就いたすぞよ。神が筆先に出した事は、毛筋も間違いは致さぬぞよ。本宮山の御宮が建ち了りたら、九鬼大隅守(くきおほずみのかみ)の深い因縁が判りて来て、艮の金神の経綸が判りて来るから、そう成りたら、夜があけて日の出の守護と相成りて、五六七(みろく)の神代が天晴れ成就いたすぞよ。

『伊都能売神諭』 大正8年8月12日
 世の立替の真最中に成りたら、瑞の御魂は四十八の生魂を以って、言霊神軍を組織し、之を引率して驚天動地の大活動を致さねば成らぬぞよ。それについては神界より秘策を授けて置かねば成らぬ事が、まだまだ沢山あるから、何時神が何処へ連れ参いるやら知れんぞよ。一人でも神界の大秘事、神政成就までは知らされん事があるから、肝心の生神の居る場所へは、御伴(おとも)は一人も許す事は出来ぬから、何時王仁の姿が見えぬ如うに成りても、心配は致して下さるなよ。

△新約聖書「ヨハネ(四八音)の黙示録」第七章
 御使いが日の昇る方角から、生ける神の印(刻印/証印)を携えて上って行くのを見た。彼は、地と海を損なうことを許された四人のみ使いに大声で叫んでこう言った。「わたしたちが、わたしたちの神の奴隷たちの額に証印を押してしまうまでは、地も海も木も損なってはならない」。そしてわたしは、印を押された者たちの数を聞いたが、それは十四万四千であり、イスラエルの子らのすべての部族の者たちが印を押された。

△新約聖書「ヨハネ(四=よ 八=は 音=ね=子=鼠=大国主尊の使者)の黙示録」第十四章
 なお、わたしが見ていると、見よ、小羊がシオンの山に立っていた。また、十四万四千の人々が小羊と共におり、その額に小羊の名とその父の名とが書かれていた。またわたしは、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のような声が、天から出るのを聞いた。わたしの聞いたその声は、琴をひく人が立琴をひく音のようでもあった。彼らは、御座(みざ)の前、四つの生き物と長老たちとの前で、新しい歌を歌った。この歌は、地からあがなわれた十四万四千人のほかは、だれも学ぶことができなかった。彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者である。そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。彼らの口には偽りがなく、彼らは傷のない者であった。[注:稲から成る初穂、稲の神は稲荷大神たる豊受大神様、そして豊受様はウシトラ金神・国常立尊様の顕われである。『神言会・大本教神諭解説』を一日も早く読むように!]

(※3)
大本神諭「明治35年7月16日」
「世界の人民には、一人に守護神が一人附けてある」と申して、筆先に出してあらうがな。それで、善き心持てば善き守護が出来る、悪るき心を持ちて居ると、悪るい守護が出来るから、よく判るやうに出口の手で知らしてあれど、今の世界が、人民サンは皆鼻高ばかりで、この筆先を吾から視てくれる者が無かりたのじやぞよ。この艮の金神の経綸は、筆先をよく腹へ入れて、行状(おこなひ)さへ出来るやうに成りたら、厭と申しても表面(おもて)に成るなれど、現在の行状で表面に成りても、十分の神力が出されんから、「早く行状換えて呉れい」と申すのじやぞよ。「あれでなりやこそ」と他人から見て申すやうに成りたら、自然的(ぬしがで)に表面に成るぞよ。従来の行状して居りて、艮の金神を表面に出さうと致しても、何時になりても表面にはならんから、其点が判らんと、何時迄も皆が苦むばかりじやぞよ。

大本神諭「明治36年旧6月4日」
 この筆先にはチツトも嘘は書して無いなれど、霊魂が水晶に研けて居らんと、何も分りはいたさんぞよ。曇りた霊魂が見たら、曇りて見えるぞよ。心々(こころごころ)に取れるから、トコトンまで改心いたして、魂(たま)を研いて居らんと、真[誠]の神徳は取れはいたさんぞよ。水晶霊魂にはまたと外(ほか)には無い結構な筆先であるぞよ。誰も此方の心は汲み取れまいが、あとで恥かしく無いやうに、大本(大元)の解らんうちに心得て置かんと、あとになりてからは取返しが成らんから、同じ事ばかりを度々書いて、気をつけておくぞよ。出口直が肉体で申すと思うて、油断を致したら、先でジリジリ悶へても、後の後悔は間に合んぞよ。
 此方の心の解りたものは、神にも、仏にも、人民にも有りは致さんぞよ。大本で織る錦の機(はた)には、どんな模様が出来ておるか、機織る人にさへ判らん経綸であるから、智慧や学や考へで解りさうな事は無いから、大本の中の役員が一つの心になりて、筆先を見て行ひさへ出来だしたら、世間から「アレデならこそ、神を信心する人じや」と言はれだすから、信者の人も行ひを改めて、神の心に叶ふやうに成りて来るぞよ。「大本へ立寄る人は、外の教会の人の行ひとは大分違うて、すぐれて居る」といふ事が、世間の目に附くやうに成りたら、艮の金神は天晴れと表はれるなれど、今のやうな体裁の中に全部(すっかり)表はれて見せたら、皆のものがトチ麺棒[面貌]を振りて困るから、控えてワザとに出口直で何彼の事を知らして居るのを、差添の役員の間では、チツトは身魂が研けかけたなれど、モ一つ揃うて研けんと、天晴れ神が表に出た所で、居る所も無いぞよ。魂を磨いたり研かしたり、余程骨を折りておかんと、「早く表になりたら、成りたら」と申して待ちて居りても、この内部(なか)の行状が修(おさ)まらん様な事でありたら、日々の勤めが辛うて堪れんぞよ。神の容器(いれもの)を余程揃うて研いて居らんと、実地(せうまつ)が出て来たら、烈しうて善悪が厳重に判るから、大きな声も出んやうに成るぞよ。さう成らんと、真[誠]の改心は、今の人民は能う致さんぞよ。何時でも気障りの有る人民が、この大本へ這入りて来たら、何とは無しに、そこらの事が烈しう成りて、恐うて逃げて帰らねばならんぞよ。

(※4)
○「月宮殿の仁王」
 「花明山夜話 (十二)」を参照されたい。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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