祝詞の作法 (神饌物)

☆神饌物

出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会(3)
比村「この間、北海道の雑誌を見たら、お神酒の香(におい)を嗅いでも修業の妨げになる守護神が多いというて、神様に上げるのまで止めてると書いてありましたが、少し矛盾していると思いますが」
聖師「自分が嫌いだからというて上げんというような事はない」
比村「聖師様がお神酒を上げられたら」
聖師「ワシの肉体は嫌いだ。自分が撤饌後(てっせんご)いただいたら上げたんじゃない。教祖はん(出口なお開祖)は──『神様に上げるものといふたらお灯明丈けや。他の物は皆、こっちがいただくのや。神様がみな食べはったら誰もよう祭らへん』──と始終言われた。『今日はかしわ買ふて来い、今日は何買ふて来い』と云って、毎日五合も御酒を飲まれたら本当によう祭らんだろう。それでも召し上がっても供へる、自分が食べないでも神様に上げるという信念でなければならんのだ。主一無適(しゅいつむてき)というのは『神に仕ふること生きたる人に仕ふるが如し』という精神だ。家が無かろうが、自分が食えなかろうが、神様にお供えする、というのならば本当の信仰だけれど」


○「霊と食物」 水鏡(大15/11)
 霊の低いもの程沢山食物を食べるから、かういふ霊への供物は後が不味(まずく)ていけない。神様に御供へしたものは、ほんの少し食しあがつて後へ精気が入るから、それがお陰である。恰も美い香袋に手を触れると移り香が残るやうなものである。通りがかりの飲食店などの店に飾つてある鮓司などは、うまさうに見えるが、食べて見ると甚だ不味い、餓鬼の霊が味を吸ひ取つて行くからである。

○「線香は嫌ひ」 水鏡(昭2/11)
 信徒達が私を歓迎せんとて、香のよい線香をたいて待って居て呉れる所があるが、私は線香は嫌ひである。線香といふものは実は艮の金神様を呪って、家に入つて来られないやうにと、立てたものである。普通の香は構はない。

○「お給仕について」 月鏡(昭5/2)
 独身者などが、留守中神様のお給仕について困ると言ふのか。さうであらう。神様は心を受け玉ふのであるから、こちらの誠心さへ届けばそれでよい。だから出る前に沢山お米さんをお供へして、留守中のお給仕にあてる意味を奏上しておゆるしを願っておいたらそれでよろしい。

○「神饌物」 玉鏡(昭7/4)
 神様に蛸、大蒜(らっきょう)、薤(にんにく)などをお供へせないのは人間が忌むからである。蛸の様に骨のないものは魚ではない、字の通り虫の一種であり、虫に肖(に)たものである。また大蒜、薤などは悪い。然し黴菌を殺し、良い菌を育てる効能をもつてゐるものである。

○「八十平甕」 玉鏡(昭6/6)
 俗にカワラケ又はオヒラと云ふ八十平甕(やそひらか)は、素盞嗚尊様が信州の皆神山の土によって創製されたものである。今なほ神様に素焼を用ふるのは此流れを汲むものである。八十平甕を「素焼」と云ふのは素盞嗚尊様の素と云ふことであり、素とはモトと云ふことである。人間の素性、素直、素顔、素ツ破抜く、素町人、素裸の初めに素のつくのは、皆これに基くのである。

○「食膳に就て」 玉鏡(昭8/6)
 祝詞の中に「海川山野種々の物を平らかに安らかに聞し召して」とあるごとく、食膳の上の配置は、先づ向つて左向うに海のもの即ち海魚類を、右向うに河のものを、左手前に山のものを、右手前に野のものを、中央に種々のものを置くのが作法である。

○「神饌に就て」 玉鏡(昭9/1)
 元来 神饌物(しんせもの)は、同殿同床の制で、煮たものを差上るのが本義であるが、一々さうするの用意が出来ないので、生で差上るやうになったのである。生で上げますから、御自由に御料理をして下さいと云ふ意で、水から、お塩までお供へしてあるのである。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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