祝詞の作法

 出口王仁三郎聖師の『霊界物語』には、「天津祝詞」や「大祓祝詞」の解説の他、「感謝祈願詞」や「善言美詞」などの各種祝詞が収録されています。しかし、神様を真に敬うというのなら、ただ祝詞を読んでいれば良いなどという事は決してありません。今は誰もが知る有名な神社にも、動物霊や曲津神や宇宙人といった妙な存在が正神のふりをして、すました顔をして鎮まっていることがあります。下手に願をかけて変な因縁をつくるより、自宅の神棚で静かに神様を敬うことをお勧めします。神棚がないアパートやマンションの方は、壁掛け式の神棚を求めましょう。

 なお、自宅で祝詞を奏上する時でも、手と口を清めましょう。出口王仁三郎聖師が解説されているように、神棚とその前は一家の「小高天原」(※1)、すなわち神様が見ておられる公共のスペースであります。神社や教会で神様に礼拝するのと、自宅の神棚で神様に礼拝するのと、全く一緒であります。特に祝詞を奏上する時は、神様が一時的に降りてまいります。神様に対して失礼のないよう、身だしなみを整え身を清める(例えば天皇陛下から勲章を授与されたり、大臣に任命されたりというような晴れの舞台に、当人がアロハシャツや下着姿で行くでしょうか?)。神社に入る際に手水で清めるのと、理論は全く同じであります。ただし何事も極端に走る必要はありません。裸や下着姿で礼拝してはいけない、というだけです。普段着でも、外していたボタンをすべて留める、というような心構えで良いのです。

 基本的な作法につきましては大本信徒連合会さんの「作法」が写真入りでわかりやすく解説されています。各種の動作については「初級-巫女さん入門」より引用します。

○正座の作法
 正座は行事作法の基本であると同時に、とても大切な座り方です。まず立ち位置から正座に移る際の、着座の作法から説明いたします。動作としては、腰を下ろしながら、左足、右足の順で膝をつきます。この時、手は腿の周りにつけてください。そして爪先を立てたまま、踵の上に体を置きます。これが「跪居(ききょ)」という姿勢です。そこから正座をするのです。正座そした時は、丹田という臍(へそ)の下あたりに、ぐっと力を入れます。その時、体の中心に棒を一本入れたような感じで、背筋をピシッと伸ばしてください。頭は顎を引いて、5メートルほど先を見るような感じで据え置きます。顎が出たり、首が曲がったりしないように気をつけてください。お尻は、そのまま足に載せるのではなく、腿に力を入れて、少し腰を浮かすようにしたほうが長く座っていられます。足先は親指を重ねてもかまいませんし、重ねると痛いという方は、重ねずに座っていただいても大丈夫です。
 女性は、座った時に両膝をつけます。男性の場合は、座った時に膝頭と膝頭の間を拳一つ分、空間をあけるという決りがあるのですが、女性の場合はくっつけます。
 両手は、それぞれ腿の上に置いてください。そうすると、肘が自然と少し張りますけれども、それは脇につけなくても結構です。手に力を入れる必要もありません。ただ、必ず指先は揃えて、自分から見て「ハ」の字の形に両手を置いてください。以上が、正座です。

○立ち上る時の作法
 正座から立ち上る時の作法は、座る時と逆になります。
 まず、小揖しながら「一」と数えて体を戻します。そして腰を少し浮かせて、その下に爪先立ちした踵を入れます。つまり、跪居の姿勢です。そこから右足を出し、グッと立ち上がります。すると右足と左足の位置が当然ずれますから、左足を前に出して右足に揃えます。この動作を「進む起座」といいます。反対に、右足を引いて左足に揃えるのが、「退く起座」です。
 前に進んで立つのか、後ろに下がって立つかというのは、その時の状況によって異なります。次の行動が前進なら、進む起座、後退なら、退く起座と覚えておいてください。


○座礼の二礼二拍手一礼
「二礼二拍手一礼」というのは、神道において一番重要な作法です。
 まずは座礼の二礼二拍手一礼をお教えします。二礼二拍手一礼の「礼」、すなわちお辞儀ですが、体を傾ける角度ごとに種類が違いますので、注意してください。
 上半身の角度を45度に傾けるお辞儀を「深揖(しんゆう)」といいます。
 正座して肘を伸ばした状態のまま、ゆっくりと体を前に傾けて、掌をぴったりと床につけるお辞儀です。座礼の場合、着座した段階でまず神様に敬意を表して、この深揖をいたします。それを「着座深揖」といいます。ちなみに「小揖(しょうゆう)」というお辞儀もあり、こちらは15度の浅いお辞儀のことです。
 深揖のまま「一、二」と心の中で数えてから、一度体を戻します。
 ここまでは、二礼二拍手一礼の前段階です。

 続いて、90度まで腰を折るお辞儀「拝」に移ります。
 今度は、背筋と頭をまっすぐ伸ばしたまま、グッと腰を曲げ、自分で90度だと思う位置で止めてください。背中から頭に棒が入っているような感じで背筋を伸ばし、頭を下げすぎないように気をつけて、自分の背中が床と水平になるような姿勢をとるのです。この時、手は腿の上にあると邪魔なので、膝頭の前に置くようにします。指先をくっつけて揃えたまま、「ハ」の字の形を保ちつつ、ゆっくりと手を膝頭の前に移してください。こうして拝の形になったり「一、二、三」と間合いをとって、体を起します。手はふたたび腿の上に戻してください。このお辞儀が「一拝」です。
 二礼二拍手一礼ですから、2回、この拝を行ってください。すると連続の動作になりますので、少しだけ手の動きが変わります。
 一拝ではグッと体を曲げて、それからまっすぐな姿勢のまま完全に体を起しますが、二拝に入る時は一拝のあと、完全には起しません。直立する前、15度くらい体が前に傾いた位置で、肘をまっすぐ伸ばしたまま一度止めます。手先は床につけて、離れないくらいの位置に置いてください。そして、そこからもう一度、拝を行います。この二回目が終わった時点で、体を元の位置に戻します。

 続いて「二拍手」ですが、いきなり手を叩くのではなく、まず手を自分の胸の高さに持っていきます。高くなりすぎず、低くなりすぎず、また指は揃えて、両手を合わせる形にしてください。それから右手を、左手の指の第二関節あたりまで、ゆっくりまっすぐにスライドさせます。次に肩幅ぐらいまで両手を広げて、「パン! パン!」と叩きます。ただ、無理に大きな音を立てる必要はありません。「ペシャッ」という音になってもかまいませんから、力を加減して叩いてください。いい音が出る手の位置というのは、慣れてくれば自然にわかるものです。
 叩き終えたら、ずれている右手を左手と揃える位置に戻して合せたのち、手を下ろしてください。これが「二拍手」です。最後に「一拝」をして、座礼の二礼二拍手一礼は終わりです。


立礼の二礼二拍手一礼(一般的な神社での参拝)
 座礼の時と同じく、「二礼」からはじまります。立って腰を90度まで曲げると、膝の裏が伸びるように感じるはずです。同時に、ちょっと背中を反らすくらいのつもりで背筋を伸ばしてください。手は、腰が曲がるほど下に下がりますから、膝のお皿を隠すくらいの位置まで下ろします。そうしないと腰が90度に曲がりません。初めてされる方は、どうしても角度が浅くなりがちなので、ちょっと深めにお辞儀をしてみてください。そこまで曲げて、初めて正式な「礼」になります。
 これを2回繰り返すわけですが、座礼の時は二礼の途中で指先を床につきました。しかし立って行う場合はそれができませんから、体が15度くらい傾いた位置で、腿のあたりに手がくるような感じで止めてください。ここからもう一度、拝を行います。
 続く「二拍手」でも、手が胸の高さというのは先程と一緒です。この時、あまり手を伸ばしすぎずに、自然と肘が曲がる位置で止めてください。そこから同様に、腕を肩幅に広げ、合わせた両手の右手を引いて叩きます。そのあと、もう一度お辞儀をして、「一、二、三」で体を元の姿勢に戻します。これが立礼の「二礼二拍手一礼」です。




(※1)
「大祓祝詞解説(1)-霊界物語より」
△高天原に 『タカアマハラ』と読むべし、従来『タカマガハラ』または『タカマノハラ』と読めるは誤りである。古事記巻頭の註に『訓高下天云阿麻』と明白に指示されておりながら従来いずれの学者もこれを無視してゐたのは、ほとんど不思議なほどである。一音づつの意義を調ぶれば、「タ」は対照力也(なり)、進む左也、火也、東北より鳴る声也、父也。また「カ」は輝く也、退く右也、水也、西南より鳴る声也、母也。父を『タタ』といひ、母を『カカ』と唱ふるのもこれから出るのである。また「ア」は現はれ出る言霊、「マ」は球の言霊、「ハ」は開く言霊、「ラ」は螺旋の言霊。即ち『タカアマハラ』の全意義は全大宇宙の事である。もっとも場合によりては全大宇宙の大中心地点をも高天原と云ふ。いはゆる宇宙に向つて号令する神界の中府所在地の意義で『地の高天原』と称するなどがそれである。この義を拡張して小高天原は沢山ある訳である。一家の小高天原は神床であり、一身の小高天原は、臍下丹田(せいかたんでん)であらねばならぬ。


☆「拍手の意義」
○王仁三郎曰「拍手」(玉鏡、昭7/4)
 かしわは神様をさんこうする行為である。こんにちかんこくへいしゃではしんぜんで礼拝のとき、みな二拍手することになってゐるが、おほもとは四拍手する。ふるい祝詞にも「ひらげて──」といふことがある。八平手と云ふのはすなわち四拍手である。つまり大本は古式をそのままさいようしてゐるのである。
 大本ではれいおがむ場合は二拍手する。これは大神様を拝むときよりもえんりょしてるのである。またあらみたま様を拝むときは一拍手するのが本当である。これは遠慮するとともあいとうをもふくんでゐるのである。拍手のうちかたほど慎重にせねばならぬ。ただポンポンと、あたかも主人が下僕を呼ぶ様なやり方は、神に対してれいとなるのはもちろんである。


○王仁三郎曰「拍手の意義」(水鏡、大15/2)
 左手ひだりてひょうしょう右手みぎてを表象す。はくしゅするというあはしてかみ )となりてこゑはっす、そのおんタカとなる。アーのことたまあが、マーの言霊はえんまんそくしめし、ハーのことたまほうひらくのあらはし、ラーの言霊せんあらはす、すなははくしゅによりて、かみなるこゑてんあひだひろがりゆくなり。


○王仁三郎曰「隻手の声」(玉鏡、昭7/1)
 ぜんがくでいふせきrしゅこゑといふのは、あってさぬひそこゑしめしたもので、両手あってこそおとすことがるのである。ひだりからおんみぎからおんが出る。たか産霊むすびのかみかむ産霊むすびかみである。くして両手をてばはっするのである。隻手の声はおんをもってるだけできこえぬこゑである。また無理に隻手の声を出さうと思へば、右手でも左手でもよい。ほほをピシャリとつがよい、かならず隻手の聲がする。


○王仁三郎曰「左手右手」(玉鏡、昭8/12)
 ひだりふのはことみぎぎりことなので、がんらいむのが本当である。また左手をと云ふのは、ゆみの意味でゆみをもつからである。と云ふのはこれも弓をひく時の事で、ちょうみぎしたにくる、そして右の目でまとのぞむから「ほう」すなわちと云ふのである。


○王仁三郎曰「弓と蟇目の法」(玉鏡、昭8/12)
 ゆみは「きよめる」のよりそのる。それでものはら場合ばあいゆみでもって”ひきほう”をおこなふのである。ひきふのは、がまめぐあるとほりにとりおこはるるのであつて、がまふものはいちにちに一回いえしきの周囲をじゅんかいして家をまもるものである。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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