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神霊座談会(長沢雄楯、出口王仁三郎)

☆神霊座談会(長沢雄楯、出口王仁三郎) 『昭和』昭和8年7月号
記者「今晩は長沢先生を囲んで色々お尋ねしたいと存じます。どうぞよろしくお願い致します。」

△長春からきた電報
記者「では、今日、長春ちょうしゅんからきた電報の説明から始めて戴きましょうか!」
長沢「そうそう今日長春から出口さんに電報が三通参りました。あちらで心霊研究会を開いたらその席上、出口さんのお姿が現れ、声も聞こえて、歌をお詠みになったそうです。これを説明する前に、霊魂と云うものはどういうものであるかという事を簡単に申し上げます。
一体、霊魂は一霊いちれい四魂しこんであり、一霊とは直霊ちょくれいの魂で四魂と云うのは幸魂さちみたま荒魂あらみたま和魂にぎみたま奇魂くしみたまであります。電報によりますとお姿が現れ、そして声が現れたのでありまして、そしてあの電報には……。」
記者「ここにその電報を持って来ておりますから、ちょっと読みます。
   電文『昨夜神霊実験会にお顔とお声の物質化を一同深謝す、高野、城市、内山』
   電文『昨夜神霊実験会に多大の御神助を賜り御姿で御歌をたまわり一同感謝しまつる

      御歌 ”春の夜の つどい うれしやわが思い ここに初めて 芽ふかんとする”
           …誤り御訂正を乞う』

聖師「うれし“や”の“や”と“も”とだけが聞き間違っている。」
長沢「これが証拠でございまして、日本書紀や古事記に大国主神おおくにぬしのかみ少名彦神すくなひこのかみがこの国をおつくり遊ばされた時、だ全く効を奏しないうちに少名彦神は常世とこよの国へ御渡りになったので、大国主神は非常にお嘆きになり、『吾一人でどうしてこの国がつくり終へられるか』とおおせられた。この時、海を照らして寄り来たる神があります。その神に『なんじいずれの神であられるか』と大国主の神がお尋ねになると、寄り来たった神が、『吾は汝の幸魂、奇魂である』とお答へになった。この謎は丁度ちょうど電報と同一のものであります。
 出口さんは御存じないのに向こうに姿を現し、歌を御詠みになったのであります。云いかえて申しますと、一霊四魂の働きがたいを現したのです。こうしたことは元来疑わるるべきものではないのですが、日本に仏教が渡来して来た後と云ふものは全く神霊を御送迎申し上げることが衰えて神様へ感応することの術を失ってしまったのであります。神様から感応がなくなってから段々とこう云ふ方面の智識にうとくなり、今日では信ずる信じないどころか頭から疑って見る人ばかりなのであります、こう云う事実は他にも色々ありますし、また西洋にも多くの例があり決して奇怪な疑うべきものではないのであります。」

△サニワ
記者「先生は神霊の感応やサニワ(審神)、どうしてお習いになったのですか」
長沢「サニワ審神はサニワで、こうした事を書いた本があります。そうした本を充分に読んで心を清め、清潔な濁りのないことに心がけ、更に天津神あまつかみ 国津神くにつかみを信仰しなければなりません。それでやはり一番大切なのは琴師ことしです。すべて神懸りは悪い心を持ってやると邪神に感応し、清潔な心をもってやると正神に感応しますが、琴師の心が一番大切です。この修業はどうしたらよいかとのお尋ねでございますね?
 それにはず神様の本をよく読む事です。神様の書物ばかりでなく天文学とか或いは地質学とか、鉱物学とか物理とか内外歴史等諸般の学術の本を務めて広く見て腹に入れておかねばなりません。何故なぜかと申しますと、僅かな軍事の事をお伺いするにも、大略の事を心得ておかぬと、お示しの事を正確に受け入れかねるのであります。鉱物学の事をお尋ねする時には、やはり鉱物に関しての智識がないと、おうかがいを立てるに支障を来します。これらが先ずサニワに一番必要な条件だと思います。」

△何故予言は的中するか?
記者「どういうわけで神示があたるのですか?」
長沢「かみがかりの大切なのはそこなんで、何故神示があたるかと申しますと、世の中と云うものは我々の眼には見えないが神様の世界でお定めになった通りに動いて来るのであります。神様の枢要すうような御方が色々御経綸をなされる、正神はおそばに仕えている間に機密が漏れる。それを神懸の際にお告げになる。それであたるのであります。
 これに反して邪神の霊の場合は何故あたらんかというと、邪神は正神とおのずから位する所が違い、到底正神界の経綸を知るよしもなく、その告げるところは曖昧であるばかりでなく、時としては正反対の事をさえ、平気で告げるのであります。しかしこの場合審判が正しい心を持ち、正確な判断を下す時には悪神の霊のかかった事がはっきりと判り彼をたやすく喝破かっぱする事が出来ます。正しい神懸のあった例も多々あります。神武天皇御即位以来、日本の国家に大事変が起こるたびごとに、必ずお知らせがあったという事が日本書紀に明瞭に出ています。
 これは単に日本書紀に限らず、今日まで事変のある時には何かの形式でお知らせがあったので、現に私どもが子供の時、徳川政府が倒れる直前でしたが天からお札が降って来た事があります、この事は何かの本にも書いてありましたが、私も事実を見ました。日清役の時も日露役の時にも不思議な事が続出した事は世間にもよく云われております。これらはすべて神様の御仕業であったという事は、歴史をひもとけば一目瞭然であると思います。
 爾来じらい、我が国は神国として光輝こうきある国体を宣揚して来たのであるまするが、中世において仏教が伝来し我が国に非常な害毒を流しているのであります。崇神すじん天皇を蘇我そが馬子うまこしいたてまつるような大逆無道な事が起こりました。これは朝廷はじめ大臣連が仏教を信仰してしまって、我が国の皇祖皇宗の天津神、国津神を忘れるに到ったからであります。
 現代においても、次第々々に国家が乱れ、赤化分子が暗躍を続ける有様ですがこれ皆、国の守りである神々たちを忘れたる結果であることを証明しているのであります。今日においても、国家に事ある時にお告げのあることは日支事変の際にいてさえ、実証を挙げる事が出来、歴史の上から実に一点の疑いもないのであります。
 ずその一番手早い例を申し上げますならば、の皇道大本がかくの如き大きな団体になったのも神慮なんであります。出口さんが始めて私どもの所にお出でになったのは明治三十一年で、今年でちょうど三十六年目になります。その時分に御努力をされて今ようやく御神力によって芽を出し、支那のこう卍字会まんじかい等と連合し、国家の為、国際的にも色々重大な仕事をするようになりましたが、若い当時、出口さんが霊学や神道を研究されたのも、神様から知らず知らずにさされていたので、出口さんが神様に一心に仕えられたというほかはないのであります。」

○霊界物語
聖師「それから私のところに来て今後の世界、『日本はどうなると以ふ様な事を聞かせ』という人があるけれども、霊界物語にすべてがわかる様に、特に信仰してる人にはわかる様に書いてある、日本はこれからどうなる。世界の動きはどうなるという事も、ちゃんと示してある。大正十年から示してあるのに、今日に於いても皆に分かっていない、早く次を出して下さいと云っている人もあるが、出す必要はない。みな食傷してしまっている。
 物語には滑稽こっけい諧謔かいぎゃくもあるけれども、それは一つの色をつけているのであって、そういうところにかえって余計書いてある。読み方がまだまだ足らぬ。物語は決して予言書ではない、確言書である。三十万年昔の事であるが、これから先、三年、五年のうちにそれがみんな出て来る。今のうちにしっかり読んで置かぬと、まさかの時に役に立たない。」

記者「鎮魂帰神ちんこんきしんは只今お止めになってゐられますが、またいつかの時期に……」
聖師「あれはうるさいでネ…魂のみがけた者で、よく解したものがやるのはいいが そんなに研けた者は居ない。その癖やらすと邪霊がかかってさっぱりいけない。みな邪霊のかかりそうな顔ばっかりだ。
(出口氏ほか一同大笑)本当や。……」
記者「何か条件をつけて、ある程度のお許しを頂くといいのですが、修業者などがよく聞きたがっています」
聖師「条件をつけるにも、条件をつける資格がないやないか。」
記者「霊界物語を拝読さして頂くのが鎮魂でないでしょうか?」
聖師「それはそうだけれどまだ本当に霊界物語を解して居ないからいけない。もちっと研究会でも開いて勉強せねばいけない。」
記者「修業者がよく鎮魂帰神を要求して『昔出来たのなら今でも出来そうなものだ』と云います。……」
聖師「自分と相談してみればよくわかる、審神さにわの出来る者があると思うか? あの浅野氏(浅野和三郎)にしたって、悪霊がかかって来ると、一生懸命談判をやっている(※1)。朝から晩まででもウンウン云ってやっている。そこへ私が行って『オイオイ先生エエカゲンにしたらどうや』と云うて背中を叩いてやると、おさまってしまふ(笑声) 古い信者は経験しているだろう。神懸をやらすのは狂人きちがいに刃物を持たすようなものだ。」

△学理と神懸り
長沢「私の考えでは、学術と云うものは進歩変化のつきないもので、一貫した真理とは云えませぬ。大略は学理によって解決出来ますが、解釈の出来ないことがあります。それを幽冥の研究、或いはお示しにより、学理の疑問を解釈して行きます。今日まで非常に苦しんだのは何であるかと申しますと、学理が実際と一致しない事でありましたが、最近では一致する事が多々あります。そうしますと人に説明するに学理の方がしよいものですから、学理の研究も一通りは必要であります。」
聖師「悪霊あくりょうがかかって魂を犯されると自分が一番“えらい”もんになって来る。そうして団体を破壊してしまう。あちらに大将、こちらにも大将が現れて、まったく統一を失ふ、そこへわけのわからん面白い事でもやり出すとみんな“ぐる”になってやり出す。相当な学問もあり、智識のある人と云っても、浅薄なものだ、何にしても、受け売りの学問は駄目だ。」

△邪霊の神憑
長沢「審判していて悪神が来た時ぐらい面白いものはありません。もっとも訳のわからん“やくざ”神がかかって来た時には霊縛れいばくをかけるのですが、するとバタンバタンと苦しみます。それから何者かをただします。
 この時、審判する方に力がないと始末におえません。縛ると云っても霊の力で縛り上げるのですから、余程こちらに霊の力が要ります。また神様に御願いして悪神を退散して頂く場合もあります。御嶽教みたけきょうの神寄せにしても随分怪しげなものが多々あります。法華〔日蓮宗〕の神寄せにして見ましても正神よりも邪神に使われている場合をよく見受けます。これは祈っている者の心が清くない事を物語ってゐるのですが、この神懸の場合に正邪の分かれて来るのは何であるかと申しますと、その信仰であります。
 仏道と神道の根本原理を極めてみますと、仏教と云ふものは、釈迦しゃかのお経に出ている寂滅為楽じゃくめつゐらく 是生滅法ぜしょうめっぽうを以て眼目としているのであります。滅亡するを以て楽しみとすると云うのですから、神様の方の道と根本的に違って来ます。
 神様の道では漂える国を造り固めなすというので、この地球を固めるに伊邪那岐命いざなぎのみこと夜見よみの国からお出でになった章などには、明らかに地球を完成するに苦心された事が示されてあります。
 また天照大神は『青人草あおひとぐさを恵みいつくしみ給わん』がために、この地球をお造り下すったのです。そして神々がお造り下すったのは、滅びるを以て楽しみとせよとお造りになったのではなし、楽しく人類が生活し得るようにお造りになったのであります。神様はどこまでも人も栄え国も栄え、世界が繁栄して行くのを御意志とせられているのであります(※2)
 人間同志は栄え楽しみをもってこそ、欲も起これば働きもする。それを仏教のように寂滅為楽なら死んでしまうより致し方がない。この一例として妻帯肉食を禁じていた事実があります。今日ではあまり励行もしていねば、そんな馬鹿げた真似はしていないようですが、これを以て仏の御胸にかなうものとしている事は、大きな誤りとせねばなりません。この地球上にある生物が男女の交接を絶ったならばどうでしょう。百年を待たずして滅亡するのほかありません。正邪の判別はここに於いて厳然としています。
 人間はあめ益人ますびとと云って、どんどん繁栄して行かねばなりません。それを色々な規則を設けて絶やすようにするとしたならば、それは罪悪の二字を使用しなければ致し方ないではありませんか? 自然を破壊する様な教えは根本的に誤っているのでありまして、かような信仰の下にする神懸りに正神の降る事は到底覚束おぼつかない事は当然であります。」

△印度では死んだ方が極楽
聖師「印度いんどの様な暑い所では、水の中に入るのが一番極楽ごくらくで それで極楽に行く者は水の中に咲いている蓮に乗って行くと教えたのだ。又従ってあんな暑い国にフーフー云って苦しんでいるよりか、一層死んだ方が極楽だ。しかし印度ではそうであるが日本では決してそうは行かない。日本は四季の国だからそんな死ぬよりか生きておった方がずっと楽しみだ。釈迦の寂滅為楽は印度の事であって、日本の事ではない。坊主はこれをごっちゃにして有難がっている。」
長沢「儒教でも仏教でも、その結果を見るとわかる。印度の国は産物も多く発達してゐなければならないのに、あの通り英国に占領されてしまひ、完全に滅びの歴史をなめ、戦争もせずに哀れな民族となっている。また支那しなも戦争ばかり繰り返し、何ら国家としての治安なく、流浪の民族となってしまった。更に仏教王国であるかのような支那、大満蒙もしかりであります。この他、朝鮮、シャム等仏教を信ずる国は滅亡し、仏教そのものも滅びを招くところであったが、ひとり日本に渡来して仏教は救われたようなものであります。
 今日仏教は宗教として何ら必要はなくむしろ宗教としての価値はないのであります。ただ髑髏どくろ屋をやっているだけであって、これをやめると仏教は駄目なのであります。また信者にしても釈迦の経典、キリスト教の新約聖書などを理解している人は少ないようです。」
聖師「信者どころか坊主にわかってない。納棺式も出棺式も埋葬式も死んだ時も年忌も忠魂碑の慰霊祭も同じ御経だ。御経がわからんから、そんな馬鹿な事が出来るのだ。出棺式と云っても出棺式の御経でなく、死んだと云っても死んだ時の御経でない、かく坊主は御経を知らんから有り難がってゐるのだ。わからないから阿保らしいと云うてやめると食えんからくっついている。大本は純粋の皇道で、世界一家を建造する宗教である。
長沢「頭に神が宿るのでありますが、仏教はそうではなく時にのぞんで方便を使ひ所によって違うように説かれています。」
聖師「今のうちはまるきり反対の教えでもみな引き寄せておいて大きな力になったら本当の皇道で仕事をする、ドイツのヒットラーにしてもだ、始めは全然反対の団体も結構々々と云ふてよせて、あんな大きな党を結成した。」
長沢「今日の世はまるきり何もかも一変して来ました。以前には皇道を唱へられない様な時代もありました。」
聖師「皇道なんか唱えたら大正十年のように妙な眼を向けたもので、とても唱えられなかった。」

△神は皇道の原素
長沢「始めて皇道会が出来た時分には全国にも皇道主義を唱える者はほとんどないと云った有様であった。今度陸軍で皇道会と云ふものを起こすそうですが、皇道主義は神様の事を充分腹に入れておらねば、皇道と云ふ事はわかるものではありません。皇道主義にとって神の一字は皇道の一大原素となって来なければなりません。日本の皇室の万世一系は何であるか。邇々岐尊ににぎのみことが御降りの時、天照大神の御神勅によることは云うまでもありませんが、神の存在を否定して万世一系は解釈することは出来ないのであります。
 それから仏教では生物が土から生へたように人も土から出たのだと云っています。須弥仙しゅみせんという山があって太陽がその山にかくれた時に夜が来、山から出た時に昼となると云っている。しかし世界の何処どこをさがしてもそれにあてはまる様な山はありはしない。それからキリスト教では天帝が地球を造るのに六日間で造り『やれやれ』と云うので一日休んだのが日曜日で、それが今日まで残って七日目に日曜が一日あって休むと云っております。何れにしても今日の宗教は天地の理を説く事が出来ないのみか、その云うところは愚かの至りであります。ですから神懸をして正しい神が懸かって来ずにいい加減のものが現れます。
 御嶽教などの神懸りになるととても滑稽な事があります。
 神懸が始まるとず『名は何と云う? 国はどこ』
天地てんち開闢かいびゃく国の底津そこつの神じゃぞよ』
『それなら天地開闢以来の天地の過程につき話してみよ。
なんじは開闢と云うが何故に開闢と云うか理由を申し立てよ』
『知らない』
 国の底津の神は真っ赤ないつわりで畳に頭をすりつけて謝罪して、しまいにはどたんと後ろに倒れて逃げてしまう。法華経のも同じ事で『お前は何処どこの者で何と云ふ名か』と警察の司法官が調べるようにして行くと、とうとう正体を現す。始めのうちはヤクザ神でも法螺ほらを吹いて来るが、すぐ化けの皮をはいでしまう。」
聖師「御嶽教でも法華経でも中山そう伝の神寄せでも、みんなそんなもんだ。」

△江尻の法華坊主退治
長沢「江尻に徳屋と云ふ貸座敷がある。ここで法華坊主が三、四十日も南無妙法蓮華経ぽんぽんをして一同を集めてゐると云ふ話を聞きまして『それは面白い事があろう。』と私と出口様がそこへ行きました。『この方は大阪の商人でお出でになる。今度商用でこちらへ来ているがどうも身体がすぐれないので、あちらこちらの医者にかかったがちっとも効がない。どうかよろしく御祈祷を願います」と出口さん病人になってそこへ座るや否や坊主の体が三、四尺天井へあたる程上がった。それから足の根をつけてから出口さんがそれに向かって仲言ちゅうげんするのに『汝は何者であるか、愚民を欺してゐる不届き千万な奴じゃ。これにてやめればよい? やめなければただでは置かんがどうじゃ』 坊主は頭を畳にすりつけて『今後は致しませんから、どうか御許し願います』
それでその場はすんだが、この法華坊主を信仰している博奕ばくち打ちが大勢おりましたが、それらが非常に怒り出口さんを叩き殺すと云って手に手に凶器を持ち、帰り路に待っていました。幸いに危険な目に合わず帰りましたが、なかなか奇譚でした。」
聖師「あの晩には沢山棒を持ったゴロツキが、辻に並んでおった。この江尻は遊郭街であるが、ある家の二階へだまって上がり、それから裏口から田圃を伝って帰って来た。」
長沢「それがまたどうも不思議で、遊郭の人も一人も知らずにいました。」

△淫乱上人
聖師「それからいよいよ綾部への帰りに大槻伝吉でんきち(出口なお開祖三男、大槻鹿蔵養子)さんの家へ寄って行こうと思って、岐阜ぎふで下車したら、まだ夜明け前であった。どこか宿へでもと思ってある家の軒に立っておった。そこには橋本屋と書いてあったが、六時頃になるとそこの嫁さんらしいのが戸を開けて『貴方は御先達さんですか』と聞くので『私は淫乱上人だ』と云ってやったら『はア淫乱上人さんですか、まあ上がって下さい』と云うので『一人や二人の女郎ではいかぬから、一度に二十人くらいあげてくれ、その代わり五十銭にまけて貰わにゃいかぬ』とかけあってやると『ヘエしょうがありまへん、昼まではお客もありませんから、まけておきます』と云う。
 それで二階へ上がって二間も三間も障子をはずして女郎を二十人くらい上げた。兎に角、昼までどうしようとこうしようとこっちの勝手だから、女郎の一人々々をつかまえて、お前はこういう男を一心に思っている、お前は逃げようとしている、お前は誰を騙そうとしている、と冗談を云うと、みなそれが当たってワンワンと泣き出すやら騒ぐやら部屋中が大騒だ。
 そこの家は稲荷いなりさんを信仰してゐたのだが庭にお宮程の大きな稲荷さんが祀ってあった。私が行く前に金光教こんこうきょうの布教師が来て占ったのに『一週間目に不思議な人がやって来る、そして家の事についても解決をつけてくれる』と云った。その家のゴタゴタと云うのは、親爺さんが稲荷さんを祀り、おばさんが金光教で絶えず、どちらが良い悪いと争ってゐたのである。そこへ私が行って話をしてやったのが、意外に強く響いて女郎はみな揃って入信する事になった、綾部へ帰ってからも女郎から手紙が来てしょうがなかった。
 その後一度来てみて呉れと云うので行って見た所が大きな教会を新しく建て私に居てれと云ってゐたが、私は綾部の方へ帰らねばならないので、私の代わりに大野熊次郎と云ふ人に居らすことにしたが、其後種々いろいろな事がゴタゴタ続いて折角開かけた教会もいつの間にかつぶれてしまった、始めに淫乱上人と云った言霊がたたって、ひっくり返ってしまったのだ。……
 そんな奇跡はいくらでもあるが、そんなことばかりやっていると肝腎の教理を聞く者がなくなるからやめたのだ。まア今日はこのくらいにしておこうか。」
記者「どうも有り難うございました。」
(終)


(※1)
○浅野和三郎『心霊学より日本神道を観る』心霊科学研究会.1938
 審神者だろうが、司会者だろうが、名称などはどうでも構いませんが、ただ実地にこの仕事を行って見ますと、おおよそ天下にこれほど気骨が折れ、これほどとりとめがなく、同時に又これほど意想外の番狂わせに接する仕事ッたら、めったにありません。他の大抵の仕事なら、或る程度まで予想ができますが、審神者の仕事ばかりは、殆ど全くそれが望まれない。十度が十度まで、百度が百度まで、模様が変り、勝手が違い、常にびっくりびっくりしつづけであります。「飛んでもないものに係り合ったものだ……。」私は何遍そう感じたか知れません。
 もちろん私だとて、何も自ら好んで、この仕事を買って出たわけでも何でもない。想いめぐらせば大正五年の春、不図した動機から同志を集めて、鎮魂帰神法、西洋式に言ったら、所謂家庭交霊会を催すことになったのですが、いよいよ行って見ると、他の人達は、上手下手は別として、兎も角或る程度の霊能力を発揮するのであるが、私ばかりは、人一倍の努力を払っても、なかなかものにならず、通常意識が泰然自若として頑張ってゐる。私はいつもしれッとして、他人に起る諸現象を客観的に見物する外ない。その必然の結果として、私はいつしか他人の世話役、むづかしく言ったら、所謂審神者の役目を引き受けることになってしまったのであります。
 この傾向は、私の綾部滞在数年の間に、一層顕著になりました。毎日幾十、幾百と押しかける連中は、常時大本教の売物にしていた鎮魂帰神実修をきまって強要する。仕方がないから、私が采配を振ってその指導に当る……。いや連日連夜の鎮魂実修には、一時実際感心に身を入れたもので、当時を回顧して、よくもあんな無茶な真似が出来たものだと、今更感心する位であります。私が或る程度まで、審神の呼吸をのみ込むことが出来たのは、大部分あの荒修行の賜であったと痛感します。

(※2)
大正4年旧12月2日
 世界の事が、皆大本へ写るから、それで、この中から行状を善く致さんと、世界の大本と成る尊い処であるから、何事も筆先通りにして行かねばならんぞよ。是れまでの世のやりかたは、日本の国では用いられん、外国の極悪のやり方に、変りてしまうて居るのを、盲者聾者(めくらつんぼ)のやうな日本の人民は、知らず知らずに、させられて居りたのであるから、分らんのは尤[最]もの事であるぞよ。日本の神が抱き込まれて、神の精神が狂ふて居るのであるから、人民が悪う成るのは当然(あたりまへ)であるぞよ。

大正5年旧5月14日
 昔のもとのはじまりのミロク様が、この世の御先祖様であるぞよ。この世が一平(ひとたひら)に泥海の折からの事を、直々(じきじき)の御血筋の変性男子に書かせるぞよ。この世の御先祖さまが、地の泥海の中に御出来なされたなり。霊能大神(ひのおほかみ)どのも、同じ泥海の中で御出来なされたのであるぞよ。口や書(て)では早いなれど、中々の永い間の事であるぞよ。それから直(じ)きの御血筋を御戴き成されて、地の世界を創造(こしらへ)なさるまでの、ひとりみでの永い御艱難(ごかんなん)と申すものは、如何(どない)にも解る事では無い、人民では到底見当は取れは致さんぞよ。地の先祖を直(じ)きの御血筋に成されたのは、限り無い末代の世を持たす為に、地の先祖の霊魂が、大国常立尊の身魂の性来であるから、ドウいたしても余り強い霊魂(みたま)であるから、「この霊魂がありたら敵[叶]はん」と申して、皆の神々が同意いたして、無(のう)に致さうと思ふても、煮ても、焼いても、タタキ潰しても、引裂いても、誰の手にも合はん神であるから、天のミロク様が それぞれの霊魂を拵へて御出でますのであるから、普通(ひととほり)の後世(あと)から出来た霊魂が、なんぼ力のある神でも、後世で出来た神はやはり枝神(えだ)であるから、枝は枝の様に、余り覇張らんやうに致して、我の霊魂の性来の事をして居りたら、この世は穏やかに世が治まりて行けるなれど、霊魂の性来が悪いのが呉〔経〕れて行きよると、悪い謀叛が、元からの性来がイカンのであるぞよ。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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