出口王仁三郎氏を囲む座談会(第三夜 第2回)

☆出口王仁三郎氏を囲む座談会(第三夜 第2回) 『昭和青年』昭和7年3月号

速志「そんな男には妖幻坊のような兇党界きょうとうかいの霊がついているのじゃないでしょうか」
聖師「悪霊でも憑霊でもなんでもないが、そんな人間がいるのや、それを見分けるように気が利かんといかん、それでワシが面会せんというたら気が利かんから一般に面会させんのや。可哀そうに修業者なんか会ってやってもいいのに。ただ気のつけんならんのはそんな男が時々来るでな。本願寺もこの間、反宗教の連中があんな事をやったし、天理教にも行ったそうな。それで仰山ぎょうさん番がついていて、夜など沢山の信者が警戒しているということだ」
速志「智恩院なんか昼間も随分警備を固くしているそうです。この間中西さんがそう云っていました」
聖師「どこでもやっている。こちらは神様の御守護だけで警察力も暴力も持っておらない。けれども無茶者には神様も叶わん。『神ならそんなものはフンのばせそうなものだ』と云うけれども、そんな事は出来ない。それは人間が出て来たならば罰があたるけれども獣のサック皮袋になってしまっておるのやから……ちょうど御神前にねずみが小便しても、猫があがってお供え物を食っても罰が当たらんようなものや、畜生だからあたらん。そんな畜生になったのが、出て来るのだから叶わん。人間同志なら負けんが神から見離されて四ツ足になっておるから困る。──神社の宝物や御神体でも土足のまま上がって扉を開けて盗めるが、神様やと思うて拝んで断り云うたら、恐くなって盗めんという事や」

── 一同笑声 ──

速志「この間も新聞に御神宝だという如意宝珠とかが盗まれたと出ていました」
聖師「如意にょい宝珠ほっしゅならもっとよいのが俺の所に幾らでもある(※1)。世界の十二の国魂がワシの所にみな集まっているのや」
富田「イスラエル十二民族を代表する十二の玉石があるという事ですか」
聖師「霊界物語に玉取りをやってるやろうが。あれはたまを御神体としたからその時代はその国の玉を取ったら国を取ったことになる、だから四角の中に玉と書いてくにと読むやろ」
速志「なるほど、うまい具合になっていますな」
聖師「ワシの手許に十二の玉はもう集まっている。如意宝珠も麻邇まにの玉もみな来ている」
速志「ホウ、もう完全に集まっているのですか」
聖師「龍の顎の玉も集まっている。それは角でも石でも金でもない。歯でもない、云うに云われん類のないものや。その光沢というものは五色に輝いている。ここに(口中の筆者から向かって右側の下歯の辺りをさし示されつつ)出来たのをグット取ったから片一方は、とれてしもうているから反面だけがかけている。これは織田信長がもっておったものや」
伊藤「龍というものはやはり肉体をもっているのですか」
聖師「うなぎは河の龍なり、馬は地の龍であり、くじらは海の龍である。こういうものを、総合して、その各々の特長を集めて想像して書いたものが今の抽象的な絵画の龍やけれども、本当の龍というものはあんなに長い胴体をもっているものやない。今のイモリのようなもので、あのもっと大きな奴や。昔は全世界に居った。今でもたまに巨龍の骨というのが出て来るやろう。居ったさかいや。もっともっと大きな者が居ったのや、ほんまは。今は居らんのや、そして、それらはみんなノアの洪水で死んでしまったのや。それでノアの洪水というものは一地方の洪水というものがあるけれども、地層を考えてみるがええ。あれを見ると地方全部が一遍、泥海になっておらんならんのや、その時代に草木松なんか総て埋まり固まってしもうたのが石炭になっている。上松というのは松が炭化したものだ」
細田「亜炭などは草などがなったのでしょうか」
聖師「皆そうや、そういうものが固まっている。それがまだ一万年くらいせんと石炭にならず、亜炭という奴や。その亜炭が一万年せんと本当の石炭にならぬ」

富田「氷河時代と云って氷にとざされて生物が死んだと云うのはノアの洪水と関係があるのでしょうか」
聖師「それは違う、あれは太陽と地球との面が違って来て出来た事や。地球というものは傾斜運動を絶えずしている。そしてその傾斜の具合で、寒い所が出来て来る。そして小傾斜というものは一年、大傾斜というものは六十年となり、大々傾斜は、六六、三千六百年に回って来る──。(その他、上弦、下弦の月の説明など色々興味の津々として湧き立つ話を、器物をもってその運行の有様を詳しく説明下さいましたが、これを紙上に書き現すことのできないのを遺憾に思います。)」

富田「旧約聖書の中にフェニキヤの主宰神で、モロクの神と云うのがありますが、あれは……」
聖師「ミロクの事やね、国々によってミロクという事は言い方がみな違うが、蒙古ではマイダリ、ボロハナというが『マイダリ』というのは『マイ』が『ミ』になる。『ダリ』は『リ』リはロにかようからミロクというのと同じ意になるのである。同じマ行になっているマイトレーヤと云うのはあれは印度の言葉やが、ミロクの事で同じ事やね。
 基督キリスト教は仏教を排斥しているが、仏教は──本願寺は基督教を焼き直したのやがね」
富田「そうだそうですね、漢訳の聖書が御厨子の中に入っているそうです」
聖師「それは大分以前に全部学者が調べたのや、その当時の新聞に出ていたのを見た事がある。そうしたら、それらを全部買収してしもうたらしい──」

富田「聖書で見ると、その昔──アブラハムの住んでいた町がアーメの国のタガアマ州のハランという町でありますが、これなども随分面白いと思います。アーメのタガアマハラン(天の高天原)……」
聖師「ハムという事はハンや。成吉思汗ジンギスカン、汗はハンと読むのやで、あのハンというのは王という意味である。またハムはきみともいう意味でもある。ワシが蒙古に行った時スーツンハンと云うておったやろ、あのハンは王という意味やで、アブラハムというのも神の王という意味やな。アは天という意味になるのやね、アはアブラハムである。アブラハムは名やないと思う。すべて王者には人間のように名はつけないのが本当や、大君と云えばそれでいいのや」
富田「イエズスと云う意味は救いをもたらす人、クリストは油を注がれるもの、即ち現界を如実に救うという訳であります。そしてあの二千年前のナザレの村のイエズス様は現界を救う王者ではなかった。イスラエルの民が待ちに待ったメシヤの予言を成就してはくれなかったのです。もっともこれは使命が違うのですから無理もありませんけれど。そしてクリストという名を冠する以上はその前にあらゆる国の民がひざまずき拝礼を捧げねばならないのです。
 これでみると、あのイエズス様は、あのイエズスの名を冠せる事は出来ても、クリストという事は出来ない訳です。ですから、今度、本当にイエズス・クリストの名を冠する事の出来る人が現れるだろうと、私は思うております」
聖師「そうや、イエズスは本当のクリストの命を受けてただけや。本当のクリストやないけれども、名をもって代名者として出たんやな、ワシはそう解している。それからイエスという言葉はこれは癒すイヤスという事になる。精神的な病も肉体的な病も癒すという事になる。それからシャカ釈迦という事はサカという事になるやろ、サカという事は酒という事になる。いばらかんむりというけれどもあれは葡萄ぶどうや、そして外国では酒はみな葡萄で造ったもんやでの、日本は米で造るけれども。そして“サカ”は“サケ”という事で今でも“サカモリ”という(笑声) “シャカ”というが“シャ”は言霊の霊返たまがえしで“サ”である。“イエス”、“ヤッコス”はみなくすりという意味にもなる、酒は百薬の長である。イエスも酒の別名である。ヤッコスも酒という事に言霊学から云うとなる。それでお神酒みきあがらぬ神はないのや。
 宗教は阿片あへんなりとマルクスが云ったそうだが自分は宗教は酒なりといっておいたのや」

── 一同笑声 ──

速志「どうして神様と酒とは関係があるのですか」


(※1)
出口すみ子「花明山夜話(二)」
出口澄子「わしはこのごろ思うとるのやが先生〔出口王仁三郎聖師〕の楽焼〔耀盌ようわん〕なぁ、あれが本当の如意宝珠やったのや。わけのわからんことをどったらこったら聞くのは前から好かんのやが、わしは近ごろ神様の話をしているよりはたを織っている方がたのしいのや。」


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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