出口王仁三郎聖師と出口寿賀麿師を囲む座談会 第二回

☆出口王仁三郎聖師と出口寿賀麿師を囲む座談会
出席者 出口王仁三郎聖師 出口壽賀麿(すがまる)師
本誌側……井上荘三郎 中井勤 岡村祥三 高見範雄 林英春 杉田淑子
速記者……西村保男 小山安暉

日出麿ひでまろ師東上されて後、五月九日の夜、前回に残された問題を提げて、今度は壽賀麿すがまろ師の御出席を得て座談会を続けた。聖師は御歯痛にもかかわらず、約三時間にわたってこちら側が問題を持ち出す間もないくらい立ちつづけに金玉の言華を談ぜられました。(林)


◎昭和6年5月9日 青年座談会 第二回
聖師「そうやとも。……原の白隠はくいん禅師にまたこういう話がある。村の金持ちの娘が男を作って子が出来た。親が『誰の子や』と尋ねるので娘は──白隠和尚は偉い人やさかい、あの人の子や云うたら親もおこらへんやろうと思って──『白隠さんのお手が掛かって出来ました』と云った。すると案に相違して親父はプンプンにおこって『あの白隠か、偉い坊主やと思ってたに、何のこの売僧めが、そんな事をしおったか』と生まれたばかりの赤子を連れて寺に行き『これは貴様の子じゃ、大事に養うなっと何なっとせい。俺やもう檀家も何も止めや』と云うたところ、白隠は──『そうか。これがワシの子か、そんなら貰うとこかい』とその子を毎日背中に負うて村中乳を貰って歩き回った。村人に『あいつ偽坊主やったか』など云われもっても、言い訳も何もせず三つまで育てた。そんな具合で村人の信用がゼロやもんやからボロボロの衣をまといながら、それでも何も云わずに子を抱いて乳を貰いに歩いておった。ある日そうした姿でボロボロの衣の上に子を背負うて乳をもらいに歩いているところを、他家へ嫁に行っておったその娘にヒョッコリ道で出会った。娘はその白隠の姿を見て、道にへたって手を合わして拝んだ。でぐ家に帰りその訳を父親に話した──『実はお父さんあの子は誰それの子でした。それを云うたらおこられるかと思って白隠さんと申したのです。でも白隠さんは自分の名誉も傷つけてまで何も云わずに育ててくれました。今道で白隠さんに出会い道にへたってあやまって来たのです』と本当の事を云った。親はビックリして急いで白隠の所へ行き、よくあやまって子供を返してもらった。白隠は『そんなんやったら返したろうか』と云って返してくれた。それから一時に『白隠はえらいえらい』と云う事になり関東での名僧になったのや。自分がこれはしようと思ってやったのではない。自分の名誉とかそんな事をちっても思っておらん。『お前の子や』と云って持って来たので『じゃ貰っとこ』と貰ったまでや、でまた『返せ』云うから返したまでや。今の世の中の人やったら、とても『そんな事あらへん』と云っておこるとこや」
林 「名誉毀損で訴えるなア」

聖師「あんまり窮屈に固めた理屈が今の既成宗教を小さくしているのや。人の延びるものを伸ばさんからいかん。仏教等は日本男子の睾丸を抜いてしまっている。日本男児の睾丸去勢術をやっているのや。睾丸を抜くと活気がなくなる、日本やまとだましいを抜かせる。因縁じゃ、因果じゃと云ふているが、そんな事教えて貰はんかて自分で何でも知っている。それが所謂いわゆるそのまま惟神かむながらや。作ったり無理にこしらへてするのは惟神やない。惟人ひとながらや」
(笑声)

聖師「おがむのはいやだと思ふ時に神様の前にいやいや出かけて拝むのは それはいつわっているのだ。そんな時拝んでもそれは形容かたちだけや。心から神様を拝みたいと思ふ時拝むのが本当や。忙しい時等神様が気が向かないのに拝んでいると仕事も後れるがな。そうゆう時に無理に拝んでもあかんわい」
壽賀麿「そんな時は神様を拝んでゐても、あれもせんならん、これもせんならんと云ふいろいろの雑念が湧いて来ていけませんなァ」
聖師「しかし雑念云ふけど、鎮魂をして坐って居っても種々いろいろの事を思ひ出す様に、無我無心になるとか、精神統一するとか云ふても、統一しようと思ふ心がすでにもう統一が出来てゐない。無我無心にならうと思ふから無我無心になれぬ。
 人と云ふものはいくつにもそのたましいわかれて動くのだ。あっちにもこっちにも魂が分れて活動する。だから種々思出すのはその分れて活動してゐる魂が思はせるのでそれをまとめる、統一するのが本当の統一なのだ。思ひ出す事は良いのだ。忘れた事を思ひ出し、あっちの事を思ひこっちの事を思ひ一時に一切を思ひ出す。それで本当に統一が出来るのだ。それが本当の無我の境なのだ。精神喪失状態になるまで行くのが無我の境だと今の人間は思って居るが、それは間違ってゐる。そんな事をやって亡骸なきがらになったら大変や。
(笑声)
 霊のある間はあまかけり国かけりして勝手な事を思ひ出させる。つまり神様は天かけり国かける、その神にならふのが人間や。あっちの事やこっちの事を思ふのが、それが真実で、そうでなくては死んだ様なもんやないか。高山の伊保理いほり短山ひきやま伊保理いほりかきわけきこしめささむ……総て人間がそうなった時は色々の事を良く思ひ出す。その時は伊頭いづ千別ちわきに千別て あれもせんならん、これもせんならんと云ふ気持ちになってくる。それが無我の境でんなの考えてゐる様な皆忘れて死んでしまふ事とは違ふ」
壽賀麿「神様を拝みなが種々いろいろ思ひ出し考へたりする事は悪い事ではないのですか」
聖師「それはつまり、いろいろの事が集合して来るのだから、いいのや。それが無我の境でさちはふのだ。ああしよう、こうしようと云ふ智慧がついて来るのだ。あっちを思ひ、こっちを思ふ、それが大本の無我で今の世の中の無我とは違ふ。世の中の無我とは死んだ無我や。大本のは生きた無我や」
林 「それで安心した」(笑声)
壽賀麿「それで思ひ出しましたが、綾部の祭努係に居る人で先達して居って『高天原に十三銭』と云って祝詞を奏げた事を思ひ出しましたが、何かの値段をフッと思ひ出して、高天原に十三銭と云ったんでせうか」(大笑ひ)
聖師「それも統一してゐるのや。何もかも一ぺんに思ひ出して来るのやからな。……然し合致がっちしたと、統一とういつしたとは違ふよ。合致と云ふ事は一つになる事で、統一といふたら何もかも一所によせたのが統一なのだ。何もかも自分が主人公になり、いろいろあるものをよせたのが統一や。世界統一ふたら支那しな印度いんど、アメリカ、アフリカ、日本と皆違った国を一つにする事が世界統一やがな。いろいろの事を一緒に思ふたのは合致したとか一つにとけ入って了ったとか云ふのや、合致融合と統一とをみん間違へて考へてゐる」
高見「それと話は違ひますが良く考へまいまいと云ふ事をよく考へる事がありますが……」
聖師「考へまいといふのはふく守護神しゅごじんが考へまいとしてゐるので、それはその先に潜在意識と云ふものがあるから考へるのや」

林 「ではその潜在意識といふのはつまり本守護神なんですか……」
聖師「そうやがな……こう云ふ潜在意識の事について話がある。――或る時二人の友人が居った。その内の一人が或る時酒に酔ふたあげく、片一方の人間をボロクソに云ふた。その云はれた一人は恥をかかされたから非常に怒って、今にもなぐり倒そうと思ったのだが、その友が『酒によってすまん事云ふたが許してくれ』と地べたにへたり込んで悪かった悪かったと拝み倒して頼んだのでこっちも腹は立ったが、その時は直って、仲直りの後の二人は親友もただならぬ程親しい仲となってしまった。丁度男同志の夫婦みたいに仲良くなったのや、一から見ても羨ましい程仲のよい親友になって了ふた。ところが或る時、その悪口云ふた友人が何かの事件を起してその許した男が証人に立たんならん事になった。だからその男は、友人の助かる様に弁護してやろうと思ったのや。その男の云ひ方一つで助かりもすれば罪にもなる、生殺典奪の権を握ってゐるのだから……その日になっていよいよ弁護する事になった。ところ自分が云ってやろうと思った事は一つも云へずに、腹の中から自然に男の不利な証言ばかりが出て来てベラベラ云ってしまった。――
 つまりそれは何故かと云へば喧嘩した時、此の野郎と思った、くやしい感情が表面は仲良くなった様に見えたけれど潜在意識となってそれが知らず知らずの間に口をついて出てしまったのや。ああこんあ証言は云ふまいと思ったのが自然に腹の中から声が出た。そして青年を罪におとしてしまった。つまり、それが潜在意識なのや。
 人を残念がらしたりする事はこはい事やで……。
 人をうらませる事はとても悪い事や。
 人をにくんだり、くるしめたりする事は一番悪い。

 所謂いわゆる守護神が覚えてゐるのだから、なんぼ仲良くして居っても何時かあだを打つのや。本人は直って居っても腹の霊が承知しないのだから……」
林 「一度喧嘩したり等した奴はどうしても心の底から親しめないものですなァ」
聖師「そうや、喧嘩したらいくら後で仲良ふしても忘れぬものや、表面仲良う見えるけれど、どうしても腹が承知しない。俺らでもそうや。一遍俺等おれらにそむいて神様から離れて行った様な人間は何程なんぼ改心して神様のところへもどって来ても、前の様に当方こちらは温かい心持ちがどうしても出んが、一遍そむいたら、なんぼ神心の様になってもあかん。それけの事はどうしてもむくふてくるからな。
 神は大慈大悲やから何事も許すとは云ふても、許されるけの事はせんならん。罪をつぐなふ丈けの事をせな許されないものや」
壽賀麿「無二の親友になると云ふ事と、依然に残念な事があったと思ふ事とは別な心が働いていますね」
高見「潜在意識と云ふ事は、実際恐ろしいもんね」
林 「仲良くなっても心の片隅に必ずそれは思ってゐるからね」
聖師「当って砕ける、それは表面けで、腹の中では承知してゐない。これが本当や。なんぼ神様に仕へて居ってもな。教祖はんのお筆先に出てゐる『この神にてきとうて来たら、鬼か蛇になるぞよ、従ふて来たら本当に優しい御神であるぞよ』(※1)と云ふのを読んで『そんな神はにせがみぢゃい』と俺は初め思った。それぢゃ人間と同ぢゃないかと思ったが、神人合一すればする程 御筆先通りや」

(※1)
明治33年閏8月5日
 今度海潮(王仁三郎)帰りたら、キリキリ舞を致す程忙はしうなるぞよ。筆先を細かう説いて、それを集りて来る信者に聞かして、改心させねば成らんぞよ。出口と上田を出すのは、衣を脱がせに実地(せうまつ)の処へ遣るのじやぞよ。澄子と春一は修業に見せに出すのじや。皆々の為に真[誠]の神が連れ参るのじや。是を見て改心を成されよ。世界の鏡の出る元であるから、皆鏡に出すのじやぞよ。よく見ておかんと、眼の付け所が違ふと、思わくが外ずれるから、よく気を附けておくぞよ。男島女島からの筆先を皆見て下されよ。判りかけるぞよ。この事が判りて来たら、神も結構、人民も結構であるぞよ。誰一人ツツボには致さん神じゃ。改心次第であるぞよ。真[誠]の神の申す事に敵対うて来たら、一旦は谷底へ落すぞよ。誰でも分け隔てはいたさんぞよ。

明治36年旧3月5日
 変性女子(王仁三郎)の霊魂は、何時も敵対役がさしてあるぞよ。三千世界の事が、皆さして見せてあるぞよ。
「この筆先持ちて、神の教を拡めて下されよ」…と出口の口で申せば、「斯様(こんな)釘の折れ見たいな文字の書いた筆先は、恥かしいて世間の人に見せられん」…と(王仁三郎は)申して、取上げて呉ぬから、「そんなら写して、良い字にして拡めて下され」…と(直が)申せば、「斯様な下手な文句は読めん。写すのも馬鹿らしい」と申すなり。「こんな事を人に知られたら、世界の人に馬鹿にしられる」…と申して、聞入れて呉れず。神界は段々と迫り来て、一日も早く改心を為して、一人なりと余計に助けてやらねば成らず。大本の中の肝腎[心]の人が、こんな事では約(つま)らんぞよ。天地の神々も人民も永らく苦しむから、「早く改心をして下され」と急き込めば、「私(わたし)は別に改心せんならん様な悪い事は致して居らん、神は失敬な事を仰せられる。神なら私(わし)の精神が判りさうなものじや。仕様[生]も無いガラクタ神が憑りて、老婆(としより)を騙して居るのじや」
 …と申して、力一杯反対を致すから、神も代りの有る事なら如何でも致すが、外(ほか)に代りの無い変性女子の身魂であるから、自我(が)を折りて神の申す様にして見て下されよ。永らく経綸てある事であるから、一厘の間違ひもないから、安心致して御用を聞いて、筆先を調べて、それを世界の判る人民に一人なりと言ひ聞して下され。神は世界を助けたさの此苦労艱難、悔しい残念を堪(こば)りて茲まで来たのであるから、一寸も嘘は無いから、神の心をチツト推量いたして、素直に聞いて其様の行為(おこなひ)をして下され。神急(せけ)るぞよ。

明治37年旧8月3日
 艮の金神、国常立尊、出口直の手を借りて、何彼の事を日々筆先で知らして居れども、この中の肝腎の人に疑ひある故に、世界の事が延びる計りに、神も堪忍袋(こらへぶくろ)が切れるぞよ。「八月、九月が盛りに成る」と申せば、「明治何年の八月、九月じゃ、夫(それ)が判らん様な神の知せは当てに成らぬ。出口に悪神が憑りて、肉体を弄びにして居るのであらう」…と申して、変性女子(王仁三郎)が出口直を攻めるなれど、それは我の心で考へて下され。「神は肝腎の事は今の今まで申されんから」…と申せば、又反対いたして、「出口に憑りて居る神は、神力の無いヤクザ神に違ひない。出放題の無茶苦茶ばかり申す馬鹿神であるから、相手に阿呆らして成れん」…と申し、エライ御不足であれど、三千年も掛りて苦労いたした経綸であるから、何程大事な身魂にでも、今の今迄打ち明けられんぞよ。世界から出て来る事と、筆先と、自己の行状とをチツト考へて見よれ。自然(ぬしがで)に判りて来るぞよ。
「何処に何があらうやら知れんから改心して下され」…と申して筆先で気を附けてやれば、又反対いたして、「そんな頼りない予言(しらせ)なら、神で無うても誰でも為(す)る。悪い事は言ひ当るものぢや」…と申して、又責めるなり。「戦争(たたかひ)と天災とで世を覆して、世界の人民を改心させるぞよ」…と申して知らせば、「戦争や天災は何時の世にも是迄に沢山ありたから、別に艮の金神の筆先を見いでもよい。こんな筆先は気に喰はぬから引裂いてしまへ」…と申すなり。「それほど何も彼(か)も解るエライ神なら、何故三千年も永い間丑寅の隅に押籠められて、依然(じっと)して居りたのじや、力量のない神じや」と申して、変性女子の身魂が反対いたしたり、「もつと上のエライ人に憑りて知らしたら善かりさうなものじやないか。斯様な田舎の婆さんを頼[便]りに致さいでも、神ならそれ位の事は出来さうなものじやないか。三千世界が一目に見える真[誠]の神なら、綾部や福知山の事ばかり申さずに、もつと他の事を書いて見せたら、改心するものが出来るなれど、余所の事を能う書かん様な神は、世間の狭い神であらう」…と申して力一杯反対いたすが、筆先の読み様が足らんからであるぞよ。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる