『大本神諭』について

h25feb01a筆先

西暦1892年(明治25年)旧正月/新暦せつぶん2月3日夜、京都丹波たんば地方の田舎町綾部あやべで、極貧生活を送る57歳の出口でぐち なおという未亡人に、うしとらこんじんを名乗るたたり神が、かかられました。直さんの出口家は、既に帰幽きゆうした放蕩家ほうとうかの大工のおっとによって完全に没落していましたが、娘や息子達はとついだり手に職をつけたりと、徐々に明るいきざしも見えはじめていました。しかしうしとらこんじん帰神きしんによって出口直さんの生活はすべていっぺん、神の預言よげんしゃとしての第二の人生がはじまったのです。

出口直さんにかかった艮の金神は「さんぜん世界せかいたてかえたてなおし」をなおさんの口を借りて叫びましたが、なおさんが「叫ぶとキチガイ扱いされます」と神様に訴えたのと、こうとうの発言では証拠が残らないという理由により、半紙にすみで神様の言葉を無心に書きつづりました。このふでさきを、ナザレのイエスやお釈迦しゃか様に匹敵するといわれた稀代きだいの霊能力者・出口でぐちさぶろう( 出口直さんの娘婿 )が取捨選択・編集して、大正時代の日本に発表したのが、私達が知るところの『おおもとしん』です。王仁三郎聖師は、"うしとらこんじん"の本名は、日本神話で隠された創造神/国祖神 くにとこたちのみこと様だと審神さにわ(出現した神の本当の名前やしょうたいを識別し、正義せいぎかみじゃあくかみかをしんぱん・判定すること)しました。そしてなおさんは国常立尊様のわけみたま、自分はとよくもみこと(国常立尊様の妻神)の分霊だと発表しました。王仁三郎聖師の元で、大本教は公称信者100万人に至るまでにはってんします。

しかし皇室関係者や陸海軍将校までが信者となっているとあらば、あらひとがみ・天皇を頂点とする世界有数の宗教国家・大日本帝国が大本教の存在を許しておくはずもありません。いかなるカリと霊能力があろうとも、宗教国家の権力には勝てず。1935(昭和10年)12月8日以降の第二次大本事件で大本教はかいめつ、出口王仁三郎とすみ夫妻は7年ちかく刑務所に放り込まれました。1942年8月7日、第二審で治安維持法無罪判決が出て王仁三郎・澄子夫妻は保釈ほしゃくされます。同日、奇遇きぐうにもアメリカ海兵隊はガダルカナル島に上陸、泥沼の消耗戦に巻き込まれ大日本帝国の崩壊は加速してゆきます。1945年、大日本帝国は無残に敗北、大日本帝国と大本教は、まるで一緒にしんじゅうしたような結末を迎えました。

出口王仁三郎聖師は1948年(昭和23年)1月19日に亡くなり、カリスマを失った大本教はすい退たいしました。一方、王仁三郎聖師の手法は、弟子達がぎます。王仁三郎(大本教)は、独立した弟子が教祖さんになるのも特徴的でした。代表例だけでも、浅野あさのさぶろうさんは日本スピリチュアル協会(江原えはらひろゆきさんの系譜)、谷口たにぐち雅春まさはるさんは「生長の家」、岡田茂吉もきちさんは「世界救世教」(世界真光文明教団/崇教真光系)、植芝うえしば盛平もりへいさんは合気道、岡本天明てんめい氏は日月神示ひつきしんじなど、それぞれの開祖や集団のリーダーとなり、これらは現在でも一定の勢力と影響力をほこります。こうして王仁三郎聖師や弟子達の活動により、出口なお開祖と大本神諭は忘れられてしまいました。

しかし、王仁三郎聖師は「三千世界の大化物」と大本神諭(国常立尊様)にわれる規格きかくがいの、じょうしきはずれの、トンデモない人(※1)。歌人でもあった彼は、第二次大本事件を回顧かいこした歌集の中で、『大本神諭』について以下のような和歌わかを残しました。

問題にされたる霊界物語は皆御神諭の義解にぞある
筆先は神々教祖に懸られてしるし玉ひし神言なりけり
霊界の守護神または精霊を教へ玉ひし神諭筆先
御神諭は毛筋の横巾も違はぬと月座の教祖は宣らせ給ひぬ
また一つは現界人に警告を与ふるための厳の神筆
人みなを昔の神の大道に改めたまふ神諭の主意なり

善心で読めば善なり悪神で 読めば怪しく見ゆる筆先

勝手なる解釈を絶対に許さざる筆先なれど曲解せる犬
霊界の邪神に対する警告の神諭を不逞不敬とする曲
月の座に起りし凡ての出来事は世界の型になるとの御神示
御神示は一切万事実現し世人の驚く時来るべし
御神示に毛筋の横幅違はぬと神の実在証し給ひぬ
神諭(ふでさき)はきたりきたりと実現し人の改心促し給へり



○出口王仁三郎著「水も漏らさぬ経綸」 玉鏡(昭7/8)
 たいもう、大望、と御神諭にあるうしとらこんじん様、三千年あまりての經綸しぐみまくも切っておとさるる時機じき次第しだいちかづきつつあるのであるが、この大神業は人間の想像の範囲はんいだっした目覚めざましいものだとかんがへらるる。このことを知りたものが世界にたった一人ひとりある。らすと出口なおでもあまりのおどろきとうれしさとにこうがいするによって知らせてない」もうされてる……。
 王仁わたしはかつてわずか金五十銭をもって金龍殿建築に着手したのであるが、周山の山奥でふとたヒントは王仁をしてミロク殿、黄金閣と、次へ次への建築を成就じょうじゅさす動機となった。 王仁が山の辺に立って一服いっぷくして居ると、樵夫きこり達が杉の丸太を伐り出していかだとすべくしもへ下へと流して居る。流すといってもチョロチョロとした細い渓流で、太いはしを流すにやっとぐらいの水量である。どうして太い丸木を流す力などあるもので無い。そこで見て居ると、樵男達はその渓流に一つのせきを造った。だんだんと水がたまって杉丸太をうかべるによい量となると、やがて材木をころがしむ。そして一度に水を切って落すと、ほとばしる水勢によって丸太は勢いよく流れ出す。かくて一本 二本と流し、なりの数に達した時、また第二の堰を切って落す。かくのごときものをたびかさねてついに本流にと流し出し、そこで筏に組んで悠々ゆうゆうたる大河へと運び出す。はしを流すにも足らぬチョロチョロ流れも、おいて、時はゆうに大きな材木を流し出すちからとなる。
これだ、王仁はかうしたことに教へられて、なり大きな建造もまた他の多くの仕事も易々やすやすとやってた。だがさうした仕事はうしとらの金神 国常立尊様の御経綸に比較すると、実に千万ぎゅう一毛いちもうにもあたいせぬことである。
いちあって仕組しぐみと、たびたび神諭に出てるが、例へば三千年かかってめたおほきな湖水のやうなもので、いよいよ切って落さるるとふ事になると、そのいきおいのもうれつさは想像のほかにあるでは無いか。しかも一度っておとされたら最後、めるのにまた三千年かからねばならぬわけである。だから「一度あって二度無い仕組」ともうさるるので、この水溜たるや、ちょっとらされぬ仕組、すなわ『水も漏らさぬ仕組しぐみなのである。
 三千年と云うても実数の三千年では無い、何十万年といふとほ神代かみよの昔からの経綸であるといふ事は、たびたび神諭や霊界物語によってしめされて居る通りである。 大本の神業はつきに進展して、今や全世界にその福音がべ伝へられつつあって、その偉大なる仕事は世人の注目の焦点となって居る。だが、それも経綸しぐみのほんの一部にしかぎないので、此処ここみずたまりがあると云ふ事を知らすめの、ほんのらし水である。神様の御仕事の広大無辺なる事は人間にわかるものでは無いのであるから、かれこれ理屈りくつを云はずに、神様にしたがって信仰をはげむがいっとうである。
 太平洋の中央には深いみぞ穿うがたれてて大きな烏賊いかが住んで居るが、その烏賊いかの大きさは直径が三里もあるのである。足の長さは一里にあまり、時々水面に浮び出てだいなるぎょせんなどを足でからんでグッと引き込んで仕舞しまひ、ゆうゆう海底に沈んで馳走そうにありつくのである。海竜が現はれたなどと云ふのは、実はこの烏賊いかあしなのである。かういふ事を聞いても世人はなかなか信用すまいが、事実である。 古事記の八岐やまた大蛇おろちこうを読んで見ると
 「其眼はほお漿ずきごとくにあかく、身一つにして頭と尾は八つにわかれ、身にはこけひのき、杉の木などおひしげり、長さ谿たに八谷やたに、山の尾八尾にわたり、其腹はことごとくに常に血ただれたり云々」
 ……とあるが、背に木のえた動物なんかすくなくないので、大地は生き物であると昔から云ふが、大きな陸地だと思うてそのうえうまれ、其上に住み、其上をたがやし、しかして其上に墳墓ふんぼを築いて居ると、実は一つの大きな動物の背の上であったと云ふ、おとぎばなしのやうな事が事実となってあらはれて来ないとも限らない。いや実際さういふ動物が何千年もねむったやうにジッとしてて、一つの大きな島だと思はれて居る動物が居るのである。人間の頭にわいたしらみは、其処そこを安住の地としてそこで生き、子を生み、子孫永久の繁殖を願うて居る。それが人間とふ一動物の肉体の一部分であると考へないと同じ事である。かういふ大きな動物が動き出したら、それこそ大変である。へのときには、どういふ事が起って来るかもわからないのである。



『大本神諭』とは何だったのか? 答えが、かみこうえんさんの『神言会-大本教神諭解説』です。『大本神諭』でひんぱんに言及される「綾部から咲くここのはなは苦労の花、まことからいちりんうめはな経綸しぐみ。これがいたらまんまつだいれぬばなであるぞよ。日本はかみくにうしとらこんじんくにとこたちみことが仕組みたりんの経綸、みついちりんてのひらかへして三千世界を立替立直すぞよ。神がおもてにあらわれて、善と悪とをけるぞよ」の” ここのはな ”を解説されています。

[九つ花に咲く一輪の言霊の経綸]

・・・です。本ブログは『大本神諭』全文を掲載しており、原文については、国立国会図書館デジタルコレクションの『大本神諭・天之巻』を御覧ください。

さて、日本人にも馴染みのない国常立尊(くにとこたちのみこと)様とは、どのような神様なのでしょうか? 国常立尊様を主祭神として、本殿でおまつりする神社は、多くありません。最も有名な神社は、先年噴火したおんたけさんおんたけじんじゃ。あるいは江戸城( 大江戸 )総鎮守としての日枝ひえ神社が、おほやまくひのかみ様・なみ之命のみこと様・たらしなかつひこみことと共に、この国常立尊様を、相殿におまつりしています( 日枝神社公式ホームページ )。
 またちまたのブログやホームページでは、「国常立尊は悪神ルシファーだ」とか、「古代日本の指導者だった」とか、「宇宙人の大ボスである」とか、さかんに悪名を宣伝しているかたもおられるようです。ですが、出口なお開祖の大本神諭で国常立尊(くにとこたちのみこと)という御神名に「九二とこたちのみこと」というルビがふられています。上記のふでさきにも『 で九゛ち 』が『 出口(でぐち) 』と表記されています。『 く 』=『 九 (9) 』であることに、異論はないと思います。そこで「が二つ、常に立つ御言みこと」? 九が二つならぶ、並ぶの旧字は"竝"、九を二つ立てて九×九 (9×9)=81文字。

「九の数理盤(お米+うめぼしまる〔 弁当 〕) とこたちのみこと

壱 31 76 13 36 81 18 29 74 11
弐 22 40 58 27 45 63 20 38 56
参 67 04 49 72 09 54 65 02 47
四 30 75 12 32 77 14 34 79 16
五 21 39 57 23 41 59 25 43 61
六 66 03 48 68 05 50 70 07 52
七 35 80 17 28 73 10 33 78 15
八 26 44 62 19 37 55 24 42 60
九 71 08 53 64 01 46 69 06 51

この数列でなければならない理由は、龍宮の乙姫〔 おと 〕様が示しています。龍宮の乙姫〔 おと 〕様の御使いはかめ。そのかめ甲羅こうらきざまれたほうじんを基準にしなければならないからです。



九×九の数理盤(九二常立尊)の数字を色分けしてみます。

31 76 13 36 81 18 29 74 11
22 40 58 27 45 63 20 38 56
67 04 49 72 09 54 65 02 47
30 75 12 32 77 14 34 79 16
21 39 57 23 41 59 25 43 61
66 03 48 68 05 50 70 07 52
35 80 17 28 73 10 33 78 15
26 44 62 19 37 55 24 42 60
71 08 53 64 01 46 69 06 51

九区画を分割し、その中心の数字をひとけたになるまでしてみます。

31 76 13
22 40 58
67 04 49
四〇40=4+0=霊界 

36 81 18
27 45 63
72 09 54
四十五45=4+5=霊界

29 74 11
20 38 56
65 02 47
三十八38=3+8=一十一11=1+1=霊界

30 75 12
21 39 57
66 03 48
三十九39=3+9=一十二12=1+2=霊界

32 77 14
23 41 59
68 05 50
四十一41=4+1=霊界

34 79 16
25 43 61
70 07 52
四十三43=4+3=霊界

35 80 17
26 44 62
71 08 53
四十四44=4+4=霊界

28 73 10
19 37 55
64 01 46
三十七37=3+7=一〇10=1+0=霊界

33 78 15
24 42 60
69 06 51
=6+0=霊界



40(四霊界)+45(九霊界)+38(二霊界)
+39(三霊界)+41(五霊界)+43(七霊界)
+44(八霊界)+37(一霊界)+42(六霊界)
369みろくの世界)

綾部から咲く九つ花九×九の数理盤」は、中心の「41」を経由すれば「」の形を秘める三六九弥勒の経綸。
米の教えは『他(田)救(鋤)すくいて世根よねとなれ』。

51+42+33+50+41+32+49+40+31=369
21+39+57+23+41+59+25+43+61=369
11+38+35+14+41+68+17+44+71=369
01+37+73+05+41+77+09+45+81=369

31 76 13 36 81 18 29 74 11
22 40 58 27 45 63 20 38 66
67 04 49 72 09 54 65 02 47
30 75 12 32 77 14 34 79 16
21 39 57 23 41 59 25 43 61
66 03 48 68 05 50 70 07 52
35 80 17 28 73 10 33 78 15
26 44 62 19 37 55 24 42 60
71 08 53 64 01 46 69 06 51

『縦(立て)に九神、横に九神で八十一神の働きが出ます。これが「九二トコタチ」となるのです。【言霊】です。そして、これに数字をたてよこななめが同じになるように配置してもうあげげます』

日本語あいうえお…と思い浮かべ、あ=1番目、い=2番目、う=3番目…と数えて行くと、41番目に来る文字(言霊)は「"ラ"」となります。「ら」を漢字変換すると、「良」や「羅」や「蓏」が出てきます。巡洋艦「長良ながら」という船や、「」という苗字がありますね? しゃぶつの東大寺が鎮座ちんざするのは、県で、おほきくしめす〔 奈 〕。「ら」=「良」。81文字は日本語のならび。

三六九弥勒経綸しくみ九二とこたち御言みこと(九×九)の中心、『四一41』=良〔 ラ 〕のひかりが四方八方をあまねてららす『あまてらすすめら大御神おほみかみ』(水戸みと〔癸〕のみつくに)。人には魂〔 たま 〕が宿やどり、その中心には創造神の欠片わけみたまが秘められる。そのわけみたまは「良心の叱責しっせき呵責かしゃく」として働くがゆえに、「魂=云鬼=鬼が云う」のは「良心の呵責」だと、言葉ことば仕組しくみりっしょうできます。

ことたまの あまくにたふとさは かみこえながらにく(霊界物語第三巻余白歌)

大本神諭いわく『うしとら〔 艮 〕の金神・国常立尊は、この世の閻魔えんまとあらわれるぞよ』。人間として生きていれば、たましいは如何なる身分であろうと、国籍や人種や身分や職業や学生であろうと、金持ちや貧乏人であろうと、有名人や一般人であろうと、善人や悪人であろうと、ろうにゃく男女なんにょにかかわらず、必ず胸の奥に存在しています。つまり、全人類のたましいの中核には、創造神が閻魔大王という形で活動なされています。えん〔 閻魔 〕大王(日本語41番目の言霊)の善悪正邪の審判はあまねくく公正公平にして、全宇宙・全次元・三千世界に逃げる場所なし。如何いかなる罪も惡も見逃さず、隠れた善行も忘れない。「41」から外周(□)にむけ八方(圀)へ輝く善光〔 ぜんこう 〕。

徳川とくがわ みつくにの「とく」は「十四の心を行う」。
ひ-01、ふ-02、み-03、よ-04、い-05、む-06、な-07、や-08、こ-09、と-10、も-11、ち-12、ろ-13、ら-14、ね-15。
光圀(みつくに)でわかるように、圀で「」と読み、国も「」。国常立尊(くにとこたちのみこと)は圀常立尊(くにとこたちのみこと)。中心の41()から国(九九くに)の隅々まで八方向に善光が照らすくにとこたち御言みこと(真性天照すめら大御神)。夜になれば地平線に沈む太陽と違って、この善光(煌=火のすめら)は、昼夜を問わず、あらゆる人間のたましいの中心でかがやきます。

31 76 13 36 81 18 29 74 11
22 40 58 27 45 63 20 38 56
67 04 49 72 09 54 65 02 47
30 75 12 32 77 14 34 79 16
21 39 57 23 41 59 25 43 61
66 03 48 68 05 50 70 07 52
35 80 17 28 73 10 33 78 15
26 44 62 19 37 55 24 42 60
71 08 53 64 01 46 69 06 51


また41(ら)良心から八方向に放射される善光は、魂の心棒(軸)に巻き付いたへびれいを斬る「天のむらくもつるぎ」、じゃ〔 破蛇
〕の霊剣です。「じゃの道はへび」、大きな蛇をだいじゃと云うように、じゃしんじゃしんに通じます。魂のしんぼう(柱としてあらわれた良心神)に巻きつくへびの様子を御覧ごらんください。

蛇霊WHO01
世界保健機関(WHO)の紋章。ギリシャ神話の神アスクレーピオスの象徴たる杖。アスクレーピオスは医術をきわめて死者を生き返らせたため、世界の秩序は乱れてしまいました。そこで冥界の王ハデスの抗議により、オリンポスの主神ゼウスがいなづまをもって撃ち殺したとされます。しかし、「棒状のものに蛇が巻き付く」という図式は、どこかで見たことがありませんか?

こちらは、不動明王ふどうみょうおうけん

倶利伽羅剣01

○由緒 『本品は豊臣棄丸の遺品なり。棄丸は豊臣秀吉の長子にして母は浅井長政の女(淀君)なり。秀吉石河伊賀守を傳役として愛育せしが天正十九年八月(西暦1590年)三歳にして夭折せり。棄丸の誕生するや蒲生氏郷その出征を賀し贈るに此刀を以てせり。思うに豊公が愛兒護身の具に小刀を索めし折柄、氏郷の献上に係るものならん。中身は備前尚宗の在銘、鞘は従前より附属せるものの如く恐らく足利初期の降らさるものならん。全体を梨子地とし其上に蒔絵の線書を以て波を描き、利剣は銀を嵌入し之に頭を鍍金の高肉彫とし、全身を厚手蒔絵とせる倶利伽羅龍を纏はしむ。往昔、弘法大師勅を奉じて神泉苑に請雨経法を修したり故事より意匠を採り来りしものの如く、経義の説く所に依れば倶利伽羅龍は不動明王の化現にして、惡魔外道忽ち降伏するの意を表はせるものなり。』(国立国会図書館デジタルコレクション)

 垂直に屹立きつりつしたつるぎのレリーフに、鱗体の蛇( 横向き )がからみつき、刀身を頭からみこもうとしています。悪魔外道(じゃしんじゃしん)は降伏するどころか、「つるぎとして現れた良心神」をみにきているのです。
 また旧約聖書における蛇は、人間の先祖(アダム、イブ)に「善悪を知る木の実をとって食べてみなさい」とささやいて誘惑した張本人。アダムとイブがエデンのそのから追放される「しつらくえん」の原因になりました。またヨハネの黙示録では、惡魔王サタンの正体について「としいたへび」と記述しています。人間にりついたじゃれいが魂の中核「 良心神 (41) 」を呑み込むと(倶利伽羅不動明王剣図のように)、良心が働かなくなり、不動明王の剣・・・魔を退散させると同時に煩悩ぼんのうや惡因縁を断ち切る弥陀みだ利剣りけんの働き・機能がうしなわれ、善惡正邪の判断が出来なくなります。不倫の愛で強盗殺人をおかした警察官のようになります。

お釈迦様と蛇霊(1)
お釈迦様と蛇霊(2)
お釈迦様と蛇霊(3)
お釈迦様と蛇霊(4)

蛇霊の囁き(誘惑)をはねのけるのは、愛ではなく良心。
人にないざいするりょうしんかみは、八方向の善光〔 光圀 〕を放って、八岐やまた大蛇おろちを退治する素戔嗚尊のごとき御活動。
良心神を日々の生活で発揮する善〔 譱 〕人を善〔譱〕光寺ぜんこうじへ導くのはうし〔 丑 〕で、牛はてんじん様の御使いとして、各地の天満宮に鎮まります。天神は時にたたり神となり、その形相はまさにおになれば、鬼の角も「牛」でしょう?
大本神諭、出口王仁三郎(おにさぶろう)の本名は上田喜三郎(きさぶろう)で、うしとらこんじんの筆先に「鬼三郎(きさぶろう)と改名せよ」と出たので、あんまりじゃと「鬼(き)」を「鬼(おに)」と読み替え「おに(王仁)三郎」。ひっくりかえせばうんの呼吸のおう様は、鬼の形相なり。そしてたたりの漢字は「かみしめすがゆゑに〔 出+示=たたり 〕」。惡人や蛇神(蛇霊)にとって、魂の中心に隠された太陽神天照大御神ラー41の譱光は、青鬼(すけさん)と赤鬼(かくさん)を連れて、惡代官や惡徳商人を成敗する水戸みとみつくに公のごとし。
もし、いままでせつぶんの日に「鬼は外~福は内~」と、鬼さんにり豆を投げつけていたら、ただちにあらためてください。それは、邏卒らそつというおにとしてあらわれた本当の正義の味方(創造神の警察官)を追い払う行為であり、無意識に「私は惡の味方です」と宣言する行為だからです。人に内在する良心は閻魔大王(鬼達の総指揮官)として働く創造神のわけみたまであり、「鬼は外~」で鬼に煎り豆をぶつけるとは、閻魔大王(正義)に刃向うことを意味します。生きているうち現実三次元世界ならそれで良くても、四次元世界五次元死(四)後(五)の世界では通用しない。ですが、閻魔大王(良心神)をないがしろにしてきた罪と惡習も、悔い改めればゆるされる。

預言者イエスは述べ伝えました。「悔い改めよ、主なる神の御国は近づいた」。
出口直開祖・出口王仁三郎聖師は宣伝します。「〔 主 〕神が表にあらわれて譱と惡とを立て別ける」。
『神言会-大本教神諭解説』





(※1)
○「天国、霊国と花壇」(大正15年10月 水鏡)
天國てんごくにも霊國れいごくにも花園はなぞのがなければならぬのだ。
それでわたしが昔、花を植えると、わけのわからぬ役員たちが抜いて捨ててしまう。だから綾部になかなか天国が建設せられなかった。幸い亀岡の役員たちは、わたしを比較的よく理解してくれているので、霊国の一大要素たる花苑かえんや花壇がだんだんに出来てきて結構である。
いま、わたしは温室を造っておるが、冬になって花がなくなると霊国の資格が欠くるから、それで私がこしらえておると、いまに訳のわからぬ人たちが「この経費多端たたんときにあたって、贅沢ぜいたくな温室などをこしらえて、聖師様はどうするおつもりであろうか」などという、いまもむかしも忠義ぶって、神の経綸しぐみの妨害ばかりする守護神が多いのは、こまったものである。
神諭に、「ここのはなが咲きかけたぞよ、九つ花がようになって咲くときは、万古末代まんごまつだいしおれぬ生花いけばなであるぞよ」とある。一未信者の設計になった天恩郷てんおんきょうの花壇の形が、十曜とよう神紋しんもんであったときに、私はいよいよ時節進展と喜んだ。
綾部の神苑にも花壇ができるようにならねば、天国は開けぬのである。


○「神様と温室」 水鏡(昭和2/4)
外は零下幾度にくだらんとしている時でも、温室内は春陽三月の如きあたたかさである。百花咲き満ちて、天国が偲ばれるではないか。神様は世界を温室としようとしておらるるのである。温かく、清らけく、そして美しく。


○「温室をやめた理由」 玉鏡(昭和8/8)
だいぶん長いあいだ、温室において花を育てていた。それは天国の移写いしゃたる聖場には、冬といえども花がなくてはならぬからであった。だがガラスで囲って温湯おんとうで暖めてやらねばならぬような花、外へ持ち出すとすぐしおれるような花は到底だめである。雪霜せっそうを凌いで、その中に凛として咲くような花でなくては物の役にたたぬと思うて、断然、温室栽培をやめることにしたのである。


○「動物愛護について」 月鏡(昭5/1)
 一切のものは輪廻転生の理によって形を現はして居る。動物は畜生道に堕ちた霊がそこに現はれて居る。故に動物は向上して人間に生れかはらうとの希望をもって居るものである。愛護されて居る動物、虐使されて居る動物、一見はなはだ不公平の如く見えるが、虐使されつつある動物は、その修行を経ねば向上する事が出来ないやうに出来て居るのであるから、人間が殊更に愛護すると言ふ事になれば、修行が完成せられないで、死後再び動物界に生れ来て、修行の仕直しをせねばならぬ事になる。故に形から見れば愛護であっても、その霊性から考へると一種の虐待になる。今日の世の中は動物愛護よりも、神の生宮たる人間で畜生道に堕ちやうとする危険のものが沢山あるから、この方を救うてやることが、より急務である。動物愛護会などは形に囚はれたる偽善である。如何となれば多くの人はそれを食物にしようとして居るから。


教主御教示集-出口すみこ二代教主「見当のとれなかった方」(昭和23年10月3日、開祖大祭)
 聖師さまはあんなアホウなようなことをおっしゃっていて、大きな仕事をなさった方ですから、とても当たり前の人には理解できないで、ただ笑い話になってしまいますが、一つお話しさせていただきましょう。とにかく一生涯私たちには見当のとれなかった方で、ご昇天になって初めて偉いお方だったとわからせていただいたのでした。
本当に可愛らしいお方で、ある時信者さんが鶏を二羽持って来てくださったところが、聖師様はそれをお部屋の中で飼いたいとおっしゃる。私はかなわないので「糞の始末はあなたがしなされや」と言って見ていますと、それを聖師さまはまともに受けて、鶏が糞をする度にびくっとされて私の顔を見てはあわてて糞をふいてゆかれるのでした。私が言ったことをそのまま正直におとりになるのです。

 とにかく生きものは何でもお可愛がりになり、夜中でもおられないと思うと厩や牛小屋で餌をやったりしておられました。信者さんが差し上げられるものでも、みな動物にやらなくてはおられないお方で、ある時聖師様のお膳にも私のお膳にも鮎がつけてありました。鮎は食べたし猫にはやりたしで、私の来ないうちに私のお膳の鮎をチョイと取って猫にやってしまわれ、そこに私が行ったものですから聖師さま大あわてで、ご自分が食べかけた鮎を私の皿に入れて私に「食べな食べな」と差し出されたというようなこともありました。


○「猫は魔の王」 玉鏡(昭8/6)王仁三郎
 猫は魔の王であるから、家に猫を飼うておくと悪魔が来ない。猫を抱いて寝て居れば襲はれるやうな事はない。


○出口栄二(解説)『出口王仁三郎全集3』
 王仁三郎のいう愛は、人間はもちろんのこと禽獣虫魚にまでも平等な生命の自他一体観を感ずるところにその特色がある。日頃からその人格を通しての理解が不十分な場合は、王仁三郎は変人のように見られたり、また誤解されもした。綾部の本部である時、係りの者が神苑の草を引いていて、雑草とともに蕾をもった一本のタンポポをむしりとった。すると突然、それを見ていた王仁三郎は、「なにをするんや、せっかく今一本の花が咲こうとしているのに、思いやりもなく抜いてしまうようなことでどうするのや」と、草むしりをしていた若者をしかりつけた。その若者はポカンとして手を休めていると、「一本のたんぽぽでも、美しい花を咲かせようとせいいっぱい生きているのだ。開祖さま(出口ナオ刀自)はな、畑の雑草を抜くときても、すまんのう、すまんのうと草に詫びて抜かれたのだぞ」と教えさとしたという。
 草木にまでも細かい愛情を示した王仁三郎は、動物もひとしお可愛がった。大阪の拘置所から帰って亀岡で悠々自適していたころ、戦争たけなわで食物も不足しがちだったが、食事のときなど、愛犬シロや猫に、人目にわからぬように自分のものをわけ与えてかわいがっていた。

 ……出口王仁三郎聖師という人は、こういう方です。
 これなどホンの一例。三千世界の大化物なのであります。


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プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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