出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会(3)

☆出口王仁三郎氏を囲む神霊座談会(3)『昭和青年』昭和7年12月号
内容:霊的生活、神饌、女神、霊学、飛行機、霊覚と霊感、安心立命、尸解、一神教と多神教、島生み、龍神、精神作用

神本「営利的な、腹の黒いのは地獄的にやっているのでしょうか」
聖師「それは八衢やちまた的だね。本当の地獄へ行けば生産という事はないから」
神本「現界では日本などは親と子というようにたえの関係を本位としておりますが、霊界では神様が親様で、あとはみな子に当たるということになっておりますが、一つの家庭におきましては、夫婦の他に祖父母とか父母とか子孫とかが一緒に住むということはありませんのでしょうか」
聖師「意志想念が合ふて居ると同じところで同じ団体に住める意志想念というものが合ふておれば、村中いくら家があっても一つの家だから」
神本「現界では子供が生まれると大騒ぎを致しますが、霊子れいしの生まれる時にもそれに似た働きがあるのでしょうか」
聖師「意志想念の世界だから、人間のようにみょうな所へ○○せんでも頬と頬をくっつければ出来るといふやうなもんだから、おして知るべきだ」

比村「この間、北海道の雑誌を見たら、おにおいいでも修業の妨げになる守護神が多いというて、神様に上げるのまで止めてると書いてありましたが、少し矛盾していると思いますが」
聖師「自分が嫌いだからというて上げんというような事はない」
比村「聖師様がおを上げられたら」
聖師「ワシの肉体は嫌いだ。自分が撤饌てっせんいただいたら上げたんじゃない。教祖はん(出口なお開祖)は──『神様にげるものといふたらおとうみょうけや。他の物はみな、こっちがいただくのや。神様がみな食べはったら誰もよう祭らへん』──と始終言われた。『今日はかしわ買ふて来い、今日は何買ふて来い』と云って、毎日五合も御酒を飲まれたら本当によう祭らんだろう。それでもし上がっても供へる、自分が食べないでも神様に上げるという信念でなければならんのだ。しゅいつてきというのは『神に仕ふること生きたる人に仕ふるがごとし』という精神だ。家が無かろうが、自分が食えなかろうが、神様にお供えする、というのならば本当の信仰だけれど」

比村「物語に、男の人が改心すると女神さんが現はれます。あれはやさしいという事を表しておられるのでしょうか」
聖師「愛をあらはしているのだ。愛は女性的のもの。愛の女神といって女は愛で男は勇気をつかさどる。うしとらこんじんわかひめみのみことりてぐちかみあらはれる』(※1)いてあるが、教祖はんは稚姫岐美命の生まれ変わりだ。それの体をって、霊を借って、教祖とあらはれたのだ。いわゆるくにとこたちのみことは稚姫岐美命であり、稚姫岐美命は出口なおであり、という事になっている。かみ“と”あらはれるのや。かみ“に”なるのじゃない。さけんで首を振ってとら“に”なるのだったら本当の虎になるのだ、が虎“と”なるのだ」

比村「霊学三分で筆先七分(※2)とありますが、どういう程度でしょうか」
聖師「それはいつまでもと云うのじゃない。あの時分は一生懸命霊学ばかりやっとった。鎮魂ばかりしておった。神がるか無いかという事を人に証明する為にさんぐらいは見せても良い、といふ事だ。きになったら霊学などせんでもわかって来る。それはその時のいましめだったのだ 永遠の戒めでも何でもない」

神本「この間青木中尉が上海から帰って来て、日本でも扶占フーチ なんかで出してれると神様が直ぐわかっていいんですがと云っていました」
聖師「扶占でも幾分そうだが、神様というものは人を”たらす”ことがある。教祖さんのお筆先でも、『平蔵どの……』とかいって(※3)、三千世界の神様が『へいぞうどの』などとおかしいけれど……扶占でも『井上留五郎に酒一杯飲まして二十円やれ』というような事まであるのだ。神様の神策で勢ひを付けて働かすためだ。お筆先にでも『御用きいて下さったら手柄さす…』と書いてあるが、交換条件みたいに手柄などさして欲しくはない、と思うけれども、初めは手柄のしたい人がおったのだから、対者によってそう言わなならんのだね」

比村「みろくの世には飛行機は要らないとありますが」
聖師「みろくの世には飛行機よりももっと良いものが出来るからだ。今の飛行機みたいに、あんな事をしないでもよいようになる」
神本「大本でも航空という事に努めておりますが……」
聖師「過渡時代には必要なのだ」
神本「宣伝はもちろん、聖師様がたが各所を往来されるためお乗りになるというような事もあるのでしょうか」
聖師「それはある。航空という事の観念を国民に持たすためには、こっちが範を示さねばならぬから……」
神本「我々としては将来に対し大なる抱負を持って……小さい気持ちで引っ込み思案ではいけないと考えているのですが。それから救世主が”くも”に乗って再臨されるというのは、船に乗ってお出でになることだとお示しになっておられますが(※霊界物語第64巻上第15章「大相撲」)、我々としてはドうも飛行機にでもお乗りになって文字通り雲の上からお乗りになっていただきたいような気が致しますが……」
聖師「”くも”は船の事で、飛行船の事だ」
速志「その時分にはツェッペリンよりも良いものが出来るだろうよ」

芦田「誠心と信仰というものがあったら、いわゆる霊覚というようなものがなくてもいいように思いますが」
聖師「れいかくれいかんとある。霊感というやつはまだええ事はない(※4)。霊覚というのは、いわゆる神は愛善だから、神の心をさとったのが霊覚だ。”ほとけ”は覚者かくしゃということで、愛と善とが徹底したのが霊覚なのだ。神様を見たとか何とかいうのは霊感だ。それから霊はいわゆる霊ばかりでなしに、霊妙不思議なという意味もある。れいようがとまったとか、霊鳥がとまったとか云うだろう。ワシが作った霊学会というのは、霊魂学ばかりでなしに、この上もない尊い学王学だからこれを霊学と名付けたのだ。霊魂学と霊学とは違う。あの始めにこしらへたのは、その意味からだった」
芦田「では普通の人は霊感ですね」
聖師「霊感者と霊覚者とは品位の高低が違う。”ほとけ”は覚者という。そこへまだ霊が付いてあるのだから」
速志「結局は愛と善がさいじょうのものであると云う事になるのですね」
聖師「世の中にぜん〔 譱 〕というものは愛より他にない。もっとも力の出来るもの、すべて成功するものは愛と善だ。キリスト、ムハメッドは愛を説き、仏教は慈悲を説き──これも愛だが孔子はじん──仁ということは隣人を愛するという事で、仏教もキリスト教も愛をたてに、善をよこに説いている──キリスト教はそれで十字架なのだ。総ての宗教は愛を経に善を緯に説いている。人類愛善ということは、各既成宗教及び今までの道徳教の総てを一つにまとめた、まあ云うたらほうようしたのだ、肝腎のエキスをとったような名である。仏教とかキリスト教とかは、米みたいなもので、米の中から出た酒の汁が愛と善なのだから」

田盛「霊心と霊魂はどう違うのですか」
聖師「それは同じことだ。たましいというのは心という事なのだから四魂しこんこころとなる。つまりゆうしんあいが『心』という字だ。左のノは智でヽは愛が受けているので、上の左ヽは親、右のヽは勇である。鎮魂ちんこん帰神きしんは安心立命ということだ。鎮は安なり。人の陽気を魂という、魂は即ち心である。それで鎮魂は安心となる。帰神は元の神の心になればそれが帰神である。別に手を震わしたりせんでも安心立命すれば、それで良いのだ」

加藤「尸解しけの法についてお伺い致したいのですが」
聖師「ガット虫が蝉になるのもみな尸解の法である。ガット虫に羽が生えて変わるだろう。麦の中から虫が発生わいいて蝶になる。これもみな尸解の法だ。天狗になったとかいうのは人間のうち尸解の法によってなったのだ。鳥などは自然に従っているから何でも出来る」
加藤「尸解の法によって霊界に入る以外に霊界に入ればそれらの血液はどうなるのですか」
聖師「鶏なんかは大抵食うようになっているから、殺された時に霊が抜ける。それが霊身を作って、鶏なら鶏になっている。人間の体は死ぬと血が黒うなってしまう。霊のある間は霊が流通させているけれども、霊が抜けてしまうと肉体の中に入ってしまう。かすが残っているが血が血管の中を廻っているのは霊が動いているからで、人間の血は霊なのだ。霊が入っているから赤い。霊がなくなってしまったら、水分が体内へ吸収されてわからんようになる。静脈血は初めから黒いが、本当に良いやつは融和してしまう。水気が屍体と一緒になってしまうのだ。血液は元通りあるのだけれども、屍体の中に一緒になってしまうので分からなくなってしまうのだ。霊というものは形のないものだから、形のないものが血液の中を廻っているから赤いのだ」
芦田「私が病気の人を鎮魂して病人の体に手を当てますと、当てる所によって指が激しく動く所とあまり動かない所がありますが」
聖師「そりゃ矢張り霊の関係である」

速志「狐憑き等と云うものはどんなものかしら」
聖師「宮川の森蘭丸の後裔に、琴太という人があったが、そいつが反対者に狐を憑けられた。そうすると狐が腕の中へフッと入って来て、くくっても括っても段々奥へ入って来る。それでとうとう狂人きちがいになってしまった。
 それからワシが大阪で狐憑きを頼まれて癒してやったが、体にボコッとふくれたものが出来ている。それは『うしとらの金神、艮の金神』と書いて段々追うて行った。体中みな書いてしまったら此処(腕)まで出て来た。指の所まで出て来ると『痛い痛い』と云っていたが、とうとう爪の間からひるのようなやつが出やがってブーッと丸くなった、で、そいつを捕まえようと思ったらコロコロとかどへ出て、ちょうど門口へ巡査がやって来たが、それにぶつかるといきなりサーベル抜いて暴れ出して、ウワーッウワーッと云うて行きよった。そうしたらそのおやじが癒ってしまった。歯ブラシを作る商売で、沢山職人を置いた家だった。いわゆる聖書の云う鬼だね、鬼というでもつのの生えたものではない。悪霊を全部一つの言葉で云う言葉だ」

速志「一神教と多神教についての御意見はいかがでしょうか」
聖師「キリスト教は一神教で『仏教は多仏教、日本の神道は多神教だからいかん』というけれども、天照大神様は一つだ(※5)。キリスト教ではエンゼルというているが、エンゼルにはみな役があるのであって、日本ではエンゼルを八百万の神と呼んでいる。ふとたまのかみでも総ての神さんはみな一種のエンゼルだ。野立彦のだちひこの神さんだとかあるけれども、物語ではみなわかり易いやうに宣伝神にしておいてある」

速志「国魂の神を生むと云う事や島生み等についてお伺いしたいんですが(※6)
聖師「国生み島生み、というてあっても、別に○○○女性器から出たのじゃない、淡路島あわじしまを生むというのは淡路島を開拓することである、島を生み神を生みたまい……とあっても無茶苦茶に生んだのではない。大国主おおくにぬしのかみは国を治めようと思うと、その国々へ行って細女くわしめを見てそれと一緒になって、その子を国魂の神にしたのだ。上根じょうこんの人だったらそうやって沢山子を拵へたらよいのだが、現今のような人々がそんな事やるといかん。徳川家康も五十人子があったというけれども、本当は落胤やとかいふのを合わすと二百人もあった。嫁さんを変えればいくらでも出来る。みな子の種のあるやつを流してしまっているのだから。しかしそんな事を当たり前だと思ってやると、世の中は壊れてしまうからなー……」

比村「それから龍女というのはよく聞きますが、龍男というのもあるのでしょうか」
聖師「龍は女性的なものだからみな女である。坊主なんかでも龍になるように修業する人があるが、龍でも畜生だから、そんな事するのは畜生以下になっているのだ。狐を拝んだりしているのでも、狐以下になっている。昔交通が不便だから狐が稲の種をくわえて方々へ蒔いたのだ、と云って稲荷さんの使いにしている。また御饌みけの神というのとキツネとを間違えて、そんな風になったのだ」

小竹「龍神さんというのは龍とは別ですか」
聖師「龍を龍神と称えたのもあるし、龍神というと幾らかてがらの出来たものが龍神である。蚯蚓みみず赤龍せきりゅうとかげは石龍、壁虎やもり屋龍おくりゅう、川の龍はこい、地の龍はうま、海の龍はくじら。それで龍を描くとあんな顔している。馬の首を持って来たり、鯉の鱗を持って来たり、ひげを持って来たり、牛の角を持って来たり、総て寄せて拵えてあるのだ、今の龍の絵は……」
速志「人の霊魂とは、つまり下なんですか」
聖師「そりゃそうに決まっている」
小竹「××分院に大龍神として祭ってありますのなどは……」
聖師「宣伝使があんな事してしまったので、顔がつぶれるから、してやったのだ。それで○○を叱ってやった。てがらしてからでないと祭られんのだけれど、早く功を立てるようにと云って祭ってやった。たとえば田吾作でも村長という名が付くと役場へ出て幾分でも仕事が出来る。雨の神、岩の神、地震の神、みな龍神である(※7)。お働き次第で祭るのだ」

小竹「子供の時によく蛙を沢山殺したりしますが、何ともないものでしょうか」
聖師「阿保あほほど強いものはない。こっちが何ともないのだから、どうもない。精神作用というものは恐ろしいものだ。医者がこんな実験をした。コレラの黴菌ばいきんを死刑囚に『これは滋養になる』と云って飲ませたが、何ともなかった。また葡萄酒を死刑囚に持って来て『お前は死刑になるのだが、この薬を飲んだら楽に死ねるが、首を絞められて死ぬのとどっちが良い』というと『そっちの方が良うございます』というのでそれを飲ましたら、何ともないのにコロッと死んだ。また『お前の指をちょっと切って、こうやっていると、百読むうちに血がみな出てしまって楽に死ねるのだ』と云い聞かしておいて、寝さして体を包んで耳だけ聞こえるようにして、初め水を指先に落としてヒヤッとさして、そして『一ー二ー三ー』と読んで行って、『九十九、百』というと、コロッと死んだ、ということだ。人間は神様を信仰して、神の生宮であるという事を常に考えて、そして何でも魂を強く持たないといかん」
速志「時間も参りましたから、今夕はこれで終へさして頂きます。どうもありがとう御座いました」
(完)

(※1)
大本神諭「明治37年旧正月10日」
 艮の金神、稚日女岐美命(わかひめぎみのみこと)が出口の”かみ”(神/守)と現れて、変性男子の身魂が全部(すっくり)現れて、この世を構ふと、余り速(すみやか)に見透いて、「出口の傍へは寄れん様に成る」と申して在るが、何彼の時節が参りたから気遣ひに成るぞよ。水晶の身魂でありたら、世の立替の折にも安心で、何も無いなれど、一寸でも身魂に曇りがありたり、違うた遣方いたしたり、混ぜりがありたり致したら、直ぐその場で淘汰(わけ)られて、ザマを晒されるぞよ。人民からは左程にないが、神の眼からは見苦しきぞよ。

(※2)
大本神諭「明治38年旧4月16日」
 いつも筆先で気を附けてあるが、この大本は艮の金神の筆先で世を開くところであるから、余り霊学ばかりに凝ると、筆先が粗略(およそ)になりて、誠が却って解らんやうに成りて、神の神慮(きかん)に叶はんから、筆先を七分にして、霊学を三分で開いて下されよ。帰神(かんがかり)ばかりに凝ると、最初は人が珍しがりて集りて来るなれど、余り碌な神は出て来んから、終(しまひ)には山子師、飯綱使(いづなつかい)、悪魔使と言はれて、一代思はく立たんぞよ。思はくが建たんばかりか、神の経綸を取違ひ致す人民が出来て来て、この誠の正味(しょうまつ)の教をワヤに致すから、永らく変性女子に気を附けて知らしたなれど、今に「霊学が結構じゃ、筆先ども何に成る」と申して、一寸も聞入れぬが、どうしても諾かな諾くやうにして、改心さして見せるぞよ。神の申すことを叛いて何なりと行りて見よれ、足元から鳥が飛つやうな吃驚が出て来るぞよ。世間からは悪く申され、神には気障(きざわり)と成るから、何も成就いたさずに大きな気の毒が出来るのが見透いているから、それを見るのが可哀想なから、毎度出口の手で神が知らせば、「肉体で出口直が書くのじゃ」と申して御座るが、茲暫く見て居りたら解りて来て、頭を逆様にして歩かんならん事が出来するぞよ。

(※3)
大本神諭「明治32年旧6月18日」
四方平蔵どの、大望な御世話をして下されて、誠に結構であるぞよ。万古末代名の残る御世話であるぞよ。この事成就いたしたら、御礼申すぞよ。

(※4)
○「それで一人前」(新月の光、下巻)
 大本教入信後、霊眼や霊の声が聞こえた人があったが、第二次大本事件後、王仁三郎聖師に面会して「この頃は何も見えないし、わかりません」と申し上げると「それで一人前になったのやで」と諭された。

(※5)
○「日本の神社の祭神」(新月の光、下巻)
(参照)『出口王仁三郎全集』第五巻 五五五頁』
半可通的論者は、日本の神道しんとうは多神教だからつまらない野蛮教だと云って居るが、かる連中は我國の神典を了解せないから誤りである。独一真神どくいつしんしんにしてあめなかぬしのおほかみとなへ奉り、其他の神名はいずれも天使や古代の英雄に神名を附されたまでである事を知らないからである。真神は宇宙一切の全体であり、八百万やほよろずの神々は個体である。全体は個体と合致し、固体は全体と合致するものだ。ゆえにドコまでも我神道は一神教であるのだ。

(※6)
「国生み神生みの神業」玉鏡(昭8/12)
 良い植物の種からはよい植物が出来、雑草からは雑草しか出来ない。而して雑草は何等肥料を与へなくとも、どんどん繁茂しゆくものであるが、もしも良い草木が少なく、雑草雑木ばかりが多かったならば、土地は荒廃してゆく計りである。人間も其通り、体質の悪い性質のよくない人間ばかりが世の中に蔓っては、世の中は悪化するよりほかないのである。徳川氏は自己の勢力を日本全国に植ゑつけむとして沢山の妻妾を蓄へ、子孫を諸侯に配置して万代不易の基礎を堅めようとした。之は自己中心、自己愛の政策から来て居るのであって良い事とは云へないが、ユーゼニツクスの法則そのままに、神代の昔に於ては主の大神様の御命令により所謂「国生み」なる国土経営の神業と共に、「神生み」なる神業があって、経営せられたる国土に主人を配置せられたのである。霊肉共に優秀なる選ばれたる男神様が諸国を廻り、諸所の選まれたる細女(くわめ)、賢女(さかしめ)に見逢ひて御子を生まれたもので、祝詞に「国魂の神を生み、産土の神を任けたまふ」とあるのがそれである。かくて善い神様のよい胤が世界中に間配らるれば、世界の国土は良くなって行くのであるし、悪魔の胤が拡がれば、神に抗かふ人が多くなって、世界には争闘が絶えないやうになる道理である。

(※7)
○「竜神の御職務」 水鏡(昭2/2)
 太古 国祖大神の大地の修理固成の場合には竜神が盛に活動されたものであるが、今はもう其必要がなくなったので、静まって天然現象をつかさどる事になって居る。即ち雨を降らせ風を吹かす等の働きをして居るのである。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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