大地の母 メモ4番外編 出口王仁三郎「手向けの花」

☆『手向けの花』(“筆のしずく”第七の巻 第八十六“手向けの花” 明治36年9月)

 明治三十六年《旧》八月二十六日、出口の神[注:出口直開祖]の命令にて上谷へ霊魂祭や宮移しに罷り出たる事を記しぬ。流れも清き和知川の鮎の名所、末長き本宮山の麓なる並木松の傍に架けられたる大橋の其の長さ百二十間に余りて、高天原の浮き橋とぞ見るべければ、今この橋の上を、朱塗りの破れし日傘に所々膏薬張りの如くそくらいしをさして、三つ紋付きの木綿羽織に縦縞の袷に緒太草履を穿ちて、後よりは供の人と見えて年の頃は三十余り、その面さしは青白くして、髯はぼうぼうとして口の上下に不行儀に生え茂り、菅の破れ笠を被り古き草履を穿きて、恭しくも小脇に抱えし風呂敷包みこそゆかしくぞ見えにける。その後より又も一人、年の頃は五十の坂を越えたる、その顔の色は青黒く長く、いたづきの身と見えて身体は痩せ疲れながらも、漸く後に従いゆくなりけり。これなん綾部の高天原より、艮の大金神 出口の神の命を受けて、上谷村へ御霊祭・宮移しに罷り出んとする神の御使い出口の王仁三郎にて、一人は綾部の差し添えの中村竹蔵なる人と上谷の四方菊右衛門なりけり。
 三人は徐(おもむろ)に歩みを運ぶ中、早くも西原の反場を過ぎて一棟の空家の前まで進みぬ。ここは鷹巣と上谷へ至る近路との別れ路なりければ、王仁三郎は「鷹栖へ廻りて御供を為さしめ給え」と乞うる四方の菊右衛門を間道より先に帰らせて、其の身は中村竹造と共に山家村なる鷹巣の四方の平蔵の宅へ訪れんと、右なる道を歩みつつ、小阪橋を早越えて、進むは四方の住家なる門口にて主人に出会し、時の挨拶そこそこに、昇り口の床几に莚を敷きてしばし休らいつつ、やがて嫁殿より番茶と菓子の厚き振る舞いを有り難く受けつつ、主人の仕度も整いてここに三人は打ち揃い、造りさしたる新道の砂利の上をばとぼとぼと、上谷さして出で向かう。四方の平蔵 平素より少し眼力薄くて、それが為歩みも一足々々に捜るが如き有り様にして、出口の後をつけて行く。

 上谷村へ差し掛るや、二十人斗りの鍬人足共、道普請にて道も早七、八分まで造り上げて、傍らなる藁の庵に憩いつつ、中村竹造の異様なる服装を眺めて、呆れ果てたる顔に一面不思議を含みて、「彼は何物ぞ、山伏か気狂いか合点行かぬ」と皆口々に罵り合えり。やがて四方の宅に三人共恙なく着きにける。村内の者菊右衛門が門口に寄り集いて、叮嚀に出迎え且つその労を謝しにける。村中の者打ち揃いて盤古大神の鎮まる社を仕え奉れる最中なりければ、王仁三郎始め二人の者暫しここの座敷に休らいて、昼飯を頂きて四方山の話の中に、秋の日陰のいと短かくて早西の山の端に日輪隠れ給う。神への御礼も済みて夕餉をおわりける間に、村人は皆羽織に着換えて出で来たりければ、皆々打ち揃いてここに目出度く、盤古大神の霊魂を始めその他の諸々の御霊を一つの霊舎へ、王仁三郎神主と成りて鎮め奉りけり。その後にて中村・四方の二人の差し添えは、恭しく出口の神の御筆を頂きければ、村人慎みて拝聴す。続いて四方の差し添えは説教を始めける程に、皆その有り難きに感じ入りて夜の更けるを覚えざりき。
 王仁三郎は霊魂祭の事も済みければ、独り別間に燈火を点け休まんとする折しもあれ、今迄昼の如く光り輝きし燈火の光は、何となく薄暗く成り行きて、遂に一間の中は真の暗とぞなりければ、怪しく思いて唯黙然として谷川の水の流れの音に耳を傾けて、夜の更け行くを待つほどに、家の片隅より一つの怪しき物影の現われ来たりて、一陣の怪しき風、颯と吹き渡ると見る間に、王仁三郎が二つの頬辺(ほうぺた)を、冷ややかなる毛だらけの手にて力を極めて挟みければ、かねて覚悟の出口王仁三郎、「怪しき物こ御参なれ、今に平らげ呉んず」と、鎮魂の神業にて暫時が間、怪しの物影を縛りける程に、邪は正に敵し難く、怪しの物影は遂に煙のごとく消え失せにけり。
 されどいまだ一間の中の暗は変わらず、あやめも分からぬ暗がりに有々と姿を見せて、片隅より現われ出しは十五、六歳の童形なり。王仁三郎に喰い付かんとするを、此方は心得、「えい」と一声諸共に睨み懲らせば、怪物は朝日に露の消えるが如く消え失せにけり。怪しや、今まで暗かりし一間は元の如くに明るく成り行きて、燈火も元の如くに床の上に据えられてあり。これぞ正しく艮の大金神様より、王仁三郎が胆玉を試さんとして、心を引き玉いしならんと推し量られけり。王仁三郎立ちて四方の甚之丞を呼びて、暫しは側に待らしけるが、その後は何の障りも無かりけり。

 明くれば八月二十九日の朝日は早西山の頂を照らして、山の景色は綾部の布団被りて眠るが如きその風情、例えん物になし。含嗽(うがい)手水を使うて朝の御礼を済まし、朝餉も戴きて、王仁三郎は後ろの山へと踏み分けて、栗を拾いて楽しめり。村人は朝早くより宮屋形の建立に取り掛りて、力限りに働き合えり。四方・中村の二人の差し添えは神の話に心を籠めつつ、火鉢を中に坐り居る。
 王仁三郎つらつら思うよう。我始めてこの上谷の地に足踏み入れけるは、去んぬる明治三十二年七月の月出づる夜半のいざよいなりき。思えば早五年(いつとせ)の昔となりぬ。この里の腕白者と思いし童は早妻を迎えたるもあり、又大人びたるもあり。おぼこと思いし娘は早他所へ嫁入りて、村に在らずなりしもあり。我が子の如く愛しみたる教え子は、無常の風に誘われて、既に冥途黄泉の旅路に昇りて、早三年四年を送りぬ。この世の様を考うれば考うる程はかなく、頼りなきは人の身の行く末にこそ、只西も東も変わらぬものは山ばかり元の姿を保ちけり。
 まだ午後の七つを過ぎる頃なれども、四面山に包まれたる上谷の里は、最早山陰に覆われて夕景色の如くなりぬ。四方の菊右衛門が所に祭れる一つの白き霊社は、是ぞ王仁三郎が四年の昔に、我が弟子となし朝な夕なに教えの道に辿りつつ、愛しみたる花の莟の若者、十九の春を迎えたる四方春一が霊魂を納めたる霊社なりければ、唯さえ淋しき秋の空の哀れを添ゆるばかりなり。紅の涙を包みて、この霊社の扉を開きて一礼し、中なる一葉の写真を取り出でて、穴のあく程見守りつつ、悲歎の涙遣る瀬なく止め兼ねたる苦しみは、神より他に知る者ぞなし。
 その写真こそは四年前に春一が、かかるためしの有るべしとは神ならぬ身の知る由もなく、後の形見にせんとは夢にも知らずして、遥々と思いも深き黒谷の淋しき路を辿りつつ舞鶴まで行きかいて、自ら写させ帰りたる春一がこの世の形見の姿なりけり。その生々としたる眼元と、鼻筋のきっぱりとして、さながらこの世の人と思われず、口許は何か物言わんとして躊躇う如くに思われて、今にも写真の枠を抜け出でて、我が前に歩み来たらんずるその風情の愛らしさ、なつかしさよ。元は他人の我なれど、如何なる宿世の因縁の有りにけん、是程までに懐かしくて譬えがたなきものを、掌の中の玉とも愛でつついたわり養いつる垂乳根の、切なる思いは如何にぞよと思われて、暫しが程は物も得言わず、一葉の写真の姿に眼を注ぎて、袖の濡るるを覚えず、側に人あるをも知らざりき。
 せめては春一の亡骸を納めたる墓場に詣でて、心の手向けをなし我が胸の思いを述べんと、密かに四辺の人の目を忍びて、彼の春一が墓の辺りに辿り行けば、一基の碑には早苔の蒸して、右と左に建てられし花筒の柳も花も枯れ果てて、筒の中には花筒の灰汁が出てしか、雨水が半ば腐りしを名残りに留める計りなりけり。王仁三郎は直ちに谷間に通いて、筒を洗い清め新しき水を盛りて、又墓の両脇に元の如くに建て列べ、側なる椿の枝を手折りて左の花筒に挿し供え、塚の上なる木の葉の散り敷きて見苦しきを、手以て掻き集め払い清めつつ、墓前に膝突き涙に咽ぶ声を絞りて、傍らに人無きを幸い、しとやかに言いけらく、
「嗚呼 春一の霊よ、春三よ。如何に浮世の習いとは云い、かくも果敢なき事に成らんとは、我も汝も思い計らざりき、我は汝より年老いければ、我の墓前に汝の手もて、一枝の花なりとも手向けられん事をと楽しみし事も早水の泡、味気なき世の有り様や。思えば思えば、汝と我とは出口の神に従いて、『世の中の人の心は鞍馬山、神の教えに開く道哉』の三十一文字の御心に従いて、寒けき空を杖を曳きつつ共に難行なしつるに、今は一つの境に隔てられ言葉交わしも儘ならぬ。再びこの世にて対面は叶うべきに非ざれば、夢の浮世と諦めてよ。なれは正しき霊魂を持ちて、御国の為に我が望みを神界より助け護れよ。
 我が望みは他にあらず、勿体なくも、艮の大金神の出口の神の御仕組みせん事、之我が畢生(ひっせい)の望みなり。出口の神の大望遂げし上は、汝の墓場も繕いて万世までも汝が霊魂の誉れを輝かさんに、我が心を酌み取れよ。世の諺にも、“晨の紅顔 夕の白骨”とかや言うなる、実に実に短き人の宿世ぞや。今日は艮の金神 出口の神の御許しを豪りたれば、懐かしき汝が墓場に詣ずるを得て、思いの丈を打ち明けて、日頃の胸を晴らさんと勇み進んで来しものを、来し甲斐もなくなく、呼べども答えぬ頷きもせぬ唯一基の心を細き碑ぞ残れる。つれなき汝が墓場に来たりて、あこがるる我の心を察してよ」と、人目なければせき上げて涙止まる隙も無し。
「口さが無き腹黒き人々は、汝がこの世を去りしを見て心嬉しく思いけん。天の罰なり神の戒めなり、悪の酬いは忽ちにあの通りと、死人に口無きを附け込みて、心地よげに口々に誹るを聞く度毎に、我の心の苦しさよ。言えば言え、誹れば誹れ。天知る地知る我も知る。汝の自ら作りしにあらず、汝を覘(ねら)いし悪魔の仕業なりけるを、悪魔の罪を言わずして、汝に残らず罪をなすくり付くる事の悔しさよ。さは言え、やがて時節も来るべければ、汝が無実を雪ぐべき時ぞ来たりぬべし。
 我のこの度来たりしも、汝を覘いし悪魔等が尚飽き足らで、村人を苦しめつつ、汝が父母なる菊右衛門まで附け覘う心の憎さ。出口の神が計らいにて、汝が生前信じつつ盤古大神の霊魂を鎮め奉りて、曲津霊を縛り上げ改心させたその上で、盤古大神の配下に附けて汝が無実を雪がんとす。やがて汝が青天白日にならん事を祈りつつ有るものは、汝が父母と我のみならん、つれ無き人の憎らしさよ」と、生きたる人に言う如く、師弟の情の深き思いに沈みけり。

 何時までも歎き悲しみても果つべき事にあらざれば、やがて心を取り直し、恭しくも手向けの為に御禊の祓[注:天津祝詞]繰り返し、尚も中臣の祓[注:大祓祝詞]の祓の半ばまで宣りける時しもあれ、王仁三郎の後を尋ねて四方の平蔵・中村竹造の両人が、「先生ここにお在せしや」と言葉かけられ、驚き忙てて落つる涙を押し拭い、さあらぬ体に繕いて、三人は斉しく太祝詞を宣りおえたりける。二人の差し添えも墓前に一礼して、苔の花咲く春空の淋しき碑後に見て、菊右衛門が住家へこそは帰りけり。
 待ち設けたる村人は「仮社の作り上りければ、建てるべき清地を卜いてよ」と乞いければ、王仁三郎手ずから鍬を取りつつ大地の金神に祈願して、坂上荒神の社の右側に相定めたりき。後村人が手に手に唐鍬《持ち》、山こぼちもて地を均らし、遠方の谷間より石を拾い来たりて礎を固めなどしつつ、早くも社は建てられにけり。王仁三郎は隣なる四方仁平の縁先に腰打ちかけて想いける程に、仁平の妻のいしと云えるが、いと親切に柿の実を沢に採り来たりて、刃物さえ添えて餞しぬ。又栗の焼きたるをも振る舞いぬ。四方平蔵・中村竹造も夫婦の厚き心に感じ、一巻の祓を神床に上げて懇ろに礼を述べ、三人は四方の菊右衛門が宅へ引き取りにける。
 やがて暫く憩らいて、又お筆を拝しける折しもあれ、綾部の高天より村上房之助、息せき草履ばきにて入り来るを、王仁三郎早くも認めて「やあ村上来たりしか、何事なるか」と尋ぬれば、「別に大した事には候わず。先に足をすすいでお家に上げて貰うて、緩りと申し上げん」と言うより早く、手足を洗いて一間に通り、各(おのおの)に時の挨拶も済みて後 徐(おもむろ)に申しけるは、「今日は大本へ早朝より野崎来たりました故、密かに御報知に来ました。四方さんに今晩でも御苦労を仰ぎまして、神の御教えを諭してやりて貰いたいと存じまして、私の心で願い参りし」との事なりければ、四方平蔵は早速に諾いて、村上を先に綾部高天へ返しけり。
 程なく、盤古大神社を始め坂上荒神へ祓の祝詞上げ、目出度く祭りの事ども成しおえて、村人にも飽かぬ別れをなしにける。上谷よりは御供として四方の伊左衛門に四方の甚之丞・四方の熊蔵送り来て、黄昏過ぐる頃おいに竜宮館へ着きにけり。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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