大地の母 メモ9 邪神由来(4)

△『十万道』
 1915年(大正4年)2月7日朝、福島寅之助・久子(ナオ開祖三女)夫妻は綾部の大本本部(竜門館)を出て住居の八木に帰るべく、綾部駅へ向かっていた。後ろから優しい声がして久はふりかえった。アッと目を疑った。きらきら光輝く金色の毛並みの夫婦の狐がついてくるではないか。他に人目も多い白昼の街道である。
「お前は金毛九尾…」
(はい、お約束どおり、わたくしの正体をお目にかけます。《親指と小指》の守護神として、世を欲しいままにしてきました。九つの尾が抱く玉の通力で自由自在に、日本ばかりか世界の裏、も一つ裏のカラクリを握ってきました。今ではわたくしの力の及ばぬ国はありませぬ。この世の人間の九分までは、わたくしの眷属がついております。末の末の世の世までのたくらみはちゃんとわたくしどもの胸に…この世の宝…富も名誉も…)
「四足の分際で、何の名誉じゃ」
 久の無知を嘲笑うように答えが返る。
(ご存知じゃありませんか、お久さま。衣食住の守護、つまりは立身出世、商売繁盛、病気なおし、はては恨み呪い…人間どもの願いごとなら決まっています。随分とそれもかなえてやりましたから、わたくしの眷属達に与えられた位や称号だけでも人臣を極めていますでしょう。ところがお久さまに連れられてここにきましてから…ごらんあそばせ。九つの尾が八つになって…ここでは神通力も衰えてしまいました。あと一つ玉が獲れたら十全の働きができましたのに…九分九厘であと一つの玉が…)
 口惜しげに全身を震わせる。
(玉が欲しい…)
 呟きとも溜息とも知れなかった。
「あと一つの玉とは何のこと」
(玉とは魂…生魂(いくたま)…国魂…あの大本の御神紋をよくごらん。一つの玉の周りに、小さな九つの玉がついているではありませんか。もともとは九曜のはずだったのが、いつの間にやら十曜になっている。十の玉に…十の玉に…)
 そんな事まで知っているのかと、久は唖然とした。明治32年7月10日、金明会が綾部裏町の土蔵の二階から中村竹吉の家に移転した時、祭典用に高張提灯を注文した。指定の神紋は九曜の紋であったが、提灯屋がどう間違えたものか、でき上がってきたのは十曜の神紋であった。役員達が当惑していると、さっそく筆先が出た。

大本神諭「明治32年旧6月3日」
『艮の金神が御礼申すぞよ。永らくの経綸いたした事の初発(はじまり)であるぞよ。上田喜三郎(うえだ きさぶろう)殿、大望な御世話がよう出来たぞよ。御礼には御都合の事じやぞよ。九曜の紋を一つ殖やしたのは、神界に都合の在る事じやぞよ。今は言はれぬ。此事成就いたしたら、御礼に結構にいたすぞよ。綾部世の本、金神の大本と致すのじやぞよ。艮の金神はチト経綸が大きなから、この方で世話に成らねば開けんのじやぞよ。』

 この時から大本の神紋は十曜紋と定まり、のちに裏門は薩摩紋と定められた。金毛九尾は釣り上がった目に凄まじい光をたたえて久にとりすがった。(お願いでございます。お久さま。これだけ何もかも打ちまけて懺悔をいたしました。毒を転じて薬となすという諺もご存知でございましょう。わたくしに手柄をさせて下さいませ。立派に善一筋に立ちかえって、力いっぱい大神さまのために働きます。お久さまについていきます…)
 久はウットリと言った。「改心が見えたなら使うてやる。わたしについてきなはれ」


△『東京大地震』
 大正6年6月21日、大本の浅野和三郎(王仁三郎の片腕)、篠原国彦(海軍大尉)・秋岡亀久雄は東京に到着、四谷信濃町の秋山真之(海軍少将。日本海海戦時の連合艦隊参謀)宅を尋ねた。秋山宅の奥座敷には伊勢の大神宮を祀った神棚がある。三人は真っ先に神前に座して、敬虔に祈りを捧げた。秋山が中座すると、秋岡が面長のいかつい顔をしかめて神棚の一方を見上げた。
「浅野先生、こんなことで、よろしおまっしゃろか」
 浅野も暗い目になって、首を振った。一方には、ある稲荷の祠が祀ってあるのだ。意外であった。豊本景介の目耳鼻を患わした王子稲荷の例が思い浮かんで、胸に不安の影のさすのを禁じ得ない(豊本は王子稲荷から羽田稲荷にのりかえ、稲荷神界同士の勢力争いの余波と祟りで病気になっていた)。秋山の宗教遍歴の一端を垣間見るようである。
 イワシの頭も信心式に空虚なものを有難がる迷信は、馬鹿らしいだけでさして弊害はない。しかし真の恐るべき迷信は、邪神邪霊界に祈願をこめ、その利益を得て知らぬうちに捕虜(とりこ)となる事だ。性悪なアバズレ女に引っかかって一種の腐れ縁を生んだように、手を切るのは容易ではない。ちょっとした目先の御利益に引き換えて、目にみえぬ害毒は自己の生存中ばかりか、死後の霊魂にも、子々孫々にも及ぶ。さらに始末が悪いのは、あれもこれもとかけ持ちで信じること、邪霊同士の暗闘をも起こしかねない。被害にあうのはいつも信仰者の側である。
 数多くの審神者の体験から実例に接する浅野は、そう信じるようになっていた。が、いまそれを秋山に直言しても、反発を買うだけであろう。秋山ほどの人だ、いずれその錯誤に気付いてくれよう…。




○出口王仁三郎曰『水鏡』より「正夢と霊夢、霊眼」
 まさゆめは時間、場所、ことがら等、見た通りすこしもちがはず実現するものである。霊夢れいむ比喩ひゆてきに見せられるから、その判断をやまるとちがってる。たとへば、そらにおつき様がふたた夢を見たとすると、がつとも取れるし、またあるべからざる事実としてきょうちょうとも取れない事は無い。ゆえただしい判断をせねばならぬ。れいがんもこれと同じであって、せられた事がほんとうであっても、その判断のしかたをらねば間違ってる。空に文字もじあらはれたとしても、五十五にち、五十五ねん、五がつ、五年五ケ月、二十五日、といくようにも取れる。正しい判断の仕方しかたがあるのである。あるひとに霊眼を許してまだそのはんだんの方法を教へないでおいた。ところがそのひとは自己判断でいろんな事を云ふたがちがひだらけである。また○○中将〔 註:あきやまさねゆき海軍中将 〕に霊眼がひらけて、早くからあの大正十二年九月一日関東地方におこった大地震の光景を見てた。ただ、時の判断を間違へて、すぐそのことが実現することと思ひ、時のだいかんれんに予言警告を発した。私は其事を知るとともそのあやまりである事を通知し、ただちにとりすやうと電報で何度もふてやったが、自分の霊眼をしんって居るので、何と云ふても聞かなかった。その時おほもとに於ける所在あらゆる御神殿のとびらが、ガタガタ、ガタガタとって、大変な事であった。時を判断することをあやまってるのであるから、そのが来ても何事も起って来なかった。無論むろん大震災などがおこわけが無い。某氏ははずかしくて世間せけんかおしもならない羽目はめおちいった。と同時に大本の神様に対してなりおほきなめいわくをかけたものである。

 附、亀岡天恩郷温室係常見氏が昭和元年の暮に見られた夢
 こうしょう殿でんに天使が立った。と見ると殿上のくろくもまっぷたつに別れて、お月様がふたつ出た。
<此霊夢に対する御解説>二月に、光照殿に天使が立つと同じやうな出来事が起って来る。光照殿をおほふてた黒雲がそのときれるのである。
 某代議士が見られた夢
 信仰生活に這入はいった息子と、食事を共にして居ると、御飯の中にむしたくさんいてるので息子はおこって、こんなうじがわいたものがべられるものかとふて池に捨ててった。するとうなぎこいたくさん出て来て、あらそふてそれを食べてる。と見ると息子は新しいちゃわんの立つしさうな御飯ごはんをもって食べて居る。私はぼんやりとして見て居ました。
<この霊夢に対する御解説> めしいのちかてを意味する。たまの糧はしゅうきょうで、その宗教にうじがわいた。きたてはしいめしでも蛆がわいては人間の食物とはならぬ。魚介うろくずするよりほかはない、既成宗教も堕落だらくしては人間の命のかてとはならぬ。息子はうじのわいたかてを捨てて、今や新しい命の糧をむさぼしょくしつつある。それがらぬかと云ふ神様の御警告である。

〔 私注:秋山真之中将は「1917年6月26日に東京に大地震が来る」と宣伝した。同日、サモア諸島でマグニチュード8.2~8.7の大地震が起き、最大12mの大津波が発生した。〕


テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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