『大本神諭』 大正7年旧3月15日

○大正7年旧3月15日(火の巻)

 天の御先祖様が、この世には「ドウでもよい」といふやうな事になりて居り、押し籠まれて居りた地の先祖が無いやうになりて居りた故に、この世が闇雲になりてしまうて現今(いま)の体裁。えらい事になりたものであるぞよ。この時代(よ)の来る事が、世の元からよく判りて居りて、日本の霊(ひ)の元には一輪の仕組がしてありて、よく解るやうに、変性男子の手で大国常立尊が書いたり、言葉とで、ここへ成りた折には改心を致して、身魂を磨きて居るやうに、今に知らして居るなれど、人民には解らん筈。守護神に解らんから、肉体に解らなんだが、何彼の時節が参りて来たから、御筆先とおりに何も一度になりて来て、一度に開く梅の花、遅くなりて居る丈一度に開けるから、何彼の事が天地から見せてあるから、開け出したら迅(はや)いぞよ。天地の大神、元の活神(いきがみ)は、昼夜といふ事も無し、「暑い、寒い」といふ厭(いとひ)はないから、仕組通りに何彼の事がなりて来たから、一日増しに仕組みてある事が、順に出現(で)で来るぞよ。永う掛りて折りたら、何方(どちら)の国も潰れてしまふから、九分九厘で悪の世の終末(しまひ)と成りて、二度目の立替を致して、末代の事が決りて、従来(これまで)の習慣制度(やりかたほじつ)を薩張り変へてしまふから、申すやうに致さん身魂は、為(せ)な為(す)るやうに変へさすぞよ。向後(このさき)で、慢心と従来の遣方を一寸でも致した守護神に使はれて居りたら、規則通りにしてしまふぞよ。天地の相違(ちがひ)に何事も変りてしまふぞよ。為損(しそこな)ひの無いやうに皆致されよ。ここまで口と手とで知らしたら、これに落度はよもやあるまい。この上は各自(めんめ)に自己(われ)の心を自己が審査(あらた)めて、この大本は善(よい)と悪(わるい)との鑑が出るから、鑑を見て善い方へ移[写]るやうに致さんと、悪い方へ移りたら、末代善い方へは上る事は出来ん規則が決るから、今の転換期(かはりめ)に充分取違をさせんやうに……。向後の規則は、善の方も末代であるぞよ。悪も末代、底の国仕舞であるから、従来の心と遣方(やりかた)を変へてしまはんと、悪の遣方致す守護神に使はれたら、向後末代、嬉しい事の無い所へ落とされるから、今になりて居るのに、まだ念を入れて書かして置くぞよ。善と悪との鑑を見て、善の遣方へうつるやうに、心を持ちかへて貰はんと、向後は何彼の事が、大間違が出来るぞよ。

「時節には何も敵はん」と申してあるが、「何彼の時節がまはりて来て、善悪の根本のことを説いて聞かせる時節が参りて来たから、上へあがりて居れる守護神に使はれて居れる肉体が、何となく心が寂しく成りて来る」といふ事が、明治25年から、世界中の事が伊呂波(いろは)四十八文字で書かしてある事が響(こた)へて来て、発根と改心を致す守護神は結構であるが、今に大きな目的のある守護神は可哀相なれど、余り大きな取違。何彼の事が近うなりて来て居るから、モウ揃うて解らんと、一度にキリキリ舞はなならん事が出来て来て、何所へ取り附く島は無い。ドウ仕様も無い事が近うなりて来て居るぞよ。何彼の事が、時節が来たぞよ。歓ぶ身魂と、悲みてキリキリ舞はなならん身魂とが出来るから、申す事を疑はずと、発根の改心を致さんと、世の元の天地の先祖も、ここへ成る事を待ちて居りたのであるぞよ。松の世を待ちた松の世が参り来て、仕組みてある時節が廻はりて来たから、二度目の世の立替を致し、悪も善に立替えて、向後は善一つの世に致して、皆手を引き合うて行きたいのであるのに、取違があると、見る眼が厭であるぞよ。

 ここ迄に致した世を、水晶の世に立替えるのであるから、中々骨の折れる事であるなれど、この世を造営(こしら)へた、天地の根源(もと)を造営した覚(おぼえ)のある肉体其儘で、末代その儘で居り、ここまでは陰から守護をして居りた天の彌勒(みろく)様と、地の御地(おつち)の先祖とでないと、二度目の世の立替は、他の身魂ではドうしても世の立替をするといふ事が、解らんのであるから、世界中の守護神、人民が末代掛りても出来んから、分散(まくばり)てある身魂を引き寄して、身魂の性来の御用さすから、従来(これまで)は暗がりの世でありたから、何も解らなんだなれど、何彼の時節が参りて来て、日の出の守護と成りて来たから、解らなんだ事が解り来て、向後は「嬉し、嬉し」の末代凋落(しほ)れん生花の咲く世が参りて来て、「嬉し、嬉し」で御用が出来るから、従ふ所へは従うて温順(すなほ)に致せば、其日から「嬉し、嬉し」で暮して行ける時節が廻りて来たぞよ。温柔な守護神に使はれて居る肉体から良く致してやるから、一寸でも敵対て来る守護神は、自己(われ)の身体は我(わ)が自由になりはせんぞよ。善と悪との鑑が出るから、善い鑑を見て改心を致されよ。お筆先通りの世が参りて来て、温順な守護神に使はれて居る肉体は大変良くなるが、敵対うて見よれ、自己の身体がわが自由にならんのが、「自己が為(し)て居る」と思うて居るのが、させられて居るのであるぞよ。向後は日の出の守護と成るから、何事もよく解るぞよ。ここまでは暗がりの世でありたから、何も解らなんだなれど、時節が参りて来て、日の出の守護となりて来たから、向後は物事が迅(はや)いぞよ。御筆に出してある事も、直(なお)の口で言はしてあることも、遅い事、速い事はあるなれど、皆出て来るぞよ。便りしやうにも、伝言(ことづて)しやうにも、人に言はれん隠身であるから、日の出と成りて現はれるぞよ。
 乙姫殿の御働きは、世に出て居れる方の守護神では、小指の真似も出来はせんから、昔から末代其儘の御姿のある、混ぜりなしの御手伝を遊ばす、元の生粋の一輪の大神のお手伝がありたなら、霊魂の神が何程集りて来ても、お一方(ひとかた)のお働きがあり出したら、霊魂(れい)の神では今度の二度目の世の立替は、元の其儘のお姿のお働には、到底敵はんから、今の中(うち)に気を附けておくぞよ。
 従来の世は、地の世界に大将無しに、世に出て居りた守護神が、自己一力で狡猾(わるがしこう)ありたら、上へあがりて出世が出来たなれど、二度目の世の立替を致したら、何彼の事が天地にかはるから、充分お筆先を見て置かんと、量見が違ふから、向後お筆先に出した事を用いんと「自己の思ふやうにしやう」と思うても、行きはせんぞよ。他人(ひと)を見てもよく解るから、他人を見て改心を致されよ。外国見て、日本の守護神が改心を致さなならんやうに、大変りが致すぞよ。外国の心を「善い」と思うて、外国の真似を致して、日本の国が大きな取違をして居りて、世界中の大きな難渋であるから、日本の国の霊(ひ)の元の大和魂に立返りて、元の彌勒様の教通りを致さんと、世が立ちては行かんから、従来の守護神は俄に大変辛くなるから、永らく気を附けたのでありたが、今に判らん守護神が気の毒にあるなれど、モウ此上に知らせやうが無いぞよ。

 所々に宮柱を立てて、先走りがさしてありたが、九分九厘まではよく判りて居るなれど、肝腎の一輪の仕組で、綾部の大本には、大事業(たいもう)な仕組の元であるから、向後は遠方(とほく)から開けて来て、近所(ちかく)の人が余り取違で、面目無うて、大きな声で物も言へん、アフンと致して見て居らなならん様な事の無いやうに、ここまで知らしてやりて歓ばしたいのであるなれど、余り惨う判らんので、お蔭が後廻はしとなりて気の毒であるなれど、この御道は引つ張りには行かんから、気が附いて来たら出て御座れ。聴き度(た)くば、ドんな事でも説いて聞かせる世界の大本であるから、昔から言置きにも書置きにも、書物にも無い事……。元の根元の事から、将来(ゆくさき)の事からを、伊呂波四十八文字で書いてある事が、皆出て来るから、伊呂波の勉強は、今の学者には阿呆らしいやうにあるなれど、伊呂波の勉強をして置かんと、日本の大和魂に成れんぞよ。日本の国は伊呂波でない事には、真正(まこと)の天地の大神の御用が出来んぞよ。何事も伊呂波へ戻すのであるから、世界中の人民の思が余り大きな間違で、「腰が抜けるやら、顎が外れて恥かしいやら、面目無うて、大きな声で物も言えんやうな事になる」と云ふ事が、毎度気が附けてあるぞよ。

 男も女も、「大本へ早うから来て居りて、何をして居りたのじや」と云ふやうな事の無いやうに、早うから来て居る人は、些と効能が無いと、他(ひと)に面目無いやうな事の無いやうに、神徳(おかげ)を貰うて居らんと、向後(このさき)は段々善く判る人が参りて来て、アチラコチラになりて、結構なお話を聞かして貰ふやうな事の無いやうに……。肚(はら)の中に誠といふ精神を持ちて居ると、善いお話が何となく耳へ入りて、結構が腹へ滲み込みて、「あの人は違うた人である」といふ事がよく判りて、他が崇めるし、神徳が受かるから人徳が出来るし、一つは各自(めんめ)の行為(おこなひ)善くば、神徳がよく判りて来るなり。従来(これまで)とは違うて、今度の二度目の世の立替は、さつぱり何彼の事、精神の持方を変へて貰はんと、従来の事は些とも用いられんから、守護神が辛くなるぞよ。従来の遣方は誠の無い、表面(うはべ)を飾る世でありたから、上から見て立派にありたら宣(よ)い世でありたなれど、二度目の世の立替で、末代の事が決るのであるから、従来の心の持方を変へて、遣方を薩張り変へさすから、今が転換期(かはりめ)で真[誠]に辛い所であるぞよ。辛いのが行であるぞよ。元の其儘で末代居る活神は、この世の来る事を世の根元(もと)から良く判りて居る故に、何んな苦労もしたりさせたりして居りて、ここ迄の辛抱が出来たのである。世の根本(もと)からここへなる事が良く判りて居りて、世に押込まれるのも、何もよく承知で、ここまでの行を為(さ)せて戴いたお蔭で……。ここまでの行をして置かんと、世が元へ戻るのであるから、「何一と種(いろ)知らん」といふ事のないやうに行をして置かんと、向後になると、何んな事でも新規(さらつ)の世に成るのであるから、問はれた事に弁解の出来んやうな事では、天の御先祖様の御威徳が判らんやうな事では、「彌勒様のお傍附」とは申されんぞよ。
 この世は天の御先祖様の彌勒様であるから、元を大事に致さんと、体主霊従(あく)にもせよ、ここまで開けたこの世界を、元は天の彌勒様の御艱難で、鉄の棒が針に成る所までの御艱難を汲み取りて、誠に致す守護神が無い故に……。
 自己(われ)に苦労をして来んと、誠の事は判りはせんぞよ。苦労は出世の基(もと)であるぞよ。地の先祖には一と通りの守護神では勤まらんから、彌勒様が初発に造へなさりてお出であそばす先祖を、「力量が有り過ぎる」と申して、「他の神の邪魔になる」と申して、彌勒様へお願遊ばしたら、彌勒様は、「多勢(おほぜい)と一人とは換へられんから、艮へ押込めい」との御命令が下がりて、「さあ甘(うま)い事じや」と、皆の神に一人も此方(このほう)へ附いてくださる守護神が無かりたが、押込められた御蔭で、ここ迄の行が出来たから、何事(なに)も彌勒様が為(さ)せられたのであるぞよ。向後はモウ世の立替は出来んのであるから、これまでの行が出来て居らんと、末代の世が続いては行かんから、彌勒様が為せられたのであるぞよ。みなの守護神の御蔭で、今に成ると誠に結構で厶(ござ)ります。一と通りではここ迄の行は出来んなれど、彌勒様からの御神徳を戴いて、ここへなりて誠に結構なれど、今に世に出て居れる守護神に、大事の実地が判らんので、大きな間違出来てはならんから、温順(すなほ)に皆して貰ひたいのが此方の願ひであるぞよ。
 慢心が大怪我の基(もと)であるから、無調法が出来るから、何彼の時節が参りて来て、大本へ遠国から判る守護神が、追々と仕組通りに成りて来るが、お一方(ひとかた)でも早く来て分けてくだされ。共々手を引き合うて善の世へ立返れば、前途(さき)ほど広き善き道が造へてあるから、御用が勇みて出来るから、お一方でも綾部の仕組通りを開いてくだされよ。悪も善へ立返りて、一つの心に成りて天地の御用を致せば、元の彌勒様の御歓びで、改心の出来た御守護神から、天地の善い御用が出来るのであるから、守護神に判りたら肉体に判りて来て、「うれし、うれし」で結構な御用が出来る世界の大本であるのに、上から下まで余り大きな間違で、向ふの国の今の体裁。気の毒なものであるなれど、行く所まで行かんと眼が醒めんのであるが、悪へかへりて仕舞うて居るから、何程実地を申しても、結構を書いて見せても、自己の心が引つ繰りかへりてしまうて居るから、耳へ這入らんが、雁(がん)も鳩も立ちてしまうから、そろそろ気が附いて気の毒なものなれど、それは国の御魂の借銭であるから、「罪穢(めぐり)の甚い所には甚い事が有る」と、皆お筆先に気がつけてあるなれど、何程気を附けても、「自己ほど偉いものは無い」と思うて居るから、気を附ける程悪う取りて、まだ今に逆様に取りて、聴く温順な身魂がないから、モウ気の附けやうが無いぞよ。永い間の国同士[志]の人の殺し合ひを致して、何(なに)効能がある。まだ偉い目的を立てて居るが、まだ気が附かんが、今の精神では外国は気の毒なものであるぞよ。日本の国には大望な仕組がしてあるが、其事は外国の霊魂では判るまいがな。
 向ふの国の仕組はドエライ仕組であるなれど、艮(とどめ)を刺すのは日本の霊(ひ)の元でないと刺せんぞよ。気を附ける間に気が附かんと、何うしても聴かねば、仕組通りの規則通りにして、悪の霊を平げてしまうて、国に口舌の無い様に、悪といふ醜しい霊は、世界に無い様に致すのであるから、何につけても、「二度目の世の立替は大事業(たいもう)である」と申して、十分知らしてあるぞよ。お筆先に書かしたら、天地の規則であるから変へる事は出来ず、其通りを致さなならんお筆先を、今「沢山に出る」と思うて粗末に致したら、先へ行くほど心配が出来て、取戻しのならん事が出来るから、毎度お筆先で気が附けてあるぞよ。今度の二度目の世の立替は、太初(むかし)の事から、天と地と世界中の事から、この世へ出てお出でる神の因縁から、守護神の性来の事から、何も一切の事を速(すみやか)に審査(あらため)を致して、三段に別けてある霊魂の性来の事から、何彼の事、神界(かみ)、仏事、人民、鳥類、畜類、餓鬼に成りて居るものまでも、助けなならん大望な二度目の立替であるから、何につけても大望ばかりであるぞよ。この前途(さき)は、何彼の事が早うなりて来るから、申すやうに致されよ。世は持ち切りには致させんぞよ(※1)。世はグルグルと変るから、何も時節には敵はんから、従ふ所へは従うて、早く帰順(おうじやう)を致さんと、後廻しにしられたら敵(かな)はんぞよ。慢心を致して頑張りて居る程後廻はしととなるから、温順(すなほ)に致せば霊の入れ替をしてやりて、改心の出来た身魂から大本へ引寄して、天地の御用を致せば、この世にこれ程結構な事はないぞよ。体主霊従(あく)では日本のお土の上には、一寸の場の上にも置いて貰へん時節がまはりて来たから、日本の内地(うち)に居りたくば、今の中(うち)に温順に致してくだされよ。天地の間(あひ)に発生(わか)してある皆 類の者である。破滅(つつぼ)には為(し)とも無いなれど、自己の心で破滅に成らんやうに致されよ。

 従来の世の遣方は、表面(うへ)から見ては立派にありたなれど、余り贅沢過ぎて世が持つて行けんから、金銭(きん)を唯出来たやうに思うて、衣類、道具を飾り立てて、天地へ冥加の程が恐ろしいから、従来は天地の御恩といふ事が、些とも判りて居らなんだから、肝腎の彌勒様御夫婦様、天照皇神宮(てんせうくわうだいじんぐう)殿、御三体の大神様の御神力といふ事を左程に思はずと、自己の力で何事もやりて行けるやうに思うて居りた事が、何彼の事が大間違で、「この世の息ある者は何うして出来た」といふ事も判ろまい。天地の大神様の御三体の大神様の、日々の御心の判りた霊魂が無かりた故に、永い間の口惜しき事も判らず、地の世界の先祖を、「力量が有り過ぎてお邪魔になる」と申して押籠めて、ここ迄は蔭の守護でありたなれど、蔭の守護ではモウ行けぬから、日の出の守護と相更(あひか)はりて、向後はお三体の大神様の御威徳を、日本の霊(ひ)の元の仕組通りに、何彼の事を致して埒良う致して、日本の国の神徳と、向ふの国の学力との力競べのの、国と国と、神と神との大戦であるから、勝ちた方へ従はなならん正念場であるぞよ。外国の七尾(ななおう)も八尾(やおう)もある王を平らげて、一つの王の元の天地の王で治めるぞよ。
 十分気が附けてあるから、モウ気の附けやうが無いから、何彼の実地を始めるから、不足を申して呉れなよ。天と地との先祖がここ迄に、何彼の事に気を附けて知らしてあるぞよ。まだ取違をして悪い鑑に成らんやうにして下されよ。今度取違をして、悪るい鑑に成りたら、世界中へ面目無うて何言ふことも出来ず、悶死(もだえじに)を致すより仕様無いぞよ。余り頑張らんと温順に致さんと、向後は従来の格合には行かんぞよ。止(とど)めの大峠と成りてから、「従来(これまで)の事をどの様にもお詫びを致しますので、恕(ゆる)して下され」と申して来ても、モウ其様(そん)な事には掛りて居れんぞよ。何もお筆先通りに世界が廻りて来たから、向後は各自に吾身の心を考へて見て、心の事を自己が審判(さには)を致すやうにならんと、お蔭は取れんぞよ。神は何程でもお蔭は渡すから、お蔭取るのは自己の心で取るのであるぞよ。肚の中の誠といふ、何人(たれ)がドう申しても誠がありたら、ビクリとも致さんのが誠であるから、この世には誠ほど強い物(者)が無いから、誠の心に持ちかへて、「従来の心は大川へ流してしまへ」と申して、お筆先で毎度知らしてある誠の心に持ちかへんと、誠の御蔭が取れんから、「誠、誠」と申すのじや。誠の生花が咲く世になりて来て居るのに、正味の無い灰殻(はいから)の心では、二度目の世の立替を致したら、従来の遣り方は些とも用いられんやうに大変りが致すぞよ。天地の大神様は、今の習慣制度(やりかたほじつ)をお嫌ひなさるから、日本の国は今の灰殻を真[誠]にお嫌ひ遊ばすから、何彼の遣り方から、心を昔の根本の遣り方に程なく返さすから、今が転換期(かはりめ)で何彼の事が六ヶ敷なれど、此後は申してあるやうに、何彼の事が一度に成りて来て、一度に開く梅の花、筆先通りに成りて来て、世界は一日増しに騒がしうなるぞよ。

 これまでは、天の大神様を、「この世にドうでも可(よ)い。自己(われ)が神である」といふやうな、何も判らん利己主義(われよし)の遣り方。御苦労致された天の御先祖様も、日の大神様も、天照皇大神(てんせうくわうだいじん)殿も、地の世界の先祖も、元の大神、天の大神様の御艱難の思ひといふ事を知らずに、この世が自然的(ぬしがで)に出来たやうに思ふて、苦労無しの向ふの守護神が、余り大きな取違を今にして居りて、元の大神様の御恩を知りた守護神一人も無いといふやうな、惨い事に世界中の守護神が成りて今の難渋。大神様の御守護で、ここまでは結構に、天からは彌勒様は御水の御守護、日の大神様は火の御守護遊ばすのが、人民では判ろまいがな。判りた人民一人でもあるなら、改心いたして身魂に些とも曇りの無いやうに、水晶に磨いて来たら、大本には事実(せうまつ)があるから……。大本の内部(なか)には、六年後から明亮(ありやか)な勿体ない事がありて、一日増しに結構が出来るのに……。この事は二階に大神様をお祭りがしてある折に、勿体なくも天照皇大神宮様が、大出口直にお憑り遊ばして、「直(なお)が余り大望な御役であるから、三体の大神様が下へ降り上りを致して、手伝をしてやらんと、余り大望な御用である」とお言葉を戴いた事が、六年後から大本の内部にも、お邸の内に実地(せうまつ)のお姿が、彼方此方にお出でますなれど、余り曇りた世の中であるから、この内部お邸を余程清らかにして、男も女も生神ばかりの中に居るのであるぞよ。この大本は他の教会とは違ふから、世の元の実地の生神ばかりであるから、一と通りの事を思ふて居ると、大間違が出来ては成らんから、その心でこの内部(なか)を清らかに致されよ。世の元の根本(こっぽん)の大神は、天も構ひ地の世界も構ひ、御水と、御火と、お土とで、この世が立ちて行くのであるぞよ。

(※1)
○「世は持ち切りにさせぬ」 玉鏡(昭6/5)
 地球一日の傾斜を小傾斜と云ひ、一年の傾斜を中傾斜と云ひ、六十年振りの傾斜を大傾斜と云ひ、三千六百年振りのを大々々傾斜と云ふ。この大々々傾斜の大変化の影響をうけて、気候が変る。従つてすべてのものが変つて来るので、寒い所が暑く、暑い所が寒くなつて世が変るのである。神諭に「世は持ち切りには致させんぞよ」とあるのは此意味である。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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