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『大本神諭』 大正6年旧11月23日

○大正6年旧11月23日(火の巻)

 至仁至愛大神(みろくさま)の御出現(おでまし)に成る時節が参りて、明治25年から変性男子の身魂と手とで知らさしてありた事が、実地に出てくるぞよ。今迄良き事を致して来た身魂は、良き事が出来てくるなり。悪い事を致した身魂は、悪い報(こと)が出て来るなり。何も彼も、一度に現はれるぞよ。モウ世の立替の事は知らせる事が無いから、今迄知らしてありた事の実地が、世界にあるぞよ。何も彼も世界中の事は、帳面に書留(つけとめ)てある同様に、天地の先祖は何一つ知らんと云ふ事は無いから、底の判らぬ経綸が致してあるぞよ。底の深いイロハからの仕組であるから、チットは言はれぬ事もあるし、六ヶ敷経綸であるぞよ。言うてはならず、言はいでは邪魔の這入る事もあるなり。変性男子の役は是程辛いことは無いぞよ。貧乏動きも出来んと云ふのは、男子の役であるぞよ。一寸でも気を緩めたら真似を為(し)られるなり。真似を為られたら、何遍でも後[跡]戻り斗り致さんならんなり。コンナ敵[叶]はん御用は世界に有りは致さんぞよ。御魂は世界に沢山ありても、代理(かはり)をさせる身魂は一つも無いのであるぞよ。変性男子の身魂の御用は、イロハ四十八文字で世界を治める経綸の御用であるが、向ふの国の体主霊従(あく)の頭(かしら)と其次席(つぎ)の身魂が、中々一通りの身魂の手に合はんと云ふ事が、初発から見抜いてありて、今に変性男子の身魂にツラい目をさして居るから、これから日本の元の経綸を顕はして、今に悪い目的を立て居る守護神は、「日本と外国との施政方針(やりかた)を、混ぜ交ぜてやらう」と思うて居るが、モウ悪の世の終わりと成りたから、悪の霊はチットも利かぬやうに致すから、今までの格合ひには行かんぞよ。悪の世は九分九厘でモウ済みたから、この先は天のミロク様の、昔のはじまりの元の良き世へ世を戻して、何彼の事、末代の事を規定(きめ)るのであるから、何に附けても大望な事ばかりであるから、人民では見当の取れん事であるぞよ。今までは悪神の支配の世でありたから、何事も見て見ぬ振りをして居りたなれど、全然(さっぱり)時節が廻りて来て、延(の)っ引きの成らん事になりて来たから、何時船が覆るやら解らんぞよ。
 天地の先祖はモウ此上守護神、人民には充分気が附けてあるから、何事が世界から出て来ても、モウ神に不足はあるまい。一度にひらいてバタバタと致さねば、何時までも同事に永う掛りて居りたら、世界中が泥海に成りて、人胤(ひとだね)も無く成りてしまふから、神は日本の元の経綸どほりを始めるから、一旦は世界は大混雑と成るぞよ。さう成りて来る迄に、神の申す事を信実(まこと)に聞いて身魂を研く如うに、筆先で日々知らしてありたが、今の上の守護神も人民も一つも判らんから、今の世界の困難であるが、今でさへドうする事もよう致さずに、途方に暮れて居るが、マダマダ斯んな容易(たやす)い事では無いが、その時は吃驚いたして腰を抜かして、頭を下にして歩行(あるく)やうになるぞよ。そこに成りたら、四ツ足の守護神の正体が自(おの)ずと現はれて来るが、真[誠]に気の毒なものであるぞよ。
 茲へ成る迄に、「改心を致すやう」と永らく知らしたなれど、盲目(めくら)と聾(つんぼ)の守護神、人民は、実地が来る迄真実(まこと)に致さんから、ジリジリ舞の狼狽(うろたへ)舞を致す事が来ても仕様は無いぞよ。鬼とも、蛇とも、悪魔とも譬(たと)へ方の無い、イヤらしい外国の性来を、日本の守護神が見習うて、「外国の行方(やりかた)は良い」と申して、上も下も真似斗り致して、今の日本の国の心配、外国の今の態(さま)、アレ丈け畜生の性来が現はれて来て居りても、マだ眼が覚めぬか。大将までが下に成りたり、上に成って見たり、まるきり日本の神国を畜生の玩弄物(おもちゃ)にしられてしまうて、天地の先祖も堪忍袋が切れ掛けたぞよ。神の堪忍袋が切れたら、万古末代モウ取返しが出来んから、奥山の紅葉のある内に早く改心いたして、神の申す如うに致さんと、末代の世を持ちて行く事は到底六ヶ敷から、どうしても改心が出来ねば、陣を引いて下に降りて控えて下され。一人と世界中とには代えられんから、一向気楽にさして神が構うてやるから、ドウシテも神の国のおこなひが出来ねば、城明け渡しをなさるが良かろう。神も可成(なるべく)は昔のママで続かして行きたいのが、胸に一溢(いっぱい)であれど、余り外国人に惚けて居りて、何時までも神の教が聞けぬなら、一つの道へ行くより仕様はあるまい。神は気を附けた上にも気を附けてあるぞよ。一の番頭からして日本魂が全然消えてしまうて居るから、畜生の国の尻に附いて、頭から湯気を立て、頭を三角に成る所まで捻鉢巻で気張って居れど、肝腎の腸(はたわた)が抜けて、腰がフナフナであるから、こんなツマらん事に成りて来たのを、天地の御先祖様へ何と申して申訳が出来るか。日本は日本で立て、外国を助けて遣らねば成らぬ、誠一つを貫く神国の一の番頭が、何も解らんから、畜生の尻馬に乗りて、外国の守護神の真似斗り致して、終(しまい)には外国の自由に為(し)られると言ふ事が判らぬか。モウ神はジットして居れん事になりたから、是から表に成りて働くから、構ひ立てには来て下さるなよ。
 時節が来たぞよ。時節と云ふものは結構なものの、恐いものでもあるぞよ。
 何事も此方から顕はさいでも、我身の方から全然(さっぱり)正体を現はして、何処となく飛び歩行(ある)いて、見るのも厭であるなれど、全部(さっぱり)顕はせに、我(われ)が我(われ)の姿を、田舎まで見せに歩行くのが顕はれるのであるから、「時節ほど結構な恐いものは無い」と申すのであるぞよ。時節には何ものも敵[叶]はんから、茲へ成る迄に、世に出て居れる方の守護神、皆に筆先で細々とよく解るやうに書いて知らせ、口で言はしてあるぞよ。筆先に出した事は皆世界にあるが、慢心と誤解(とりちがひ)とがありたら、真実(まこと)の御蔭は取れんぞよ。露国へ昔から上りて居りた悪神の頭が、露国の国を無茶苦茶[六茶九茶]に乱らしてしまふて、モ一つ向ふの国へ渡りて、外国の隅々までもワヤに致して、金の費(い)るのは底知れず、人の命を取るのも底知れず、行きも戻りも出来んやうに致して、食物も無い所まで致して、終(しまい)には日本の神国へ攻めてきて、世界を我の儘に致す、ドエライ悪い奸計(たくみ)を致して居るが、モウ九分まで悪の目的は成就いたしたなれど、日本の国の先祖の一厘の経綸で、手の掌を返して、天下泰平に世を治めて、後[跡]は七福神の楽遊びと致して、世界の人民を助ける日本の元からの経綸であれども、今の世界の守護神、人民の心では、三分も助ける身魂が無いぞよ。
 誠一つの天地の先祖は、違うた事はチツトも申さんぞよ。
 違うた事を致したら、茲まで忍耐(こばり)て来た事が水の泡に成るから、皆が揃うて今度の二度目の世の立直しの御用を勤めて下されよ。今度の御用は何に附けても辛い事ばかりであるから、シッカりと胴を据えておらねばツマらんぞよ。大本の中も、日の出の守護と成りて来ると、何彼の事が辛くなるぞよ。善し悪しが厳重に判りて来て、是迄の心を全然変えてしまはんと、辛うて辛抱が出来んぞよ。口を閉(つま)えて、男も女も腹帯を緩まんやうにシッカりと締めて居らんと、この先は是迄のやうな事には行かんぞよ。この世の上へ上りて居る悪の守護神が、皆揃うて、「体主霊従(あく)では行かん」と云ふ事が発根と判りて来て、霊主体従(ぜん)の道へ立復らんと、世が治まると云ふ事は致さんぞよ。向ふの国はチットも急(せ)きは致さんぞよ。「我の代(よ)に奪れな、児の代に奪る。児の代に奪れな、孫の代に奪る」と云ふ気の永い経綸であるから、「何時に成りても奪れさへしたら良い」と申して、チットも急ぎも動きも致さんぞよ。日本の国は、ソンナ事を致して居りたら国家が潰れてしまふから、日本の国には、天地の元の生神が一寸の秘密が致してあるぞよ。ほかの身魂では出来ん、ようせん経綸が致してあるが、実地の仕組は、今の今まで言ひもしられも致さん、大事の一厘の秘密であるから……。今の世界の守護神、人民が外国の性来に成りてしまうて、「日本の神国」と申しても、外国魂に成り切りた中に生れ育ちて居る子供までが、国家の害を致すハイカラの真似ばかりをして歓[款]びて居る中へ、大事の経綸を知らしたら、「良い金儲けが出来る」と申して、実地の代の立直しの大邪魔を致すから、日本の国の仕組は、智慧や学力では何程考えても判りはせんぞよ。チト深い仕組が致してあるぞよ。外国の仕組は浅いから、すぐに人の眼に判るなれど、日本の経綸は外国魂では判らんぞよ。何彼の時節が参りて来たから、始りたら何も一度に開けて来るから、余程しっかりと覚悟を致さねば成らんから、今に続いて知らして居るぞよ。
 疑ひと、我情(が)と、取違とが第一(いっち)恐いぞよ。口を閉(つま)へて素直に致すが何よりも結構であるぞよ。何事も一度にバタバタと埒良く致さぬと、永う掛りたら日本も敵[叶]はん事が出来るぞよ。外国の悪神の頭が日本へ攻て来る仕組を、昔から致して居りたが、モウ攻て来るのが近寄りたなれど、日本は日本で、元の生神が深い経綸を致して居るから、日本の人民がさツぱり日本魂に成りて居らんと、肝腎の時に狼狽(うろたへ)て胴を失ふぞよ。口先では「日本魂」と申しても、腹の中に誠が無いものは大化物であるから、今度の立替には化け物は皆、神が平げてしまふぞよ。今度の大戦は人種(じんみん)同士[志]の戦争(たたかひ)で無いぞよ。神と神と、国と国との、末代に一度より無い大戦(おほたたかひ)であるぞよ。今度の日本と外国との戦には、男も、女も、小供も一つの心に成りて、日本の国を奪られては成らんから、年寄までも日本魂に立復りて神国を守らねば、日本の先祖の大神へ申訳が立たんぞよ。今の如うな「我れさへ良かりたら、人はドウでも構はん」と云ふ如うな精神でありたら、日本の国もエライ事に成るぞよ。日本の霊主体従(ひのもと)の結構な神国を、悪神の頭と四ツ足に茲まで自由にしられて、是が悔しく無いやうな腰抜けが沢山あるが、今に日本の頭の上にかぶさつて居る大難を、何んと致して打ち払ふ心算(つもり)であるか。先の見えん守護神、人民には、神も往生致して居るぞよ。三千年余りての経綸を顕はして、昔の元の神の御血筋に速(すみやか)に代えてしまふて……。

 二度目の世の立替は、現世(このよ)が出来てから未だ無い大望な事であるぞよ。分けては言はれず、言はな判らず、言はれはせず、元の悪から速かに改心を致して、上へアガりて居る血筋も改心致して、ココマデに元の根本の天と地との先祖を世に落とした事の、御詫(おわび)を致さな成らん時節に近よりたぞよ。モウ此先は霊主体従(ひのもと)の経綸通りに致して、早く立替を致して、後の立直しに掛らんと、何んでも無い事に国を潰して、脛腰(すねこし)の立つ間に合ふ人民を、大根の葉房(はぶさ)を切る様な惨い事を致しても、向ふの国の何一つも効能の有る事は無いが、コレも皆悪神の玩弄に成りて居るのであれど、世界に気の附いた人民は一人も無いとは、惨い事に成りたものであるぞよ。初発からの筆先に、「今度は世界が三分になる」と、毎度申して知らしてあるが、世界は三分になるぞよ。なんと申した所で、日本の間に合ふ身魂が無いやうに成りて居るから、今迄に人民の思ふて居りた事が、大間違になりて来るぞよ。外国の思も大間違で、大きな取違を致して居るぞよ。中々一寸やソットの取違では無いぞよ。日本の人民も外国の性来に成り切りてしまうて居るから、心の持方が天地に代りて居るので、茲までは向ふの国の……。

 天と地との根本の大神の御血統(おちすじ)丈に、誠と云ふ元の日本魂の性来は一厘ほか無いから、一輪の日本魂で元の昔へ世を捻じ直して、ミロク様の世に致す経綸であるから、何につけても大望な事ばかりであるぞよ。向ふの国の性来が、皆体主霊従(あく)であるから、薩張り立分けてありたのが、世の末と成りて、こんな見苦しき、混ぜ交ぜの世になりたのであるぞよ。初発の世界の泥海の折から、末代の巧みをして居りた極悪神の身上は、日本の元の大神がよく知りて居られるから、日本にも初発から深い経綸がしてありても、今度の神と神との大戦であるぞよ。外国の悪の頭(かしら)は、ドうしてなりと日本へ上る巧みをして居るなれど、日本の国へは上げられんから、露国の先祖としてありたなれど、悪の強い奸賢(わるかしこ)い性来であるから、何の様にしてでも目的(おもわく)を立てねば、途中で邪魔を致すと云ふ邪神であるから、天地の根本の大神は、茲まで悔しい残念を堪り詰めて、悪神の仕組の九分九厘と成るまでの、永い間の堪忍を致して、悪神の頭の目的を立てさしておいたが、モウ一つの目的を立て居るのを、日本の元の大神が能く知りて居るから、日本の神国には外国の御魂の能う為ん事が仕組であるから、九分九厘まではトントン拍子に出て来たなれど、モウ悪の経綸の輪止りが来たから、「フクロ鳥の宵企み」となりて、この先では夜食に外れて、難しき顔を致さな成らん如うに、時節が参りたぞよ。明治25年から知らしてあることが、皆その通りに出て来るぞよ。「寒さ暑さの容赦は無い」と申してあらうがな。是だけの寒(かん)じでも、この大望な事が始りたら、水の中でも火の中でも、「熱い、寒い」は言ふて居れん、大望な大戦であるぞよ。この世が出来てから未だ無い、末代に一度ほか為(し)られん二度目の世の立替であるのに、何も判らぬ悪神の仕組は、我れ良しの強い者勝の行方であるから、我の血筋と、親族(ひっぽう)と、眷属とさへが良かりたから、「何時まで掛りて居りても、奪れた折に奪りたら良い」と云ふ、悪神の仕組は楽な行方であるぞよ。そんな仕組をいたして居る方の、云ふ如うに相手になりて居りたら、此世が泥海と成る事が見え透いて居るから、昔の元から日本の国には、悪神の方からは見えも判りも致さず、学力でも智慧でも、外の身魂では出来ん経綸がしてあるから、どうしても悪の身魂に改心が出来んなれば、国とは代えられんから、一輪の仕組通りに致して、ここまでは堪りたなれど、ここに成りておりても判らんやうな悪の頭なら、仕組てある如うに致して、バタバタと処置(かた)を附けて、後の立直しの用意を致さんと、この世をここまでに四ツ足に自由自在に致されて、天地の先祖の威光が解らんから、この世を創造(こしらへ)て、末代の世を建て行かねば成らん天と地との先祖が、今までは堪忍(こばり)て来たなれど、余りの事で、日本の霊主体従(ひのもと)の、一と申して二の無い国を、天竺や外国と同じ如うに致して、日本へ渡りて、日本の[血筋を]金毛九尾(よつあし)に自由にしられるとは、時節とは云ひ乍(なが)ら、ここで改心を致せば又た仕様もあるなれど、余りの事でモウ堪忍袋(こらえぶくろ)が切れるぞよ。悪神と四ツ足とに自由自在にしてしまはれて、天の御三体様に何う申訳が出来るのか。艮の金神を無い神と致してから、恐いものが無いやうに成りたから、日本の神国を好きな如うに、我の一力で仕放題、好きすっぽうの悪る力がありたら、上へ上りて出世が出来た、四ツ足の守護でありて、楽な行方、我の一力で悪い事を為る守護神でありたら、出世が出来たのが、カシラが極悪でありたから、悪の昇るのは早かりたのであるぞよ。上へ昇りて後も前も構はずに、頭と尾とで前後へ手が廻らずに、上さへ上れたら良いと云ふ行方。九分九厘までは跡がドうならうと、先がドう成らうと、行ける処まで胴体が無いから、八ツ頭 八ツ尾で、肝腎の大事の真中が無いと、頭と尾とでは肝腎[心]の事が成就いたさんぞよ。
 日本は世界の中心(まんなか)であるから、肝腎の要(かな)めの所に大事の経綸がしてあるから、モウ微躯(ビク)とも致さねども、人民の方は何事も改心次第であるぞよ。「日本の人民も大きな取違を致して居る」と、毎度筆先で書かして知らしてあるが、その大間違の判る時節が参りて来たぞよ。余り一度に何彼の事が判りて来て、逆立ちに成つてヌタクラナ成らん如うになりてきたぞよ。神が一度申した事は、何事に由らず皆世界から出て来るから、一日も早く改心を致すやうに、日々に続いて知らして遣りたなれど、今に真[誠]に致さん故に、何彼の時節が九分九厘となりて来て、善悪の立分けを致さな成らんから、彼方にも、此方にも、足元にも、何から始まるやら、人民には見当が取れん事になるぞよ。四ツ足の覇張りた事を天晴れと露はして、末代の記録に遺すから、ここへ成る前に、「身魂を磨いて置け」と申して知らしたなれど、真[誠]に致して聞く身魂が無いから、是からは罪穢(めぐり)のある処には、罪過(めぐり)だけの借銭済(しゃくせんなし)を致さすのであるぞよ。何処も恨める所は無いぞよ。自分の身魂を恨めるより仕様は無いぞよ。

「今度の二度目の立替は、国々、処々(ところどころ)、都会(ひろみ)、田舎、村々、家々に、身魂の借銭だけのことは、天地の神から済さしてしまふから、何処も恨むことは無い」と申して、明治25年から、今に続いて知らしてあるぞよ。知らしてあることが、良い事も厭な事も、みな一度に何も出て来るぞよ。さうなりた折には、世界の人民は、「『矢張り艮の金神は悪神で有る』と未(ま)だ申すぞよ」と申してあるが、神から申してある事は、一分も違はずに皆出て来るから、艮の金神が悪い騒動(さわぎ)をいたす如うに思ふであらうなれど、天からの時節で何も出て来るのであるから、艮の金神も何う致す事も出来んのであるから、「それ迄に一人なりとも改心さして助けたい」と思うて、今まで苦労艱難いたして知らしたのであるぞよ。
 サラつの洗替の世になるのであるから、外国には厳しき事があるぞよ。この事は明治27年の7月の差入りの筆先に書かしてあるぞよ。良い事も厭な事も、一度出してある事は、遅し速しはあるなれど、皆出て来るぞよ。悪の頭からトコトン発根の改心を致さんと、思うて居る事に大間違が、我に皆出て来るぞよ。「余り我好しの行方で大間違が現はれて来て、腰が抜けてしまうて、腮(あご)が外れて言(もの)も云へず、足が上になりて頭が下に成りて、手で其処ら傍(あた)りをヌタクラナ成らん様な事が出て来るぞよ」と、今年で27年目であるが、其間昼夜に知らしてあるぞよ。天地の生神の先祖を、「要らんものじや。神は無くても良いものじや」と申して居りたが……、「悪と四ツ足とで、この世の政治が行(や)れるか」と云ふ事を覚(さと)るやうに、充分に思はくをさして、大神が蔭から見て居れば、「未だモ一つ悪を強くして、斯の世を此儘で行りて行かう」との精神であらうがな。日本の国を外国の悪と四ツ足とが、モ一つ上へ上りて、「王の王に成りて行かう」との度豪(どえら)い経綸を致して居らうがな。

 日本は神の国、神が守らな治まらぬ国であるのに、肝腎の一の番頭、二の番頭から全然(さっぱり)外国魂に成切てしまうて居るから、何時迄も世はコテゴテ致して治定(おさまり)は致さんぞよ。人民力でこの結構な神国の政治が出来るなら、モチト立派に世が立ちては行けさうなものでないか。今の世の持方は全部(まるきり)畜生の行方で、強い者が弱い者の汗油を絞りて、其汗と油で高い処へ上つて、舌をペロリと出して見卸して居るが、それが悪魔の世と申すぞよ。是だけ世界に、上下懸隔(しやうかうんぷ)がありては、何時になりてもこの世に口舌の絶へると云ふ事は無いぞよ。外国の真似斗り致して、「是が開けた世の行方」と申して居るが、何処が開けたのか。肝腎[心]の開くべき所は二重三重に閉(ふさ)いでしまうて、開いてはならぬ神国の宝を破乱(ばら)かしてしまうて、二進(にっち)も三進(さっち)も行かんやうになりて、途中の豪(えら)い鼻高が、毎年一と処へ国々から集って来て、結構なご相談や争論(いさかひ)を致して御座るが、下の何も知らん人民は良い面の皮じやぞよ。昔からの暦(こよみ ※太陰暦)を潰したり、神の鎮まる先祖代々からの御宮を、「金が無いから」と申して潰したり、神を相借家へ投(ほ)り込みて置いて、人民は昔の王も叶はんやうな家を建て、別荘を立て、金斗りを重宝がり、「金さへありたら神も糞も要るものか」とエライ慢心と取違を致して居るが、こんな無茶[六茶]な、天地を畏れぬ外国魂の畜生の行方は、神は何時までも許す事は出来んから、皆それぞれに覚悟を為さるがよかろう。外国の四ツ足の真似を致して、結構な家の内で、牛や馬の肉を煮いて喰うたり(※1)、首に畜生の皮を捲いたり、畜生の毛で織った物を肌に着けたり、それが薩張り四ツ足の性来が現はれて居るのであるぞよ。四ツ足の守護神が何程骨を折りても、万古末代の世を自由に致すと云ふ事は、到底出来は致さんから、素直に致して改心をして、神の申すやうの世の持方に致せば、此儘で神が構うて続かして、尾を隠してでも許して遣るなれど、余りしぶたう頑張りて居ると、三千世界の赤恥を掻く事が出来て来るぞよ。

 日本の国丈けでも是丈持余して居りて、他の国の事ども構ひ立てする暇は有りもせむのに、肝腎[心]の足元は、宣[よ]い加減な事に致しておいて、「終(しまい)には共倒れに成る」と云ふ事に気の附かぬ様な明盲(あきめくら)であるから、○○の国は一日増しに押詰りて来て、食物は段々と欠乏(ひっぱく)になるなり。菜の葉一枚でも大切な事に、今に成りて来るぞよ。何程金を貯めて歓んで居りても、正可(まさか)の時には金銀では生命が繋げんぞよ。百万円の金よりも、一握のお米(よね)の方が大切な世が廻りて来て、明治25年から毎度筆先で知らしてあるやうに、田地(でんち)に植込みて喜びて居りた桑までも、掘[堀]起さな成らん事に成りて来るが、人民と申す者は近慾で、近眼で、真[誠]の神の申す事は判らんぞよ。真[誠]に気の毒なものであれども、人民の精神が薩張り曇り切りて居るから、何をして見せても、何を聞かして遣りても、神の申す事を汲み取る人民が無いが、ようも茲まで曇りたものじや。無間の鐘まで掘[堀]上げて(※2)、「今じや、早じや」と知らせども、盲目と聾(つんぼ)の今の世界の人民は、慾斗りに迷うて、一寸先も見えず、是だけ天地に昼夜に鳴り渡る大神の声も聞えず、鳥獣にも劣りたもの斗り。世の立直しを致さうにも、掛りかけが出来んぞよ。けれども綾部の大本には、神が綱を懸けて、昔の其儘の日本魂を引寄せる経綸が致してあるから、大丈夫ではあれど、心はチツトも許されん大望な所であるぞよ。外国の悪神が今に仲直りを致したら、今度は腹を合はして、一つになりて攻めて来るから、日本神国の人民は、判りたものから用意を致して下されよ。末代に一度の世の立替立直しであるぞよ。

 明治25年から、出口直の手を借り口を借りて知らしてありた事の実地が出て来る世になりたぞよ。「露国から始まりて、日本と外国との大戦がある」と申したが、時節が来たぞよ。「外国は終(しまい)には一腹になりて来る」と、申してあらうがな。この神、一度申したら、何時に成りても毛筋の横巾ほども違ひは致さんぞよ。これが違うたら神は斯の世に居らんぞよ。外国の悪神の頭が、露国を無茶苦茶に致して置いて、モ一つ向ふの国へ渡りて、人民の王を自由に使うて、世界中の困難をも構はずに、「自国(われ)さへ良けら他(ひと)はドウデもよい。人は倒しても我さへ立ちたら満足じや」と申して、「悪の頭が今に日本の神国へ攻めて来るぞよ」と申して、知らしてあるぞよ。

 日本の人民は些とでも誠がありて、一の番頭、二の番頭の守護神に、誠一つの日本魂さへありたら、何程外国の学力でも、人民が沢山ありても、金が何程ありても、ビクとも致さねども、今の日本の持方は、守護神が薩張り外国よりもマダ一段身魂が劣悪(おと)りてしまうて居るから、今にキリキリ舞を致さなならぬ事が出来てきて、往きも還りも出来ぬ様に成るのは、眼の前にチラ付いて居るから、「一日も早く改心致せよ。身魂も研けよ」と、腹が立つ程クドウ申して、気が付けてありたぞよ。この大本へ立寄る誠の人は、明治25年から、昼夜に出口直に書かしてある筆先を調べて下されよ。「一分一厘間違は無い」と申すことが、何程疑の強い人民でも判りて来るぞよ。それで改心の出来ぬやうな人民は、気の毒でも今度の二度目の世の立替には間引[曳]かれて、万古末代根の国、底の国へ霊魂を落してしまうと云ふ、神界の規則であるぞよ。神は人民を助けたさの、永い間のこの苦労であるぞよ。兵隊を一旦日本へ引寄して、外国を地震、雷、火の雨降らして絶滅(たや)さねば、世界は神国にならんから、余り何時迄も神の申す事を聞かねば、三千世界の経綸通りに致すから、世界に何事ありても、神と出口を恨めて呉れなよ。「我身魂を恨めるより仕様は無いぞよ」と申してあらうがな。気の毒なものでも、モウ神は一切りに致さねば、天の御先祖様へ艮の金神の申訳が立たんぞよ。

 明治25年から、天の御先祖様の御命令を戴きて、世界の人民に何彼のことを知らせども、今の人民、慾に惚けて我身の用意(しがく)斗り、国の事共おもふ人民は、上に立つて居る守護神には、薬にする程も無いから、世は段々と押詰りて来る斗り。今に皆の人民がキリキリ舞を致して、アフンと致す事が到来するぞよ。人民は神に次(つい)での霊(みたま)であるから、チツトは解りさうなものなれど、薩張り肝腎の霊魂が外国の悪神に自由自在にしられて、眉毛を算(よ)まれて、尻の毛が一本も無い所までワヤに為られて居りても、未だ気が付かずに悪神の頭にだまされて、我と我手に苦しみ居るぞよ。
 吾妻(あずま)の国は一晴れの、実(みのり)の致さぬ薄野尾(すすきのお)。
 実り致さな国は栄えぬ。吾妻の国へ遥々(はるばる)と、都に致す心悲しき(※3)
 唐土(とうど)の鳥の渡らん先に、神は還りて経綸を致せども、聴く人民無き故に、残念なれど唐土の鳥が、今に日本へ渡りて来るぞよ(※4)。毒を空から降らして(※5)、日本の人民を絶やす経綸を昔から致して居る事が、よく神には判りて居るから、永らく知らしたのでありぞよ。早く改心致さぬと、改心の間が無いぞよ。神は気を附けた上にも気が附けてあるぞよ。モウ何彼の事が一度に実現(なり)て来るから、「こんな事なら、モ一つ気を附けて呉れさうなものでありた」と、未だ不足を申す守護神、人民があるぞよ。何程不足を申しても、神が茲まで出口に苦労さして気を附けてあるからは、神にも宣教者(とりつぎ)にも、ヨモヤ落度はあろまい。不足があるなら、我身の心をよく考え見て不足申さんと、スコタンを喰ふぞよ。茲へ成る事が良く判りて居るから、今年で知らしかけてから27年目であるぞよ。今の人民も守護神も、大きな誤解(とりちがえ)を致して居りて、今に成りてから他へ問ひに行く所は無し、何ウ為様(どうしやう)も無い事が近う成りて来たぞよ。是だけククメルやうに知らしてあるのに、未だ判らんとは、惨い事に曇りたものであるぞよ。神はそれが出て来た折に、何う為様も無い事が出来んやうに、噛みて口へ入れて、飲込みたらよいやうに致して、筆先で知らせ、言葉で知らせてあるが、モウ此上に知らせやうが無いぞよ。

 この悪の世を、天と地との先祖の一つの真[誠]の世へ立帰らすのであるから、茲までに申して聞かしたら、何程悪魔でも、チツトは合点が行かねば、神の名の付いて居る悪神も、是からは気の毒な事になるぞよ。此所まで誠一つの天地の大神を、此所(ここ)までにようも苦しめたなア。ここ迄に致したら、是に不足は有りは致すまい。極悪と申してもエライえぐい身魂であるぞよ。モウ堪忍袋の緒が断(き)れたぞよ。天地の先祖も茲までの辛抱を、水の泡には致しとも無いなれど……。

 此所迄は国を潰さぬ様にして、向ふの国にモチトらしい身魂がありたら、国と国とを立分けて、国の奪合(とりあひ)と云ふやうな事を致さずに、皆手を引合うて行きたいのは、神の一心なれど、余り向ふの国の身魂の性来では、国が治まると云ふ事の出来ぬ、悪い性来であるから、バタバタと埒を附けねば、世界は何時までも治まらぬぞよ。向ふの国へ上りて居りた、外国の悪神の霊魂が、日本の国へ上りて来て、四ツ足や、豆狸、蛆虫同様の悪るシブトウて、日本の国には使ひやうが無いから、一旦は世界中を洗ひ替と致さねば、日本の国が外国の性来ばかりで、是ぞと云ふ身魂が無いから、茲までは「ドウゾ、ドウゾ」と思ひ過ごして、気を揉みたなれど、到底助ける方法は、今に無い所まで曇りて来て居るぞよ。「モチツトらしい身魂がありたら、セメテ二国程は残して遣りたい」と思うたなれど、余りエグイ身魂斗りであるから、昔からの天地の神の経綸どほりに致して、埒良く致さんと、悪が何時迄も絶えんぞよ。「チツト増(ま)しな身魂がありたら」と思ふて延ばす程、向ふの国の極悪が猶ほ悪くなる斗りで、モ一つ日本の国を下に為(し)どころか、日本の国を欺し討に致して奪取(とり)てしまふ、悪い巧みを致して居るから、霊主体従(ひのもと)の経綸に神が致してやらんと、まだまだ悪い事を仕組て居るぞよ。日本の人民は薩張皆揃うて大和魂に成りて、胴を据えて、腹帯を占めて掛らんと、是迄のやうな心で居りたら、国が全然(すっくり)無いやうに成りてしまふぞよ。茲までに天地の御先祖様が、御艱難を遊ばされた御苦労を、水の泡と成るやうな事は致さんぞよ。日本の人民が皆揃うて御手伝を致さんと、世界の立替の大峠となりて来たから、茲に成りた折には、身体も霊魂も清(すぐ)やかになりて居らんと、日本の国の人民が、コンナ見苦しき国害(がい)を致す外国の身魂が、「良い」と申すやうな事になるのが、世の元からよく判りて居るから、天地の先祖は茲まで是だけに気張(こば)りて、御血筋には充分の苦労艱難、悔しき事を堪り詰て来て見て居れば、向ふの国の今の困難。あれ程の惨事(こと)がありても、何の気の付く守護神がチツトも無いのが、「人はドウデも構はぬ」と云ふ悪神の精神であるから、何も気が附かんのであるぞよ。向ふの身魂が日本へ皆渡りて来て居るから、日本も外国の身魂に化りて、日本の国を平げて、世界中を外国の世界に致して、王の王になりて、末代続かせる仕組をして居るのであるから、日本の国は男も女も、誠一つの日本魂の性来に成りてしまうて、女の一心 巌(いは)でも突貫(つきぬ)く精神で無いと、今度の二度目の世の立替の間には合はんぞよ。
 日本の国の人民も、外国の人民も、今まで思うて居りた事とは、エライ大きな間違が出来るが、同じ如うな事に、細々と抜目の無い様に、取違の無いやうに、変性男子の手で大国常立尊が、言葉と手とで知らしてある事は、一つも違はず皆実現(でて)来るぞよ。末代に一度よりしられん大望な世の立替であるから、中々骨の折れる事であれども、神が蔭から経綸致してありての事であるから、モウ大丈夫であるぞよ。永らく知らした事を、今になつて居りても真[誠]に致さず、疑うて取違をして置いて、悪い鏡に成りても、何処を恨める所は無いぞよ。外では判らん事の、誰も出来ん事であるから、是だけ執念(くどう)申して知らして居るのであるから、今の学で出来る機械が動く悪の力で、九分九厘までは行れるなれど、モ一厘と云ふ処になりたら、手の掌が覆るぞよ。何うにも斯うにも仕様の無い、悪しぶとい悪力なら何程でも出すなれど、日本の国の昔からの秘密の神力を現はして、天地の先祖の経綸どほりに致してしまはねば、外の身魂の手には合(あは)むから、今度は神力で薩張り平げてしまふぞよ。

 そうなりた折には、「艮の金神は善の神じや」と申して居れど、「矢張り悪神である」と、未だ人民は申すであらうなれど、真[誠]の善といふ道は、表面(うへ)から見ては未だ悪に見えるから、取違を致さぬ様に、身魂を一時も早く研くが結構であるぞよ。人民の眼には判らん真[誠]の善でないと、是だけに曇りた世界を、善一つの道に立替る事は、悪ではよう致さんぞよ。「真[誠]の善は一旦は悪に見えるぞよ」と、筆先で毎度知らしてあるから、一度知らした事は皆出て来るぞよ。一通りや二通りの事では無いぞよ。今の日本の人民は、男も女も、「外国の教の方が良い」と申して、外国魂になりて居るから、一番に取損(とりそこなひ)を致して今の体裁。取返しの成らん事が出来て、日本の今の国家、何う仕様にも、今の処では取戻しの成らん事であるぞよ。日本の霊主体従(ひのもと)の身魂と、外国の体主霊従(から)の身魂との性来と云ふものが能く見えるのが、是が時節であるなれど、大きな取違を致したものであるぞよ。「小さい間違で無い」と云ふ事が、毎度申してあらうがな。モウ取返しの出来ん事であるぞよ。

 向ふの国の身魂は、悪い事ならドンナ事でも致す、エライものであるぞよ。向ふの国と和合致したら、末代「嬉しい」と云ふ様な事は一日も無しに、乱世斗りが続くぞよ。悪の精神斗りで、善と云ふ性来がチツトも無いから、向ふの国の仕組では、「ヤレ嬉い」と申して、人民の気の休まると云ふ事の無い、何時になりても利己的(われよし)の、人は倒(こ)けやうが仆(たふ)れやうが、「起してやる」と云ふ様な優しい身魂は、何時になりてもありはせむから、全部(すっくり)と極悪の身魂の性来を直すのには、言ひ聞かした位に聞くやうな、素直な身魂は有りはせんから、帰幽(でなほし)をさして、充分の行(ぎょう)を命(さ)せて、新(さら)つに致さん事には、エグイ性来の悪のカンカンであるから、さう致すより道は無いぞよ。今度の世を立直したら、途中で又た変へるといふ様な、ヤニコイ経綸で無いから、今助けるだけは助けてやらねば成らぬから、シカリたり、タラシたり、何時まで掛かりて居りたとて、到底今の人民の耳へは這入らんから、気の毒でも神も助け様が無いぞよ。日本の身魂が上から下まで、外国の悪の身魂に、団子廻はす如くにしられてしまうて、一寸も先の見えん所まで曇らせて居るが、ヨウもここまでにしられたものじや。が、無理は無い。艮の金神を艮へ押籠める下地を拵らえた悪賢い守護神であるから、体主霊従(あく)の道ならドンナ事でも致すなれど、至仁至愛神(みろくさま)と地の先祖とが天晴れ表面(おもて)に現はれたら、ドンナ極悪でも、火に水を掛ける如く、蛭(ヒル)に塩を振りた如くであるから、ここまでは自由自在に、我ほどのエライものは無いやうに思うて、世の本を創造(こしらへ)た天地の先祖を下へ見降して、「王は十善、神は九善」と致して、日本の○○○○一段下に見て、大神も「この世において遣る」と申して、人民の○より一段下へおろして、外国人を上へ上げて敬うて、外国ほど結構な国は無いやうに思うて、大きな取違を致して居りたが今の様(ざま)。この先は日本の霊主体従を、こんな見苦しき事に致して、天地の大神をドウ致すのか、ドウ云ふ事に仕組て居るか。

 日本の国は何処へも与る事はならむぞよ。日本の国は一と申して二の無い大事の神国であるから、外国へ与る事は致さんぞよ。今の日本の人民は、男子も女子も、皆外国の方がよく見えるから、外国の真似ばかりを致して、開けた人間の様に有頂天になつて迷ふて居るが、外国の仕組て居る悪い巧みは解ろまい。薩張畜生の国の性来に移りてしまうて、この先はドウ致す積りであるか。四ツ足に自由自在に好き寸法にされて居る事が、気が附いて居るか。又「この世の本はドウして出来た」と云ふ、思遣のある守護神はあるまいがな。「ドウ云ふ事で斯の世がここ迄立ちて来た」と云ふ事の解るものは、守護神にも人民にも有りは致すまいがな。四ツ足の身魂を上に致して、実地のこの世の本の神を下に致して居りて、ドウしてこの世が立つて行くと思ふか。大間違も程があるぞよ。外国の悪の頭の身魂が、この乱れた悪の行り方で、モ一段上へ上る仕組をして居るが、日本の○に解りて居るか。中々に解りは致すまい。○と成ると、眼で見ずとも、心で何彼の事が見え透いて折らぬと、是迄のやうな事では、○○立つ人が番頭に自由に仕られるやうな事では、何時までも治まらんから、この先は薩張り今迄のやり方を替えてしまふぞよ。○○が嬢や坊では、こう云ふ世になりたら、ドウ仕様にも方法が無い事に成りて来るのは、世の元から見え透いて居るから、日本の霊主国(ひのもと)には、誰にも出来ぬ一寸の神秘(ひみつ)が致してあるから、神界の秘密通りに致して、埒良くいたさんと、こんな約(つま)らん事は無いぞよ。向ふの国の仕組は能う解りて居るなれど、解るべき所へ解らんので、神も助けやうが無いぞよ。向ふの国の守護神に、ザラザラと永う引張りて宣い玩弄物(おもちゃそび)に為(し)られた上に、モ一つエライ仕組をいたして居るぞよ。

 是迄の世は肝腎の大地(おつち)の上の先祖を無神(ないかみ)として居りて、四ツ足の憑切(うつりきつ)た日本の人民は、今では向の国の悪神の自由にドナイでもなるから、モ一つ充分にお玩弄にいたして置いて、モ一つ上へ上りて王の王になる経綸を致して居るぞよ。「人は何(ど)うでも我さへ善けりやよい」と云ふやうな極悪の経綸は、厭らしい仕組をして居るぞよ。向ふの国の性来は、言ひ聞かして聞くやうな優しい身魂は無いから、○○○○茲(ここ)へ成りて来る事は、世の本からよく解りて居るから、日本の国には昔から、天地の先祖が深い経綸を致してあるから、何事も今度は実現(あらはれ)て来るぞよ。今に成りてから経綸を変へると云ふ事はならん。大本[大元]の経綸通りに、何事も一度に出て来るぞよ。今度の洗ひ替へは、三千世界の大洗濯であるから、何程書いてありても、書いてあるだけの事は致してしまはねば、天地から何事も無しに済ますと云ふことは、今度は借銭済をせずに堪忍事(こらへること)は出来んから、明治25年から同じ如うな事を、よく人民、守護神に解るやうに書いて、気が附けてあるぞよ。一度申した事は違はん筆先であるから、途中に変りは致さんぞよ。

 何事も昔から、霊魂の所作柄を一々帳面に付け留めてある同様であるから、借銭を済してしまはんと、「赦してやる」と云ふ事は出来んのであるから、「此世の閻魔(えんま)」と申す活神(いきがみ)であるから、血筋引方は尚ほ酷いぞよ。厭な事は引方(ひっぽう)にさせてあるぞよ。何事も大本の変性男子の筆先で、天地の大神が時節、時節の事を、先きに書かして置きなさると、其通りが来るのであるから、善き事も悪き事も皆出て来るから、其覚悟を致さねば成らぬぞよ。支那(から)から昔攻めて来た折には、それでも見せしめの為に三人だけは還してやりたなれど、今度外国が同腹(ひとはら)になりて攻めて来た折には、只の一人も還してはやらんぞよ。日本へ外国の兵隊を一旦皆引寄して、其後で地震、雷、火の雨降らして、外国を往生いたさす経綸であるぞよ。「日本も、霊魂の悪い人気のよくない所には、何があるとも判らんから、神の申す中(うち)に、一時も早く改心致さんと、取返しのならん事が出来いたして、ジリジリ舞を致さな成らん」と申して、二十七年の間知らしてありたが、其知らした実地が出て来るのが近寄りて来たぞよ。



(※1)
○大本神諭「明治31年旧5月5日」に同表現がある。

(※2)
○「無間の鐘」 玉鏡(昭7/12)
 無間の鐘を叩くと云ふことは、間断なく鐘を叩き続けることで、早鐘を叩くよりも数十倍の速さで叩かなくては、無間の鐘を叩くと云ふことにならぬ。又この意味には霊的の意義がある。王仁が綾部へ初めて行った時にお筆先に「無間の鐘を掘りだして云々」とあるので、何処に左様な鐘が有るかと聞いたら、教祖は即座に「無間の鐘はあんたの事ぢゃ」と云はれた。二代(出口澄子:王仁三郎妻)はこれを聞いて「道理で先生はいつも矢釜しう呶鳴りつづけられるのぢゃ」と云って笑って居たが、今日の王仁の仕事を見、又王仁の使命を悟ったら判るやうに、霊的にも体的にも、間断なく鳴りなり渡ると云ふ有様ぢゃ。まことに文字通りに無間の鐘である。

(※3)
○「吾妻の国へはるばると」(新月の光 下巻 昭和19年8月)
「吾妻の国へはるばると都にいたす心さびしき」(『大本神諭』)とあるのは、神様が東京遷都を悲しまれた神諭である。高天原(綾部)の近くの京都にいられながら。

(※4)
○「なづな七草」 玉鏡(昭7/1)
 昔から「なづな七草唐土の鳥が渡らぬさきに云々」と云ふ歌がある。これは”唐土の鳥”即ち”外国の飛行機”から毒瓦斯(毒ガス)を投下するその時に、なづな七草を食べて居れば毒瓦斯にあたらぬと云ふ予言警告である。なづなと云ふのは冬青々としたもので、松葉でも葱でも皆薬となるものである。七草は七種の意である。

○出口直日(王仁三郎夫妻長女)『こころの帖』より「なずな」
 切り紙細工のような形をした、なずなは、春の七草の一つです。”なずな”という言葉のひびきに、なんともいえぬ優しさ、なつかしさを感じるのは、私をこの上もなく愛してくれた祖母(出口なお開祖)が、行燈の光も仄暗(ほのぐらい)部屋で、添い寝をしながら、「七草なずな唐土の鳥が渡らぬさきに、やれやれ帰った」と少しふるえを帯びた透きとおるような声で、唱ってきかせてくれた思い出があるからなのかもしれません。
 三番目の女児が生まれたとき、”なずな”という名前をつけたいと思ったのですが、ある人が”むじな”とまちがえそうだといい、”なずな”の成長したのがペンペン草といって、家の空地などに生える、びんぼう草だといったので、やめてしまったことを、今でも惜しいことに思っています。

(※5)
○「毒瓦斯と菜食」 玉鏡(昭7/10)
 戦術もだんだんあくどくなって、近頃はまた毒瓦斯(毒ガス)を盛に使用するやうになって来たが、日本のやうに菜食主義の国にあつては比較的其害は少ないので、日本人の皮膚は肉食国の欧米人に比して毒瓦斯に対する抵抗力は非常に強いのであるから、左程恐るるには足らぬのである。昔から正月の七日の行事に七草粥といふのがあって「七草なづな、唐土の鳥が、日本の国へ渡らぬ先に……」と囃しながら七草をたたいて、それをもって粥を作り一家が食する習慣があるが、是は一方『食物の用意をせよ』との神意であるけれど、また一方には菜食の必要を説かれたるもので、唐土の鳥が渡らぬ先、即ち外国の飛行機の襲来に備ふる為め、菜食して肉体的の抵抗力をつくっておけと云ふ事なのである。かうした非常時に際して、平常から菜食して居る人のより強さを十分知る事が出来るであらう。

[現代注:ウィキペディアより引用『ケム・トレイル/ケムトレイル chem trail  は、航空機が化学物質などを空中噴霧することによって生じているという飛行機雲に似た航跡。chemical trail, ケミカル・トレイルの略であり、con trail, コン・トレイル(航跡=飛行機雲)より派生した語。公害のような副次的被害ではなく有害物質の意図的な散布による住民への健康被害を目的として散布される。一般には陰謀論の一種と見做されており、航跡も単なる飛行機雲に過ぎないと言われている。』(引用おわり)]

テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
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プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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