『大本神諭』 大正6年旧9月5日

○大正6年旧9月5日(火の巻)

<日本は別として>「王、天下は永うは続かん」と云ふ事が、是迄の筆先に書いて知らして在らうがな。何彼の時節が参りて、何事も一度に出て来るぞよ。「善い事も悪い事も皆一度に現れて、外国には惨酷(ひどい)ことが頻々(ひんぐり)ある」と申して知らした事が、実地に成りて来るぞよ。外国は余り精神(こころ)が悪いから、良い事は一寸(ちょっと)も出来んぞよ。「天竺が彼(あ)の通りエライ見せしめに遇ひ、その次ぎが外国である」と申して知らしてありたが、一つも違ひは致さんぞよ。「日本の国にも人気の悪い処は、有る」と知らしてあるぞよ。日本も余り外国の真似を致して、全部(さっぱり)外国の性来に成りてしまうて居るので、上の守護神と人民に、「一日も早く改心致せ」と申しても、改心致すやうな優しい守護神が無いから、モウ神は一切りに致すより仕様が無いぞよ。
 外国の性来は前後(あとさき)構はずに、行り放題の行り方であるから、トンと行き当りた所で、何う仕様方法(しやうよう)もない、無茶苦茶の暗雲であるぞよ。悪が強いと一寸先きが目が届かむぞよ。外国の守護神がエライ経綸はして居るが、「悪の世は九分九厘行つた所で、世が無くなる」と申して、明治25年から茲まで知らした事の、実地の現はれる時節が来たから、この先で是までのやうに思うて居ると、大間違ひが出来るぞよ。大きな誤解(とりちがひ)や慢心致して居りた守護神が、キリキリ舞を致して苦しむ事が、先繰り出て来るから、其苦しむのを見るのが厭であるから、変性男子は辛い役であるぞよ。変性男子が一度申した事は、何時になりても皆出て来るから、神の申した言(ことば)を反いて致したら、取返しの成らん心配が出来て来て、ジリジリ舞を致さな成らんやうに成るぞよ。
 三千世界の大立替であるから、今迄の一切の事を根本から変へてしまふのであるから、今迄の事申して、エラソウに覇張りて居ると、肝腎の神に見放されて、「矢張り仏の方が結構じや」と申して、悪魔の容器(いれもの)にしられて、この世の中の役に立たぬ蛆虫に成りてしまふぞよ。慢心ほど怖いものは無いぞよ。
 今までは心の中に何程悪がありても、学さへありて上に立ちて居りたら、立派に人民からは見へたなれど、世の立替に就いて、昔の生神が現はれて、審神者(さにわ)を致すから、我と我手に身魂の性が現はれて来て、恥かしうて世間へ顔出しが出来ん様に成るから、何時までもクドウ気を附けるなれど、根本から外国身魂に成り変りて居るから、神が可哀[愛]相でも助けやうが無いぞよ。「『奥山の紅葉の有る中(うち)に』と思へども、それは心で取るが良いぞよ」と申して、今迄の筆先に書してあらうがな。改心出来ねばモウ何事が有りても、神と出口を恨める所は無いぞよ。
 表面(うはつら)ばかり立派な事を申して居りても、心の中に塵埃(ごもく)ありては、神国の御用には使はむぞよ。悪神が守護致すと、自分がエラソウ見えて、誠の人が阿房に見えたり、悪魔により見えは致さんから、取返の附かぬ大間違が出来るのであるぞよ。気の毒なものじやぞよ。「外国の悪の仕組は、九分九厘で世が無くなる」と申して、明治25年から続いて知らしたが、チトは耳へ這入る守護神が有りても、悪の方の味方が多いから、心の弱い守護神、人民は、直ぐに悪魔に頭を押さえられて腰を折るから、何時までも世の立替が後れるから、世界の難渋が日に増しに激しくなる斗りであるぞよ。日本は神国、霊主体従(ひのもと)の尊い国であるから、チトは日本魂の研けた人民が有りさうなものなれど、今の日本の国は、上から下まで外国の魂に化けてしまうて、我れさへ良くば、元の根本を無いやうに致して、我が苦労も致さずに、他の苦労で行らうとしても、末代の世は続きは致さんぞよ。「天地の大神も良し、守護神も人民も良し」といふ様に成らねば、誠の日本魂とは申さんぞよ。
 世に落ちて居りた元の神が、神国の世に立帰りて、善一つの世に致すのであるぞよ。是までの心を全部(さっぱり)入れ替えを致して、心を持ち直せば、神国の世に成れば、誠に結構であるぞよ。玉水の龍宮館へ御上りになりて御出ます、乙姫様の御心を、今度は皆揃うて、上へ上りて居れる守護神が、ここで速かに是までの心の入れ代が出来んと、真[誠]にこの先きで気の毒が出来るから、今が一か八かの処であるぞよ。上の守護神に気が附いて来たら、世界中が善く成るなり。上に気が附かな、この先は世界中の大きな難渋と成るが、モウこの先は悪では世が立ちては行かんぞよ。
 この暗黒(くらがり)の世に、ドんな事をして見せても、書いて見せても、言ひ聞しても、気の附く守護神、人民が無いが、悪の仕組ではジリジリと身魂が減ってしまふから、向ふの国の云ふやうにして居りたなら、モウ遠からん内に、日本との大戦争に成りて来るが、日本の国も外国と同じ事になりて、屈強盛りの人民が無くなる斗り、金の費るのは程が知れんぞよ。段々人が減る斗りで、何程人民がありたとて、人民力では到底行きは致さんぞよ。上から下まで、余り大きな誤解(とりちがひ)を致して居るから、悪の頭(かしら)の仕組はモウ一足も、日本の国の御土(おつち)の上では出来ん仕組が、日本の国には今に知つた事で無いぞよ。茲へ成りて来ることは、天の大神様と地の先祖の大国常立尊とは、元から日本の国に、一輪の経綸がしてありたのじやぞよ。日本の人民が、日本魂の本の性来に成りて来んと、向ふの国には科学(がく)で、エライ仕組を致して居るから、何方(どちら)へ附いて良いと云ふ事が解らんやうな人民が、沢山(たっぴつ)に出て来るぞよ……。「大きな取違を致して居りた」と云ふ事が、日本の上の守護神や、下の人民に解りて来るのは、何(いず)れは向ふの国から攻めてくるから、昔の世の本から、日本の国には斯んな大望な経綸がしてありた事が、何方(どちら)の国にも解りて来て、世界の人民がアフンと致して、手も足も能う出さずに、途方に呉れる事が出来するぞよ。
 この状態(なり)で神が構はず見て居りたら、何方の国も後へ引くと云ふ事は致さんから、此処へ為りて来るから、明治25年から筆先で、何彼の事が知らしてありた通りの時節が廻りて来て居るのに、人民といふものは実地の正末が出て来んと、真[誠]に致さんから、遽(にはか)にジリジリ舞はな成らん事に成るのじやぞよ。人民は少(ちつ)とも先の見えんものであるから、常に何彼の心得を致して置かんと、マサカの時に狼狽(うろた)へるぞよ。信心は常にあるぞよ。日々神に縋りて、身魂を綺麗に研いて居る人民と、「この世に神は無きもの」と申して居る人民とは立分けるから、それで「常から信神を致せ」と申すのであるぞよ。俄信神(にわかしんじん)は間に合はんぞよ。何彼の事が迫りて、色々と是だけ大本の内(なか)と御屋敷には、真正(せうまつ)の御神様が、彼方此方に御守護があるのに、厭な事を目の前(さき)にして見せて遣らんと、承知が行かん浅間敷(あさましき)ものであるから、俄にジリジリ舞はな成らん事が出て来るぞよ。さう成りてから走り込んで来て、「何卒(どうぞ)助けて呉れ」と申しても、ソンナ事には掛りて居れんやうに忙(せは)しくなりて、何んところで無いぞよ……。
 龍宮の乙姫殿が御守護あり出したら、世界はモ一つ何彼の事が騒がしく成るぞよ。向ふの国には悪の経綸で、何処までも行り抜かうとの企みであるなれど、日本の国にも、神が蔭から動かん仕組が致してあるから、何方の行り方で末代の世が続いて行くものじや。善の道で続くか、悪の道で続くか。善と悪との力比べの大戦(おおたたかひ)であるから、勝ちた方の道で、この先の末代の世を持ちて行くやうに成るのであるぞよ。今の日本の上に立ちて居る守護神は、九分九厘までは、外国の行り方を結構なやうに思ふて居るが、「今に『大きな量[了]見違ひでありた』と申すことが判りて来て、頭を掻いて、ジリジリ悶を致すぞよ」と申して、明治25年から変性男子の手で書かしてありたが、一分一厘の違も無いぞよ。旧九月五日の朝の間に、出口直が神に御礼拝(おれい)を致して居りた折に、「明日から乙姫殿の御守護になる」と申して知らしたが、猶ほ筆でも知らしてあるぞよ。今迄に申してある通りに、何も成りて来るぞよ。「九分九厘に成ると手の掌が覆りて、綾部のこの村と綾部の町を動かして遣る」と申してあらうがな。「世界と一同(いちど)に動かす」と申して、筆先に出してあらうがな。皆出てくるぞよ。大きな目醒しが天地からあるぞよ。世界の事は何も彼も、筆先通りに成りて来るぞよ。十分に知らしてあるから、チト遅く成る事もあるなれど、人民の改心さへ出来たなら、余りイヤな事の無いやうに、良い方へ立替て、それぞれの御用の命令を下げて、良い霊を入れ替えて与ると、皆が勇みて良い御用が出来るから、一日の日の間にでも、手の掌を覆(かや)して良くして与るなれど、外国の悪い性来が移りて居るから、日本の国の守護神が、矢張り外国に化りてしまうて居るから、今の心では、霊魂(みたま)にして国替(くにがえ)でもさして洗濯を致さねば、到底言ひ聞かした位で聞くやうな、優しい身魂が無いぞよ。世に出て居れる方の守護神が気が附いて来たら、元は日本で湧いたのであるから、日本の中(うち)に置いて守護さして与りたいなれど、外国に化(な)りてしまうて居るから、八、九分の身魂を出直しに致さねば、斯処へ成りてからは、モウ日の間が無いから、早く日本の身魂に立帰れば、この先は大国常立尊の、この世は自由であるから、善の心に立帰りたら、善の身魂に致して、この先は良く致してやりて、上へ上りて、日本の国を茲までに外国の性来にしてしまうた、其悪の名を表はさずに許して与るぞよ。

 是からは、善一つの天と地との御先祖様の教に立替[代]へて、悪と云ふやうな見苦しい、イヤな血統(ちすじ)は無い様に致して、昔の御先祖様の御血統の生粋の世に、日本の国を致しておいて、今度の二度目の世の立替を致さねば、この世はこの儘では立ちて行かんから、この大本の変性男子と変性女子との、人民には見当の取れん御用が、神の経綸でさしてあるから、何程人民が智慧、学で考えても、解りは致さんぞよ。是が人民に解りたら、三千年余りての大望な経綸が成就いたさんから、一輪の仕組は今の今まで申さんぞよ。三段に分けてある霊魂を、目鼻を付けねば成らんなり。何の様にも目鼻が一寸には附かんから、血筋が混ぜこぜの無茶苦茶に成りてしまうて、是迄の筆先に大略(あらまし)判りて居りても、肝腎の事が未だ出して無いから、「是が中々大望」と申すのであるぞよ。「大望」と口で申しても、本真(ほんま)に致さんぞよ。大事の正[性]念場と成りて、動きの取れん事に成らんと気が附かんが、其所で気が附いも世間並みで、何も仕様が無いから、因縁のある身魂をこの大元へ、神が綱を掛けて引き寄して知らして居れど、余り慢心がヒドイので、改心の出来る身魂が何程も無いから、物事が遅れて、神の迷惑どころか、世界の何も知らぬ人民が永う苦しむのが可哀[愛]相で、神が目を明けて見て居れんから、大本へ立寄る人は、因縁の深い身魂斗りであるから、大本の中から一番に改心いたして下されよ。

 日本の国には、神から大望な仕組がしてある。向ふの国も大きな仕組を致して居るが、「戦争と天災とが初まりたら、人民が三分に減(な)る」と、初発の筆先に書いてあるなれど、茲に成ると、世界に残る人民が二分位より無いぞよ。日本の国には誠の者が二分残る仕組であれど、向ふの国はまだ約(つま)らん仕組をダラダラと致して、キマリの無い行り方で、行ける所まで行く。後前(あとさき)構はずで、何時までも掛りて頓着(とんじゃく)は致さず、「自分(われ)の代(よ)に奪略(とれ)な、子の代に奪る。子の代に奪れな、孫の代に取る」と云ふ気長な仕組をして居るから、日本の人民は、男子は当然(あたりまへ)なり、女子も小供も、霊主体従(ひのもと)の日本魂(やまとだましひ)の性来に成りてしまはねば、今の如うなハイカラの心は、外国の身魂に成り限(き)りて居るから……。外国の仕組は、先の約らん、行ける所まで行きて、行けぬやうに成りた所に、モ一つと云ふ経綸がして無いから、外国の云ふやうに、今の日本の守護神、人民が致して降りたら、世界の身魂がジリジリ減りに無くなりて、元の泥海に成るぞよ。是ほど天地の神が茲まで苦労艱難、悔しき事を耐り詰めて来た頃が、水の泡には出来んから、可成(なるべく)は「人民を減らさんやうに致したい」と思うて、変性男子の身魂が、余り苦労致して来たから、人の苦労が身に沁みて、心が沈みて、門(かど)へ出るのも厭がりて居るが……。是迄の人民の心では、如何しても何方(どちら)の国も人が減る。一度の改心は人が減るから、是迄の心を入れ替えて、新(さら)つの世に致すのであるから、どうぞ一時も早く改心を致して下されよ。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる