大地の母 メモ5

△『大逆事件』
 明治43年(1910年)、出口ナオ開祖75歳の日常。梅田安子の回想より。
 綾部・臥竜亭の北側のつづきに建て増した二間がナオと安子の部屋だった。
 ナオは朝四時前に起床、まだ闇の深いぬれ縁に出る。そこで手桶に汲んだ水を手に受けて、髪と額を丁寧に潔める。木櫛で銀髪を梳き、紙こよりで後ろにくくる。寒中など、唇も手足も紫色に変わる。4年前から、神命によってナオは水行を中止していた。
 神前の板の前の円座に座って、長い長い祈念。その間に安子はナオの床を上げ、台所に火をもらいに行く。台所の燃料は、すべて山から刈ってきた柴である。炭は「もったいない」と言って、ナオが使用を許さぬ。澄子(王仁三郎妻、ナオの五女)から台所の熾をもらって教祖室へ運び、小さな手あぶりに埋ける。祈念を終えたナオはその前に行儀良く座り、ちょっと火に手をかざすだけ、膝をくずした姿を一度も見たことはない。火が燃え尽きると、あとはずっと火なしである。あまり朝が早いので、火の間に合わぬことがある。安子が詫びると「何を言うのやいな、わたしは働かぬのにもったいない。台所はさぞいそがしかろのう」
 食事は奉仕者と同じく一汁一菜。はげちょろけの箱膳に入れて安子が運ぶ。蓋をあけると、お膳になる。茶は倹約して、ナオは飲まぬ。茶碗に盃一杯ほどの飯を盛り、湯をかけてやわらかくしてのどに流しこむ。それさえ欲しがらぬことがある。安子がみかねて言った。
「教祖さま、御飯をお上がりにならんと、体が持ちまへんどっせ」
「お安さん、わたしは神様から『このままではだいぶ人減りがする』と聞いておりますのや。『わたしはどんな行でもしますさかい、どうぞ人は減らさんと立替えて下され』とお願いするとな、『なんぼナオのお願いでも渡る川は渡らねばならぬ』とのう。それなば大難を小難にとお祈りしとるのやが、こうやって坐っていると世の行末がみなわかるさかいなあ、心配で食事がのどに通らんのやで。『この方の言うことは毛筋の横幅ほども違わんぞ』と神さまは言うてじゃが・・・」
 髪の毛を一本抜きとり、安子に示す。
「毛筋の横幅って、お安さん、これやで。これの横巾も違わん…。ちっとは違うとよいがなあ、この悪いことがなあ…」
 ナオの眼にうっすら涙がにじむ。
「それでも御飯を頂かんと、肉体がもたんでなあ」
「はい、教祖さま・・・」 安子は励ますように碗をさし出す。

 筆先が出る日は、朝の礼拝の時に知らされるらしい。
「今日はお筆先が出るげなで墨を磨っておくれよ。ようけらしいでなあ、ようけ磨ってくれおくれよ」
 初めて命じられた時は「よいかい、お水は御神水、お玉の水やで」と念を押された。御神前から下げたお玉(丸い素焼きの器)の水を注いで、墨が落ちてもにじまぬ濃さに磨る。ナオは下着から一切着替えてあいの襖をしめきり、自室の袋戸棚の上に祀った神床の前に机を置いて坐る。次の間にひかえて待つ安子は、どんな状態で筆先が出るのか、むしょうに知りたかった。
 ある時、几帳面なナオにしては珍しく襖が細目にあいていたので、安子はにじり寄り、閉めようと手にかけた。つい、そのままナオをうかがう。端座したナオは、じっと瞑目している。日頃の温顔はなく、引き締まって恐いばかりの男神と化している。と思った瞬間、安子の体は強い風圧をくらったように、ドーッとうしろへはねのけられていた。しかし、こわいもの見たさには勝てなかった。またそろりと襖に寄る。ナオは左手を紙の上におき、右手は筆をまっすぐに持ち、どぶんと墨の中につけ、墨がつきるまで走らせ、またどぶんと筆をつける。すごい早さである。チラとそれだけを見て安子は首をひっこめ、急いで手を合わせて神様にお詫びをした。あとでナオは言った。
「どえらいもんやなあ。神さんは邪魔な物をちょっと除けようとなさるだけやのに、人間は六間向こうへ吹っ飛ぶのやで」
 筆先が終わると手を膝に置き、静かに次の間に声をかける。
「お安さん、お筆先が出たさかい、まず先生にのう…」
 筆先を三方にのせて捧げ、安子は王仁三郎の所へ持って行く。王仁三郎がショーショーとめくってみて、すぐ役員へ、それから信者へ、これは不文律であった。ナオは安子に教えた。
「筆先は紙をやっと使うさかい贅沢なようやが『口で言うと言い間違い、聞き間違いがある。後の証拠のために書き残してもらいたい』と神様が言いなさるで…」

 神霊とは常に交流があった。が、時に激しく悪霊に妨害される。夜中に恐ろしい物音がするので、安子は飛び起きて教祖室の襖を開く。行燈(あんどん)のそばで、ナオは白髪を逆立て、金色の眼を射放って凄まじく宙を睨んでいる。居竦む安子に、「水、水……」 長い廊下を走り、台所から茶碗に水を運ぶ。あわてているので、水は揺れて半ばこぼれていた。
「そんな小さな物であくかっ」 かつてない男のような荒々しさである。再び台所へとってかえすと、澄が手燭をかかげて出てきた。「安子さん、どんぶり鉢に持って行き」と澄が言った。
 中庭をへだてて三部屋も向こうの教祖室から、「ばか、ばか、ばかっ」と叱る大声が、竜門館をゆるがさんばかりに響き渡る。震えて杓もつ手も定まらぬ安子に代わって、澄がどんぶりに水を満たしてくれた。ナオは一息にのみ降し、ようやく息をつく。それから震えのとまらぬ安子に眼を落とし、まだしゃがれた声で言った。
「お安さん、びっくりしたやろ。こっちがこんだけの力やったら同じだけの悪魔がくる。わたしさえなかったら悪の代は続くさかい、悪魔も死物狂いやわな。わたしは負けられへんのやで」 神前に向かって何事か祈念を終え、こちらを向いた時、もういつに変わらぬ和んだ眸、涼しい声音のナオであった。「おおきに。風邪引かぬよう早くお休み」

 ナオの着物は木綿ずくめ、紐まで木綿でないと承知しなかった。それでも着こなしはうまかった。以前に、安子の夫・梅田常次郎と参拝した時だった。つぎはぎの手織木綿の着物を着たナオが、果物をのせた三方を御神前から下げてきて、ふと「梅田はん、これ上げようか」と声をかけた。常次郎は返事もできず立ち尽くしている。「どないしはったんどす」 ナオが通り過ぎたあと、安子がいぶかしがって訊くと、夫は魅せられたようなまなざしのまま唸った。
「うーん、あの品の良い立ち姿といったら…菊五郎でも団十郎でもあんなようすはできん、絶品やなあ」
 常々、舞いできたえ、最高の衣装によそおった芸妓の裾を曳いて立つあでやかさを、何より愛する常次郎である。夫の嘆賞を自分のことのように安子は嬉しかった。




テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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