『大本神諭』 大正5年旧3月6日

○大正5年旧3月6日(火の巻)

 体主霊従(あく)の行り方は、前後(あとさき)に手が廻して無いから、前後構はず利己主義(われよし)の行方で上へあがりて、自己(われ)が出世をする事ばかりに眼を着けて、金銀で表面(つら)張りて、他人は覆(こけ)やうが倒れやうが、自己さへ好都合(よけ)りや可(よ)かりた行方で、根本の天地を造へた、善一ツの経綸のしてある方からは、余り事がちいさうて面倒臭いぞよ。善の道は、経綸が奥が深うて、一寸(ちょっと)には見当が取れまいがな。悪の仕組は、登るのも迅いなれど、仕組が浅いから、何所までも登れると思ふて行き居ると、道がトンと行き当りて、行く道が無いやうになるから、明治25年から、ここへ成ることが、日々気がつきて、「今じや」と申して、続いて御筆先で知らした通りに成りて来ても、世界中は何う仕様も無い事になりて、九分九厘となりたら、ビツクリ箱を開けて、掌を反(かへ)して、悪の守護神が善の御道へ立ち帰らんと、一寸の場の地面(おつち)の上に居られんやうの時節が循環[還](まはり)て来たぞよ。

 大国常立尊は押込まれて居りて、世界の事、向こふの国の事、何もよく査べてある。日本の国の山の隅々までの事、何もよく査てあるぞよ。それでこの世のエンマと、此方(このほう)を申すのであるぞよ。怖いばかりがエンマでないぞよ。エンマと申すのは、天地の創造(はじまり)の事から、神界(かみ)の起源(はじまり)の事から、仏事になる事から、仏事で学が一旦は栄[盛]る事から、その学が、これ丈栄えた学の終わる事から、末代の事、今度二度目の世の立替をして、その前途(さき)は人民では見当が取れんなれど、何も仕組がしてありて、ここまでの事を忍耐(こば)りつめて、これ程艱難(かんなん)を致して、向後(このさき)の世は末代続かせねばならんのである……。


テーマ : 心に響く言葉・メッセージ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

真善美愛

Author:真善美愛
真善美愛まことと申します。東日本大震災の後、上野公園さんの『神言会-大本教神諭解説』に出会い、ぐちなお開祖・さぶろう聖師を通じてうしとら〔 艮 〕こんじんくにとこたちのみこと様に導かれます。それ以降、天の御先祖様(万軍の主、創造神)のお役に立ちたいと、良心神(個々の魂に宿る天帝の分魂、天照皇大御神)を奉じて活動しています。

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